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 初練習の日の夜、Cチームのグラウンドで、俺は、偶然に出会った佐々と自主練習をしていた。
 竜神のような強豪校では、全体練習に加えて、それぞれの課題に取り組むための自主練習が一般的である。強制じゃないけど、少しでも上手くなるためにみんな躍起になって取り組む。
 ボールを右前に置いた俺は、ゆっくりと走り始める。イメージは、右足クロスの神、デイヴィッド・ベッカム。
 親指の付け根でボールを捉える。いつも通りの完璧な手応え。
 ビューティフルな弧を描いたボールは、三十mほど離れた位置にいる佐々に届いた。
 佐々はイン・サイドでトラップした。だが、ボールは前に転がっていく。やっぱり、足元はまだまだだね。
 グラウンドの四隅では、高さ十m以上の照明が煌々と周りを照らしていて、サッカー部員の威勢の良い声やボールのキック音が、時折、夜の静寂に響き渡っていた。
 佐々が、イン・ステップキックをした。軸足を踏み込みすぎで弾道は低くなったが、筋力があるので球足は速い。
 俺は、右足の後ろ側から回した左足で、バウンドの上がり際を捉える。
 ボールはやや前に行くが、バック・スピンで戻ってきて左足に収まった。うん、ラボーナも良い調子。
 時刻が気になった俺は、五階建ての校舎のてっぺん近くにある丸型時計をちらりと見た。八時二十五分。自主練習の終了時間、五分前である。
 佐々に視線を戻した俺は、両手を口に添えた。
「佐々ー、今日はこのぐらいにしといてやらー!」
「おーう、了解。けどその新喜劇みてーなセリフ、使いどこミスってねーかー? 意味は伝わっから良いけどよー!」
 大声を出した佐々は、ダッシュで帰ってくる。相変わらず、綺麗な走り方をする奴である。
 ボールを片付けた俺たちは、他のCのメンバーと並んでグラウンドの整備を始めた。
「イン・ステップだけどな。シュートはともかく、飛距離を出したいだったらもっと軸足は後ろに置いたほうが良いよ」
 隣の佐々にやんわりとアドバイスしながら、鉄のトンボを引く。土を均すトンボのわずかな振動が、手に伝わってきていた。
 視界の端で、佐々が俺に顔を向ける。
「貴重なアドバイス、マジ感謝……。って、うおーい。今、気づいたけどよ。ネームT、ずいぶんぶっ飛んだデザインだな。『星芝 ~like a special shining star~』って。──ああ、なるほど。苗字にちなんでるわけかよ」
 目を見開いた佐々の驚きの声に、他のCの奴らも俺の腹部に注目し始める。
 全体の後、柳沼コーチの部屋に向かった新一年生たちは、真っ白のTシャツを、一人あたり五枚、受け取った。
 Cチームのメンバーは、ポジションと名前を書いたTシャツ、『ネームT』を練習中に着る決まりだった。人数が多いので、人物の特定をし易くするためである。
 自分の部屋に帰った俺は、マジックでどでかくポジションと名前を書いた。その下には小さめの字で、がっつり自己主張もしてやったよ。
 ほら、Cって五十人近くいるからね。個性ガンガンで行かないと、埋もれちまうのよ。
「おいおい、佐々。発音わりーよ。グローバル精神とラブ&ピース、忘れてもらっちゃあ困るぜ。Lは、舌を前歯の裏にベタっと付けねーと。リピート・アフター・ミー、『like』」
「ら、like」
「ふむふむ。許してしんぜよう」
 髭を蓄えた王様の気分で告げた俺に、佐々は不審げに問い詰めてくる。
「妙なところに拘んだな。ラブ&ピースは何の関係があるのか理解不能だけどよ。それともしかして、ネームT全部にそれ、書いてる系?」
「四枚はね。残りの一枚は、もっとイカした文言を入れてるよ」
「お、おう。何て書いてんだよ?」
「『星芝~隣の芝生は青い』」
「いやいや、イミフだっつーの! 一貫性がなさ過ぎんだろ! 発音で見せた拘りはどした!」
 佐々は、捲し立てるように突っ込んできた。出会ったばかりの俺たちだけど、もうすっかり仲良しである。
 それと佐々は、俺の未奈ちゃんへの告白騒動には触れてこない。チャラい見かけに反して、気が遣える奴だ。
「にしても佐々。お前、身体能力が半端ねーっつーか、カンスト感満載だよな。今まで、なんかスポーツをしてたわけ?」
 俺は、一転してシリアスに問うた。右方では、十人ほどの部員がゴールを持ち上げて動かしている。
「ま、いろんなスポーツをちょこちょこっと、って感じ? 運動は生きがいだからよ。
 あと、俺がパねーっつーけど、ホッシーは足が遅すぎじゃね? 俺、シロートだし、わかんねえけどよ。走る系の練習は、しなくて良いのかよ?」
「いやいや、俺の目指すサッカーは、『小細工なしで真正面から叩き潰す』サッカーだからね。短所を伸ばすなんて回りくどい真似、する気はナッシングっすわ」
 懐疑的に尋ねた佐々に堂々と自分の信ずるところを語った。俺の譲れない一線である。
「そうかよ。人それぞれだし、強制する気はねえけどよ」
 佐々は、まだ何か突っ込みたげな口調で、ぽつりと答えた。