「沙理!! どうして教えてくれなかったの? 加茂井くんと別れたことを」
「えっ……。市花がどうしてそれを知ってるの?」
「今朝、加茂井くんと矢島さんがいい感じになってたから浮気をしてるんじゃないかと思って問い詰めたら、もう矢島さんと付き合ってると言ってて」
「朝陽が……、矢島さんと付き合ってる……?」
――つい先日、私が本棟の四階の踊り場で電話を終えてから教室に戻る途中、朝陽は髪の短い女子とキスをしていた。
私達はまだ別れたばかりだし朝陽は未練があると思っていたから、あの時は単に嫌がらせをしているかと思っていたけど、もう別の人と付き合ってるなんて……。
「親密な感じだったよ。それよりいつ加茂井くんと別れたの? 沙理ったら全然報告してくれないんだもん」
「うっ……うん。先月ね」
「えぇ〜っ! どうして〜〜? あんなに仲が良かったのに。別れた理由は?」
私……なんて、言いたくない。ここで本当のことを言ったらイメージが悪くなるよね。
でも、いま貰った情報を逆手にとってもメリットはない。情報が少なすぎるし、根掘り葉掘り聞かれたら返答に行き詰まるから。
ここは、無難な返答で締めようかな。
「うっ、うーん……。性格が合わなかったからかな」
「1年も付き合うと色々気になる所がでてくるよね。でも、びっくり。あの加茂井くんが別の人にあっさり乗り換えるなんてさ。しかも、相手はあのヘッドホン矢島だし」
「矢島さんって確か、朝陽と同じクラスの陰キャの子だよね?」
「そうそう! ヘッドホンに黒縁メガネの子! 地味子地味子!」
「…………」
矢島さんとはクラスが違うからあまりよく知らないけど、物静かな印象の子。
朝陽は私と付き合った直後に陰キャ女子……か。
朝陽と1年間付き合っていても矢島さんはマーク外だったな。別れたと同時に付き合い始めたってことは、朝陽を奪うことが目的だったのかな。
……まぁ、私には大地がいるから関係ないか。
学校一のイケメンが言い寄ってくるなんて、こんな幸運なことは早々ないしね。
朝陽とは別れたから二人がどうなろうと関係ないし、これ以上都合が悪くなったら矢島さんのせいにすればいっか。
――場所は”ワクドナルド”というファーストフード店。
下校後に加茂井くんに誘われてここへやって来た。
学校という小さな箱から加茂井くんと一緒に抜け出せたことが嬉しかった。彼とすれ違うだけでドキドキしていたあの頃が懐かしい。
「矢島、あのさ……。さっきから気になってるんだけど」
「何ですか?」
「足をガタガタさせてうるさいけど、貧乏ゆすりじゃないよね」
「違いますよ。嬉しくて身体の反応が止まらないだけです」
「あ、そう……。犬が尻尾を振ってるみたいだね……」
彼は若干引いているけど、これでも興奮を抑えてる方。
学校では彼女と言ってくれたり、こうやって下校後に誘ってくれたり。加茂井くんを好きになってから想像していたことが現実になっちゃうなんて夢みたい。
「これってデートですかね。座ってるだけでもワクワクしちゃいます」
「ただのミーティングだけど」
「冗談ですよ。……あっ、そうだ。加茂井くんに聞きたいことがあります」
「なに?」
「偽恋人って……、いつまで演じればいいんでしょうか」
希望としてはそのまま本命の彼女になりたいけど、偽恋人として始まったからには必ず終わりがある。
本当は答えを聞きたくないけど、突然彼の区切りがついた時に自分が対応できるかわからないから聞いてみた。
「……俺の気が済むまで。ダメかな」
「いえいえいえ!! 全然ダメじゃないですっっ!! むしろ大歓迎と言うか……。じゃあ、もしその間に赤城さんが復縁したいって言ってきたらどうしますか?」
「木原にぞっこんだからそれはないだろうな。だから考えないことにするよ」
「じゃあ、もし加茂井くんの気が済まなかったら彼女のままでいいですか?」
「ははっ。断ってもめげない根性半端ないな。頭が上がらないよ」
だって、1年5ヶ月も片想いを続けてたから……。
「それが私のメリットです。じゃあ、次の質問。加茂井くんはどんな女性がタイプですか? やっぱり赤城さんのようなかわいい子がいいですかね」
「……いや、俺は顔じゃないかな。どっちかって言うと根性のある人。沙理のアタックが強い所に惹かれたから」
「ちなみに根性がある人とは?」
私はブレザーのポケットから一冊のメモ帳を取り出してメモを始めた。しかし、同時に彼の目線もメモへ行き……。
「あのさ、どうしてメモをとるの?」
「ここ、肝心なところですから。家に帰ってからこのメモを見返そうと思ってます」
「あー、そう……」
「根性って例えばどんなんですかね。詳しく教えてください」
「うーん、そうだなぁ。例えば、校庭から校舎に向かってメガホンを使って俺に告白してくるやつとか」
「それは相当変わった人ですね」
「ばーか。そんな奴いるわけないだろ。例えばの話。これくらい根性を見せてくれる女がいたら俺の運命変わりそうだなと思って」
それを聞いた瞬間、耳がピクリと反応した。
「運命が変わる……? 加茂井くんは告白一つで運命が変わっちゃう人なんですか?」
「ちょっと待った! そんなのメモるなよ」
「ダメですか? ……赤城さんもそんな手段で告白を? 控えめそうな人に見えたのに、人って見かけによらないんですね」
「あいつがそんなことをする訳ないだろ」
「じゃあ、どんな方法で告白を?」
「ってかさ……。矢島の質問っていつもストレートだよね。一旦オブラートに包もうと思わないの?」
「だって、偽でも加茂井くんの彼女になれて嬉しいんです。だから、いまこの一瞬だって私にとっては宝物だし、言いたいことや聞きたいことははっきり伝えないと損しちゃう気がして」
偽恋人に終わりがあるなら、恋人期間中は精一杯気持ちを伝えていきたいし、神様から与えてもらったチャンスは絶対に逃したくない。
たとえこの想いが繋がらなかったとしても、彼の心の中に一つでも想いを残していきたいから。
すると、彼は頬杖をついたままプッと笑った。
「なんか、お前のそーゆートコいいな」
「えっ」
「純粋の粋……か。性格も名前の通り。そんなに純度100%でかかって来られたら、いつか好きになるかも。……なんてね」
「からかうのはやめて下さい……。それに、不意打ちのキス未遂はダメです。恥ずかしいし、唇が近づいてくるだけで……期待……しちゃいますから」
私の頬がポッと赤く染まると、彼は口からストローを外して身体を揺らしながらむせ始めた。
「うっ……ゴホッ……ゴホッ、ゴホゴホッ!!」
「だっ、大丈夫ですか?!」
「お前といるとマジで調子狂うな……。冗談で言ったつもりなのに、そんなに好きでいてくれると逆にどう接していいかわからなくなる」
「いつも通りの加茂井くんでいいですよ」
――終わりが見えてる恋。
期待した分、傷つくのが目に見えているからこのままでいい。
こんなリップサービスですら幸せを感じるくらい、私は彼が好きだから。
――翌日の昼休み。
私は荒い息を整えてから誰もいない校庭の中央に立ち、昨日雑貨店で購入した赤いメガホンに口を当ててすぅっと大きく息を吸ってから校舎に向けて叫んだ。
「私は2年4組の加茂井朝陽が好きだぁぁあぁあーーー!! 私以上に加茂井朝陽を好きな女なんていないぃぃぃ〜〜〜っ!! 好きだぁぁあーーー!! 好きだぁぁあーーー!! 好きだぁぁあーーー!!」
いま何故こんなことをしているかというと、彼の願いを叶える為だ。
本当は実行するかどうか一晩悩んだ。
でも、私が根性を見せることによって彼の運命が変わるのであれば、答えは一つしかなかった。
一旦叫び終えると、校舎の各教室の窓からポツポツと生徒達が顔を覗かせた。
人からこんなに注目を浴びるのは生まれて初めて。だから、生徒達と目が合った瞬間は全身に冷や汗が湧いた。
恐る恐る自分の教室に目線を向けると、少し慌ててる様子の加茂井くんの姿が映った。そこでちゃんと私の声が聞こえてると思い、もう一度大声で叫んだ。
「私は加茂井朝陽が好きだぁぁあぁあーーー!! 好きだぁぁあーーー!! 好きだぁぁあーーー!! 好きだぁぁあーーー!!」
正直、喉が死んだ。こんなに大きな声を出したのは生まれて初めてだから。
校舎から距離があるせいか雑音は聞こえない。でも、私に指を向けたり笑ってる様子から推測すると、多分校内は雑音まみれになっているだろう。
しかし、こんなに熱く気持ちを伝え続けたのに、よそ見をしているうちに彼は教室から忽然と姿を消した。
あっ、あれ……。昨日、根性がある人がある人がタイプだって言ってたから実行したのに、どこへ行っちゃったんだろう。
私はもぬけの殻のまま立ち尽くしていると、下駄箱方面から加茂井くんが全速力で走ってきた。そこで生徒達の声が「キャー」と言った音色に変わる。
加茂井くんは、息をはぁはぁ切らしながら私の前で足を止めると、勢いよくメガホンを取り上げた。
「お前っ……、何やってんだよ!! 自分のやってることがわかってんのかよ!」
「だって、昨日加茂井くんが”根性がある人がタイプだ”って言ってたから言われたとおりに実行しました」
「バカかっ! そんなの冗談に決まってんだろ」
「えっ、あれは冗談だったんですか? ちゃんとメモをしたのに」
「〜〜〜〜っっ!! その為のメモだったのかよ……。ってか、全校生徒の前で何やってんだよ。お前には羞恥心ってもんがないの?」
「酷い……。私にも羞恥心くらいありますよ……」
「なら、どうして」
「メガホンを使って校庭から愛の告白をしたら運命が変わりそうだって言ってたから……。加茂井くんが辛そうにしてるから、運命を変えてあげたいって思うのはおかしいですか? 私が加茂井くんの為に何かしてあげたいと思っちゃダメですか?」
「矢島……」
「何かをしてあげたくてもどうしたらいいかわからないし、今日まで加茂井くんに何もしてあげれなかった自分がもどかしくて……」
「もしかして、全部俺の為に…………」
私はうつむいたままコクンと頷く。
「”最初”はそう思いました。でも、思いっきり叫んでみたら想像以上に気持ちよくて、あれだけ嫌だと思っていた雑音が耳に入ってきませんでした」
以前は先生の耳に届かないくらい小さな声しか出せなくて、加茂井くんの前では緊張して声が震えてた。
自分に自信がなかったせいか、小さな雑音すら反応してしまうくらい。
でも、いま彼の希望通りに思いっきり叫んでみたら、雑音にふっきれている自分がいた。
だから、後悔してない。
「ばーか。不器用にも程があるよ」
「ごめんなさい……」
「逆にこっちまでいい刺激になったわ。……ほら、行くぞ」
彼はメガホンを私の頭にコツンと当てると、頬を赤く染めながら手を差し出してきた。
だから私は、彼の手を取って校庭を一緒に歩き出した。
生徒達からヒューヒューと冷やかす声に包まれながら、校舎へ向かう私と彼。まるでバージンロードを歩いている新郎新婦のような気分に。
派手に告白をして恥ずかしい想いをしたけど、私の気持ちが少し彼に届いたような気がした。
――場所は、2年1組の教室。
先ほど矢島さんが校庭から朝陽に愛の告白したことによって、私の教室内はその話題でもちきりになっていた。
そのド派手なパフォーマンスは、クラスのほとんどの生徒が窓から顔を出してその様子を見守っている。もちろん、私もその一員に。
最初は冷やかしていた声も、彼女の熱意に押されてしまったのか、途中から黄色い声援に変わっていた。
まるで、私と朝陽の1年間が一瞬で無にされてしまったかのように……。
「沙理、加茂井くんがヘッドホン矢島に狙われてるよ?」
「えっ……、あ、あっ、うん……。朝陽とはもう別れたからいいの……」
「えぇ〜〜っ? そうなのぉ〜?? 全然気づかなかったぁ〜」
「……」
「だから矢島さんは加茂井くんを狙ってるのかなぁ〜」
「……さ、さぁ」
朝陽とは1年付き合っていたから、誰もが私達の交際を知っていた。
だから、彼女が起こした騒動によって、親しい友達にしか伝えていなかった朝陽との別れの件を自ら公にしなければならなくなった。
浮気女のレッテルを貼られたくないから、自然消滅したように見せかけて少し時間を空けたら大地との交際を公にしようと思っていたのに……。
人前で堂々と告白をしている彼女を見ていたら、大地と校内でひっそりと会ったり、校内にいてもわざわざ電話でやりとりしている自分がバカバカしくなった。
まるで、私が浮気されて振られたような雰囲気に納得がいかない。
朝陽も朝陽で、見せつけてくる。
矢島さんと階段の踊り場でキスをしていたり、いまこうやって黄色い声援に包まれながら手を繋いで校庭を歩いていたり。
私には関係ないと割り切っていても、彼女の存在は踏んだガムのようにへばりついてくる。
直接話したことがある訳じゃないし、接点なんて以ての外。
なのに、どうしてこんな嫌がらせをするのかな。
――なんか、ムカつく。
――場所は、派出所。
目の前は交通量の多い大きな道路に面しているので、時より排気ガスが舞っている。
鈴木さんは近所を散歩している高齢者と話を終えた後に定位置についたので、私はその隣について車道を眺めたまま話を始めた。
「せっかく彼の願いを叶えてあげたのに、文句を言われました」
「どうして?」
「今日の昼休みにメガホンを使って校庭から校舎に向かって『好きだ』と大声で告白したのに、お前には羞恥心ってもんがないのかって」
「あは、あははは……。粋ちゃんって結構根性あるんだね。でも、どうしてそんなことをしたの?」
「彼の運命を変えてあげたかったんです。でも、好きな人に想いを届けるのって難しい。特に私の場合は、彼女がいるところから始まってるから……」
勇気がなかった自分を何度も何度も後悔する。上手くいくか否かは別として、加茂井くんに恋が始まってからすぐに気持ちを伝えていればなって。
もし、赤城さんと付き合う前に告白してたら、私が本命の彼女だったかもしれないのに。
「本気で彼のことが好きなんだね」
「はい。だから、自分に出来ることはやっていこうと思って実行したんです。でも、上手く伝わらずに……」
「じゃあ、次は粋ちゃんなりの方法でアピールしてみれば?」
「私なりのアピールとは?」
「それは自分で考えるんだよ」
「でも、私は恋愛初心者だし、恋愛ってどう進めたらいいかわからなくて」
好きと伝えても平行線な関係。
加茂井くんは赤城さんと別れたばかりだから当たり前なんだけど、現状からして私達の関係が好転する可能性は低い。
いま精一杯頑張っている分どうしたらいいかわからないし、好きという言葉以上の情熱をどうやって伝えていけばいいか。
「恋愛には教科書がないし正しい答えもない。だから、自分なりの方法を見つけていかないとね」
――恋愛って難しい。
私の恋愛は特殊な方だと思うけど、忘れられない人がいる人を振り向かせるのは、あと何回障害を乗り越えればいいのかな。
加茂井くんは赤城さんを忘れられるのかな。万が一忘れることが出来ても、私に振り向いてくれるのかな。好きになってくれるのかな。
なんか、その兆候が見られない分、自信ないや……。
――翌日の土曜日。
私は母に買い物を頼まれて駅前に向かった。目的地のスーパーの向かいのドラッグストア前でボディーローションの試供品を配布をしていたのでそのまま立ち寄る。
化粧品売り場に設置してある鏡と目があった瞬間、足が止まった。何故ならそこには冴えない表情の自分が映っていたから。
「あの……。もし良ければ、メイクをしていきませんか?」
後ろから女性が声をかけてきたので振り返ると、そこには20代前半くらいの販売員が立っていた。
普段からすっぴんの私はメイクに興味がないので来た道をUターンしようとすると、彼女は私の背中に向けて大きな声をかぶせてきた。
「私、新人なんです! メイクの勉強をしたくて今朝から何人も声をかけてきたけど誰も足を止めてくれなくて……」
「……」
「よりキレイになるお手伝いをしたいのにお客様は化粧品を買わされると思っているのか、なかなか話を聞いてくれなくて。どうしたら足を止めてくれるんでしょうかね……」
強い押しに負けて振り向くと、彼女は深刻な様子を見せている。
最初は無視して店を出ようと考えていた。でも、彼女の不器用さが自分を鏡に映してるように見えてしまった。
「その気持ち、わかります。私も良かれと思ってやってることが裏目に出てしまうこともありますから。……とりあえず、このイスに座ればいいですか?」
「……えっ。もしかして、メイクしてもいいんですか?」
「こんな顔で良ければ」
「ありがとうございます。どうぞおかけ下さい」
気は進まないけど、買い物以外の予定はなくて時間を持て余しているし、彼女も困ってるようだったので、人助けだと思って練習につきあうことにした。
イスに座って黒縁メガネを外すと、彼女は私の肩にケープを巻いてからピンで前髪を固定した。
「うわぁ〜。お顔が小さくてお人形さんのようですね。肌が白いし、まつ毛が濃くて長いし。肌質もいいです。こんな素敵なお顔なのに、メガネで隠しちゃうなんて勿体ない」
「褒めても化粧品は買いませんよ……」
「いいんです! その代わりたっぷり練習させて下さいね」
彼女はそう言うと、コットンに含ませた拭き取り化粧水を顔に滑らせた。
人にメイクをしてもらうのは初めてだった。だからドキドキしている。
ベースメイクを終えた後、アイシャドウ、アイライン、マスカラ。軽く眉毛を整えて、チークとリップを塗って完成。
その間じっとしたまま彼女に身を委ねていたけど、20分後の顔は鏡に目が吸い込まれるくらい別人になっていた。
「すっごっ!! 私じゃないみたい。メイクって人を変えるんですね。ここまで変わるなんて……。甘く見てました」
右に左に、鏡に顔を映して角度を変えながらメイクの状態を確認する。
鏡の向こうには少しだけ背伸びをした自分が映っていた。
元々目は大きい方だけど、アイラインを引いただけでよりぱっちりしてるように見えるし、ピンクのチークがふんわりとした印象を醸し出している。
「お客様の美しさがより一層際立ちましたね」
「ありがとうございます。自分でもこんなに変わるなんて思いもしませんでした」
「私は幸せになるお手伝いができればと思ってこの仕事に就きました」
「幸せになる……お手伝い?」
「はい! 女性はキレイになれば気分も上がりますし、自信にも繋がります。変わるということは、輝くということです。私はお客様が輝ける未来のお手伝いをしたいと思ってこの仕事に就きました」
「キレイは自信に繋がるし、輝く……か」
今まで考えたことがなかった。輝いてる自分を想像することが。
それに加えて、他人から見た加茂井くんの隣にいる自分を。
赤城さんが彼女で羨ましいと思ったのは、容姿に気をつかっていて加茂井くんと釣り合う女性でいたから。
なのに、自分は容姿に気をつかうことなく好かれようとしている。だから、きっと笑い者になってるんだよね。
私はもう一面の自分を鏡に映している間に新たな考えが生み出された。
――文化祭当日。
私は中学生の頃から愛用していた黒縁メガネを外し、ドラッグストアの販売員さんのテクニックを真似て化粧をしてから登校した。
校門を通り抜けてから男子の目線がやけに吸い付く。黒縁メガネをかけてヘッドホンを装着していた時は見向きもしなかったクセに。
実はドラッグストアに行ったおととい、帰宅してからメイクの練習をした。
問題のメイク用品はというと、ドラッグストアで買わされるのが嫌で百均のプチプラで揃えた。
漢字練習帳の枠からはみ出さないように漢字を書いていた小学生当時のように、少しずつ、丁寧に、慎重に、YouTubeで2日間学びながらメイクした。
「ねぇ。あんなキレイな子、学校にいたっけ?」
「全然見覚えないね」
「同じ制服を着てるから、うちの学校の生徒だよね?」
『ヘッドホン矢島』と野次ってたくせに、メイク一つで化けた私に気づかないなんて皮肉な話だ。
教室内はクラスの出し物のワッフル屋の装飾がされていて、作業をしている人や雑談をしている人など様々だった。
だけど、私が教室に足を踏み入れた瞬間、クラスメイトの目線が集中した。少しざわつき、近くの人と顔を見合わせたりしている。
「矢島……さん?」
「うそぉ〜。キレイ!! ねぇねぇ、人形みたいじゃない? 自分でメイクしたの?」
「おはよぉ、矢島さん。うわっ、本当に別人みたい」
「……あっ、はい。おはよう……ございます」
女子3人が私に駆け寄ってきて声をかけてきた。彼女達は同じクラスなのに喋ってきたのは今日が初めて。
いままで距離を置いていたクセに、急に”矢島さん”だなんて……。
でも、何故かちょっと嬉しかった。
輪の中で少し喋っていると、後から教室に入ってきた加茂井くんが私の手を引いて「ちょっと来て」と言って廊下に呼び出した。
彼は私の顔をマジマジと見ながら聞いた。
「本当に矢島……だよね? 違う人みたいだけど」
「見た目は変わっても性格は変わっていません」
「……だろうな、その口調。でも、どうして急に変わろうと思ったの?」
「無難を選択した時点でそれ以上の期待は掴めないと思ったからです」
「難しいことを言うなぁ」
「つまり、少しでもかわいくなったら運命が変わるんじゃないかなって。私も、加茂井くんも……」
警察官の鈴木さんにアドバイスを貰ってから自分なりのアピールを考えてる途中にドラッグストアでメイクしてもらい、生まれ変わった自分を見て思った。
100%の自分を見てもらいたいなら、性格も容姿も100%を出し切ってみようと。それが一番のアピールになるんじゃないかなと考えた。
「もしかして、本気で沙理にヤキモチを妬かせようと考えてる?」
「いえ。本音を言うと、加茂井くんに性格も見た目も100%の自分を見てもらいたいからです」
私は自分に自信を持ってキリリとした目つきでそう言うと、彼は顔を赤くして口元を抑えた。
「相変わらずプッシュが強いな」
「えへへ……。それより、私がかわいくなって嬉しいですか?」
「は?」
「冗談ですよ〜。真に受けないで下さい」
「あはは、矢島には参るよ……」
「えっ、それって私に惚れたってことですか?」
「そんなことひとことも言ってないわっっ!!」
――文化祭は文化の日の今日1日のみ。
午前中担当の私は、クラスの出し物のワッフルの販売をしていた。
オレンジ色のクラスTシャツを着て白いエプロンを装着。私ともう一人の女子がお客さんから食券を受け取って、背後のワッフル作りの担当者に渡すという流れ作業をしていると、同じクラスの坂上さんが「交代するよ」と言ってきて段ボール一枚挟んだ向こうのバックヤードに連れて行った。
「あのさ。矢島さんが受付にいると……、なんか……こう……目立つと言うか…………男子の目線を独り占めしてると言うか……」
「そうなんですか? 気づきませんでした」
「だから、お願いっっ!! ワッフルを焼く担当と代わってくれない?」
「いいですよ」
私は彼女の提案を素直に受け入れてエプロンを解こうとして背中に手を回すと、私達の間に木原くんがスッと入ってきた。
「ちょっと待って。担当をみんなで決めたんだから、自己都合で変更するなんてダメだよ」
「だって、これから別のクラスの彼氏がここに来るって言ってるし……」
「それ、自分勝手じゃない? それに、矢島が受付をしてればいい看板娘になるんじゃない? な、矢島?」
「私は別にどっちでも……」
「まぁまぁ、いいから。受付に戻って」
木原くんはそう言うと、私は半強制的に受付に戻された。
彼と話すのは、加茂井くんとケンカしてる時に仲裁に入った時以来だけど、どうして急に間に入ってきたんだろう。
受付を続けていると、他の学年の男子に名前を聞かれたり、「一緒にワッフル食べてくれませんか」と誘われたり、「今度遊びに行かない?」と連絡先を渡されそうになったり、今まででは考えられないくらい男子の対応がひっくり返っていた。
でも、それよりビックリしたのは、男子に声をかけられる度に木原くんが間に入ってきて……。
「そーゆーのやめてくれない? 彼女の仕事の邪魔になるから」
まるで私のボディーガードのように追い払ってくれた。
別に木原くんと仲がいい訳じゃないし、頼んでもいないのに。
――12時半になり、午後担当の人達と交代した。
客引きで教室を出ていた加茂井くんが教室に戻ってきた際に一緒に周ろうと誘ってくれた。嬉しくて思わず顔がニヤける。
お昼ご飯で購入した焼きそばを食べた後、室内ボーリングと、お化け屋敷と、演劇と、クレープ屋さんに行った。
この一瞬一瞬が夢のよう。
本物の彼女だったら、きっと何十倍も幸せなんだろうな……。
「次はどこ行きたい?」
「射的店が気になるけど……。そこは1組の赤城さんのクラスだから……」
彼女のクラスなんて行ける訳がない。
加茂井くんが赤城さんと顔を合わせてしまったら、浮気現場を目撃したあの日のことを思い出しちゃうんじゃないかと思って首を横に振った。
しかし、彼は……。
「沙理が教室にいるかどうかわかんないし」
「でも、気まずいですよね」
「そんなの気にしてたら復讐なんて出来ないよ」
「そうですけど……」
加茂井くんは赤城さんのことが常に念頭にある。
だから、彼女の名前が口に出される度に胸がキュッと苦しくなる。
――それから1組の教室に到着。
中に入ると、教室の後方に射的のレーンが3つ用意されていた。
景品として、三段分のひな壇それぞれに駄菓子が用意されている。小さい子は手前から割り箸銃が打てるように、スタート位置が手前に設定されていた。
受付でチケットと銃を交換して説明を受けた後、彼は割り箸銃を構えながら言った。
「何が欲しい?」
「私は上段の右から3番めのふ菓子がいいです」
「よっしゃ。輪ゴムは5発あるから1発で決めてやる」
「あっ、は……はい。……1発でも当たるといいですね」
「ちょっと待った! なにその期待が薄い反応。もしかして、輪ゴムが当たらないとでも思ってんの?」
「おおおおっっ……、思ってませんよ……。ごごごご……誤解です」
「それ、絶対思ってるやつだよな……」
彼は割り箸銃の引き金を引くと、輪ゴムは一発でふ菓子に命中。その瞬間、彼は満面の笑みを浮かべたまま私の方に向いて片手を上げた。
「うぇ〜い!!」
ハイタッチの合図かなと思って、手のひらを向けてパチンと叩かせた。
彼が友達とハイタッチをしてるところを見たことはあったけど、自分が経験してこなかった分なんか嬉しい。彼女……というより友達に近い感じだけど、それでも彼との心の距離は確実に縮まっている。
それを実感していく度に離れたくないなって思う。
……しかし、何気なく扉付近に目を向けたら、紫のTシャツを着ている赤城さんが腕を組んだまま私達の方を見ていた。
その目は何かを語っているかのように真っ直ぐ向けられている。私は気まずく思ってしまい、サッと目を逸らした。
彼の願い通り復讐を手伝ってあげたいと思う反面、彼女は史上最強のライバルでもあるから……。
暗い顔のままうつむいていると、彼が「どうしたの?」と聞いてきたけど、首を横に振って「なんでもない」と答えた。
二人はもう別れたから何ともないと割り切ればいいのに、彼女の瞳はまだ終わりを見せていない。
――文化祭の片付け&清掃は翌々日の朝から始まった。
クラスメイトは皆ジャージに着替えて、教室内や廊下の手作りの展示物を剥がしていく。そこから出た大量のゴミは教室の隅へと寄せられた。
私は先生に頼まれて二つのゴミ袋を両手に持って廊下を歩いていると、後ろから誰かが一つのゴミ袋を取り上げて「一つ持つよ」と言った。横目を向けると、そこには木原くんがいる。
「一人で持っていけますので」
「遠慮しなくていいよ。女の子にゴミ袋を二つ押し付けるなんて担任も酷いよな〜」
「そんなことないです。多分、私が傍にいたから任されたんです」
「無理しちゃって。困った時は男に押し付ければいいんだよ。……俺、とかね」
「……」
木原くんの顔を見ると思い出す。屋上で赤城さんとキスしていたあの日のことを。
私からすると、木原くんは赤城さんの彼氏。クラスメイトというより、そっちの印象が大きい。
なのに、一昨日、今日と、どういったつもりで私に近づいて来たのだろう。
ごみ置き場に到着して、先に積み重なっているゴミの横に二つのゴミ袋を置いて教室に戻る途中に木原くんは言った。
「今度一緒に遊びに行かない?」
それを聞いて思わず耳を疑った。
彼女がいるにもかかわらず、ただのクラスメイトの私を誘ってくるなんて。
「でも、木原くんは気になる人がいるんじゃ……」
その気になる人の名前は言えない。何故なら、二人は秘密の交際をしているから。
「もしかして、深い意味で捉えてる? 全然そんなんじゃないよ。友達として誘ってるだけ」
「友達……ですか」
「そうそう。男女の関係とかそーゆーんじゃなくて、お茶したり、カラオケ行ったり、ゲーセン行ったりとか」
「でも、二人で遊んでる所を他の人に見られたら付き合ってるって誤解されるんじゃ……」
「誤解されたら、解けばいいじゃん」
「それはさすがにまずいです……。私、もう行きますね」
ただですら一昨日の赤城さんの目線が心に突き刺さったままなのに、木原くんと二人で遊ぶなんてあり得ない。それに、加茂井くんに誤解されちゃうかもしれない。
そんなの、無理。
「矢島っ……」
「そういった友達ならなれません。ごめんなさい」
「じゃあ、お茶。それならいい?」
「ダメです。私、もう教室に戻らなきゃ」
「矢島、待って!」
木原くんが声を上げて私の手を引き止めると……。
私達のすぐ横の通路にテニスボールがポーンと跳ねた。大きくバウンドをして私達の頭上よりも高く跳ね返っていく。
私達はテニスボールの出どころの校舎を見上げると、二階廊下の窓に頬杖をついて見下ろしている加茂井くんの姿があった。
「あのさ。人の女を誘うのやめてくんない? 迷惑」
「……っ!! そこからテニスボールを投げたのはお前だな。当たったら危ないだろ」
「お前があんまりにもしつこく迫ってるから、みっともないと思って気づかせてあげただけ」
「なんだとっ!!」
「あのっ、私……。失礼します……」
私はその隙を見てそそくさと退散した。
校舎に入ってから下駄箱裏に周って一人になると、頬を赤面させたまま両拳を胸の前にギュッと結んで足をバタバタさせた。
興奮が覚め止まない上に、ドキドキした心臓が私の恋レベルを押し上げていく。
どうしよう!! 加茂井くんが『人の女誘うのやめてくんない?』だって〜〜っ!!
私を本物の彼女のように扱ってくれるなんて、嬉しい、嬉しい、嬉しいっ!!
――この時の私はまだ気づいていなかった。
彼の復讐劇が第二幕を迎えていることに。
――俺は、何をやってるんだろう。
矢島が担任に頼まれてゴミ捨てに行ってからなかなか教室に戻ってこなかったせいか、無意識のうちに探していた。
廊下から見える一階通路はゴミ捨ての際に絶対通ることを知ってるからボーっと眺めていると、矢島が誰かと一緒にいるのがわかった。
身を乗り出して見てみると、それは木原だとわかる。
しかも、困惑している矢島にしつこく何かを言っていたから、じっと耳を澄ませた。次第にそれが遊びに誘われているとわかった瞬間、足元に落ちていたテニスボールを力いっぱい投げて二人の真横に叩きつけた。
木原は俺からまた大切なものを奪おうとしている。
それは、二度目じゃなくて、次で三度目に……。だから、この瞬間に釘を打っておこうと思った。
矢島が教室に戻って来ると、俺は彼女の手を取って教室を出た。
階段を上って四階の踊り場へ行き、彼女の手を離して言った。
「これからは、大地から二メートル離れてくんない?」
「えっ、どうしてですか? 座席の関係で無理な時もあります」
「……っっ! それでも避けろ。……いいか、俺があいつに沙理を奪われたのを見ただろ? あいつは俺の女を狙ってる。俺を傷つける為に意図的に女に近づいて奪っていく。あいつは女にはいい顔してるけど、それくらい卑劣な奴なんだよ」
俺はいかり肩になっている背中を向けると、拳をワナワナと震わせた。
――正直、矢島は取られたくない。
別に恋愛感情がある訳じゃないけど、俺には木原に女を取られる恐怖が襲いかかっている。
あいつは顔がいい上に饒舌だから、女はあいつのひとこと程度でコロッと傾いてしまう。そして、一度傾いた女は二度と戻って来ない。
「そんなことないと思います。……私は遊ぼうと言われただけだし、普通に友達として誘っただけみたいだし」
「それが無理」
「えっ、どうしてですか?」
「お前がいないと沙理にヤキモチを妬かせる計画通りにいかなくなるだろ」
「…………そう、いうことですか。さっきは加茂井くんが木原くんから引き離してくれたからぬか喜びしてました……」
彼女は段々と語尾が小さくなっていき、シュンとうつむいた。
俺達は偽恋人を演じてるだけなのに、そんな悲しそうな顔をされるとこっちまで気分が落ちていくのは何故だろう。
「ごめん……。深い意味で言った訳じゃない。そんなに落ち込むと思わなかった」
「いいんです。でも、木原くんから赤城さんを引き離せば復讐になりますよ」
「俺はそんなに簡単な復讐をするつもりはないから」
矢島は何も悪くないのに、俺はさっきから何をイライラしてるんだろう。
もしかしたら、木原に百発百中女を取られてるから気が焦ってるのかもしれない。
矢島は俺のことを好きでいてくれるから簡単になびかないと思うけど、二度に渡って傷ついた心は簡単に修復しない。