――日付が8月9日に変わると、電話が鳴った。パソコンの横で小刻みに揺れるスマホ。

『ブゥブゥブゥ――』

 スマホの画面には『南小夜子』の文字が出ている。昼間の事も有り、一瞬冷やっとしたが電話番号は解約から二年経つと他の人に振り分けられるらしい。つまり、今かかっている電話は間違い電話なのだろう。

『ブゥブゥブゥ――』
「誰……だよ。間違い電話して来て――」

 鳴り止まない電話が気になり、僕は結局スマホの通話ボタンを押す。

「も、もしもし?」
「――ぁっ」
『プゥ―プゥ―プゥ―』

 電話に出た瞬間、女性の声が聞こえた。僕は椅子から勢いよく立ち上がった。椅子から立ち上がると同時に立ちくらみがして机に手をかける。

(あれ?この状況、どこかで――)

 デジャヴの様な不思議な感覚に襲われながら、頭から血の気が引いていくのがわかる。

(まずい、倒れる……)

 目の前が暗くなっていくのを感じながら、倒れまいと椅子に座り直し机に体を投げ出した。

(治まらない……どうして……?)

そう、思いながら意識は遠のいていった。

………
……


◆◇◆◇◆

「うぅ……」

 気が付くと、机に突っ伏したまま少し眠っていた様だった。ほっぺたが机にくっつき、痛い。重い頭を持ち上げスマホの画面を確認する。

「あれ……スマホは……?」

 さっきまでパソコンの横にあったスマホが見当たらない。代わりに黒く細い携帯電話がある。昔のガラケーだ。

(ガラケー?何でガラケーが?)

 不思議に思いながら携帯の画面を見る。8月9日。日付は変わっている。が、様子がおかしい。
 体を起こし、再度携帯の画面を見る。

『2010年8月9日0時1分』

そして画面の下には『着信アリ』の文字。

「夢……いや、デジャヴ……」

 この場面を頭は覚えている。小夜子が亡くなった日、朝起きると携帯に着信の文字を見た記憶がある。

「何だ、これ……どうなってる?ここは僕の部屋……だけど」

 自分で言って違和感を感じた。僕の部屋ではある。しかし、それは真弓と暮らしている部屋ではない。10年も前に過ごした実家の部屋だ。

「どういう事だ……?さっきまで2020年だったはずだ」

 頭が整理出来ない。現実と夢の間にいるようだ。しかし机には見覚えのある教科書や、以前使っていたノートパソコンがある。触ってみたが、手の感覚もパソコンを触る冷たい感触も伝わってくる。

「そうだ……小夜子……。着信があってそれから――!!」

 少しずつ思い出してくる。小夜子から着信があった日。朝学校に行くとパトカーが校舎の横にあり、警察がいて……野次馬が出来ていた。規制線が張られ近付けなかった。

――小夜子が屋上から飛び降りたのだ。

 それを知るのは全校集会での事。それまで小夜子だとは知らなかった。

「行かないと……小夜子が何か伝えようとしてる……」

 僕は脱ぎ捨ててあったズボンを履き、部屋を出る。暗闇でも玄関までのルートは体が覚えていた。そっと玄関のドアを開け外に出ると、蒸し暑い夏の夜だ。
 夢の様な宙を歩く感覚はない。自分の足で地面を蹴っている。僕は学校へと行く通学路を自転車に乗り飛ばす。風を切る音、自転車をこぐ音、すべてがリアルだ。
 自宅から学校までは10分程だ。幸い深夜という事もありすんなり向かえている。

(小夜子がもし飛び降りるなら何時だ?間に合うのか?もし間に合わないならどうする?それを目の当たりにして耐えれるのか?僕が第一発見者になった場合はどうする?なぜ学校に居たのか?落ち着け……考えろ考えろ)

 自問自答を繰り返す。学校に早く着きたいが、どこかで間に合わないのなら行くべきではない、とも思う。
 そうこうしていると学校が見えて来る。道路を横切り校門前まで来た。

【夢希望高等学校】
「着いたっ!」

 安堵と不安が入り交じる。校門の横の勝手口の扉が開いている。やはり、小夜子は学校に――!
 勝手口の前に自転車を置き、校庭を横切り校舎へと向かう。屋上を見ながら……。

(確か……あの規制線があったのは……!)

 僕は迷わず、校舎裏の音楽室の前へと向かう。校舎へ近付くと案の定――屋上に人影が見えた。
 想定内……ではあるが、緊張と恐怖から心臓が飛び出してしまいそうだ。

(落ち着け、落ち着け――)

僕は考えうる限りの行動を取る。

「小夜子っ!!待て!早まるな!!」

 一瞬、屋上の人影が揺らいだ。今ので少しは時間稼ぎが出来ただろうか?我に一瞬でも帰れただろうか?
 そのまま花壇にあるブロックを引っ張り出し、音楽室の窓に向けて投げつけるっ!!

『ガッシャーン!!ジリリリッ!!!』

 窓の割れる音と同時に防犯用のベルが鳴り響く!これは想定外だった。屋上を気にしながらも、音楽室のカーテンを捲り外へと引き出す。腕はガラスで切れ、痛みと出血を伴う。
 音楽室のカーテンは他の教室と比べると、防音仕様で恐らく丈夫なはずだ。カーテンを引っ張り地面との間に空間を作る。最低限の準備は出来た。後は運任せだが――!

「小夜子っ!聞こえるか!僕だ!春彦――」

上を見上げて、叫んだ瞬間にソレは降ってきた。

ザッドサッッ!!!

「え?」

 突然、両腕に重力がのしかかった。それは僕に支えれるものでは無かった。体が反動で宙に浮く。スローモーションの様に落ちてきた物がカーテンに包まれているのが一瞬見えた。

「小夜子っ!!」

 やはり小夜子だった。しかし、僕もまたカーテンの裾を持ったまま、吹き飛ばされ校舎の壁に激突する!両腕はたぶん……折れた。痛みはあるが動かない。

ドスンッ!!

 落下速度は少しは落ちただろうか。それとも無駄な抵抗だったのだろうか。小夜子の勢いは止まらず、地面に体を打ちつける。

ギシャ!

 鈍い音が聞こえた。落下場所は花壇の上だ。アスファルトに落ちていたら即死だっただろう。花壇に横たわる小夜子が見える。

(生きていてくれ――)

 そして校舎から聞こえる非常ベルの音を聞きながら僕は目を閉じた。

………
……


◆◇◆◇◆

 気が付くと真っ白な天井が見える。体は動かない。頭も回らず、ここがどこかもわからない。
 ふと、以前小説で読んだ『白の世界』という話を思い出す。主人公が白の世界に迷い込み、仲間達と脱出を目指すという話だったような。最初は何も無い真っ白な世界でメリーという女性と――

「メリーさん!千家さんの血圧取って!それが終わったら――」
「はいデス!」
(え?今、メリーって聞こえた気がした)
「千家サン、気が付きましタカ?ここは中央病院デス。覚えてまスカ?オーイ……」

名札には『山羊(ヤギ)』と書かれていた。

(ヤギ……ひつじ……メリーか。びっくりした……)

「あの……すいません。一緒に運ばれたと思うのですが、女の子の具合は?」
「ハイ、今シュジュチュウですが、もうすぐ終わる頃かと思いマス。命にベツチョウは無いと聞いてマス」
「……良かったぁ」

 全身の力が抜ける。同時に激しい痛みが出てきた。腕は動かない。足は動く。首も固定されているのか。だんだんと状況が飲み込めた。
 学校にいたのは0時過ぎ。警報のおかげで警備員に発見されて助かった様だった。もうすぐお昼になる。12時間近く眠っていたらしい。
 目が覚めると警察の事情聴取が始まった。夜中に学校になぜいたかと……。
 正直に答えようとしたが、つじつまが合わないので嘘をつく。小一時間程、警察や医者が立ち替わりやってきた。

 さて、状況はわかった。2010年の8月9日。ちょうど10年前になぜか僕はいる。そして背格好も高校生になっていた。漫画で良くあるタイムリープをしたみたいだ。しかし、亡くなったはずの小夜子を救って、これで終わりだと思っていた。だが、そううまく行かなかった。帰り方もわからない。そもそも体が動かせない。
 地団駄を踏む気持ちで3日が経過した。この3日間は親以外とは会っていない。面会謝絶としてもらい、小夜子の回復を待った。

――3日後。

「小夜子、気が付いたか?」
「春彦君……」

 うっすら涙を浮かべる小夜子。ショートカットの黒髪が似合う。普段は眼鏡をかけているが入院中のためか、眼鏡を外していた。

「助けて……くれたんだってね……」
「あぁ、屋上から飛び降りる姿を――」
「……どうして?死にたかったのに……どうして……」
「それは……!」

 涙を流す彼女を見て言葉に詰まる。お礼を言われる筋合いはないが「死にたかった」と言われても「はいどうぞ」とはならない。

「何があったかはわからないが、僕は君の事が好きなんだと思う。だから助けた」
「え……うそ……」

 少し話を盛ったが、この当時の僕は小夜子が好きだった様な気がする。

「……本当に?」
「あぁ……」

 彼女の目つきが変わった気がした。そして彼女の言葉に愕然とする。

「小夜子、いじめがあったのなら教えて欲しい。僕に出来る事があれば――」
「いじめ?春彦君……それは違うわ。少なかれ、いじめはあったけど……」
「じゃぁ、どうして?自殺をしようとするなんてよっぽど追い詰め――」

『先生の子供を妊娠したの』

「え……うそ……」
「本当よ。先生以外の誰にも言ってないわ」

 一瞬で小夜子と僕の間に見えない高い壁が出来た気がした。