結局、駅前まで歩いて、シャワー付きのネットカフェに入った。もちろん別々に個室を取った。一昨日から寝ていないというのに、なぜか全く眠気を感じないので、僕は朝まで漫画を読んで過ごした。

 朝九時、店を出て、近くのファミレスに入った。彼女はアサイーボウルを食べながら、眠気と戦っていた。

「はぁ、全然寝れなかった。今日はもうベッド借りてずっと寝てようかなぁ」
「ああいう睡眠環境だから仕方ない。寝具もないし」
「ううん、そうじゃなくて、ネットの誘惑に勝てなかったの。公営ギャンブルのビッグレースの結果を頭に叩き込んでたら、いつの間にか朝になってて」
「……呆れた」
「やっぱり駄目だよね」
「最後には天罰が下るよ、きっと」
「魔が差さないように、記憶から抹消しなきゃ」

 くだらない会話でごまかしているが、彼女は嘘をついていた。朝方、シャワー室に向かう途中で、ドリンクバーの前にいる彼女を見かけたのである。暗い表情で、ぼんやりとしていた。少なくとも、未来の競馬の結果を調べて楽しんでいる精神状態じゃないことは確かだった。

 本当は不安で眠れなかったのだろう。過去に戻るための有力な策が不発に終わったのだ。もう帰れないのではないかという疑念が生じても致し方ない。

 強がりだとしても、僕を心配させないためだとしても、その冗談はいじらしかった。

「ところで、わざわざ千葉まで来たんだし、手がかりを当たってみないか」

 と、僕は発破をかけた。

「思い当たることでもあるの?」
「小鈴のお父さんに会ってみる」

 僕の提案に対して、小鈴は苦い顔をした。

「わたしも一緒じゃないよね」
「ショックが大きいと思うから、僕一人がいいと思う」
「うちのお父さんと話して、なにか情報が得られるのかな」
「少なくとも、客観的な君の情報が聞けるんじゃないか。タイムリープする一ヶ月前から様子が変だったとか、黒魔術にハマっていたとか」
「わたしのこと、馬鹿にしてるでしょ」
「……あるいは、当日なにか特別なことをしていなかったか。小鈴としては無意識に取っていた行動が実はタイムリープの原因だった、みたいなことも考えられるからな」
「なるほど。でも、どうやって会話のきっかけを作るの?」
「小学生の頃、小鈴さんに命を助けてもらいました。お礼がしたいと伝えたら、自分と同じ年になったらお礼に来るようにと言われ、それで十九歳になった今、来ました。みたいな感じで考えてる」
「なくはないか。お父さんはお人好しだし、信じそう。でも……」
「なんかネガティブな反応だな。お父さんとの関係が悪かったのか?」
「そういうわけじゃないんだけど……。分かった。行ってみよう」

 渋々という感じだったが、小鈴の了解が取れたので、僕たちは彼女の実家に向かった。

 午前中だというのに、太陽は相変わらずどこかに隠れてしまい、外は真っ暗だった。この状態になってから、僕は可能な限り、様々なメディアの情報に目を通すようにした。しかし、「ありえないはずの極夜」に違和感を抱いている人は誰もいないようだった。

 途中、僕の実家を通り過ぎた。そこから三分くらい歩いたところに、彼女の家があった。少し離れた場所で、一旦止まる。

「あの深緑の家」
「驚いた。かなり近所だ。過去に何度もすれ違ったりしていたかも知れないな」
「じゃあ、わたしはここにいるね。……あっ、待って」

 彼女の視線の先を追う。小綺麗な格好の中年男性が買い物袋を持って、歩いてくる。

「お父さん、老けたなぁ」
「優しそうなお父さんだ。インターホン越しに話すより楽そうだから、今、行ってみる」

 足を踏み出すと、小鈴は急に僕の腕をつかんだ。

「ごめん、やっぱり今日はやめて」
「どうして。絶好のチャンスだぞ」
「……お父さん、きっとわたしがいなくなって悲しんだと思う。時間が経って、ようやく心の傷が癒えてきた頃かも知れない。それなのに、もう一回わたしのことを思い出させるのは酷だよ。だって、元の世界に戻ったら、また会えなくなるんだから。お父さんに申し訳ないし、わたしも辛い」

 彼女が吐露した心情を聞いて、僕は自分のデリカシーのなさに呆れた。助太刀しているつもりで、実際は全く親身になって考えられていなかった。

「小鈴の言う通りだ。悪かった」
「いいの。お父さんが一応は元気そうなことも確かめられて、収穫だったから」
「関係がよくないどころか、親思いだったんだな」
「それはもちろん。一人だけの家族だし」
「戻ろう、池袋に」

 小鈴が現れてから、流れに身を任せて行動していた。しかし、父親を心配する彼女を見て、僕は決意を固めた。彼女を元の世界に戻してあげよう、と。