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4人で抱き合ってわあわあ泣くなんて青春みたいだなと笑いながら顔を拭いて、わたしたちは教室を後にした。
「帰ろうか」
「あ、その……わたし、この後は約束があって」
「そうなの?」
「うん。……渡部くんと、待ち合わせていて。今回のこと、渡部くんにも相談してたの。だけどたくさん迷惑かけちゃったから」
「そっか。頑張って」
スマホを見ると、ちょうどメッセージを受信したところだった。3人と手を振って別れ、この間話していた部室棟の裏へと向かう。街灯の灯りだけがかすかに差し込むそこに、渡部くんは静かに立っていた。
「待たせてごめん」
「ううん。時間とってもらってごめんね。部活、忙しいのに」
「それはいいよ。歩きながら話そうか」
彼の口調はまだ硬かった。ぎこちなく並んで歩き出す。美優たちに頑張ってと背中を押されたものの、何から切り出そうか迷ってしまう。でも、いつまでも黙っていても始まらない。
「あ、あの」
思い切って顔を上げる。思い悩むような目をした渡部くんの顔を正面にして、思わず息を呑む。――こんな顔をさせたのは、わたしだ。
「その……この間は、ごめんなさい」
「……いや、俺も、きつい言い方しちゃったから」
「そんなことない。渡部くんのおかげでわたし、ちゃんと自分と向き合えたの」
嘘だらけの自分と。
わかっていながらもずっと目をそらして、そんな人間じゃないと仮面を被って綺麗な存在を装っていた自分の、狡くてみっともない部分と。
「さっき、美優たちと話してきたの。友達のことすら信じていない、最低最悪な人間だって罵倒されても仕方ないと思っていたけど、3人はわたしのことを受け入れてくれて、ずっと友達でいるって言ってくれたの。……信じられる、信じたい、って思った。わたしもずっと3人と一緒にいたい、どこにいたって助け合える関係になりたいって。信じているふりじゃなくて、心の底から信じてみたいと思った。まだ時間はかかるかもしれないけど。自分がこれだけ嫌な人間だって、認めることができた気がするんだ」
「……自分のことを認めろって、そんなつもりで言ったんじゃなかったんだけど。でもいい関係に戻れそうなら、よかった」
ふっと優しくなった声色。張り詰めていた空気と彼の口元が緩んで、刺すような冷たさの空気さえも温度が上がったように感じる。
頑張ったね、とまるで子どもをほめるような表情になった渡部くんのさっきの言葉に、疑問が芽生えた。
「あれ? そんなつもりじゃなかった、って……」
「ああ。俺、あの時かなり嫌な感じで言ったから、勘違いさせちゃってたな」
そんなきつい意味じゃなかったんだと、渡部くんは弁明のように早口になった。
「嘘つきであることうんぬんじゃなくて、矛盾する考えが自分の中にあることに向き合ったほうがいいと思ったんだよ。人間ってそんなに綺麗なものじゃないし、ずるくて汚いことも考えるものだから。俺だっていっぱいずるいことをするし、自分に都合のいいように解釈することだってある。でもそれが必ずしも悪いことじゃないから。悪い自分も認めてあげたら、きっともう少しだけ楽になれるし、それこそが誠実さなんじゃないかと思ったんだ。……言葉足らずでかえって思い詰めさせることになったかもしれないって、実はけっこう後悔してた。俺も人のこと言えないよな」
「そう、だったんだ……でも、渡部くんの言葉で変われたのは本当だよ」
「それならよかった。俺も、ちょっと救われた気がする」
わたしばかりが一方的に負担をかけていたのに、何が彼にとっての救いになったのだろう。心当たりがなかったのでその通りに疑問をぶつけると、渡部くんは街灯に照らされた睫毛を伏せて、遠い何かに思いを馳せるような微笑みを浮かべた。
「晃太のことがあってから、俺、誰かの相談にのることが苦手だったんだ。些細なことならいいんだけど、大きな悩み事とか、不安なこととか話してもらっても、俺なんかじゃ力になれないんじゃないかって思ってて。だけど、柳井さんと一緒にいるようになって、柳井さんの力になれるならどんなことだって頑張ろうって思えるようになった。やっぱりまだ言葉足らずで傷つけてしまったりするけど、……俺にとって、柳井さんは本当に大事な人で、離れてほしくないって思うから」
「渡部くん……」
「もう自分のことを卑下せずに、自信をもって前を向きたいと思ったんだ。また晃太のように、大事な人を喪ってしまうんじゃないかって不安になるよりも、絶対に同じことは起こさないって強く思えるようになった。……晃太に、ごめんねだけじゃないたくさんの言葉をやっと伝えられる気がする」
もうすぐあいつの命日なんだ、と、渡部くんはその目をゆらゆらと潤ませた。
「今までずっと、後悔と申し訳なさばかりでさ。去年も線香を上げに行ったんだけど、ご両親と顔を合わせるのも苦しかった。その気持ちがなくなったわけじゃないけど、ずっとそれだけじゃ、晃太も困るよな」
「そうだね。きっと晃太さんも、渡部くんと一緒にいたことで楽しかったり、救われたりしたりしたこともたくさんあったはずだよ」
「そっか……そうだよな。そうだったらいいな」
変わることは怖い。今まで安定していた心や環境が崩れてしまうかもしれない不安は、きっとそう簡単に振り払うことなどできないものだ。
だから、少しずつでいい。昨日よりほんの少しだけ視線を上げて、広い世界を見ることができたら、それで。
走り幅跳びみたいにぴょんと飛ぶだけで――たったひとつの出来事で何かが変わるというわけじゃない。3歩進んで2歩下がるような人生だっていいし、時には立ち止まってもいい。ちょっとでも前に進めた自分を肯定してあげたらいい。変わる、というのは、そういう小さなことの積み重ねなのだ、きっと。
ひとりでは動けなかった、座り込んでただ呼吸をしていた少し前までの自分に伝えたい。
大丈夫だよって。
怖がらなくていい。ちゃんと、心の奥底で本当に望んでいた世界にたどり着けるよ、って。
ずっと続くと思っていた暗闇に、太陽の兆しが見えたよ、って。
――駅に着いた。改札へ上がる階段の前で立ち止まった時、自然と向かい合った。お互いの真っ赤になった鼻や目元を見て、吹き出してしまう。
「あ、そうだ。ずっと言いたいことがあったんだ」
「何?」
「そろそろ、名前で呼んでもいいかなって。……今だって、晃太のことは名前呼びなのに、俺はずっと渡部くん、だし」
「そ――それは、晃太さんは苗字を知らないから」
「香帆ちゃん」
唐突に名前を呼ばれて、何ひとつ準備できていなかった心臓が大きく跳ねた。
同じように名前で呼んでという彼の期待に満ちた目が、わたしをまっすぐ射抜く。
「り……諒太くん」
「うん。ふふ、そっちのほうがやっぱりいいな。これからはちゃんと名前で呼ぼうね」
それじゃ、と、照れ隠しのような速さで自転車に跨った彼はあっという間に走り去ってしまった。