厨房の竈にくべる薪をいくつか集めていると、「椿お嬢様」と優しい声色で呼ぶ声が聞こえた。顔を上げると、にこやかな笑顔で手を振る佐伯幸文の姿があった。老舗の和菓子屋を営む佐伯家は、藤堂家と代々友好的な関係にあり、次期当主の幸文は椿にとって兄のような存在だ。
椿は慌てて薪をその場におろし、軽く身なりを整えてから幸文のもとへ駆け寄った。
「ご無沙汰しております。今日はどうされたのですか?」
「新作の和菓子をお裾分けに。いつもより多く持ってきたから、使用人たちの分もあると思うよ。ぜひまた感想を教えてくれると嬉しいな」
爽やかな笑顔で告げる幸文に、椿は「わかりました、楽しみにしていますね」と眉を下げて言った。
幸文はいつも新作の菓子が完成すると、試食と評して藤堂家に持ってきてくれる。しかし、それはすべて父親と百合子が食べきってしまうか、親族に配ってしまうため、椿の口に入ることはなかった。
「……たくさん」
「えっ?」
「たくさん、持ってきたから。だから……」
聞き取れるかギリギリの小さな声で呟く幸文は、どこか寂しそうな顔をしていた。姉妹で格差を感じた幸文は異議を申し立てようとしたものの、百合子から「あの子は働くのが好きみたいで、いつも使用人と同じことをしているのよ」と丸め込まれてしまっている。
幸文が椿の現状を知ったうえで多くの菓子を持ってきているのは、椿を気にかけているのも一理ある。しかし、椿はそれを気付かないふりをしていた。
(私に声をかけてくれる人には、ずっと幸せであってほしい)
「申し訳ございません。私は仕事に戻りますので、お気をつけてお帰りください」
一礼して、椿はそそくさと持ち場に戻る。幸文は伸ばしかけた手をぎゅっと握り、その後ろ姿が建物の陰に隠れるまで見つめていた。