アルカナの国王が突然の病から復帰し、まるで生まれ変わったように意欲的に内政に取り組んでいるとの噂は、王国の貴族のみならず、すでに周辺諸国にも届いていた。そのため周辺の国々が次々に使者を派遣してきた。快気のお祝いという名目だが、実際はこちらの内情を探るためである。国王が何を考えているのか、危険はないか、それを知りたいのは当然である。

「イシル公国を代表して国王陛下の快気を心からお祝い申し上げます。ところで陛下は病から復帰されるとすぐに、これまでにない新しい政策に取り掛かっておられると聞きます。何をされようとしておられるのでしょうか」

「よくぞ聞いて下さいました。まず、遥か昔の時代、アルカナの王都に流れていたであろう大河『アルカナ川』を復活させます。そのためにエニマ川から水を引き入れます」

 使者は驚いた顔で言った。

「なんと、太古の大河を王都に復活させるのですか・・・」

「そうです。昔のアルカナはその大河の恵みによって今よりも栄えておりました。その大河を復活させ、農地を潤し、収穫量を大幅に増加させる計画です」

「・・・それはまた、途方もない計画ですな。ご成功をお祈りいたします。ところで聞いたところによりますと、陛下は王都中の糞尿を熱心に集めていらっしゃるとのお話でしたが」

「いかにも。王都中から糞尿を集めて農場の一角でたい肥を作り、糞尿を利用して作物を育てる計画です」

 使者は怪訝な顔をして言った。

「人間の糞尿で作物を育てるのですか・・・」

「そうです。今は行き場のない糞尿が王都に溢れておりますが、それらを肥料として利用すれば農作物の育ちが良くなるだけでなく、街が衛生的になります。ぜひ、イシル国にもおすすめしたいと思います。もしよろしければ、たい肥を作っている現場を、これからご案内いたしましょうか」

 使者はひきつった愛想笑いを浮かべながら首を振った。

「・・・いえいえ、大変ありがたいお話ですが、なにぶん忙しいもので」

「そうですか、それは残念です。ご要望があれば、すぐに仰ってください」

「わかりました。本日は陛下から貴重なお話を伺うことができ、誠にありがとうございました。それではご機嫌うるわしゅう陛下、失礼いたします」

 使者は妙な顔をして、そそくさと帰って行った。

 それまでのアルフレッド国王の評判と言えば、頼りないお坊ちゃまというものだったが、最近は「ほら吹き大王」「糞尿殿下」というあだ名で呼ばれているらしい。言いたい放題である。それはそうと、これからは内政だけではなく外交にも力を入れなければならないだろう。そこで、アルカナが対処すべき周辺諸国についてミックに話を聞いてみることにした。

「アルカナの周辺諸国について教えてくれないか」

「承知いたしました。アルカナ王国の周辺には多数の国が存在しており、東にはエニマ川が流れるエニマ王国、北方には森の都イシル公国、北東にはネムル王国があります。アルカナ王国を含むこの四か国一帯はメグマール地方と呼ばれております。歴史的に申しますと、この地域に住む人々は、ほぼ同時期に北から南下して定住した文化的に近い存在と言われており、昔から互いに関係が深いのです」

「なるほど。それらの諸国との関係は良好なのか」

「おおむね良好と申せましょう。先王ウルフガル様の時代に、メグマール地方が南方のジャビ帝国に侵略されたことがございます。その際には、それらの諸国が団結してジャビ帝国を退けた歴史がございます。ただ時代が変わりましたので、昔ほどの関係はございません」

「そのジャビ帝国というのは、どんな国なんだ」

「ジャビ帝国というのはトカゲ族の帝国です。遥か南の地にあります。ここからのルートで申しますと、まずアルカナの西の高原地帯にありますロマラン王国へ行き、そこから南西に山岳地帯を通り、ナンタル国を超え、さらにジャビ砂漠を抜けた先にジャビ帝国がございます。非常に好戦的な国家で、周辺の人間族の国々を属国として従えております」

「それは厄介だな。その国の軍事力はアルカナより強いのか」

「それはもう、アルカナの五倍以上の兵力を有しております。ですから我が国が単独で戦えば勝ち目はありません」

「そうなると周辺諸国との協力関係が不可欠というわけだ」

「左様です。しかしその協力関係が盤石とは言えません。我々の協力関係が弱まれば、そこをジャビ帝国に突かれることになりかねません」

「いろいろ教えてくれてありがとう。これからは外交政策にもっと力を入れることにするよ。まず手始めに、エニマ王国を訪問したいと思う。なぜなら、エニマ川の河川工事の件で、ハロルド・ランス国王に直接面会して承諾を得る必要があるからだ」

「しかし陛下、わざわざ出向くまでもなく使節を派遣して交渉すれば済む話では」

「そうかも知れないが、一刻も早く工事を始めなければならないので、あまり時間をかけていられない。こちらから出向くことで誠意を見せ、確実に工事の了解を得る必要がある」

「承知いたしました。それではエニマ王国に使節を送って、陛下の訪問を申し入れます」

ーーー

 十日後にエニマから使者が戻り、ハロルド国王との面会の承諾が得られた。キャサリンも行きたいと言って騒いでいたが、今回は失敗の許されない交渉なので、さすがに外してもらった。同行者は総務大臣のミック、ルミアナ、そして護衛の近衛騎士である。

 エニマへ向かう馬車には、レイラ・クレイという名の女性近衛騎士が同席していた。レイラは国王のお付きである。お付きとは、常に国王のすぐそばに控える役割の兵である。レイラの装備は、銀色に光る近衛騎士専用の特注プレートアーマーである。鎧のフォルムは女性らしい体形を反映して丸みを帯びているが、二メートルの長身である上に、どっしりした体格をしており、すさまじい威圧感がある。

 体格がすごい割には、顔はどことなく幼さも残る可愛らしい顔立ちだった。しかし表情は緊張感で引きつっている。膝の上に板金の羽飾りが付いたヘルメットをのせている。 

 レイラは、盾による固い防御術と並外れた剣術を持つ近衛騎士の若手実力者で、仲間内からは『鋼鉄の女騎士』と呼ばれているらしい。その男勝りな立ち回りから、先王ウルフガルに大変可愛がられていたらしい。先王は武芸で鳴らした達人であり、レイラはそんな王をまた大変尊敬していたという。なんと理想的な主従関係ではないか。

 それに比べて新しい国王、すなわちアルフレッドは軟弱な性格で、武芸も人並以下だったらしい。おまけに転生前の俺も剣や盾など触ったことすらない。・・・これはまずい予感がする。「部下との相性が最悪のパターン」ではないか。

 にもかかわらず、まさに今、エニマへ向かう馬車の中では、俺の向かい合わせの席に女近衛騎士のレイラが不動の姿勢で座っている。体の前で立てた長剣の柄を両手で押さえながら、背筋を真っすぐ伸ばして前方、つまり俺の方を向いている。

 ・・・気まずい。馬車の同乗者はレイラと総務大臣のミック、エルフのルミアナの合計四人である。ここは女性同士でルミアナとレイラが仲良く話をしてほしいところなのだが、ルミアナは地蔵のように黙り込んでいる。ルミアナはマイペースな性格なので、空気は全然読んでくれない。さすがにたまりかねたミックが口を開いた。

「レイラ様、王室にはスイーツを作る有名な料理人がおりまして、それはもう、城内のご婦人方に大変な人気がございます。一度でも食べれば、その気品にあふれた豊かな味わいに、誰もが魅了されてしまいます。

 それで、その調理人が近いうちに城内のご婦人方を集めて、ティーパーティーを催されるとのことです。もしご興味があれば、パーティーのお席をご用意いたしましょう。ところでレイラ様は、どのようなスイーツがお好きですか?」

「スイーツのごとき軟弱な食べ物は食べません」

「そ、それは失礼いたしました。スイーツが軟弱な食べ物とは・・・では、レイラ様はどのような食べ物がお好みなのですか」

「骨付き肉です。骨付き肉にまるごと噛みつくのが最高の瞬間です」

「ほ、骨付き肉のまるかじりですか、・・・ははは、それはまた野性的ですな」

「大臣殿、私は日々鍛錬して全身の筋肉を鍛えております。筋肉を作るためには肉、ひたすら肉あるのみです。もし骨付き肉を食えるティーパーティーがあれば、喜んで出席させていただいきます」

「それは、もはやティーパーティーではございません。野蛮人の宴会です。それにしても、スイーツより骨付き肉の方がよろしいと、肉を食って鍛錬すると・・・まさしく近衛騎士の鏡のような、ストイックな方でございますな。ご立派です、あははは」

 話し終えると、たちまち二人は黙り込んだ。・・・か、会話が続かない。またしても車輪の転がる音だけが車中に響く。ルミアナは寝ている。懲りずにミックが再び口を開いた。

「あー、そういえば、もうじきレイラ様のお誕生日でございましたな。お誕生日には陛下からプレゼントを頂けると思いますよ。欲しいものがあれば、陛下にお願いしてみてはいかがですか。そうですね、お履き物などいかがでしょう。レイラ様は普段、どのようなお履き物をお召しになられますか?」

「鉄下駄(てつげた)です」

「てっ、鉄下駄ですか。それはまた、すごいものをお召しですね」

「お褒め頂きありがとうございます。鉄下駄を普段から履くことで、足腰を鍛えることができます。より体を鍛えたい気分の時には、さらに鋼鉄の鎖を全身に巻いています」

「こ、鋼鉄の鎖を全身に・・・」

「それと、外出時のアクセサリーとして足に鉄球を付けることもあります」

 鉄球ってアクセサリーだったのか。それにしても全身に鎖を巻き付けて、鉄球を引きずって歩いてるとはすごいな。どう見ても凶悪犯罪者にしか見えないだろ。

 レイラは話を続けた。

「また、鉄下駄や鉄球は、いざとなれば凶器としても使えますので、外出の際には護身用に重宝しております。おかげで痴漢のたぐいもまったく近寄ってきません」

 そりゃあ、全身に鎖を巻いて鉄下駄を履いている凶悪犯罪者みたいな女に近づく痴漢なんかいるわけないだろ。ほとんど自殺行為だ。

 さすがにレイラは『鋼鉄の女騎士』と呼ばれるだけあって、性格の方も鋼鉄並みにガチガチに固い。真面目の上に馬鹿が付くほどだ。国王の手前、極度に緊張しているのかもしれないが、このままだとちょっと心配だな。

 馬車はやがてエニマ川の渡し場に到着した。ここで渡し舟の待ち合わせをするのである。エニマ川は大河であり、下流での川幅は乾季でも五百メートル以上あるため、川は船で渡ることになる。渡し場はエニマ国の王都エニマライズへ向かう商人や旅人でごった返している。やがて船着き場の近くから、男たちの言い争う声が聞こえてきた。

 どうやら桟橋でトラブルが発生しているようだ。