頭の中にお姉様達の過去映像が流れ込んでくる。
見覚えのある場所が……家のキッチンだ。そして、映し出されたのは昨日の夕食に食べたスープ。
「お母様のスープに毒を入れた?」
「いいえ、まだ……」
スープの前では二番目のお姉様が何やら怪しい動きをしている。どうやら私は、一番目のお姉様の記憶の中に。
「早く、早くしないとメイドがスープ取りにくるわ」
「わ、分かったわよ」
「あの人達がいなくならないと、お父様の遺産が回ってこないからね。まずはお母様を消し、そしてルピナスが魔界に消えてからお父様もね……」
そう言いながら二番目の姉が手に持っていた小さな瓶の蓋を開け、スープの中にそれを入れた。
それで映像は終わった。
お母様の命が狙われている。もしもこのままお母様が生きていられても、私はもうすぐここからいなくなる……。というか、今気がついた。お姉様達はもうお嫁に行く年齢過ぎているのに、何故行かないの? お父様の財産目当て? 我が家の財産は全て合わせると膨大な金額だから、それはありえるかもしれない。
とにかく、お母様が危ない。
私はすぐにお母様の部屋に駆け込んだ。
お母様は座りながら本を読んでいた。
「お母様、お話があるのですが……」
「まぁ、どうしたの? こちらに座って」
「お母様、お母様の命が狙われているの」
「……知っていたわ」
「えっ? 知っていた?」
「えぇ、今回の毒も娘達が入れたということもね」
「……お母様は、怖くないのですか?」
「正直、怖いわ。でも、この家を出ても行くあてがないもの。それに、この家にいる限り生活自体、何も困ることないし」
確かにそうだ。この家にいるから生活には困らない。でもこの家を出たら……。
真実を知っても、私には何も出来ない。落ち込みながら廊下に出るとモフモフヴェルゼが足元に擦り寄ってきた。私はヴェルゼを抱き上げる。
「出会った時よりも重いよねきっと。この姿、ふわふわで可愛い」
頬ずりすると、更にふわふわを感じ、気持ちがよい。
「ねぇ、何かいい方法はないかしら」
私はヴェルゼに話しかけながら外に出た。少しでも頭をすっきりさせたくて、散歩をすることにした。
ルピナスに頬ずりされると全身が熱くなったから、少しだけ顔を離した。なんだこの感じは……心の臓が早くなる。今までに感じたことのない現象が我に起きている。だが、可愛いと言われるのも悪くない。ルピナスに本来の姿が受け入れられなければ、いっそうずっとモフモフの姿でいようか。
外に出て家から離れ、湖まで来た。しばらくルピナスは湖を眺めながら休憩している。我は脳内でエアリーと会話をした後、ずっとルピナスの横顔を見つめていた。もう一時間ルピナスは湖を眺めている。
「はぁ……」とルピナスは溜息をつく。
さっきの、ルピナスと母親の会話は聞いていた。ルピナスはあの家にいる限り、心を健やかにして過ごすことは困難だろう。早急にあそこから離す必要がある。エアリーにはある計画を実行するよう頼んだが……。
我は姿を戻し、ルピナスに提案した。
「ここから離れているが、魔力を蓄えられるため、我が人界に来てからしばらくいた土地がある。そこで我はある程度の魔力を回復した。そこでしばらく一緒に暮らさないか? 気に入れば、ずっとそこで暮らしてもいい」
「……でも、家にいるお母様が心配で」
「大丈夫だ。エアリー」
ヴェルゼがエアリーを呼ぶと、羽を広げた姿でエアリーが空から降りてきた。
「ルピナス様のお姉様達は近々、遠くにある街の男の元へ嫁ぎに行くことになります」
「えっ? それは、決定されたのですか?」
「はい、その通りでございます。なのでご両親は今後平和に、仲睦まじくおふたりでお暮らしになると思われます。ルピナス様のお姉様達は嫁ぐ準備で慌ただしく動かれると思われますので、お母様を毒殺するお時間もないかと」
「お仕事がお早いですね……じゃあ、心配しなくても?」
「両親のことはエアリーに任せていればいい。会いたくなればいつでも会いに行けばいい」
「はい、わたくしにお任せください。すでにルピナス様のお父様とお母様にもお伝えしており、納得されております」
「あの、ひとつ質問が……」
「その、時間が巻き戻る前は、私の側にはお母様はすでにいなかったのですか?」
「あぁ、我が迎えに来た時にはすでにいなかった……」
「ということは、お姉様達の毒で……今回は、前の時とは変わったということですか?」
「そうだ」
ルピナスは目を閉じた。何かを考えているようだ。
「何を考えている?」
「前のお母様は、知りながら娘達が盛った毒を飲んで……とても心が苦しかったのだなと」
「母親のことばかりだが、そなた自身はこれから、どうしたいのだ」
「私? 私は、特に何も願いはございません。お母様が幸せに暮らしていけるのなら」
「でも、そなたはあの時、苦しくて自ら命を絶った……」
そうだ、我が冷たかったせいで。我がルピナスの心を壊したせいだ。壊した……。
「そうだ! 花の小屋を一緒に作ろうではないか」
「花の小屋?」
「我の背中に乗れ。さっき教えた土地に案内しよう」
ルピナスは前の世界で花の小屋を作っていた。今回は絶対に壊さない。我の魔力があれば前の世界でルピナスが作っていた小屋よりも立派に――。
大きな黒い龍のような姿に変身したヴェルゼ。私はヴェルゼの背中にしがみつき乗った。相変わらず変身後はふわふわで、絨毯みたいな背中。空を飛んでいる。今まで見あげたことしかなくて、遠い存在だった大きな空。そこに今、私はいる。向かい風も気持ちがよい。世界はこんなに広かったの?
少し経つと目的地に着いた。
先に着いていたエアリーの手を取り背中から降りる。
「ありがとうございます」
目の前に見えるのは、若干緑色のような霧がかかっている、何も無い場所。
「ここに、花の小屋を作るのはどうだ?」
多分私の魔法を使ってということだろう。小さなものは作れるかもしれないけれど、相当頑張らないと花の小屋なんて……。
「我の魔力を使うがいい」
再び魔力をくれた。私はイメージする。色は明るい色の花にしようか。屋根は柔らかい黄色、壁は白い花をイメージした。ドアは難しそう……ひとまず目隠しの役割をした暖簾のようなイメージで。色は桃色かな?
ヴェルゼの魔力のお陰なのか、すんなりと小屋は出来上がった。花も固くなり、風が来ても雨が降っても多分簡単には壊れない。
「す、すごい」
そう言いながら私は暖簾をくぐる。ヴェルゼとエアリーも中に入ってきた。
「い、いいぞ。いい小屋だ」
「ありがとうございます」
お礼を言った瞬間、ヴェルゼはくしゃみをした。悪魔も風邪を引いたりするのか。
「なんと、ヴェルゼ様が、ルピナス様の考えた小屋をお褒めになっていらっしゃる……信じられない」
「黙れエアリー」
ヴェルゼはエアリーをキッと睨む。
「申し訳ございません。あ、そういえば人間が食すお食事の準備はございません」
「でも、もう少しすれば帰りますし、家に食事が……」
「いいえ、今日からはここでお暮らしになるのです」
「お母様にはお伝えしていないから、心配させてしまいます」
「大丈夫でございます。お母様には、花嫁修業のためにしばらくルピナス様をお預かりいたしますと伝えてありますので。あと、これをお受け取りくださいませ」
エアリーから黄色の鈴を受け取った。
「これは何です?」
「お母様のことをご心配になるお気持ちもあると思いまして。こちらはルピナス様とお母様がお持ちになる、ふたつセットの鈴で、身の危険がどちらかに迫るか、片方が強く振れば、もう片方の鈴が騒ぎ出します。例えばこのように」
勝手に鈴が大きく揺れだし、シャンシャンと音も大きくなりだした。
「じゃあ、これが鳴らない限り大丈夫だってことですか?」
「そうだ。そなたの母親に危険が迫れば、我は一瞬でそなたの母親の元に行き、助けよう。まぁそんなことは決して起こらないよう、我が後でそなたの姉達に……」
ヴェルゼはニヤリと含み笑いをした。
多分、この悪魔達は嘘をつかないし、信用出来るだろう。
「ありがとうございます」
「そしてそなたと我の鈴も渡しておく」
お母様のよりも大きな黒い鈴をヴェルゼから受け取った。
「こっちの鈴は、我の魔力も封じ込めてある。そなたに何か危険が迫れば、その魔力がそなたの身を守る。そしてそなたが鈴を振れば我もすぐに駆けつける」
「ありがとうございます」
「では、我はそなたの食す夕食を調達してこようか。この辺りに結界を張っておくが、エアリー、何かあれば念で知らせてくれ」
「分かりました。ヴェルゼ様、きちんと人間が食すものを見分けられますか?」
「大丈夫だ。我はこの世界に来てから人界の料理を調べ、作れるようにもなったのだ」
「ヴェルゼ様はルピナス様のことを愛されているのですね」
一瞬ヴェルゼと目が合ったけれど思い切りそらされた。ヴェルゼの尖った耳が赤くなっていた。
「では、行ってくる」
ヴェルゼは花の小屋を出ていった。
「あの、エアリーさんにお聞きしたいことがあるのですが」