家に帰り、汗ばんだ体をシャワーで流した。気分転換に音楽を聴きながら、沢木の推進派入りに対するネット上の反応を調べていた。

 推進派は意識の高い若者に受けている印象なので、沢木のような人物を嫌うと思っていたのだが、意外にも彼の幹部入りを容認する声は多かった。思想の裾野を広げるという点では役立つ人材なので、打算が働いたのかも知れない。岡田兄弟の出現で、反対派の勢力が伸びていることもいくらか関係しているだろう。

 プレイリストに入れていた落日の曲が流れ、渋谷で見たタニコーの顔がフラッシュバックする。同時に、Xのタイムラインに彼の話題が流れてくる。

 タニコーはYouTubeのアカウントを開設し、動画を一つだけ投稿していた。

 サムネイル画像を見る限り、スタジオで撮影されたものではないようだった。直感だが、落日の公式がアップしたのではなく、タニコーが個人で上げた動画だろうと思った。

 アコースティック・ギターの弾き語りで披露された楽曲は書き下ろしで、落日のテイストとかなり乖離した、純粋な恋愛ソングだった。

 問題は歌を捧げている相手だ。内情を知っている僕じゃなくても、それが畠中伊織じゃないことは容易に察知できたのではないか。

 タニコーは小鈴のために歌っていた。アートスクール、猫、真っ赤なスニーカー、子供みたいな、十九歳、消失……。歌詞に散りばめられたいくつかのワードが彼女を示している。

 彼はこの動画に関して、自身のXのアカウントでコメントを投稿していた。

Koji Tanimura @koji_rakujitsu・15分
伝える手段がないからここで
十九歳でお前が消えてから
自分の気持ちに気づいた
遠回りしたけど
この曲を聴いて欲しい
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Koji Tanimura @koji_rakujitsu・12分
落日の楽曲のコンセプトは俺のオリジナルじゃない
あの頃、一緒に聴いてた昔の曲を今風に解釈しただけだ
お前のことを忘れたくないから
思い出を音楽の中に閉じ込めた
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Koji Tanimura @koji_rakujitsu・11分
自分でも最低だと思うけど
けじめをつけたから
もう一度だけ話したい

 三つのツイートの中に、いくつかの発見があった。まず、小鈴に向けたメッセージを一般に公開する意味だ。おそらくタニコーは今、小鈴と連絡が途絶えている。熱愛報道のあと、彼女にコンタクトを取ったが、無視されているのだ。だから、博打を打った。彼の影響力なら、動画もツイートも間違いなく話題になるので、小鈴に届く可能性がある。

 次に、ネオ・シティポップのブームを牽引してきた落日の音楽性は小鈴に対する想いから作られたということ。それが事実なら、タニコーの気持ちは本物だ。小鈴のいない空虚な七年間を過ごしたという意味では、僕と彼は同志なのかも知れない。

 最後に、「けじめをつけた」という言葉の意味。小鈴に対するけじめは一つしかない。人気女優と同棲交際していたことだ。つまり、タニコーは畠中伊織と別れたのだろう。そうでなければ、彼女ではない人物に捧げるラブソングを堂々と歌ったりしない。

 僕はじっとしていられなかった。ルームウェアからTシャツとジーンズに着替えて、外に出た。生ぬるい空気が体を包む。行き先は決まっていた。

 この夏、何度夜のカフェを訪れたのだろうか。小鈴と極夜とヌーベルバーグはほとんど三位一体で、切っても切り離せない。

 カウンターの席に座る。ボディ感のあるコーヒーが飲みたい気分だ。沢木やタニコーに対する劣等感ごと、苦味とともに胃の中へ流し込んでしまいたかった。軽い飲み口ではいささか頼りない。

 彼らの顔が頭をかすめているようでは話にならない。僕は腹をくくる必要がある。小鈴にどう思われようが、自分の気持ちに正直にならなければ、スタートラインにすら立てない。一歩引いて、クールに振る舞っていたら、成長も進歩も発展もない。僕は沢木のような生命力もなければ、タニコーのように小鈴と共有した時間もない。才能も財力も人脈も、彼らと普通の大学生の僕では天と地の差だ。それなのに、度胸すら負けていたら目も当てられない。小鈴とちゃんと向き合おう。そのために、体を張ってでも彼女を探し出そう。決意はもう揺るがない。

 そのとき、店のドアが開いた。なんとなく、知り合いが入ってくる予感がした。それが誰であっても、逃げないと心に誓った。