他人のいい所を見つけるたびに、自分が小さく感じて
「あれ、私ってなんだっけ?」
と思うことがある。
いつもなら気にも留めない言葉に、なぜかその日だけは傷ついてしまったことがある。
誰にも何にも期待をしないことによって、自分の領域を守ろうとしていたことがある。
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中学の頃、部活でキャプテンを任されたことがある。
なぜ私なのか理由はよく分からなかった。
あの時は謎のプライドが邪魔をして絶対に認めたくなかったが、今は自信を持って言える。
『私にキャプテンは向いてなかった。』
一番悩まされていたのは、部活に対する熱量が一人一人違うということだった。
どれだけ深夜に一人で練習内容を考えても、体力が落ちないためにランニングをしても、『全員で頑張る』ことを実現することは不可能であった。
それでも『全員で頑張る』ことを諦めたくなかった私は、よくみんなに語りかけていた。
もっと声出していこうよ。
もっと自分から動いていこうよ。
自分に出来てみんなに出来ないなんてことはない。
そう思っていた。
結果どうなっかと言うと、部活内の空気はさらに悪化してしまった。
逆効果であった。
学校から家への帰り道によく泣いていた。
私はただみんなと頑張りたかっただけなのに。どうして私がこんな目に遭わなければいけないのか。そもそも私がキャプテンに選ばれた理由ってなに。別になりたくてなったわけでもないのに。あのくそ顧問め。もう部活に行きたくない。
めちゃくちゃな感情に犯されていた。
私の存在ってなに?私はどうしてこんなことをしているの?
少しだけでいいから一人になりたい。
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過去に一度だけ、忘れられない恋をしたことがある。
新学期早々、彼氏に振られクラスにも馴染めず孤立していた私に、唯一手を差し伸べてくれた人がいた。
恋に落ちるのはあっという間だった。
大好きだと、愛していると、彼は私に言ってくれた。
私の空っぽだった心は十分すぎるほど満たされていった。
だから依存した。執着しすぎてしまった。
いつもなら気にも留めないことでも、彼の事となると過剰すぎるほど傷ついた。
私は私の事をどうにも好きになれなかった。
私ってなんだっけ?
そんなことをよく考えていた。
いじめを受けているわけでも嫌いな人がいるわけでもないのに、不意に教室にいるのが辛くなることがあった。
私はやっぱり私の事が嫌いだった。
私は自分の事を愛することが出来なかったから、代わりに彼に愛してもらっていただけだった。だから、彼に愛されなくなる未来が来る事が怖くて不安で堪らなかった。
結果どうなったかと言うと、自分を見失った。
コンビニで買った一つのカップラーメンを二人で食べながら帰る事も、めんどくさいと塾をサボって一緒にカラオケに行く事も、全部私にはもったいないぐらいに幸せだった。この幸せを壊したくなくて仕方がなかった。
私は余計なことまで考えすぎてしまった。
もし違う時期に出会ったいたら。私が私の事を好きでいられていたら。心の傷を彼で癒そうとしていなければ。もしそうだったらどんなに良かったか。
じゃあ私はあの時どうすればよかったの?
もう考えることを放棄することにした。
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高校の頃、部活中に大きな怪我をしたことがある。
左足首をひねり外果骨折、手術をすることになった。
手術の日は、この日のために今まで練習してきたと言っても過言ではない試合の日だった。
高校一年生の思い出といえば部活というぐらい練習に打ち込んだ。といっても、熱血系という訳でもなく、外練などのめんどくさい日は何度かサボったことがあるぐらいの熱量だった。部活はまあ好きだったと思う。
手術は無事に終わったがしばらくは松葉杖生活。
16年間健康体で生きてきたので、身体が不自由だというのはなかなか慣れなかった。
とても怖かった。
もしも松葉杖を落としてしまったり、バランスを崩してしまったりしたらそこで終わり。その時点で倒れるしか選択肢が残されないのである。
たかがこの金属の棒に私の命が託されているのだと考えると、自力では何も出来ない自分の未熟さに辛くなった。
自力で歩けるようになり、私は松葉杖を卒業した。
念願の部活復帰であったが、現実は思っていたほど甘くなかった。着いて行けなくなったのである。練習にも人間関係にも。仕方がない、長い間部活にいなかったのだから。
前のような部活に対する思いはとっくになくなり、そしてある日急にスイッチが切れてしまった。
私はあんなに頑張っていた部活をあっさり辞めた。
顧問の先生の反対を押し切り、部活の子には一言も言わず、最初からこの部活のメンバーではなかったかのように存在を消した。
別に後悔はしていなかった。
だけど自分の境遇には何度も神様を恨んだ。
どうして私なのか。私なにか悪いことでもした?
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自分はもっと強い人間だと思ってた。
けれど実際はそんなことなくて、自分の無力さに恥ずかしくなって泣いてばっかで。他人と比べちゃダメなことぐらい分かっているけど、それでも比べて。周りの人が夢とか好きなこととか大事なものとかを持っているとその人がなんだか大きく感じて、そして自分の小ささを感じて、私には何にもないなって思ってしまう。いや実際にそうだ。私には何もない。自分の中の一番が何もない。
これだ、やっと見つけた、と思ったものでもそれはすぐに私の元から離れてしまう。
そもそもみんなの一番ってなんだろう?
ゲーム?アニメ?スポーツ?友達?それとも恋人?
私にとっては全部大切で、見方を変えると全部どうでもいいものだった。
自分の存在が分からなくなっていく。
私はそんな、自分のことすら分からない薄っぺらい人間だ。
自分の生き方がよく分からないから他人に縋り付くことしか出来なくて、けれどそうしたら、もっと自分の存在が分からなくなっていった。
ねえ、私って何者なの?
泣いて泣いて泣きまくって、もう疲れた。
人気者のあの子が羨ましくて、勉強も運動もできるあの子も羨ましくて、顔が可愛いあの子も羨ましい。
みんなみんな羨ましい。
私には何があるの?
友達もいるし好きなことも沢山ある。
いじめられてる訳でもない。
なのにどうしてこんなに苦しくなるの。
どうしてこんなにも自分が惨めに感じるの。
この涙の正体が一体何なのか、自分でもよく分からなくなる。
私はやっぱり自分の事が分からない。
こんなことを友達には話せないし、話したくもない。
自分のこんな姿は絶対に見せたくない。
自分の領域に足を踏み込ませたら負けな気がする。
私はもっともっと弱くなる。他人の優しさに漬け込んで、信じて、期待して、求めすぎて、最終的に裏切られたと勝手に自分が解釈をして癇癪を起こす未来が分かる。
よく大人が「将来のため」とか「幸せのため」とか言う。
私が思うに、それは大人になった時に分かるはずだ。
だから私は大人になりたい。
ここで言う大人は、身体的な意味ではなく精神的な意味で。
大人なんて20を超えればみんななれる。
自分を持っている人。
自分のことをよく分かっている人。
大切なものをしっかりと握りしめている人。
私はそういう大人になりたい。
それってつまり、私の人生とは自分探しってこと?
「あれ、私ってなんだっけ?」
と思うことがある。
いつもなら気にも留めない言葉に、なぜかその日だけは傷ついてしまったことがある。
誰にも何にも期待をしないことによって、自分の領域を守ろうとしていたことがある。
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中学の頃、部活でキャプテンを任されたことがある。
なぜ私なのか理由はよく分からなかった。
あの時は謎のプライドが邪魔をして絶対に認めたくなかったが、今は自信を持って言える。
『私にキャプテンは向いてなかった。』
一番悩まされていたのは、部活に対する熱量が一人一人違うということだった。
どれだけ深夜に一人で練習内容を考えても、体力が落ちないためにランニングをしても、『全員で頑張る』ことを実現することは不可能であった。
それでも『全員で頑張る』ことを諦めたくなかった私は、よくみんなに語りかけていた。
もっと声出していこうよ。
もっと自分から動いていこうよ。
自分に出来てみんなに出来ないなんてことはない。
そう思っていた。
結果どうなっかと言うと、部活内の空気はさらに悪化してしまった。
逆効果であった。
学校から家への帰り道によく泣いていた。
私はただみんなと頑張りたかっただけなのに。どうして私がこんな目に遭わなければいけないのか。そもそも私がキャプテンに選ばれた理由ってなに。別になりたくてなったわけでもないのに。あのくそ顧問め。もう部活に行きたくない。
めちゃくちゃな感情に犯されていた。
私の存在ってなに?私はどうしてこんなことをしているの?
少しだけでいいから一人になりたい。
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過去に一度だけ、忘れられない恋をしたことがある。
新学期早々、彼氏に振られクラスにも馴染めず孤立していた私に、唯一手を差し伸べてくれた人がいた。
恋に落ちるのはあっという間だった。
大好きだと、愛していると、彼は私に言ってくれた。
私の空っぽだった心は十分すぎるほど満たされていった。
だから依存した。執着しすぎてしまった。
いつもなら気にも留めないことでも、彼の事となると過剰すぎるほど傷ついた。
私は私の事をどうにも好きになれなかった。
私ってなんだっけ?
そんなことをよく考えていた。
いじめを受けているわけでも嫌いな人がいるわけでもないのに、不意に教室にいるのが辛くなることがあった。
私はやっぱり私の事が嫌いだった。
私は自分の事を愛することが出来なかったから、代わりに彼に愛してもらっていただけだった。だから、彼に愛されなくなる未来が来る事が怖くて不安で堪らなかった。
結果どうなったかと言うと、自分を見失った。
コンビニで買った一つのカップラーメンを二人で食べながら帰る事も、めんどくさいと塾をサボって一緒にカラオケに行く事も、全部私にはもったいないぐらいに幸せだった。この幸せを壊したくなくて仕方がなかった。
私は余計なことまで考えすぎてしまった。
もし違う時期に出会ったいたら。私が私の事を好きでいられていたら。心の傷を彼で癒そうとしていなければ。もしそうだったらどんなに良かったか。
じゃあ私はあの時どうすればよかったの?
もう考えることを放棄することにした。
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高校の頃、部活中に大きな怪我をしたことがある。
左足首をひねり外果骨折、手術をすることになった。
手術の日は、この日のために今まで練習してきたと言っても過言ではない試合の日だった。
高校一年生の思い出といえば部活というぐらい練習に打ち込んだ。といっても、熱血系という訳でもなく、外練などのめんどくさい日は何度かサボったことがあるぐらいの熱量だった。部活はまあ好きだったと思う。
手術は無事に終わったがしばらくは松葉杖生活。
16年間健康体で生きてきたので、身体が不自由だというのはなかなか慣れなかった。
とても怖かった。
もしも松葉杖を落としてしまったり、バランスを崩してしまったりしたらそこで終わり。その時点で倒れるしか選択肢が残されないのである。
たかがこの金属の棒に私の命が託されているのだと考えると、自力では何も出来ない自分の未熟さに辛くなった。
自力で歩けるようになり、私は松葉杖を卒業した。
念願の部活復帰であったが、現実は思っていたほど甘くなかった。着いて行けなくなったのである。練習にも人間関係にも。仕方がない、長い間部活にいなかったのだから。
前のような部活に対する思いはとっくになくなり、そしてある日急にスイッチが切れてしまった。
私はあんなに頑張っていた部活をあっさり辞めた。
顧問の先生の反対を押し切り、部活の子には一言も言わず、最初からこの部活のメンバーではなかったかのように存在を消した。
別に後悔はしていなかった。
だけど自分の境遇には何度も神様を恨んだ。
どうして私なのか。私なにか悪いことでもした?
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自分はもっと強い人間だと思ってた。
けれど実際はそんなことなくて、自分の無力さに恥ずかしくなって泣いてばっかで。他人と比べちゃダメなことぐらい分かっているけど、それでも比べて。周りの人が夢とか好きなこととか大事なものとかを持っているとその人がなんだか大きく感じて、そして自分の小ささを感じて、私には何にもないなって思ってしまう。いや実際にそうだ。私には何もない。自分の中の一番が何もない。
これだ、やっと見つけた、と思ったものでもそれはすぐに私の元から離れてしまう。
そもそもみんなの一番ってなんだろう?
ゲーム?アニメ?スポーツ?友達?それとも恋人?
私にとっては全部大切で、見方を変えると全部どうでもいいものだった。
自分の存在が分からなくなっていく。
私はそんな、自分のことすら分からない薄っぺらい人間だ。
自分の生き方がよく分からないから他人に縋り付くことしか出来なくて、けれどそうしたら、もっと自分の存在が分からなくなっていった。
ねえ、私って何者なの?
泣いて泣いて泣きまくって、もう疲れた。
人気者のあの子が羨ましくて、勉強も運動もできるあの子も羨ましくて、顔が可愛いあの子も羨ましい。
みんなみんな羨ましい。
私には何があるの?
友達もいるし好きなことも沢山ある。
いじめられてる訳でもない。
なのにどうしてこんなに苦しくなるの。
どうしてこんなにも自分が惨めに感じるの。
この涙の正体が一体何なのか、自分でもよく分からなくなる。
私はやっぱり自分の事が分からない。
こんなことを友達には話せないし、話したくもない。
自分のこんな姿は絶対に見せたくない。
自分の領域に足を踏み込ませたら負けな気がする。
私はもっともっと弱くなる。他人の優しさに漬け込んで、信じて、期待して、求めすぎて、最終的に裏切られたと勝手に自分が解釈をして癇癪を起こす未来が分かる。
よく大人が「将来のため」とか「幸せのため」とか言う。
私が思うに、それは大人になった時に分かるはずだ。
だから私は大人になりたい。
ここで言う大人は、身体的な意味ではなく精神的な意味で。
大人なんて20を超えればみんななれる。
自分を持っている人。
自分のことをよく分かっている人。
大切なものをしっかりと握りしめている人。
私はそういう大人になりたい。
それってつまり、私の人生とは自分探しってこと?