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春は繰り返し訪れ、私も歳を重ねてゆく。もう十七の歳。この国の女達は十八で結婚をする。
私のような裕福な家庭で育った者の結婚相手はあらかじめ決められていた。私の相手は好きな人ではなく、まして人界の者でもない。なんと悪魔だった。正直、憂鬱だった。
底辺の悪魔が人界を荒らしに来ないよう、上位の悪魔が見張る。その見返りとして魔界の環境に耐えられる程の魔力がある女が人界からひとり選ばれ、地位の高い悪魔の元へ嫁ぐことが決定された。
私にとっては生贄のようなもの。生贄は我が家から選ばれることになった。ふたりのお姉様は断り、私が嫁ぐことになった。生贄に決定されてから、もう八年が経つ。
私には拒否する権利はない。何故なら私は、お父様の前妻が亡くなった後に、お母様とこの家に来て、お父様やお姉様達とは血が繋がっていないから。お母様と私は、肩身狭い思いをして暮らしていた。
それにお姉様達は街に敵が現れた時に役立つ、攻撃系の魔法を使えていた。街を守るための魔法が使えない私のような者は、家の地位や魔力はあるけれど、弱者としてみられて生きていくことになる。花魔法も攻撃は出来なくはないけれど、そんなことで花を使いたくない。お姉様達には馬鹿にされる日々。
唯一花魔法を褒めてくれたのは、お母様だけ。でも私は別に、弱者のままでもいい。
住んでいるこの家は、豪邸だと周りからは羨ましがられるけれど、私にとってはただの檻のようなもの。そんな檻の中で大きな溜息をつきながら、花魔法を使い、花を庭園いっぱいにしている時だった。
「そなたを迎えにきた」
突然、声がした。
声する方を向くと、キラキラと眩しく見える程の、凛とした美しい男が立っていた。黒い衣を身に纏うその男の身長は高く、漆黒の長い髪も美しい。顔立ちもひとつひとつのパーツが整っている。はっきりとした二重の目力も強く、その男の世界に引き込まれそうになる。
一目見ただけでドキリと心臓が高鳴る。
この彼に纏った空気を知っている。かつて出会ったことのあるような、どこか懐かしい香りがした。
そして、確実に人間じゃない気配もした。地位の高い悪魔とは出会ったことはないけれど、彼らは美貌で人々を惑わすという。もしかして――。
「私が嫁ぐ予定の悪魔ですか?」
「……」
聞き方が不味かっただろうか。目の前の男は何も返事をしない。嫁ぐまではあと一年だし。私が嫁ぐのは、別の悪魔だろうか。けれど今「君を迎えに来た」って……。
「そう、だ。我の名は悪魔ヴェルゼ。詳しくいうと、君を知りに来た」
「私を知りに?」
「どうか一年間、共にすごして欲しい。それから我と一生を共にするか判断して欲しい。我はそなたと共に一生を過ごしたい。だが、無理強いは、しない」
真剣な眼差しでその悪魔は見つめてきた。
どうせ、どう足掻いてもこの悪魔とは一緒になるしかない運命だし、でも――。
「花か、懐かしいな」
言葉に詰まっているとヴェルゼは庭園を眺めながら言った。
「魔力を渡そう」
ヴェルゼの手から青っぽい光が出てきて、それを私に向かって放った。
「花を、もう一度出してみるといい」
魔力を本当に送ってくれたのか、力がみなぎる気がした。軽く魔法で花を出してみると、すごい勢いで手から花が沢山出てきて、辺り一面花だらけになる。はっとして、手の平をみた。
「ヴェルゼ様が、ルピナス様のために魔力を……」
手の平を眺めていると、後ろから声がした。振り向くと白い衣を身に纏い、短く艶やかな白髪が似合っていて、これまたヴェルゼに負けない程に美しい男が立っていた。
「初めまして、わたくしは悪魔エアリーと申します。ヴェルゼ様の執事をしております。以後、お見知りおきを」
「わたくしは、ルピナスと申します」
お互いに自らの手を胸に添え、自己紹介をし合う。
「ヴェルゼ様の魔力はまだ完全に復活したわけではないのに、それでもお渡しになるとは……やはりあの時から本当にヴェルゼ様のお心の中にはルピナス様が……」
ヴェルゼの表情が尖る。
「おふたりはもっとお互いを知っていた方がよかったのです。あの時もお互いをもっと知っていれば……」
「だまれ……」
ヴェルゼは手から何かを出そうとした。
「申し訳ございません、ヴェルゼ様」
エアリーはヴェルゼにバレないように、私に向かって目配せをした。これは後で教えてくれるという合図だろうか。解読は難しい。
***
「もっとお互いを知っていた方がよかったとか……それはまるで、私達が会ったのは初めてではないような言い方……」
「そうなのです。おふたりは出会われていたのです。ヴェルゼ様は……」
「我が説明する。そなたとは二度会っている」
果たして真実を話しても大丈夫だろうか。再び嫌われたりはしないだろうか。だが、正直に話をして全てをさらけ出そう。向き合おう。たとえまた、嫌われたとしても――。
不安の衝動に駆られながらも我はルピナスに真実を伝えることにした。
「まず、我は禁を犯した。それは時間の操作だ。この世には、天界、魔界、人界があり、三界全ての場所で、決して変えてはいけないものがある。それが時間。我は、そなたのために掟を破り、時間を巻き戻し、人界へ追放された」
そう、全てはルピナスのために――。
「ヴェルゼ様は、三界一お強いのではないかと噂されるほどの強力な魔力をお持ちでした。けれど、魔界から追放されて人界に堕ち、魔力をほぼ全て失ってしまわれ、弱ってしまわれたのです」
ルピナスは無言で真剣に訊いている。
「そのタイミングでそなたが獣から我を助けてくれたのだ」
「その時に私があなたを?」
ルピナスは首を傾げた。
「そうだ、助けられたのは本当に偶然だった。それが二度目にそなたと会った時だ」
「二度目?」
「そうだ。ルピナスよ、そなたには確実に記憶はないが、一度目の時は、本当にすまなかったと思っている」
「一度目の時って?」
「我は、時間が巻き戻る前に、そなたを苦しませてしまったのだ……」
言葉が詰まる。
「ヴェルゼ様は、ルピナス様を嫁に迎え入れ、共に魔界で暮らしていました。しかし、ヴェルゼ様はルピナス様に相当冷たくされ、ルピナス様は……」
「私が、どうしたの?」
「我は、そなたを自害させた」
「えっ?」
「どうしてそなたがそうなったのか、真実を知らず。そこで気がついた。我はそなたのことを何も知らなかった」
ルピナスは驚きの表情を見せ、固まった。我は言葉を続けた。
「そなたとやり直したく時間を巻き戻した。今回はそなたをもっと知りたい。そしてあの時は、本当に申し訳なかった」
ヴェルゼは地に手と頭をつけ、私に許しを乞うた。
「ヴェルゼ様がそんな格好を……」
驚きを隠せない様子のエアリー。
ヴェルゼは自ら強い魔力を捨てた。私のために?
信じられなかった。
何故なら〝悪魔ヴェルゼ〟は誰にも媚びることがなく、神に次ぐ強い悪魔。怒らせたら三界を破滅もさせることが出来るとの噂が、人界の間では常識だったからだ。
想像していたような悪魔とは違った。
そしてどうせ私には、選択肢はない。
「一緒に暮らす件、承知いたしました」
「いいのか?」
「はい、時間が戻る前のことは何も分かりませんが……私たちは一緒になる運命ですし」
そうして今日から、未来の旦那となる悪魔ヴェルゼとの共同生活が人界で始まった。
まずはヴェルゼの存在を私たち以外にバレないようにしなければならなかった。本来嫁ぐ際には、私はすぐに悪魔の住処へ行かなければならない。つまり魔界へ。何故なら人界の者達にとって、悪魔の存在は恐ろしいものであったから。ここで少しの期間でも暮らすとなると、知られるだけで大問題になる。
それならと、ヴェルゼは普段はこのような姿でいれば警戒など抱かれないだろうと変身した。変身した姿は明らかに見覚えのある姿だった。昔はもっと小さな姿だった記憶だが、幼き頃、会ったことのある。
「モフモフ? もしかして私が助けたのって、この姿の時のあなたでしょうか?」
モフモフの姿になったヴェルゼは頷いた。ヴェルゼと私は、幼き頃に出会っていた――。
***
ヴェルゼとエアリーがここで暮らし始めて、ひと月が経った時だった。
「ルピナス様、大変です。奥様が……」
朝目覚めてベッドから立ち上がったばかりの時、メイドが私の部屋に来て叫んだ。ただ事じゃない。床でモフモフに変身して眠っていたヴェルゼとエアリーも起き上がる。
「どうしたの?」
「奥様が倒れて……今医者がこちらに向かってきているところです」
「お母様が?」
「はい、今お部屋で横になっております」
昨日まで普通に話をして元気だったのに。私は寝間着のままお母様の部屋へ飛びこんだ。
「お母様、どうしたの?」
「ルピナス、慌てなくても大丈夫よ」
お母様はベッドの上にいた。そして口角を上げ微笑んだ。力のない微笑みを。
医者の診断によれば、恐らく疲れが原因らしいとのこと。だけどなんだかいつもと違い、違和感が拭えなかった。
しばらくするとお母様の顔色は落ち着いてきた。部屋に戻り、着替えてリビングの入口前に行くと、こそこそとテーブルの前でお姉様達が話をしていた。私の存在には気がついていない。
「中途半端な量だから失敗したのよ」
「じゃあお姉様がやってよ」
「嫌よ、私は人殺しにはなりたくないもの」
「私だって嫌よ」
どういうこと?
動揺しながらふたりの様子を見ていると、モフモフな状態のヴェルゼに足をコツンとされた。私は心を落ち着かせ、何事もなかったかのように、中に入っていった。
我はルピナスのあとをついていった。家族と食事をしている間、ルピナスはずっと震えていた。
ルピナスを震えさせる人間の女達は我の目の前にいる。女達は毒の香りを微かに纏っている。そしてルピナスの母親の体内にも、同じ毒の気配を感じた。毒を仕込んだのは、このルピナスの姉と言われているふたりだろう。我の魔力は完全ではないが、ある程度戻っていて、人間など力を入れずとも粉々に出来るのだが、ルピナスのことを考え、我慢した。余計なことをしてルピナスに嫌われたくないからな。
ルピナスは朝食を終えると、部屋に戻った。我もついていく。部屋に戻ると我は本来の姿に戻り、部屋に鍵をかけた。鍵をかけると部屋で待機していたモフモフ姿のエアリーも本来の姿に戻る。