池袋駅で花波と別れたあと、小鈴と僕はぶらぶらと街を散歩していた。彼女が今の池袋を詳しく見てみたいと希望したからだ。

 人通りの多い道から、小道まで、一時間ほど歩いた。好奇心旺盛な小鈴は散策を楽しんでいたが、僕は立ち仕事のあとということもあり、若干疲れていた。

 午前一時。唯一、二人に共通していたのは空腹で、適当に店を選んで入ることにした。

 メニューを注文して待っていると、小鈴が僕を見ていることに気づいた。

「どうかした?」
「かなみんが透夏に惚れてることはもちろん気づいてるんだよね」
「気づいてないし、それは勘違いだと思うけど」
「鈍感人間だなぁ。前はどうか知らないけど、今は確実に好きだと思うよ」
「なにを根拠に」
「気合が入ってる、化粧とか格好とか。どうでもいい相手にはそこまで気を使わないんだよ、女子というものは」
「それじゃあ、小鈴もそういう相手だったら、気にするのか?」
「うーん。わたしはあんまり恋愛経験がないから、なんとも言えない」
「ずるいな」
「わたしはどうでもよくて、かなみんは君が好きなわけだから、もうちょっとデートの場所は考えないと。美術館もいいけど、二人で行くなら海とか花火とか、夏っぽいところがベターでしょ」
「だから、前提がズレてるんだって。それに海なんて真っ暗闇の状態で見に行っても微妙じゃないか。青空の下じゃないと夏らしさのかけらもない。花火にしても、いつも夜なんじゃ、風情がない」
「君はそう思うかも知れないけど、かなみんは望んでいるの。夏の思い出を作ることを」
「平行線だな。そんなことより、小鈴は自分のことを心配するべきじゃないか。元の世界に戻る、死の運命を回避する、二つの課題があるんだ」
「二個目の方は大丈夫でしょ、旅行に行かなければいいんだし」
「そんな簡単なことなのか。中止しようと言い張っても、友人たちは納得してくれないかも知れない」
「それは平気なの。だって、条件があるんだから」
「条件?」
「あー、それは秘密。とにかく旅行については大丈夫だから。問題は戻る方法だけ」
「そっちはなんでもいいから糸口を見つけないとな」
「糸口ねぇ。……この曲、いい感じだね」

 小鈴は店内のBGMに興味を持ったようだった。偶然、好きなアーティストだったので、僕はすぐに答えた。

「『落日(らくじつ)』っていうバンドだよ。フロントマンは小鈴と同じ大学を中退してる。年齢から考えると、同じ時期に大学にいたと思う」
「ふーん、じゃあ知り合いだったりするかもね。なんていう名前?」
谷村(たにむら)幸治(こうじ)。通称、タニコー」

 その瞬間、小鈴の顔が引きつったように見えた。

「知り合いだね、見事に」
「すごいな。タニコーは昨今のポスト・シティポップの人気を牽引しているバンドマンだ」
「こういうメロウな感じの曲が人気なんだ」
「服と同じで、音楽も流行がループするらしい」
「トレンドの未来予測ができそう。しかし、あのタニコーがそんな立派なアーティストになるなんてね。軽音サークルで遊んでる感じだったのに」

 小鈴は目を閉じて、曲に集中する。そうすると、驚くほどまつげの長さが目立つ。

 僕は彼女の美しい目元に見とれていた。じっと彼女を見つめていると、わずかな変化に気づく。彼女のまつげが徐々に潤いを帯びているのである。泣いているのだろうか。

 曲が終わる前に、小鈴はすっと目を開けた。僕は反射的に壁の方を見る。そして、視界の隅で、彼女の涙を確認しようとする。瞳は潤んでいるが、泣いているわけではなかった。

「ライブ、見に行きたいな」

 と、小鈴は僕になんとか聞こえるくらいの声でささやいた。今の彼らの人気だと、大型のフェスとか全国ツアーでしか見ることができない。後者はファンクラブ会員でもなければ、チケットが取れないだろう。その事実を伝えようか迷ったが、僕は黙ったままでいた。