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 陽路は家まで送るという幸之輔の申し出を、電車の中で考え事をしたいからと言って断った。

 理由があるなら従うといった様子で幸之輔はあっさりと了承し、陽路を駅まで送った後はそのままエイミーと去っていった。

 陽路は電車の中で、幸之輔に渡された『泣いた赤鬼』の中身を確認した。

 物語の後半の文章には二重線が引かれていて、その横には機械的な綺麗な文字で、彼が考えたのであろう物語が記載されていた。

 その話は本来の『泣いた赤鬼』とはまるで内容の違う、陽路が不思議な空間で見た映像と合致しているものだった。

 どうやって改変されたのか理論は全くわからないけれど、ただ、幸之輔の書いたこの哀愁のない平凡なハッピーエンドは、今の自分が求めている物語なのだと感じた。

 決意を固めた陽路は、大きく息を吐いてからイヤホンをして、お気に入りの曲を再生した。

 再生した曲は、レッドホットの名曲『BEST FRIEND』

 この曲を聴き終わるとき、陽路は青鬼ではなくなっているだろう。

          ◇

「陽路……どうしてここにいるの?」

 謹慎中の陽路は、部活動に参加することを禁止されている。

 放課後、女子陸上部の部室にいた陽路を見て、朱音は驚きの声をあげた。

「悪い? クラスではわたし、あんたをはじめ皆に避けられているから、とても話せる状態じゃないでしょ?」

 陽路がそう言って肩をすくめると、朱音は気まずそうに視線を逸らした。

「朱音のこと待ってた。どうしても、伝えたいことがあるから」

 陽路が一歩踏み出して朱音との距離を詰めると、朱音はたじろいだ。陽路に責められると怯えているのだろう。

「朱音。指輪を盗んだのはあんただって、里香にちゃんと謝ろう?」

 陽路の言葉に朱音は表情を曇らせ、小さい声で呟いた。

「……やっぱり、そうだよね。わたしのことムカつくよね。ごめん。陽路に汚名を着せたこと、本当に後悔してる」

「うん」

「陽路に正論を言われて逆ギレしちゃったこともね、反省しているの。陽路の気持ちをわかっているつもりだったのに、自分勝手に都合のいいように解釈して、自分の罪を正当化しようとしたんだ」

「うん」

「でも……でも! やっぱり怖い! もしも今更わたしが犯人なんですって名乗り出たら、里香だけじゃなくて皆に嫌われる! だって最低だもん! 卑怯なことしたもん! 自己中なこと言って、ごめんなさい! でもお願い! 言わないで……!」

 朱音の言っていることは、本当に身勝手な防衛手段であった。

 懇願する朱音に溜息を吐きながら更に接近すると、後ずさりしていた朱音の背中は壁につき、ついに彼女は退路を失った。

 至近距離で朱音と対面した陽路が手を動かすと、暴力を予想したのか、朱音は咄嗟に顔を庇った。

 ――陽路は、朱音の手を優しく握った。

「……大丈夫。もしも、クラスの皆があんたを許さなくても、学校中の皆があんたを軽蔑しても、わたしだけはあんたのそばにいるって、命を懸けて約束するから」

 朱音がよく使用する「もしも」のフレーズ。

 それは悲観的な未来を予想するときに使うのではなく、自信を持って未来を歩くための、おまじないにしてしまえばいい。

「あのさ、わたしが朱音のこと庇ったのって、正義感だけじゃないんだ。勝負から逃げたって指摘、あながち間違ってないよ。だから今回の件も、朱音への贖罪の気持ちが大きかったんだと思う。それは誰がなんといってもわたしの弱さだし、自己満足。ごめん。だからさ、これでおあいこってことで!」

 陽路の言葉には、嘘や偽りは一つもなかった。

 朱音に格好つけない素直な気持ちを伝えられたことで、むしろすっきりした気分にさえなっていた。

 なにも言わない朱音の手をそっと離して、陽路は部室のドアノブに手をかけた。

「朱音が犯人ですなんて、わたしからは言わないよ。でも、あんたが自首してくれるって……信じてる」

 部室を出ていった陽路の耳に、朱音の返事は聞こえてこなかった。

 だけど陽路は、親友である彼女のことを信じている。

 だからこそ、罪のない汚名を浴びていようとも、謹慎中であろうとも、前を向いて歩いていられるのだ。