西門へ向かうと大きな防御塔が見えてきた。防御塔は西門の上にそびえており、その両側から左右に石造りの城壁が伸びている。堂々たる城壁は高さが十メートル、奥行きも五メートルはあるだろう。城壁の上部には胸壁が立ち、矢を射るための狭間(さま)がずらりと配置されている。

 西門の巨大な木製の扉は王都の外へ向かって開け放たれており、王都の中心部から続く大通りの道はそのまま郊外へと伸びている。門の外にも家並みが続いていたが、それらの家は城壁の中の家とはまったく異なり、板切れを立てただけの小屋やテントのような、およそ家と言えるような代物ではない。ここはスラムのようである。

 見渡す限りにボロ小屋が広がるところから、かなりの数の貧民がスラムに集まっているようだ。そして見るからに衛生状態は悪い。不快な腐敗臭が辺りを漂い、腐った生ゴミも目につく。住民は埃まみれのぼろぼろの布切れのような服をまとい、食料不足のためか、頬がコケ、痩せた人が多い。多くの住民は精気なく地面に座り込んでいるか、ゾンビのようにふらふらと徘徊している。どこにもイヌが居ないところをみると、腹をすかせた人々によって食われてしまったのかも知れない。

 俺はミックに尋ねた。

「すごい人数だな。みんな行き場のない人々なのか」

「左様でございます。アルカナ全土の街や村から、行き場のない者たちがスラムに集まってきます。近年は増える一方です。捨てておくわけにもゆかず、四箇所ある配給所で一日一回麦かゆを配っているのですが、生きてゆくのに十分な量ではありません。とはいえ王国農場の収穫にも限りがありますので、これ以上の食べ物を配ることは難しい状況です」

「王国の他の貴族は、それぞれが領有する街や村の浮浪者の面倒を見てくれないのか」

「そのように各地の貴族には申し伝えてあるのですが、実際にはほとんど何もしていないらしく、事実上、貧民を王国政府に押し付けているような気がいたします」

 まあ中世時代なんてそんなものだろう。貴族は自分たちの贅沢な暮らしを守ることしか眼中にないのだ。

 道を少し先へ進むと子供たちが走っていくのが見えた。こんなスラムでも子供が元気なことは救いである。子供たちの駆け寄る先を見ると、頭からダークグリーンのフード付きマントをすっぽりかぶった女性と思しき人物が、何やら食べ物を配っているようだ。こんな荒んだ状況ではあるが、心優しい人もいるのだと少し安心した。

 その時、数名の王国兵士が足早にその女性に近づくと、周りを取り囲んだ。子供たちが悲鳴を上げながら散り散りに逃げ出した。兵士の一人が、女性のフードを乱暴に払った。女性の顔があらわになった。

「おい、お前はエルフだな。その尖った耳の形が何よりの証拠だ」

 おお、あれがエルフか。異世界物語にはお約束の、特殊能力を持った異人種だ。なるほど尖った耳と美しい顔立ちをしている。キャサリンも初めてエルフを見たらしく、どう反応したものか戸惑っているようだ。

「うそ、本当にエルフなの? 本当だわ、耳が尖っているし顔立ちも美しいわね。美しすぎて・・・なんかムカつくわ。なんで人間の町にエルフがいるのよ。きっと容姿を見せびらかしに来たに違いないですわ」

 キャサリンが妙な対抗意識を燃やし始めた。それにしても、なぜあのエルフが兵士に絡まれているのだろう。この世界ではエルフ族が差別されているのだろうか。

 兵士が高圧的な態度でエルフに言った。

「最近、市場で食料品の盗難が頻発しているとの訴えがあったので、八方に手をまわして調査しておったところ、盗まれたとおぼしき食料をエルフの女がスラムで配っているという噂を耳にした。このあたりでエルフはめったにお目にかからないからな、だから、お前が食料品を盗んでいたと見て間違いあるまい。話を聞きたいから城まで一緒に来てもらおうか、逆らえば命はないと思え」

 ははあ、ここは明らかにエルフを助けて恩を売る、というお決まりのパターン発動だろう。こういう場合はお決まりのパターンを軽視してはいけない。俺は兵士に声をかけた。

「何事ですか?」

「はっ、これは国王陛下、お見苦しいところをお見せいたしました。このエルフの女が市場で食料品を日常的に盗んでいた疑いがあるため、城に連行するところであります」

 俺はエルフの女に向き直ると言った。

「あなたが市場で食料を繰り返し盗んでいたというのは本当ですか」

 エルフの女の顔は美しかったが、それだけに、その眼光もなおさら鋭く見える。エルフは敵でも見るように俺の顔を睨みつけながら言った。

「ああ、確かに盗んだ。もう何日も前から何度も盗んだよ。あたしは魔法で姿を消すことができるから、店先から食料品を盗むなんて朝飯前さ。それをここスラムで、腹を空かせた連中に配った。だから何だっていうのさ。ここにいるスラムの連中は、みんな飢えてるんだよ。からだの弱いやつから順に死んでいく。昨日も三人死んだ。せめて何人かの人たち、子供たちだけでも救いたかったんだよ。生まれてこの方、飢えたこともない高貴なお方には想像もつかないだろうけどね」

 転生前に底辺生活を送ったことのある俺にはよくわかる、と言いたかったのだが、そんなことは言えるはずもなく黙って聞いていた。

「あんたが国王様かい、あんたがしっかりしないから、大勢の人が飢えて死んでるんだよ。それで私をどうするって言うんだい? 監獄にでもぶち込むか。はん、それで飢えた人が救われるっていうなら、喜んでそうするさ」

 総務大臣のミックが血相を変えて言った。

「なな、なんと無礼な! 国王様を愚弄するような発言は許しません、牢屋にぶち込まれるだけでは済まされませんよ」

 それを聞いてキャサリンが言った。

「そうよ、ちょっと美人だからってエルフは何を言っても許されるわけじゃないの。美人だからって何を言っても許されるんなら、わたくしなんか言いたい放題ですわ」

 あのなあ、キャサリンはすでに俺に向かって言いたい放題なんだが。いやはや、わけのわからない理論に展開してきた。俺は静かに言った。

「まあ待ってください。残念ながらこのエルフの言うとおりです。国王である私の政治が悪いから、人々が飢えに苦しんでいる。それが結果として、このエルフに盗みを働かせてしまったのです」

 そう言うと俺はエルフに頭を下げた。

「ゆるしてくれ」

 俺の予想外の反応に、エルフの女は驚いて口を半ば開いたまま俺の顔を凝視した。が、すぐに表情は冷静になり、落ち着いた態度でゆっくりと言った。

「いえ、私こそ頭に血が上り、とんでもない無礼なことを口走り、大変申し訳ございません。陛下がそこまで考えておられるとは思いもよらず。ご無礼をお許しください」

 その様子を見ていたミックも思わぬ展開に驚いた様子だったが、気を取り直し、俺の隣にゆっくり歩み寄ると顔を近づけて小声で言った。

「陛下、いかがいたしましょうか?」

「盗みを働いた以上は、無罪放免とはいかないでしょう。そこで罪を許す代わりに、エルフには私のところで働いてもらうという条件でどうでしょう。先ほどの話からして、彼女は魔法で姿を消すことができるらしい。それにエルフは特殊能力や人間の知らない知識を持つとされていますから、後々きっと役立つに違いないと思います」

 俺はゆっくりとエルフに言った。

「あなたが市場で盗みを働いたことは罪です。その罪を許す代わりに、あなたには私の元で働いて頂きたい。私はこれからこの国を発展させて豊かにしようと考えています。すべての人々が飢える心配なく、幸福に暮らせる国を実現しようと考えています。そのためには多くの人々の力が必要になります。どうかあなたの力を私に貸して欲しいのです」

 エルフの女はしばらく考えてから静かに答えた。

「それはありがたいお話です。ただし相応の報酬はいただきたいですね」

「もちろん報酬は払います。あくまで働きに応じてですが」

「ありがとうございます、ご期待は裏切りません、陛下」

「ところであなたのお名前を聞かせていただきたい。私はアルフレッド・グレンです」

「ルミアナ・レダ・キュマーレと申します」

 俺はちょっと咳ばらいをしてから言った。

「ところで、エルフはとても長寿な種族だと聞いたことがあります。もし失礼でなければ、あなたの年齢を教えてもらえませんか」

 エルフの女はいたずら小僧のようにおどけた表情をして、にこっと笑ってこう言った。

「二十歳でございます」

 それを見ていたキャサリンが騒ぎだした。

「なによ、二十歳のわけないじゃない、絶対にサバをよんでるわ。やっぱりこのエルフの女は信用できない。お兄様、ちょっと美人だからって信用したらダメなの。」

 しばらく騒ぎは続きそうな予感である。ルミアナに、都合の良い時に王城へ来るよう伝えると、俺たちはスラムを離れて街に戻った。