僕たちが会場を見学に行ったのは、昼花火が始まる一時間前だった。大曲の花火は昼花火、夜花火の二部に分かれている。それぞれ十七時、十九時くらいから開演となる。

 会場の河川敷にはすでに多くの人たちがいた。川を挟んで、片側に観覧席があり、対岸に花火師たちが集まっている。

 僕はささやかな疑問を小鈴に投げかけた。

「昼花火って、本来は青空に花火を打ち上げるんだよな」
「そうだよ。煙の色とか綺麗なの。せっかく準備してた花火師の人たちがかわいそう。それにお客さんも」
「暗いままじゃ、風情がないか」
「青空から始まって、段々と夕暮れに変化する感じが味わい深いんだよね。夜花火への期待感も高まるし」
「極夜が終わったら、それも見てみたい」

 僕は何気なく言った自分の台詞に寒気を覚えた。そのとき、僕は誰と花火を見るのだろうか。極夜が終わっているなら、小鈴も過去に戻っているはずだ。

 僕らは一旦、家に戻ることにした。今日の段取りがよく分かっていなかったが、敷地に椅子を出して見るらしい。

 外は虫がたくさんいるらしいので、虫除けスプレーをかけてから、開演を待った。おじいさん、おばあさん、小鈴、僕の並びだ。

 十七時過ぎ、最初の一発が打ち上がる。いよいよスタートだ。会場からそう離れていないし、障害物もないので、花火がよく見える。BGMも聞こえるので、ゆったりと花火大会を楽しみたい人には最高の特等席だ。

 おじいさんと僕は無言だったが、おばあさんと小鈴は喋りながら観覧していた。ちらりと彼女を見ると、無邪気に楽しんでいて、微笑ましかった。きっと小さい頃から、こうして花火を嗜んできたのだろう。

 あっという間に、昼花火は終わってしまった。夜花火まで休憩があるので、おばあさんたちは家の中に入った。

「わたしたちは移動しようか」

 小鈴は二人分の椅子を片付け、自転車を用意した。

「近くだから、二人乗りする?」
「久しくやってないな」
「大丈夫だよ」
「道案内よろしく」

 彼女を後ろに乗せて、僕は力強くペダルを漕いだ。

 花火師たちの裏手のエリアまで移動し、自転車を降りる。花火の裏側がはっきりと見えそうだ。穴場なのか、見物客も多かった。小鈴の案内に従って、なるべく人の少ない場所に行く。

「いくつかおすすめのスポットがあるんだけど、ここは一番見やすいと思う」
「楽しみになってきた」
「感動するよ。わたし……初めて見たときから、打ち上げ花火が好き。子供の頃の一番楽しかった記憶も、家族と花火を見たことだと思う。お父さんに肩車してもらって、誰よりも高いところで花火を見るの。それで、どれが好きとか綺麗とかお母さんと話したりして」
「素敵な思い出だ」
「会いたいなぁ」

 その言葉は亡くなった母親と、この世界では会わないと決めた父親の二人に対して向けられていた。僕はふと、父親との約束を思い出す。

「お父さんの伝言、今、伝えていい?」
「いいけど、どうして今なの」
「涙が見えないから」
「そういうところ、好きだよ」
「お父さん、元気だったよ。小鈴の話をするとき、とても嬉しそうだった。君のこと、心の底から愛しているんだなって感じた。君が死んだとは思っていなくて、どこかでたくましく生きていると信じてた」

 話の途中で、鼻をすする音が聞こえた。

「それで、もし小鈴に会うことがあったら、伝えて欲しいと言われたんだ。『楽しく暮らしているから、安心してくれ』と。お父さんの心はいつも小鈴のそばにあるんだと思うよ」

 その瞬間、夜花火の一発目が夜空に炸裂した。花火の音にかき消されたが、小鈴は声を出して泣いていた。

 色とりどりの花火は極夜の憂鬱を吹き飛ばすように、夜空に光を与えた。この夏、一番美しい光景だった。

 花火を眺めていると、なぜか自我が薄れていく感じがした。閃光とともに夜空に溶けて、世界と一体になるような、そんな感覚。意識がぼんやりとして、無駄な思考も消えていく。

 気づいたら、僕は小鈴の手を握っていた。なんの雑念もなく、自然と。彼女も僕を拒否しなかった。僕たちは手を繋いだまま、あふれんばかりの光と色彩と音の中に、身を委ねていた。

 二時間半のプログラムはクラシック音楽のように壮大な構成で、終盤に向かうにつれて、勢いを増していった。

 息つく暇もなく花火玉が空中に放たれる。見ている方も呼吸を忘れてしまいそうだ。やがて、無限の花火が視界を埋め尽くし、フィナーレを飾る。僕はこれをどこかで見たことがある。……小鈴の絵だ。彼女はいつか両親と一緒に見た情景、大輪の花が咲き乱れるスターマインを描いていたのである。魂が震え、僕は泣いていた。

 花火の余韻はいつまでも残り続けた。自転車は手で押して、一緒に歩いて帰った。

 途中で、小鈴がぽつりと言った。

「花火を見ながら、考えていたことがあるの」

 深刻そうな声色だった。僕は立ち止まって、聞き返す。

「どんなこと?」
「もしわたしが元の時代に戻れたとして、透夏はどうなっちゃうんだろう。過去の世界でわたしが友達の命を救ったり、行動を起こすと、この世界にも影響があるんだよね。きっと」
「なんとも言えないな。君がこっちに来たことで、世界線が分岐しているかも知れないし。その場合、過去に干渉しても関係ないと思う。もちろん、一直線で時間が繋がっているなら、単純に過去と未来の関係だから、未来を変えることになるんじゃないかな」
「別の世界だなんて、考えたくない。多分、繋がってるよ。でも、そうだとしても、怖いの。前に言ってたよね。頼もしくなったのは、わたしのおかげだって」
「ああ。小鈴がどこに消えたのか気になって、もう一度会いたいと思って、まだ死ねないから、いじめを乗り越えられた」
「それなら、わたしが戻ったら、透夏は自殺しないで、ちゃんと生きられるのかな。わたしに会うことを心の拠り所にしてくれてたのに」
「例えば、プールに飛び込んだ翌日に君と再会するとして、僕は生きる目的を失ってしまうから、その後いじめに耐えられずに自殺してしまう、みたいな話?」
「うん。そういう運命もあるのかなと思って、心配になった」
「確かに、可能性はゼロじゃないかも」
「だったら、いっそのこと、この世界にとどまってもいいのかなって。透夏も生きてるし、お父さんにも会って、一緒に暮らせば不自由しないし」
「……本当にそれでいいのか」
「最低だよね。……友達が死んだままなのに」

 別に批判するつもりはなかった。と言うより、彼女がそこまで考えてくれていることに嬉しさとやましさを感じていた。僕のせいで、悩みが増えているのだから。

「気にしてくれて、ありがとう。大丈夫だよ、僕は。どんな状況でも、意外とたくましく生きると思う。僕自身も昔の自分を信じてる。過去に帰ることだけ考えよう」
「……家まで、手を繋いでくれる?」
「いいよ」

 彼女の手は繊細で、頼りなかった。僕が守らなければ、簡単に傷ついてしまいそうなくらい。家に到着するまでの短い時間はあまりに尊く、このまま時が止まればいいと思った。

 八月はあと四日しかない。花火大会の終了はそろそろ夏が終わることを告げていた。