『嫌いだ』

重なった。いや、ハモったとでもいうべきか。
私の秘密基地にほかの誰かが来ることなんてなかったのに。
声は確かに聞こえた。岩の向こう側から聞こえた声の持ち主を確かめるために、私は恐る恐る反対側を覗き込む。
『えっ』
声の持ち主と目が合って、また声が重なってしまった。
私が覗き込んだ先にいたのは、私が通っている高校の二個うえの先輩だった。
「こ、こんにちは」
とりあえずあいさつをしてみる。
「こんにちは。えっと、君はうちの高校の一年生だよね?」
「はい、内山(うちやま)千夏(ちなつ)です」
「僕は三年の高橋(たかはし)夏輝(なつき)だよ」
先輩の名前は知っていた。先輩はうちの学校で有名で、うちの学校の生徒であれば全員知っている。
高橋先輩は容姿端麗、文武両道でそのうえ優しい。ファンクラブもあるくらいだ。
「ごめんね、なんか邪魔しちゃったよね……。それじゃあ、僕はいくよ」
帰ろうとする先輩を慌てて止める。
「せ、先輩!あの、何が嫌いなんですか?」
「えっ、あ、いや、その……」
「あ、すみません。言いにくいことだったら、無理にとは言いませんので…」
気まずそうな先輩の返事からして、何かまずいことを聞いてしまったのかもしれない。
「そろそろ日も暮れますし、私はこれで失礼しますね」
と言って気まずいその場を離れようとする。

「僕は夏が嫌いなんだ」

一瞬、聞き間違いかと思った。
あの、なんでも完璧にこなす先輩が私と同じものが嫌いとは思わなかった。
私が目を見開いていると、
「笑わないんだね、君は」
笑うなんてとんでもない。それを私が笑ったら、私自身のことも笑っていることになる。

「私も夏が嫌いです」

先輩は心底驚いたような顔をした。
まさか、自分の話に共感してくれる人がいるとは思っていなかったのだろう。
「……どうして、嫌いなのか聞いてもいいかい?」
「それは…過去の記憶のせいです。……っ、すみません、これ以上は」
またあの記憶がフラッシュバックして、息が詰まる。
「こちらこそ、すまない。つらいことを聞いてしまって」
私は、つらいとは言っていない。しかし、先輩は私の反応で分かってしまったようだ。
「いえ、じゃぁ、先輩は…?」
私は問い返す。すると先輩は、一度目を閉じて、間をおいて答えた。
「…僕も過去の記憶のせいだよ。この目のせいで、いじめられていたんだ。」
先輩は髪をかき上げて、コンタクトを取った。すると、茶色みがっかっていた瞳が鮮やかなウルトラマリンブルーへと変わった。
その瞳に私は目を奪われてしまった。見るものを引き寄せるかのような美しい瞳は、この世のものとは思えない。
こんなきれいな瞳なのに、いじめるなんてどういう神経しているのか疑いたくなる。
「き、れい」
「?…なにが?」
先輩の瞳がこちらを不思議そうにこちらを伺っている。
「先輩の目、……瞳が」
「僕の目が?そんなはずは……ないよ」
先輩は寂しそうに目を伏せる。
「この目は…、この目は僕を不幸にさせるだけだ。だから、こうやってカラコンで変えているんだ」
「……先輩。今から先輩をいじめたクソバカども、殴りにいっていいですか。」
先輩をいじめたやつが許せなくなってしまった。先輩にこんな顔をさせるなんて。
そんな感じで私がメラメラと闘志を燃やしていると、隣で先輩が慌てふためいていた。
「えっ⁈ちょっと待って、ちょっと待って。殴りに行くって……。それはさすがにやりすぎだし、そこまでしなくていいよ。…でも、君がそう言ってくれたのはうれしい。…ありがとう。ここまで僕に親身になってくれたのは君ぐらいだからね。自分のことをほかの人に聞いてもらいたかったのかも。気持ちを吐き出したらすっきりしたよ。」
先輩はそう言うと、ふわっと笑った。
(先輩、こんな笑い方もできるんだ・・・)
「いつもそんなふうに笑っていればいいのに・・・」
「え?あ、本当だ。僕、今笑ってたんだね。」
先輩は自分が笑っていたことに気がついていなかったのか、心底驚いたような表情だった。
「なんで、先輩は学校では無表情なんですか?」
たしか、先輩のファンクラブの子達が先輩を笑わせようとしていた。そのぐらい、先輩は学校で無表情だった。
「いや、僕は人前で笑うのが苦手、というか、いじめられてから、あまり笑わなくなったんだ。でも、なんでだろう。君の前だと、笑っていてもいい気がするのかな。」
そうだったのか。先輩の過去は壮絶な日々だったのだろう。
「先輩の笑顔はレアってことですね!」
私しか見ていないと思うと、少し不躾かもしれないけれど、特別な感じがして嬉しい。
「そんなに大層なものでもないよ。けど、この事は、僕と君だけの秘密ってことで。」
「はい、先輩。」