東京に帰る新幹線の中で、小鈴は寂しそうに窓の外を見ていた。祖父母との別れが辛かったのだろう。彼らは無条件で彼女の存在を受け止めてくれた。一人ぼっちでこの世界に来てしまった彼女にとって、どんなに心強く、嬉しかったことか。

 結局、三泊もお世話になった上、滞在中の食事までご馳走になった。力仕事をするくらいしか恩返しができなかったが、おばあさんは「また来てね」と言ってくれた。今度はもう一人、小鈴と僕の共通の友人も連れてきたいと言うと、彼女は笑顔で応えてくれた。もちろん、花波のことだ。きっと彼女は花火を気に入ると思う。

 終始、口数の少なかったおじいさんも、とても優しかった。家を出発するとき、僕と小鈴にお守りをくれた。僕たちが厄介な問題に直面していることを察知していたのだろうか。ほとんど喋っていないはずなのに、すべてを知っているみたいだった。

 さらに、彼は小鈴に「二人の新幹線代」と言って、封筒を渡した。その中には、二人分の往復の交通費を足してもまだ余るくらいの金額が入っていた。僕は「自分の分は自分で払うので大丈夫です」と遠慮したが、そこは年寄りの頑固さで押し通された。

 実際、新幹線代は非常にありがたかった。夏休みに入ってから結構お金を使っていたし、今もバイトを休んでいる。そもそも、僕は一人暮らしの割に稼ぎが少ないから、今回の旅費も貯金を切り崩していた。いずれにしても、来月はもっとバイトを入れないとまずそうだ。

 高校生の頃、僕はありあまる時間を使って、たくさんのバイトをしていた。お金を稼ぐ理由は明確だった。大学に入ったら、親と離れて生活してみたかったのだ。そうすれば、彼らへの見方が変わるかも知れないと期待していた。その頃、僕は両親に対して、心の距離を感じていた。嫌いというわけではないし、むしろ好きでいたいのに。どうやら、いじめを受けているときに助けてくれなかったことが、僕の知らないところでトラウマになっていたみたいだ。

 一人暮らしがしたいと言っても、地方への進学は考えなかった。東京の生活に憧れていたからだ。となると、実家から通えてしまうので、当然、両親からの援助は望めない。つまり、自分で資金を貯めるしかなかったのだ。

 東京駅で丸ノ内線に乗り換え、池袋に戻った。長旅で疲れたので、早くアパートに帰りたかったが、西口を出てすぐに足を止めた。

 反対派がものすごい人数で街宣活動を行っていた。その内容に僕は驚きを禁じ得なかった。この数日間、小鈴に倣ってなるべくスマホ断ちをしていたから、最新のニュースを知らなかったのである。

「反対派のメンバーが推進派の一員をリンチした。そんな報道が出ていますが、僕たちの九十九パーセントは、極夜が続く状況に危機感を抱いて、純粋に活動しているだけです。一部の人間の行為を一般化しないでください。僕たちは危険な集団ではありません」

 検索でトップにサジェストされた新聞社のニュースサイトの記事を読む。昨晩、池袋を中心に活動する反対派のメンバー五人が、推進派の男性一人に対して殴る蹴るの暴行を加えたらしい。

 先日のデモ騒動を目の当たりにしてから、いつかこういう事件が起こるだろうと思っていた。いよいよ限界点に達してしまったのかも知れない。一つ穿孔が生じれば、どんどんと決壊していくはずだ。

 帰宅後、僕は花波に連絡を取った。小鈴を見つけたこと、東京に戻ってきたことを伝えた。小鈴に会いたいと言うので、夜にヌーベルバーグで集まる約束をした。

 日中は別々に、タイムスリップについての考察をまとめた。僕はPCに向かって、小鈴はノートに向かって。考え抜くことで、新しい手がかりを得られないかと思ったのだが、失敗に終わった。頭の中を整理できたのはよかったが。

 ファミレスで夕食を食べたあと、花波のバイトが終わる時間に合わせて、二十二時にヌーベルバーグで合流した。

 小鈴を見ると、花波は目を潤ませて、彼女を抱きしめた。

「ごめんなさい。この前のこと、反省してる」
「大丈夫、かなみんは悪くないし。わたしの方こそ、ごめんね」

 花波の頬を一筋の涙が伝った。心なしか、小鈴の瞳もきらきらと光っているような気がした。

 秋田での生活や、花火大会について、小鈴は饒舌に語った。案の定、花波は大曲の花火に興味を持った。

 二十三時頃、二人組が来店した。僕は思わず息を呑んだ。岡田兄弟だった。この場所で再び遭遇するとは。

 二人は僕たちの近くの席に座った。会話の内容が気になったので、僕は聞き耳を立てた。

「今日一日、イメージ回復に努めたが、全然効果はなかった」

 東大生の兄、公教が口火を切った。イライラしているのか、坊主頭を片手でかきむしる。一方、医大生の弟、陽は相変わらずクールな雰囲気で、沈思黙考している。

 公教は早口で文句を並べた。

「はめられたんだ。事実確認したが、相手は殴られる覚悟ができていた。と言うより、殴られるために、推進派のメンバーであることを隠して、奴らを煽ったんだ」

 ようやく、陽が口を開く。

「推進派の幹部連中の差し金だろう。騙された方が間抜けだった。敵があくどい戦法を使う可能性について、仲間たちに周知できなかった我々も含めて」
「これから、どうする?」

 公教は弟に意見を求める。彼を信頼しているのだ。

「甘さを捨てて、徹底的に戦う以外にない。それとも、やめるか。この遊び」
「ここまで来て、やめられるか。お前は遊びのつもりかも知れないが、俺は本気なんだ」
「本気なら、邪魔者を消すのが常套手段じゃないか?」
「どっちの邪魔者だ」
「沢木勇吾。あいつが推進派に関わるようになってから、明らかに潮目が変わった。犀川は人を動かす能力を持っていても、戦いができない。だが、沢木は違う。あいつは俺たちと真っ向から戦える」
「沢木はなにが目的なんだ。自分を殴った女を探しているとか、理解に苦しむ」
「俺と同じ。遊びなんだよ、あいつも。この混乱を積極的に楽しんでいるだけ」
「似た者同士が双方のブレーンとは皮肉だな。で、具体的に沢木を消す方法は?」
「もう仕込みは終わっている。……自滅させるんだ」

 陽は長髪をかき上げ、不敵な笑みを浮かべた。

 小鈴も花波も反対派のリーダーが同じ空間にいることに気づいていなかった。岡田兄弟が店を出たあと、僕は盗み聞きした話を二人に共有した。

「自滅ってなんのことだろう」

 花波の疑問に対して、僕は私見を述べた。

「スキャンダルとか? リンチをでっち上げられた報復だから、警察沙汰、ニュース沙汰を狙う気がする」
「関係ない人たちを巻き込まないといいけど」

 小鈴は神妙な面持ちで呟いた。僕も彼女と同じことを危惧していた。沢木がなにか良からぬことをしでかす予感がした。

 花波の終電に合わせて、僕たちは解散した。