男の子って、なんであんなに怖いんだろう。
いつも何人かでかたまって騒いでいて、体育とか体を動かす時は待ってましたとばかりにいきいきして。
ごはんをもりもり食べて。高校になったら背がにょきにょき伸びてる子も多いし。大人しい子のことをすぐにからかったりするところも嫌だ。
なんていうか、男の子って乱暴なエネルギーそのものだ。

さっきの市来君は特に怖かった。
昼休みに食堂の自販機でいちごみるくを買うのを金曜日だけ許している。
毎日買っていたらお小遣いがなくなってしまうから。
今日もうきうきしながら自販機の前に立ったけど、財布からうまく百円玉を取り出せなかった。
もたもたしていたら後ろから「チッ」っていう声が聞こえてきたので、ビクッとして後ろを振り向くと、怖い顔をした市来君が立っていた。
正しくはそびえたっていた、という感じ。
震えあがった私は、いちごみるくを買うのを諦め、蚊の鳴く声よりも小さな声で「……ごめんなさい……!」といって逃げるようにその場を後にした。

おかげで、今日はいちごみるくにありつけなかった。週末の楽しみだったのに。まぁ、貯金できたと思うことにしよう。
いちごみるくを買って中庭のベンチでぼーっとするのが好きなんだけど、今日はいちごみるくなしでぼーっとしてきた。
そうしたら、春のそよ風が心地よ過ぎて、気づいたら昼休み終了5分前!
慌てて教室に戻っているところだ。……ほんと今日はついてない。

昼休み終了一分前になんとか着席する。隣の席のユミが「サエがぎりぎりに戻ってくるの珍しいじゃん」と不思議そうに話しかけてくる。
「こんなはずじゃなかったんだけど……」と急いで息が切れているので肩を上下させながら答える。

そこに、担任の有川先生が入ってきて、当番の河合君が「起立!」と大きな声で号令をかけ皆立ち上がる。
「今からは、新学期の委員決めをするぞ」と有川先生はなんだか面倒くさそうに言い、黒板に委員会の名前を書いていく。
……あぁ、全然考えてなかった。しゃべるのは苦手だから放送委員以外だったら何でもいいけど。

廊下側の一番前の席で市来君があくびしているのが視界に入った。ふまじめだなぁと思いつつも、柔らかそうな髪やがっちりした肩幅についつい見とれてしまう。いつもそうだ。見ないでおこうと思っては見てしまい、しばし見とれる、の繰り返し。
だから、さっきの舌打ちはすごくショックだった。

立候補制で各委員は順調に決まっていった。
「図書委員をやりたいやつ、手を挙げろ」
すぐさま手を挙げた。定員は2人だけど、私を入れて3人が挙手しているのでじゃんけんで決めることになった。
なんか負ける気がする……いやいや、そんなこと考えてるから負けるんだよ、と心の中でぶつぶつ言いながら、
じゃんけんに臨むも無残に敗れた。

残すは、放送委員だけである。皆何かしらの委員に属さないといけないので、必然的に私は放送委員をやるはめになった。
そういえば、もう一人は?
「まだ決まってないやつ」
有川先生が手を挙げながら聞くと、なんと市来君がだるそうに手を挙げた。
「じゃあ、放送委員は港と市来で決定な」
ちょうど授業終了を知らせるチャイムが鳴る。皆、一斉に席を立って一気に騒がしくなる。そんな中でも市来君は、席を立たずに頬杖をついたまま前を見ていて、そこだけ音が遮断されているような静けさをまとっていた。

同じ放送委員になったからと言って、そのことで市来君と会話することはなかった。
放送委員の初回の集まりでは、クラスごとに着席したので、隣同士の席だったけど何も会話しなかった。
「もっと放送を聞いてもらえるように、明日までに各クラスで案出して」
委員長がそう言って、初回の集まりは終わった。
というか、え? 明日まで? なんという無茶ぶり!
一人で慌てていると、市来君が「話し合って帰るか」とひとりごとのようなトーンで話しかけてきた。

というわけで、自分のクラスに戻ってきて、今市来君と向かい合っています。
ありえない至近距離。
市来君は面倒くさそうに頬杖をついて俯いている。
机一つ分しかない距離とか頭が追いつかない。
え? どうしたらいい? 第一声は何言ったらいいの?
頭の中で大騒ぎしていると、市来くんが急にこっちを向いた。
「で、どうする?」
瞬間、風でぶわりとカーテンが大きく舞い上がって、私たちのほとんど真横まで近付いた。
それが何かの合図のように時が止まる。胸が大きくひとつどくんと高鳴る。
色素の薄い茶色の目。風でなびいた髪。血色よく引結ばれたくちびる。市来君が夕焼け色に染まってる。全てに目を奪われる。声が出せない。
私が何も答えないから、自然と見つめ合う形になった。

気のせいかもしれないけど、なぜか刹那市来君の瞳が揺れた気がした。
市来君が何かを言いかけてくちびるがうごいたけど、すぐに真一文字に戻される。
下を向いたまま市来君はガタッと大きな音を立てて立ち上がり、
「適当に考えて提出しておいて」
と言い放って教室の入り口へと急ぎ気味に歩き出す。
適当に考えるなんて……
「考えるから、確認してねっ……!」
何とか声を絞り出して、市来君の後ろ姿に声をかけたけど、既に市来君は教室から出ようとしてるところで、
当然のように反応はなかった。
残された私は、好きな本を紹介するコーナーやリラックス効果のある曲を流すとかいくつか考えてみたけど、
市来君に確認してもらうことはなかった。
翌日、突然市来君は転校してしまったから。

満開だった桜も葉桜となり、若葉が陽に透けてとてもきれいだ。
葉の間から漏れる陽を浴びながら、キャンパスを歩く。
私は晴れて都内の私立大学に入学した。
都心近郊の県が地元だけど、通学に片道二時間半かかるので一人暮らしをしている。
母なしで朝起きるのは至難の業だけど、頑張って一限に間に合うように教室に到着したものの、
休講になったので、2限まで暇をもてあましている。
というわけで、気になっていた場所に行ってみようとしているところです。
講義で窓際に座った時に窓の外に見えた大きなセコイヤの木。
根元にベンチが置いてあって座ってみたいな、と思っていたんだ。
お目当ての場所に行くとベンチには誰も座っていなくてラッキー。
恭しく腰を掛けて、空を見上げる。
春の水色の空に綿菓子をさいたような雲が薄く広がっている。
なんてのどかで気持ちいいんだろう。そういえば、高校生の時、昼休みに中庭でぼーっとするのが好きだったことを思い出す。
両手を組んで、うーんと伸びをする。
その時、なんだか視線を感じたような気がして、左側にある校舎の二階に目をやる。
人がさっと向きを変えていなくなるのが見えた。
……私を見ていた、なんてわけないか。たまたま窓際に人がいただけだよね。
そのまましばらくひなたぼっこをしてから、今度はお弁当を持ってここに来ようと決め、二限に向かった。

大学でできた友人の中で一番仲がいいのはリカだ。リカはかわいらしい見た目とうらはらに利発な性格で、いつも私を引っ張ってくれる。性格は正反対のはずなのに、なぜかとても気が合い、受ける授業もたまたまだが大体同じものを選択している。
そんな中でも今日の四限は、私はドイツ語、リカはフランス語と別の授業だったので珍しく別行動だった。
四限が終わって、正面の窓から夕焼けが指しオレンジ色に染まる廊下を歩きながら、今晩の献立を考えていた。
バイト代が入るまであと3日あるから金欠なので、冷凍してあるひき肉にエノキを入れて嵩増しハンバーグを作ろうかな……と思い、
スマホでレシピを検索しようと思い立つ。かたかけのキャンバス地のバッグに手を入れてごそごそするけど、あれ? スマホがない……?
一気に血の気が引き、慌ててさっき講義を受けていた教室に引き返す。
教室に戻ると、男子が一人窓際に立っていた。夕焼け色に染まる彼の姿に既視感があり心がざわっとしたが、次の瞬間、大きく風が吹き込み、四枚あるカーテンが大きく膨らんだ。
時が急激に巻き戻されたのかと思った。一気に懐かしい情景が浮かんでくる。
柔らかそうな髪、思いのほかがっちりとした背中、次々と懐かしい情景が浮かんでくる。
市来……くん……!?
そう思った瞬間、窓際の男子がくるりとこちらに体の向きを変えようとしたので、反射的にその場から立ち去った。
校舎を出て、高鳴る心臓を落ち着けるために深呼吸を何回かして歩き出し、もう一度バッグの中を探ると、今度はあっさりとバッグの底からスマホが出てきた。

それ以来、あの男子は市来君だったのかな? と何度も考えている。
その度に胸が高鳴り、頬が内側から熱くなる。
見かねたリカに一度、「最近ボーッとしてること多くない?」と聞かれたけど、そんなことないよと頭をぶんぶん振って全力で否定した。私の変な勢いに圧倒されて、リカも「あっ、そう……」とそれ以上何も言わなかったけど。
ほんで、あれはやっぱり市来君だったのかな。それとも、他人の空似?
気持ちがアップダウンし、思考が無限ループする。

でも、あれ以来、あの時の男子とは一度も遭遇していない。こっそり、学生課で各学部の名簿を見たけど市来君の名前はなかった。
違う学年なのかな?やっぱり市来君じゃないのかな?
気付けば、キョロキョロしながらキャンパスを歩いていることも多くなった。

五月の終わり頃、最近では一人の時間があるとセコイヤの木のベンチに行くのが習慣になっていた。
もうすぐ六月だし、梅雨になったらここにもなかなか来れないかも……と思って、今日は勝手にしばしの別れを惜しんでいた。
お弁当をいつもより時間をかけてゆっくり食べた後、午後からの講義に向かおうとすると、前方にリカを発見した。
フレンチスリーブの水色のトップスに、白のロングスカートを着たリカは今日もおしゃれだ。なぜか自分が誇らしくなる。
歩く度、風を含んでふわりとふくらむ白いスカートに爽やかさを感じていたが、隣を歩いている男子を見て、改めて体全体がびくりっとした。
あの時の男子だ……!市来君に似たあの子。
二人は楽しそうに顔を寄せ合って話している。男子が冗談を言ったのか、リカが頬を膨らませて「もうー!」と言いながら、
嬉しそうに男子の腕をたたく。
どんどん二人との距離が狭まって、いよいよ男子の横顔もよく見える距離まで来た。
……やっぱり市来君だ……!あの色素の薄い瞳、紙質、背格好、そしてリカに話しかける声、見間違えるわけない。
リカの彼氏が市来君なの……?
感情の波にのまれそうでその場で崩れ落ちそうだったけど、何とか足の裏に力を込めて、来た方向に向かって走り出す。
そんなに早く走る必要はないのに。
動揺を消したくて。リカと市来君が付き合ってるだろう事実から目を背けたくて。
とにかく走って大学の正門まで来た後は、乱れた呼吸と吹き出す汗にどうにかなりそうになりながら、
いつもは節約のためと乗らないバスで帰宅した。

三限の途中、リカから何通かLINEが入っていた。
「サエ、三限休み!?」
「サエが休むなんて初めてだから心配だよ。連絡ください」
「体調悪い?私にできることあったら遠慮せず言ってね」
一度既読したけど返信せず、現実逃避のために眠った。
夕方、目を覚ますと良心の呵責に苛まれてやっとリカに返信した。
「ごめんね。急に熱が出たから休んだけど寝たら熱下がったよ」
リカからはすぐに返信が来た。
「返信あってよかった!サエに何かあったのかと気が気じゃなかったよ。熱は下がったみたいだけど、油断せずよく休んでね。食べたいものとかあれば買って持っていくし言ってよ!」
私はすぐに連絡を返さなかったし嘘もついたのに、リカはなんていい子なんだろう。
じわりと涙が出る。
「リカ、彼氏できた?」
お礼ではなく、気づいたらそう打っていた。
リカからは、驚いた顔のスタンプが送られてきた。
「なんで分かったの!?」
何と返そうかと悩んでいたけど、しばらくしてから「おめでとう」とだけ送るのがやっとだった。
「またサエにも紹介させてね!」
涙は勝手に頬を伝い、途方に暮れた私はスマホの電源を切ってベッドに突っ伏した。

市来君と再会できたと思ったら、一番仲のいい友人と付き合ってるなんて……
この感情をどう処理していいか分からず、どんよりとした気持ちが続いたけど、リカは今まで通りに接してくれている。
彼氏ができたからと言って、私といる時間が短くなっているわけではない。
いずれ市来君を紹介されるのかと思うと、胃がきりりと痛んだ。

その日、三限の講義が当日の朝に休講となり、四限までどうしようかと考えあぐねていた。
リカは学食で一緒にランチを食べた後、一旦外で出てまた四限に合わせて戻ってくるわ! とバイバイした。
市来君と会うのかな、とまた胸がちくりとした。
梅雨入りしたので、空は今にも泣き出しそうにどんより曇っているので、セコイヤのベンチに行くのは憚られる。
四限のドイツ語の教室に早めに入って自習でもしておこうかな。
確か、四限で使う教室は三限の時間帯に授業は入っていなかったはず。

教室には誰もいないと思って入ったから、窓際の席で机に突っ伏して寝ている生徒がいたから驚いた。
しかも、あれは市来君……!?
リカといるんじゃなかったの?
気持ちと裏腹に体が勝手に窓際の市来君がいる席へと動いている。
市来君か確かめたい。なぜかそんな気持ちがくっきりと頭に浮かんでいた。
気付けば、市来君の目の前に立っている。
窓からの風に柔らかい髪がふわふわ揺れている。
……市来君だ。そう確信すると懐かしさで目頭が熱くなる。
さわりたい。
リカの彼氏なのに。そもそも私が触っていい理由なんかないのに。
市来君の柔らかい髪に触りたい欲求に突き動かされ手を伸ばす。
あと1ミリで市来君の髪に触れそうになった時、市来君がびくっとなり、低くうなる。
起きたんだ。
私は急いで教室から出なきゃと思って踵を返した。
が。手をつかまれた。
え!? え?? えー!?
「ご、ごめんなさい、許して」
震える声で訴える。触ろうとしたのがバレたんだ。恥ずかしくて消えたいっ。
「港でしょ?」
優しい声に拍子抜けする。
おそるおそる市来君の方を見ると色素の薄い瞳がしっかりとこちらを見つめている。
「やっぱり港だ」
そう言って市来君は唇の端を持ち上げる。笑った……?笑うとこんな柔らかい表情するんだ。
「市来君なの……?」
か細い声で聞くと、市来君は頷く。
「親が離婚したから、もう市来じゃないけどね。湖田大介。」
「こだくん……」
だから、学生名簿で発見できなかったんだ。大介は3人ぐらいいたけど、市来君の名字が変わってる可能性は思いつかなくて
勝手に除外していた。
市来君がぱっと手を離す。
「ごめん、痛かったよね。港が行っちゃうと思ってつい……」
どういうこと? 頭が追い付かない……!
「放送委員のこと、ずっと謝りたかったんだ。親の離婚で転校が決まってたけど言えなくて。迷惑かけたよな」
「そんなっ……!あの時、一緒に考えようって言ってくれて嬉しかった」
そのおかげで少しの時間だけど至近距離で過ごせたし。
ふいに市来君が窓の外に目をやる。
「大学入ってから、そのセコイヤの木が気に入ってさ。この教室から見ると一番きれいに見えるから、学部は違うけどよく来てたんだ。ある日、いつもみたいに窓から木を見てたら、港にそっくりな人がいて。それからは、セコイヤを見たいより港を見られるかもって窓の外見てた」
今、なんて? 私を見られるかもって? か、からかわれてる……?理解が追い付かなくて目を白黒させる。
そんな私を見て、市来君は恥ずかしそうに頬を赤らめて頬杖をついてぷいっと視線を逸らす。
「港のこと、高校の時からずっと気になってたんだよ。いじわるばっかりしてたけど」
もう限界です、頭が爆発しました……!!
「教室で二人きりになったあの日、真正面から見た港があまりにかわいすぎて、逃げちゃったから。さっき教室に港が入ってきたと分かった時、今度こそ離さないって思ったんだ」
そう言って、もう一度私の腕をつかむ。今度はすごく優しい力で。市来君の手のひらの温かさが伝わってくる。
え、でも……
「……リカは?」
え? と市来君が不思議そうな声を出したと同時に「サエ! ちょうどよかった!」とリカが教室に入ってきた。
「やっと彼氏を紹介できるよ!」
ついに市来君を紹介される時が来てしまった。きゅっと目をつむる。
「あっくんでーす!どうぞ」
え……?
隠れていたのか、筋肉隆々の男子生徒が入り口からひょいと現れる。
「って、あれ? 大介? サエと知り合いなんだ?」
どういうこと? 明らかに動揺している私を見て、市来君改め大介君がおかしそうに笑う。
「リカとは同じサークルなんだ」
そう言って、目を合わせて微笑んでくれるので、私も体中の力が抜ける。なんだ、付き合ってないんだ……。
「会ってなかった期間のこと色々教えて?」
大介君が上目遣いで言ってきて、早くも酸欠になりそうなほどときめいた私は、やっとの思いで頷いた。