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 三分ほど歩くと、やがて「水池」と書かれた表札を掲げた一軒家が見えてきた。二階建てで壁は焦げ茶、ごくごく一般的な家である。
 ぐんぐん歩く楓ちゃんは敷地に入り、家の入り口へと至る三段の階段を上がった。「ただいまー」ドアを開いて、大きな声を出す。
「お帰り楓。……って、色呆け。あんたなんで……」
 玄関を上がってすぐのところで、未奈ちゃんが驚いた表情で立っていた。部屋着なのだろう、上下灰色一色の服を身にまとっている。ただミニスカートはちょっと短めで、健康的なおみ足が自然に目に焼き付いた。
「ごめん、未奈ちゃん。楓ちゃんのお言葉に甘えちゃいました。勝手に上がっといてなんだけど、すぐに着替えたほうがいいよね。大丈夫。俺既に目ぇ瞑ってるから」
「あっ!」焦った感じの声が、閉目した俺の耳に届く。すぐにすたすたと足音がして、俺は目を開いた。未奈ちゃんは家の奥に着替えに行ったのだろう。
 普通の男子高生ならラッキーって感じだろうけど、俺は断じてスケベじゃあない。俺の幸せは、決してそこにはないのだよ。
 しばらくすると、上下白色のジャージ姿の未奈ちゃんが現れた。「で、何であんたがいんのよ」口調と目とは不満げだけど、照れているのか頬はかすかに赤かった。
「星芝さん、練習中に顔にちょこっと怪我したの。あたし、手当てするから、星芝さんをしばらくうちにいさせてあげてよ」
「もう八時過ぎてんでしょ。手当でも何でも、小学生が夜更かししちゃダメ。あんたは風呂入って寝る準備しなさい」
 厳しくも愛を伺わせる調子で、未奈ちゃんは楓ちゃんを諭した。
「わかった、そこまで言うならよろしく。うーん、にしてもやっぱお姉ちゃん優しい! 学校でもそうしてりゃ、カレシぐらいすーぐできるだろうのに。なーんかもったいないなぁ」
 残念そうな風の楓ちゃんに、「このマセガキ。ほら、とっとと靴脱ぐ」と、未奈ちゃんは少し鬱陶しそうだった。
「わかった」靴を脱いだ楓ちゃんは、とんとんと玄関上がって左手すぐの階段を上がっていった。
「あんたも上がんなさい。練習を命じたのは私。責任はあるし、きっちり治療したげる。特別大サービスよ」
 未奈ちゃんは、なおもぶすっとした感じだった。
「お、おう。ありがとう。あっ、ご両親ってどこ? 挨拶しときたいんだけど」
 ちょっと狼狽えた気持ちで訊くと、「お父さんもお母さんも同窓会。高校の同級生夫婦なのよ」と即答が来た。
「え、この家って今、俺たち三人だけ?」俺がすぐさま疑問を口にした。
「そういう事になるわね。妄想真っ盛りの男子高校生には、わりと垂涎のシチュエーションよね。まあ甲斐性なしのあんたに、私をどうこうする度胸があるとは思えないけど」