*
それからしばらくして、修学旅行の日になった。飛行機で大阪に降り立ち、そこから京都へと移動する。クラスごとに工程が違っていて、偶数のクラスは今日が京都の伝統文化体験の日だった。わたしが選んだのは和菓子作り体験で、いくつか作ったあとに抹茶を点てていっしょにいただくことができるというものだった。
「クラスごとに詰めて座ってね」
学年主任の滝沢先生が声を張る。流れのままに進んでいくと、隣のテーブルには渡部くんがいた。目が合って微笑まれる。いたずらっぽいその視線に、また心臓が高鳴った。
「それじゃあはじめます」
体験教室の講師の人がやってきて、簡単な説明のあと、材料が配られた。まずは練り切りをひとつ、みんなで作り進めていくけれど、思ったようにうまく形になってくれないとあちこちから嘆きの声が上がりはじめた。
「わ、難しい」
「一応できたけど、けっこう歪になったなあ」
同じテーブルに座ったクラスメイトたちとわいわい言いながらなんとかひとつめを完成させる。それぞれの手癖が出た練り切りがテーブルに並ぶ。
「香帆ちゃん、上手だね。さすがだあ」
「そんなことないよ。初めてだから、力加減がわからなくて」
「でも、綺麗だよ。こっちなんてほら、全然花びらの形が揃ってないもん」
「おい、俺のを引き合いに出すなよ」
下手くそ代表として指をさされた練り切りの作者は、次こそはうまくやるからなと言って意気込んだ。それを見てみんなで笑う。わたしはそれを見て謙遜して、笑顔を作る。いつもの流れだ。
人よりも何かと器用で、それなりの成果をいつも出せるタイプだという自覚はある。突出して何かができるわけじゃないし、優秀なわけじゃないけれど、平均点は取れるような。和菓子作りのような初めてのことだって、完璧にはできないけど他のみんなよりはうまくできてしまう。自分で見ても、歪なところはあるけれど、他の子たちのものよりは綺麗に整っている。
そのことでまわりから褒められても、決して調子にのってはいけない。言葉でいくら褒められたって、同じ言葉が心の中にあるわけではない。いつ何がきっかけで攻撃されるかなんて、誰にも分からないのだから。ひとつでもその芽は少ないほうがいい。今このコミュニティで平和に過ごすために必要なのは優秀さではなく、協調性と目立たないことだ。
ふたつめ、みっつめと順番に作っていき、最後のよっつめが完成したところでお茶の支度に移った。自分で抹茶を点てて、甘い和菓子と一緒に味わう。お茶のまったりとした苦味と、餡でできた和菓子の優しい甘さがじんわりと沁みた。
「ほんものの抹茶って初めて飲んだけど、こんなに苦いんだね」
「俺もびっくりした。しかも、点てるのもめっちゃ大変だし」
「でも、なんだか日本の伝統って感じで落ち着くから好きだな。苦いからなかなか飲めないのは同感だけど」
わたしがそう言うと、同じテーブルのクラスメイトは確かにと口々に笑ってくれた。その表情に安心を覚える。
わたしと一緒に修学旅行を過ごしても嫌だとは言わなくて、一緒に楽しんでいる、――ようにちゃんと振る舞ってくれている。
本心は知らない。考えない。考えたってどうしようもないのだ。みんな、見えないようにしているのだから。
体験教室を終えて移動する。二条城と京都御所を見学した後は奇数クラスと合流して、能の舞台を鑑賞した。
ホテルの部屋はクラスごとに数人ずつ分かれていて、わたしは同じ部屋になった3人と一緒に荷物を整理した。明日は京都の街中で班別散策なので、荷物はこのままにしておける。
「ねえ、夜抜け出す?」
ルームメイトの一人がスーツケースを広げながら、悪巧みをするようににやりと笑った。他のふたりは彼女のその顔を見て笑う。
「行くよー。明日だけど、もう約束してるんだ。先輩からいい場所と抜け出しルートを教えてもらったの」
「わたしはパス。生理がかぶっちゃったから、部屋でおとなしくしてるわ。用事もないし」
盛り上がる3人についていけずきょとんとしていると、言い出しっぺの彼女が教えてくれた。どうやら10時の消灯後に抜け出して、別のフロアに泊まっている男子――つまり彼氏に会いにいくという話だ。
「ホテルの人も、10時過ぎたら夜勤の人しかいなくなって監視の目が少なくなるの。で、消灯後の先生の見回りが10時半と12時にあるから、その合間を縫ってチャレンジするってわけよ」
「彼氏に会いに行くだけじゃなくて、普通に女子どうしで喋るために部屋を行き来する子もいるよ。他クラスの子だと部屋が離れてるから、行って帰ってくるとなるとスリルがあるんだ。せっかくの修学旅行だし、いろんなメンツで楽しい思い出を作りたいじゃん」
「それはまあ、確かに……でも、先生たちも予告してる時間の他に見回りしたりするんじゃない? 見つかったらどうするの?」
「そうなったら適当に言い訳するしかないよね。忘れ物してて預かってもらったので受け取りに来ました、とかさ」
「まあ、彼氏と会ってたら言い訳のしようがないけど」
彼女たちは怖いものしらずといったふうに笑った。先生に怒られるよりも、ひとつでもたくさんの思い出を作って帰りたいという熱意がその目の奥に見えた。
「香帆ちゃんも抜けるなら言ってね。コツ、教えるから」
「あ……うん、ありがとう」
誰からも誘われていない。渡部くんからも、美優たちからも。
リスクを負ってでも楽しいことをしたいというタイプではないだろうから当然のことかもしれないけど、もしかしたら美優たちはわたし抜きで会う約束をしているんじゃないかとか、渡部くんもわたし以外の誰かとばかり楽しんでいるんだろうかとか、そんな想像が脳裏をよぎる。
馬鹿みたいだ。自分を欲しがってほしいなら、まずは相手のことをもっと信じなくちゃいけないのに。こんなわたしが誘われ待ちするほうがふざけた話で、わたしと関係ないところで誰とどんなふうに過ごしていたって、文句をいう権利はない。ましてや、どうしてわたしを呼んでくれなかったのかなんて咎めることができる立場じゃないのだ。わたしから誘う勇気ひとつもないのだから。
「今のところは予定はないよ。ふたりとも、見つからずに楽しめるといいね」
お手本の回答をそのまま読み上げると、彼女たちはえへへと破顔した。その表情がかわいくて、眩しくて、見ているとどうしてか息苦しさを感じてしまった。