純度100%の恋  ~たとえこの想いが繋がらなくても~



 昼休みの終わりの時間が迫ってきたので、私と加茂井くんは教室に戻ることにした。
 しかし、普段は誰もいないはずの四階階段の踊り場で赤城さんはスマホを耳に当てながら誰かと電話をしていた。


「大地〜、早く会いたいの〜っ!! ……うん、…………うん。じゃあ、いま『沙理が好きだよ』って言って。…………うん、うん、それでもいいからぁ!」


 彼女が名前を言った瞬間、電話相手がはっきりした。
 赤城さんは加茂井くんと別れたことを公にしていないせいか、校内で木原くんと一緒にいる回数は少ない。だから、こうやってこっそりと連絡を取ってるのではないかと思った。

 本音を言うならこの場を通りたくない。
 しかし、いま私達がいる本棟は二階の渡り廊下以外繋がっていないので、ここを通らなければ教室には戻れない。
 一方の加茂井くんは、不意打ちを食らったせいか私の手をギュッと握りしめて階段を下るペースを早めた。私もそれに合わせて駆け下りた。
 彼がいきなり手を繋いできたことに驚いたけど、頭の中に私がいないことはわかっている。


 キーンコーンカーンコーン……。

 三階の踊り場に差し掛かった時にチャイムが鳴った。まるで、彼の気持ちに区切りをつけさせるかのように。
 私はそのタイミングで聞いた。


「いま辛いですよね……」

「……」

「何でも言って下さいね。私に出来ることだったら何でも力になります。だって私は、加茂井くんの……っっ!!」


 そう言ってる最中、彼は突然両手で私の頬を抑えて顔を近づけた。
 その瞬間、心臓がドキンと跳ねた。

 一瞬、キスをされるかと思った。
 でも、実際はおよそ2センチのところで寸止めしている。
 お互いの唇は届かなくても、触れてるようなむず痒い気配が届く。それだけでくらくらとめまいもしてきた。
 しかし、その隙間から聞こえてきたのは、上履きの音を鳴らしながら私達の横を通り過ぎていく音だった。

 ――そこでようやく気付いた。
 恋人のふりはもう始まっているのだと……。

 それが5~6秒ほど続いた後、彼は頬から手を下ろして階段の奥に消えていく彼女の背中を見て言った。


「あいつ、俺らのことを見てたよな。チャイムが鳴るとすぐ教室に戻るタイプだから見せつけるチャンスだと思ったよ」

「……」

「矢島?」

「……は、……ひっ」

「お前っ……、顔真っ赤っ赤!!」


 しまりのない顔に、頼りない返事。その上、興奮を通り越して今にも魂が抜けそうになっている。
 それもそのはず。偽恋人になることは了承したけど、キスのフリをするなんて聞いてないから。
 しかも、それがあまりにも唐突だったから、先ほどの屋上に気持ちが置きっぱなしになっている。


「あっ、あのっ……。急にこーゆーことをされても……心の準備が整わなくて……」

「……もしかして、キスの経験がない?」


 疑惑の目でそう聞かれたけど、素直に首を縦に振りたくなかった。


「キスの経験くらいありますよ。フクちゃんと何度も……」

「……あのさ、フクちゃんって猫だったよね?」

「そう、ですけど……」


 そう答えると、彼は右手で頭を抱えて「はぁ」と深い溜め息をついた。

 
「あのさ……。やっぱり矢島に偽恋人は努まらなそうだからやめよ」

「えっ! 嫌です。赤城さんにヤキモチを妬かせるには恋人を演じるのが一番です」


 寄り添う姿勢とは対照的に、だらしない口元からはよだれが溢れそうになっている。
 そりゃ好きな人からフリでもキスされそうになったら嬉しくない人なんていない。大げさに言えば、明日の幸せさえ約束されているようなもの。


「この程度で顔を真っ赤にするやつに提案するレベルじゃないと思う」

「わっ、私はっっ!! 加茂井くんの力になりたいので偽恋人になりたいです」

「……そんな顔してんのに?」

「でっ、出来ますよ! 恋人を演じるくらい。絶対、絶対、目標が達成するまで偽恋人を辞めませんから!!」

「じゃあ、少しずつ慣らしていこうか」


 彼はそう言いながら再び顔を接近させると、少し落ち着いてきたはずの顔色は再び点火した。
 頭の中が先ほどのキス色に染まると、心臓が口から逃げ出しそうになった。


「はっ、はい……。もしかしたら、途中で心臓が止まるかもしれませんが」

「ばーか。お前の心臓止まったら沙理に復讐できなくなるよ」

「その時はもう一回心臓を動かします!!」

「お前、すげぇな……」


 私達の関係は出だしから不調だ。
 でも、加茂井くんと少しずつ心の距離を縮めているうちに、毎日が楽しくなって嫌だと思っていた高校生活がバラ色に染まっていった。
 人間とは実に単純なものだ。

 正直、復讐は乗り気じゃない。万が一、赤城さんの気持ちが加茂井くんに残っていたとしたら、偽恋人を演じることによって傷つけてしまう可能性があるから。
 それに、復讐しても赤城さんの感情が揺れ動かない可能性もあるから、逆に彼が傷つかないかと心配している。



 ――下校後、派出所に寄り道をした。
 私は2か月前から掲示板に貼らせてもらっている自作の迷い猫のポスターに触れながら、登下校の見守り警護をしている警察官の鈴木さんに先日のお礼を伝えた。


「先日は相談に乗ってくれてありがとうございました。実は、例の好きな人と付き合うことになりました」

「えっ、もう?? 先日、好きな人がフラれて落ち込んでるって言ってなかったっけ?」

「そうなんです。だから、励まそうと思って気持ちを伝えたらフラれちゃいました。でも、それから彼が元カノに復讐したいということになって、私が偽恋人を演じることになりました」

「恋人じゃなくて、偽恋人?? あはは……。若い子は色んな悩みがあるんだね」

「……それだけでも嬉しいんです。好きな人の傍にいられれば。だから、一歩前に進めなくてもいいんです」


 そう言いつつも、やっぱり本物の恋人には憧れる。でも、いまの自分には贅沢だ。
 私は赤城さんのように魅力的な女性じゃないし、友達がいるわけでもない。性格だって明るい方じゃないし、ぼっちだし……。
 加茂井くんが偽恋人に選んでくれただけでも奇跡的だと思う。

 すると、鈴木さんは私の隣に立って言った。


「粋ちゃんはもう一歩前に進んでると思うけど?」

「えっ」

「彼が粋ちゃんを偽恋人に選んでくれたと言うことは、好意的に思ってくれてる証拠なんじゃないかな。何とも思ってないなら、そんな大胆な提案はしないと思うよ?」

「そう……ですかね……。だとしたら嬉しいですけど……」

「粋ちゃんはもっと自信を持ったらいいよ。彼の気持ちは少なからず次のステップへ進んでいるからね」


 彼はそう言うと、ニコリと微笑んだ。
 正直、嬉しかった。彼の気持ちが不透明な分、こうやって背中を押してくれると前向きな気持ちになるから。 


「あっ!! そう言えば、さっき男子高校生がここに来て『両耳にハート模様がついている猫を見かけませんでしたか?』って聞いてきたよ」

「えっ!!」

「きっと、フクちゃんを一緒に探してくれてる子だろうね。もしかして、粋ちゃんのお友達かな?」

「加茂井くんがフクちゃんを……」

「名前がすぐ出てくるということは、やっぱり知り合いだったの?」

「あっ、はい!」

「いいお友達を持って幸せだね」


 昨日ちらっと話題にあげた程度だったから、本当に探してくれるなんて思わなかった。
 こんな小さなことでも加茂井くんが気にかけてくれるなんて嬉しい。



 ――朝、制服姿で家を出たら、つい先日まで灰色の空だったはずが今日は晴天でとても太陽が眩しかった。
 今日は加茂井くんと話がしたくて少し早い時間に家を出て下駄箱で待った。
 人を待つのはいつぶりだろう。簡単に思い出せないほど待ち合わせや待ち伏せをしてないと気づく。
 加茂井くんが下駄箱に到着すると、私は小走りで彼の目の前に立った。


「加茂井くん、おはようございます」

「うっす」

「昨日、近所の派出所で聞いたんです。加茂井くんがフクちゃんを探してくれてるって。だから、お礼を言いたくて……」

「派出所で名前を言わなかったけど、それがどうして俺だとわかったの?」

「だって、フクちゃんが行方不明になった話は加茂井くんにしか言ってませんから」

「そっか。せっかくだから、クラスの奴にもフクちゃんを見かけたことがあるかどうか聞いてみようか?」

「……いいんですか?」

「困ってる時はお互い様だろ」


 彼はそう言うと、私の頭をポンっと叩いて校舎へ上がった。
 一方の私は、まるで赤面スイッチを押されてしまったかのように頬が赤く染まっていく。
 教室方面へ進めている背中を追っていくと、彼は話を続けた。


「矢島のことをよく知らないから少しずつ教えて。恋人になるなら少しは知っとかなきゃなぁと思って」

「何が知りたいですか? 私なら何でも答えますよ。身長? 体重? それともスリーサイズ?」

「あははっ。……お前って、ほんっと面白いな。それ、本当に聞きたいと思う?」

「……冗談ですよ。加茂井くんに少しでも笑って欲しかっただけです」

「そ? じゃあ、質問。どうして矢島はいつもヘッドホンをしてるの?」


 この質問を受けた瞬間、夢見心地な気分は一旦引き止められる。
 

「……雑音を聞きたくないからです」

「雑音って何? 先日も同じことを言ってたけど」

「私は人から陰口を言われることが多いんです。人と喋らないし、声が小さいし、自分の意見を言わないから陰キャだって言われてて。人に嫌なことをしたり、不快な思いをさせた記憶がないのに、どうしてですかね……。それが嫌でヘッドホンをして耳を塞いでるんです。ヘッドホンを装着すれば、余計なことを聞かずに済むから」


 私は暗い顔をしたまま首にぶら下げているヘッドホンを指先で触りながらそう呟いた。
 すると、彼は足を止めて言った。


「俺は別に陰キャだとは思ってないけど?」

「えっ……」

「矢島はヘッドホンをしたまま机に寝ているから、最初は一人が好きなのかなぁ〜って思ってた。確かに耳を塞いだままじゃ、他の人は近寄りがたいよね。でも、一度喋ってみたら意外に話しやすいし」

「そっ、それは……加茂井くんがこうやって喋ってくれるから」

「別に俺は普通だよ。矢島が俺のことを美化しすぎてるんじゃない?」

「そうですか? 加茂井くんは私からしたら王子様です。いつもキラキラ輝いていて、優しくて、めちゃくちゃかっこいいです!!」

「あははっ、なにそれ……」

「冗談じゃありませんよ。加茂井くんは世界で一番ステキです。だから、好きになりました」

「ばーか。推し強すぎ。でもさ、耳を塞いでてもメリットはないよ。聞く耳を持って人に意見していけば、小さな輪でも段々広がっていくし」

「でも、私には輪がないから広がらないです」


 私には友達がいないから小さな輪すらできない。
 だから、ネガティブになったままそう言い切ると、彼は正面に周って私の両手をすくい上げた。


「輪ならあるじゃん。ほら、ここに一つね」


 彼と手を繋ぎあったことによって目の前に出来た一つの輪。
 今まで輪に無縁だった私に小さな喜びが生まれた瞬間でもあった。


「あっ、ほんとだ! 輪っかが一つ出来てる」

「矢島が俺に話しかけてくれたから輪になったんだよ。そうやって他の奴とも少しずつ喋っていけば、もっと大きな輪になっていくんじゃないかな」


 加茂井くんは優しい。一人で超えられなかった悩みを簡単に解決してくれる。
 接点がない頃から優しい面は沢山見てきたけど、こうやって直接的に力になってくれる分、余計好きになる。


「そっ、そうだ! 私も加茂井くんに質問が二つほどあります」


 私は恥ずかしさをかき消すために、手を下ろしてから話題を変えた。
 このまま勢いにまかせてたら、また『好き』だと言ってしまいそうだし。
 一度『好き』のハードルが下がったら、タガが外れたように何度でも伝えたくなってしまうのは何故だろう。


「なに?」

「4ヶ月前に教室で筆箱がなくなったんですけど、見かけませんでしたか? デニム素材のものなんですけど」

「えっ、教室で? そんなのすぐ見つかりそうだけど」

「教室の隅々まで探したのに見つからないんです。実は、その筆箱の中には人に見られたくないものが入っていて……」

「なに? その人に見られたくないものって」

「……っ、ややややっぱり……なんでもありません!! 忘れて下さい」

「なんだよ。自分で言い出しといて」

「すみません……。あともう一つ。雨の日に保護した猫ちゃんはあの後どうなったんですか?」

「家で飼ってるよ。元気な子だから家中走り回ってる」

「うわぁ〜、良かった。会いたいです! 今度遊びに行ってもいいですか?」

「……そうやって俺の気を引く作戦だろ」

「そんなことありませんよ。加茂井くんって結構曲がってますね」

「矢島ほどじゃないけど? 廊下でビーズばら撒かれたときは拾うのが辛かったよ」

「ですよね。200粒くらいありました。でも、あの時はいい足止めになりました」

「次やったら怒るからな……」

「加茂井くんは怒った顔もステキです!!」

「……お前には本当に参るよ」


 私達が話に夢中になりながら教室に入ると、同じクラスの女子が噂話を始めた。
 最初はポツリポツリとした程度だったけど、次第にそれは人づてで浅く広がっていくことになる。



「加茂井くんってさ、赤城さんと付き合ってなかったっけ? この前一緒にいるところを見たばかりだけど」

「もしかして、矢島さんが横取りしようとしてるんじゃない?」

「うわぁ〜っ! 大人しい顔してやるぅ〜っ!! さっすが、ヘッドホン矢島」


 ――私が考えていたより世間は甘くなかった。
 そう思い知らされたのは、再び湧き出した雑音だった。

 今朝加茂井くんと喋りながら登校したせいか、私達の噂はあっという間に広まった。
 加茂井くんと赤城さんの交際は誰もが知っていた。しかも、二人は自分達が別れたことを誰にも伝えていない様子だし、赤城さんと木原くんは行動を共にしている訳でもない。
 つまり、私と一緒に歩いていたことによって加茂井くんのイメージだけが悪くなっている。



 2〜3時間目の間の休憩時間、私は赤城さんの友達に体育館前に呼び出された。
 3人は私の正面に立って、腕を組んで問い詰めてくる。


「矢島さんってさぁ〜、加茂井くんのことが好きなの? 最近よく一緒にいるみたいだけど」

「一方的に想いを寄せるのは勝手だけど、沙理がいるから少しは遠慮したら?」

「浮気するなら隠れてしなよ〜」

「あはは、言える〜!!」

「きゃはははは!! のどか、それまずいって〜」

「……」


 私は彼女達に何と答えたらいいかわからずに黙り続けた。
 それが半分正解で半分不正解だと伝えても、誰が理解してくれるだろうか。
 もし赤城さんが彼女達に加茂井くんと別れたと伝えていれば、また違う展開が訪れていたのかな。これで私が余計なことを言ったら、赤城さんにも火の粉が降りかかってしまう。
 だから、このまま黙り続けることにした。

 それから3分くらい口を閉ざしていると、彼女達は無言を貫く私に再び詰め寄ってきた。


「黙ってないで何か言いなよ」

「人の男を横取りしていいと思ってんの?」

「沙理になんの恨みがあるか知らないけど、黙って身を引きな」


 無反応だったことが気に食わなかったのだろうか。口調は段々強くなっていく。
 しかし、休み時間が終わるまでこの状態を耐え抜こうと思って歯をぐっと食いしばっていると……。


「そこで何してんの?」


 背後から男子の声が聞こえてきたので振り返ると、そこには渦中の加茂井くんの姿が。
 彼はポケットに手を入れたままひょこひょこと歩いて私の横で足を止めると、3人組のうちの1人が彼に詰め寄った。


「加茂井くん、矢島さんにそそのかされてない?」

「……そそのかされてるってなに?」

「沙理がいるのに、矢島さんと仲良くするなんてまずいよ」

「どうして?」

「『どうして?』って……。付き合ってる彼女がいるのに別の女と仲良くするのはまずいでしょ。もしかして、本当に矢島さんと浮気してるの?」

「浮気なんてしてないよ。だって、俺いまコイツと付き合ってるから」


 彼はそう言うと、左手で私の肩を抱いた。
 すると、3人組はまん丸い目で互いの顔を見つめ合う。
 横で聞いていた私自身も恋人関係を公にしていいものかと戸惑っている。


「だって、加茂井くんは沙理と付き合ってるんじゃ……」

「もうとっくに別れたよ」

「私達は聞いてない!」

「あいつが言いたくないんじゃないの?」

「もしそうだとしても、こんなに早く矢島さんと付き合うなんておかしくない?」

「どうして? 恋愛なんて急に燃え上がるときもあれば、急に冷めるときだってあるでしょ? それと同じ原理。まだなにか聞きたいことある?」


 加茂井くんは淡々とした表情で対応をしていると、彼女達は再びお互いの顔を見合った。


「市花……、何か聞きたいことある?」

「ないよ。のどかは?」

「ない。……もう、行こ」


 彼女達は不確かな情報に終止符を打つかのように退散していくと、私は緊張がほぐれたせいか身体の力が抜けて膝からストンと座り込んだ。
 すると、彼は反応して私の腕を引いて立たせた。


「大丈夫?」

「……いいんですか? 赤城さんの友達に私と付き合ってるなんて言って」

「今さらビビってんの?」

「いえ。私が心配しているのは、加茂井くんが他の人から責められることです」

「俺、何も悪いことしてないよ。だから責められる必要がない。沙理とはちゃんと別れてるし、原因も俺じゃない。それに、堂々としていた方が沙理への復讐にもなるから」

「加茂井くん……」

「だから、お前も誰から何を言われても堂々としてて」


 加茂井くんが一点張りの姿勢を崩さないから、私の気持ちだけが置いてけぼりになっている。
 私に気がないことがわかっていても、赤城さんのことが念頭にあるとわかっていても、走り出した恋はもう止まらない。



「沙理!! どうして教えてくれなかったの? 加茂井くんと別れたことを」

「えっ……。市花がどうしてそれを知ってるの?」

「今朝、加茂井くんと矢島さんがいい感じになってたから浮気をしてるんじゃないかと思って問い詰めたら、もう矢島さんと付き合ってると言ってて」

「朝陽が……、矢島さんと付き合ってる……?」


 ――つい先日、私が本棟の四階の踊り場で電話を終えてから教室に戻る途中、朝陽は髪の短い女子とキスをしていた。
 私達はまだ別れたばかりだし朝陽は未練があると思っていたから、あの時は単に嫌がらせをしているかと思っていたけど、もう別の人と付き合ってるなんて……。


「親密な感じだったよ。それよりいつ加茂井くんと別れたの? 沙理ったら全然報告してくれないんだもん」

「うっ……うん。先月ね」

「えぇ〜っ! どうして〜〜? あんなに仲が良かったのに。別れた理由は?」


 私……なんて、言いたくない。ここで本当のことを言ったらイメージが悪くなるよね。
 でも、いま貰った情報を逆手にとってもメリットはない。情報が少なすぎるし、根掘り葉掘り聞かれたら返答に行き詰まるから。
 ここは、無難な返答で締めようかな。


「うっ、うーん……。性格が合わなかったからかな」

「1年も付き合うと色々気になる所がでてくるよね。でも、びっくり。あの加茂井くんが別の人にあっさり乗り換えるなんてさ。しかも、相手はあのヘッドホン矢島だし」

「矢島さんって確か、朝陽と同じクラスの陰キャの子だよね?」

「そうそう! ヘッドホンに黒縁メガネの子! 地味子地味子!」

「…………」


 矢島さんとはクラスが違うからあまりよく知らないけど、物静かな印象の子。
 朝陽は私と付き合った直後に陰キャ女子……か。
 朝陽と1年間付き合っていても矢島さんはマーク外だったな。別れたと同時に付き合い始めたってことは、朝陽を奪うことが目的だったのかな。

 ……まぁ、私には大地がいるから関係ないか。
 学校一のイケメンが言い寄ってくるなんて、こんな幸運なことは早々ないしね。

 朝陽とは別れたから二人がどうなろうと関係ないし、これ以上都合が悪くなったら矢島さんのせいにすればいっか。



 ――場所は”ワクドナルド”というファーストフード店。
 下校後に加茂井くんに誘われてここへやって来た。
 学校という小さな箱から加茂井くんと一緒に抜け出せたことが嬉しかった。彼とすれ違うだけでドキドキしていたあの頃が懐かしい。


「矢島、あのさ……。さっきから気になってるんだけど」

「何ですか?」

「足をガタガタさせてうるさいけど、貧乏ゆすりじゃないよね」

「違いますよ。嬉しくて身体の反応が止まらないだけです」

「あ、そう……。犬が尻尾を振ってるみたいだね……」


 彼は若干引いているけど、これでも興奮を抑えてる方。
 学校では彼女と言ってくれたり、こうやって下校後に誘ってくれたり。加茂井くんを好きになってから想像していたことが現実になっちゃうなんて夢みたい。


「これってデートですかね。座ってるだけでもワクワクしちゃいます」

「ただのミーティングだけど」

「冗談ですよ。……あっ、そうだ。加茂井くんに聞きたいことがあります」

「なに?」

「偽恋人って……、いつまで演じればいいんでしょうか」


 希望としてはそのまま本命の彼女になりたいけど、偽恋人として始まったからには必ず終わりがある。
 本当は答えを聞きたくないけど、突然彼の区切りがついた時に自分が対応できるかわからないから聞いてみた。


「……俺の気が済むまで。ダメかな」

「いえいえいえ!! 全然ダメじゃないですっっ!! むしろ大歓迎と言うか……。じゃあ、もしその間に赤城さんが復縁したいって言ってきたらどうしますか?」

「木原にぞっこんだからそれはないだろうな。だから考えないことにするよ」

「じゃあ、もし加茂井くんの気が済まなかったら彼女のままでいいですか?」

「ははっ。断ってもめげない根性半端ないな。頭が上がらないよ」


 だって、1年5ヶ月も片想いを続けてたから……。


「それが私のメリットです。じゃあ、次の質問。加茂井くんはどんな女性がタイプですか? やっぱり赤城さんのようなかわいい子がいいですかね」

「……いや、俺は顔じゃないかな。どっちかって言うと根性のある人。沙理のアタックが強い所に惹かれたから」

「ちなみに根性がある人とは?」


 私はブレザーのポケットから一冊のメモ帳を取り出してメモを始めた。しかし、同時に彼の目線もメモへ行き……。


「あのさ、どうしてメモをとるの?」

「ここ、肝心なところですから。家に帰ってからこのメモを見返そうと思ってます」

「あー、そう……」

「根性って例えばどんなんですかね。詳しく教えてください」

「うーん、そうだなぁ。例えば、校庭から校舎に向かってメガホンを使って俺に告白してくるやつとか」

「それは相当変わった人ですね」

「ばーか。そんな奴いるわけないだろ。例えばの話。これくらい根性を見せてくれる女がいたら俺の運命変わりそうだなと思って」


 それを聞いた瞬間、耳がピクリと反応した。


「運命が変わる……? 加茂井くんは告白一つで運命が変わっちゃう人なんですか?」

「ちょっと待った! そんなのメモるなよ」

「ダメですか? ……赤城さんもそんな手段で告白を? 控えめそうな人に見えたのに、人って見かけによらないんですね」

「あいつがそんなことをする訳ないだろ」

「じゃあ、どんな方法で告白を?」

「ってかさ……。矢島の質問っていつもストレートだよね。一旦オブラートに包もうと思わないの?」

「だって、偽でも加茂井くんの彼女になれて嬉しいんです。だから、いまこの一瞬だって私にとっては宝物だし、言いたいことや聞きたいことははっきり伝えないと損しちゃう気がして」


 偽恋人に終わりがあるなら、恋人期間中は精一杯気持ちを伝えていきたいし、神様から与えてもらったチャンスは絶対に逃したくない。
 たとえこの想いが繋がらなかったとしても、彼の心の中に一つでも想いを残していきたいから。
 すると、彼は頬杖をついたままプッと笑った。


「なんか、お前のそーゆートコいいな」

「えっ」

「純粋の粋……か。性格も名前の通り。そんなに純度100%でかかって来られたら、いつか好きになるかも。……なんてね」

「からかうのはやめて下さい……。それに、不意打ちのキス未遂はダメです。恥ずかしいし、唇が近づいてくるだけで……期待……しちゃいますから」


 私の頬がポッと赤く染まると、彼は口からストローを外して身体を揺らしながらむせ始めた。


「うっ……ゴホッ……ゴホッ、ゴホゴホッ!!」

「だっ、大丈夫ですか?!」

「お前といるとマジで調子狂うな……。冗談で言ったつもりなのに、そんなに好きでいてくれると逆にどう接していいかわからなくなる」

「いつも通りの加茂井くんでいいですよ」


 ――終わりが見えてる恋。
 期待した分、傷つくのが目に見えているからこのままでいい。
 こんなリップサービスですら幸せを感じるくらい、私は彼が好きだから。



 ――翌日の昼休み。
 私は荒い息を整えてから誰もいない校庭の中央に立ち、昨日雑貨店で購入した赤いメガホンに口を当ててすぅっと大きく息を吸ってから校舎に向けて叫んだ。


「私は2年4組の加茂井朝陽が好きだぁぁあぁあーーー!! 私以上に加茂井朝陽を好きな女なんていないぃぃぃ〜〜〜っ!! 好きだぁぁあーーー!! 好きだぁぁあーーー!! 好きだぁぁあーーー!!」


 いま何故こんなことをしているかというと、彼の願いを叶える為だ。
 本当は実行するかどうか一晩悩んだ。
 でも、私が根性を見せることによって彼の運命が変わるのであれば、答えは一つしかなかった。


 一旦叫び終えると、校舎の各教室の窓からポツポツと生徒達が顔を覗かせた。
 人からこんなに注目を浴びるのは生まれて初めて。だから、生徒達と目が合った瞬間は全身に冷や汗が湧いた。

 恐る恐る自分の教室に目線を向けると、少し慌ててる様子の加茂井くんの姿が映った。そこでちゃんと私の声が聞こえてると思い、もう一度大声で叫んだ。


「私は加茂井朝陽が好きだぁぁあぁあーーー!! 好きだぁぁあーーー!! 好きだぁぁあーーー!! 好きだぁぁあーーー!!」


 正直、喉が死んだ。こんなに大きな声を出したのは生まれて初めてだから。
 校舎から距離があるせいか雑音は聞こえない。でも、私に指を向けたり笑ってる様子から推測すると、多分校内は雑音まみれになっているだろう。
 しかし、こんなに熱く気持ちを伝え続けたのに、よそ見をしているうちに彼は教室から忽然と姿を消した。


 あっ、あれ……。昨日、根性がある人がある人がタイプだって言ってたから実行したのに、どこへ行っちゃったんだろう。

 私はもぬけの殻のまま立ち尽くしていると、下駄箱方面から加茂井くんが全速力で走ってきた。そこで生徒達の声が「キャー」と言った音色に変わる。
 加茂井くんは、息をはぁはぁ切らしながら私の前で足を止めると、勢いよくメガホンを取り上げた。


「お前っ……、何やってんだよ!! 自分のやってることがわかってんのかよ!」

「だって、昨日加茂井くんが”根性がある人がタイプだ”って言ってたから言われたとおりに実行しました」

「バカかっ! そんなの冗談に決まってんだろ」

「えっ、あれは冗談だったんですか? ちゃんとメモをしたのに」

「〜〜〜〜っっ!! その為のメモだったのかよ……。ってか、全校生徒の前で何やってんだよ。お前には羞恥心ってもんがないの?」

「酷い……。私にも羞恥心くらいありますよ……」

「なら、どうして」

「メガホンを使って校庭から愛の告白をしたら運命が変わりそうだって言ってたから……。加茂井くんが辛そうにしてるから、運命を変えてあげたいって思うのはおかしいですか? 私が加茂井くんの為に何かしてあげたいと思っちゃダメですか?」

「矢島……」

「何かをしてあげたくてもどうしたらいいかわからないし、今日まで加茂井くんに何もしてあげれなかった自分がもどかしくて……」

「もしかして、全部俺の為に…………」


 私はうつむいたままコクンと頷く。


「”最初”はそう思いました。でも、思いっきり叫んでみたら想像以上に気持ちよくて、あれだけ嫌だと思っていた雑音が耳に入ってきませんでした」


 以前は先生の耳に届かないくらい小さな声しか出せなくて、加茂井くんの前では緊張して声が震えてた。
 自分に自信がなかったせいか、小さな雑音すら反応してしまうくらい。
 でも、いま彼の希望通りに思いっきり叫んでみたら、雑音にふっきれている自分がいた。
 だから、後悔してない。


「ばーか。不器用にも程があるよ」

「ごめんなさい……」

「逆にこっちまでいい刺激になったわ。……ほら、行くぞ」


 彼はメガホンを私の頭にコツンと当てると、頬を赤く染めながら手を差し出してきた。
 だから私は、彼の手を取って校庭を一緒に歩き出した。

 生徒達からヒューヒューと冷やかす声に包まれながら、校舎へ向かう私と彼。まるでバージンロードを歩いている新郎新婦のような気分に。
 派手に告白をして恥ずかしい想いをしたけど、私の気持ちが少し彼に届いたような気がした。



 ――場所は、2年1組の教室。
 先ほど矢島さんが校庭から朝陽に愛の告白したことによって、私の教室内はその話題でもちきりになっていた。
 そのド派手なパフォーマンスは、クラスのほとんどの生徒が窓から顔を出してその様子を見守っている。もちろん、私もその一員に。

 最初は冷やかしていた声も、彼女の熱意に押されてしまったのか、途中から黄色い声援に変わっていた。
 まるで、私と朝陽の1年間が一瞬で無にされてしまったかのように……。
 

「沙理、加茂井くんがヘッドホン矢島に狙われてるよ?」

「えっ……、あ、あっ、うん……。朝陽とはもう別れたからいいの……」

「えぇ〜〜っ? そうなのぉ〜?? 全然気づかなかったぁ〜」

「……」

「だから矢島さんは加茂井くんを狙ってるのかなぁ〜」

「……さ、さぁ」


 朝陽とは1年付き合っていたから、誰もが私達の交際を知っていた。
 だから、彼女が起こした騒動によって、親しい友達にしか伝えていなかった朝陽との別れの件を自ら公にしなければならなくなった。
 浮気女のレッテルを貼られたくないから、自然消滅したように見せかけて少し時間を空けたら大地との交際を公にしようと思っていたのに……。

 人前で堂々と告白をしている彼女を見ていたら、大地と校内でひっそりと会ったり、校内にいてもわざわざ電話でやりとりしている自分がバカバカしくなった。
 まるで、私が浮気されて振られたような雰囲気に納得がいかない。


 朝陽も朝陽で、見せつけてくる。
 矢島さんと階段の踊り場でキスをしていたり、いまこうやって黄色い声援に包まれながら手を繋いで校庭を歩いていたり。

 私には関係ないと割り切っていても、彼女の存在は踏んだガムのようにへばりついてくる。
 直接話したことがある訳じゃないし、接点なんて以ての外。
 なのに、どうしてこんな嫌がらせをするのかな。

 ――なんか、ムカつく。



 ――場所は、派出所。
 目の前は交通量の多い大きな道路に面しているので、時より排気ガスが舞っている。
 鈴木さんは近所を散歩している高齢者と話を終えた後に定位置についたので、私はその隣について車道を眺めたまま話を始めた。


「せっかく彼の願いを叶えてあげたのに、文句を言われました」

「どうして?」

「今日の昼休みにメガホンを使って校庭から校舎に向かって『好きだ』と大声で告白したのに、お前には羞恥心ってもんがないのかって」

「あは、あははは……。粋ちゃんって結構根性あるんだね。でも、どうしてそんなことをしたの?」

「彼の運命を変えてあげたかったんです。でも、好きな人に想いを届けるのって難しい。特に私の場合は、彼女がいるところから始まってるから……」


 勇気がなかった自分を何度も何度も後悔する。上手くいくか否かは別として、加茂井くんに恋が始まってからすぐに気持ちを伝えていればなって。
 もし、赤城さんと付き合う前に告白してたら、私が本命の彼女だったかもしれないのに。


「本気で彼のことが好きなんだね」

「はい。だから、自分に出来ることはやっていこうと思って実行したんです。でも、上手く伝わらずに……」

「じゃあ、次は粋ちゃんなりの方法でアピールしてみれば?」

「私なりのアピールとは?」

「それは自分で考えるんだよ」

「でも、私は恋愛初心者だし、恋愛ってどう進めたらいいかわからなくて」


 好きと伝えても平行線な関係。
 加茂井くんは赤城さんと別れたばかりだから当たり前なんだけど、現状からして私達の関係が好転する可能性は低い。
 いま精一杯頑張っている分どうしたらいいかわからないし、好きという言葉以上の情熱をどうやって伝えていけばいいか。


「恋愛には教科書がないし正しい答えもない。だから、自分なりの方法を見つけていかないとね」


 ――恋愛って難しい。
 私の恋愛は特殊な方だと思うけど、忘れられない人がいる人を振り向かせるのは、あと何回障害を乗り越えればいいのかな。
 加茂井くんは赤城さんを忘れられるのかな。万が一忘れることが出来ても、私に振り向いてくれるのかな。好きになってくれるのかな。
 なんか、その兆候が見られない分、自信ないや……。