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あの日から、2週間。

今日はドラマの三話目の放送日だ。

キス未遂の次の日、つまりみっちゃんにドラマの不満をぶつけた日以降、なかなか雨の日が来ることはなかった。

それまではあんなに雨が降ったり止んだりしてたくせに、急に晴れ晴れ晴れ。そんで夜中にこっそり雨。

そんな空気の読めない天気に思わずケチつけたくなるのも仕方ないでしょ。

大体そんなものに左右されるような恋なんてどうよ。そのくらいの好きなら辞めちゃえばと、そう言われてしまえば閉口せざるを得ないけど。

三島はあの日以降いつも通りで、私もいつも通り。多分。

みっちゃんは何を思ったのか、この件については触れずに見守ってくれている。

……てことはいつも通りじゃないってことなのかな?

でも同じクラスなんだし、仲は良いんだから、三島と普通に話すし、なんなら時間があった日なんかは一緒に帰ったりもしたし。

……ただ、10回目の相合傘が訪れていないだけ。

ただそれだけなのだ。

今日はドラマを万全の状態で見るべく、出された課題を学校ですでに終わらせた。

教室を出る頃にはすっかりと帰るのが遅くなってしまったけど、早く帰って一話目と二話目を見返さないといけないと、早歩きで廊下を歩く。

こないだの二話目は、主にカケルと主人公の回で、終盤にチラッとツバサが出てきたから、三話目はついに3人が邂逅するかもしれない。

朝は小降りだった雨が、すっかりと本降りに変わっていて、そのせいか窓から白い空が見える。

今から帰るんだけど。
もっと止んでくれないかなー。

相変わらず天気にケチをつける私に、ついに神様お天道様が怒ったのか。

昇降口に差し掛かろうとした、その時だった。


「三島くん」

三島!?

随分と聞き覚えがある名前に、反射的に身構えてしまう。

陰からそっと様子を伺うかのようにその声を追って覗いてみれば、そこには怠そうに靴箱に寄りかかる三島と、くるりとカールした髪の女の子。

最近三島を狙ってるらしいよと、密かにみっちゃんから聞いた女の子だ。

「何してるの?」

いかにもな甘い声に、私にはできないことをやれるその子がすごいなと素直に感心してしまう。

「待ってる」
「何を?」
「雨止むのを」

それに対して淡々と答える三島にも、すごいなと感心する。

普通あれだけあからさまなら、多少は態度を和らげたりもするものだと思うけど。

「ふぅん。あたし、傘持ってるよ」
「へぇ」
「一緒に帰ろうよ」
「いや、いい」
「なんで?」
「どうせそのうち止むだろ」
「今日は午後、ずっと雨だよ」
「ふぅん」
「ね、帰ろ?」

すごい。
怒涛のジャブが打ち込まれているのに、まるで興味なしと全てを躱している。

「いや、傘あるからいいわ」

いつのまに距離を測ったのか、それとも全てを断ち切るためか。途端に繰り出された三島のストレートが恋する乙女を襲った。

「へ? そなの?」
「おー」
「なら何で待ってるの?」
「別に」

つ、つよい。

まるでさっきの三島の返しを気にしていないかのように続く会話に、私の方が何か削られていくような気がする。

「本当に持ってるの?」
「は?」
「傘、ほんとに持ってるのかなーって」
「……持ってるよ」
「じゃ、見せて」

にっこりと笑いながら打たれたジャブからのフック。見事なワンツーだ。

「……はぁ、ほら」

もはや何も返す気がないのか、打たれるがままに傘置きから傘をとった三島。

これでいいだろと断ち切ろうとしたのを、見逃す女の子ではない。

「……あ、待って」
「?」

どうしたんだろう?

「あたし、傘忘れちゃったんだった」

……そ、そうきたか!

てへっと笑うその子の切り返しに、恋愛偏差値の違いを見せつけられたようで、ごっそりと何かが削られる。

それは気力のような、女子力のような、とりあえず全てひっくるめた何かが。

てか早く帰りたいんだけどなー。

スマホで時間を確認したら、さっきよりも大分と進んでしまっている。

ご飯食べてお風呂入ってとか色々してたら意外と時間なくなるんだよな。

それに一話目と二話目も見返そうと思ったら、より一層窮屈なスケジュールになってしまう。

……でもこの中を突っ切っていくのもな。

他のクラスの靴箱でやってくれたらまだいけるはずなのに。

三島達がいるのは私のクラスの靴箱だから、靴を履き替えるときに見つかるのはもう必然だ。

まぁ三島も同じクラスだからしょうがないんだけどね。

でもいい加減進まない状況に、動かない三島に、痺れを切らしたのは私の方だった。

ガタン。
靴箱を開けた音に反応して、2人がこちらを振り向く。

「あ、氷川」

三島の声は無視。

「お疲れっじゃねっ」

そそくさと靴に履き替えて、その場を後にしようとした私の思惑は達成されなかった。

「ちょ、待って待って」

私の腕を捕まえた、三島によって。

「な、なに?」
「傘」

ひそひそと言われた言葉に、頭が「?」でいっぱいになる。

「だから、傘」
「傘?」
「そう、持ってるっしょ?」

ちょうど傘立ての側で捕まったから、その場ですぐに傘をとってみせる。

「持ってるけど」
「もちろん、折りたたみ傘もだろ?」

当たり前のように言われた言葉に、持ってて悪かったな!恋する乙女の期待ナメんな!と声を上げそうになって、いやいや三島はそんな意図で言ったわけじゃないからと何とか心を鎮める。

「……まぁ、あるけど」
「じゃあそれ、あの子に貸したげてよ」
「はぁ?」

はぁ?

まさに、それしか言えない。

「勘弁してよ。巻き込まないで」
「あ、ちょっ」

三島の手を振り切った、その瞬間だった。

「2人でなに話してるの?」

あ、こわっ。
笑ってるのに目が怖いんだわ、恋する乙女よ。

「なんでもないですぅ。じゃあね」

びしゃっと、勢いをつけて踏み出した一歩目が水溜まりに突っ込んだ。

最悪。

傘を差してるといつもとバランスが違って何か走りにくい。

大きな水溜まりは避けれても、至る所にできた小さな水溜まり達がぱしゃぱしゃと足に跳ねる。

足はもうすでにずぶ濡れだから痛くも痒くもないけどね!

あ、まって。靴に水染みてきた。これは流石に辛い。

立ち止まって雨が必死に傘を叩く音を聞く。靴下に染みる水の感覚にぶるりと体を震わせる。

可愛い子だった。
くるんとカールした毛先が、パッチリとした大きな目が。

素直な性格で、私はちょっと怖いと思ったけど、でもあんだけグイグイいける子の方が、好きになるのかも。

強まる雨の中、ゆっくりと歩き出す。

──三島、一緒に帰るのかな。

自分でそうするように仕向けたくせに、なに悲しんでんだろ。

傘を貸せばよかった。
これで帰れるでしょと言えばよかった。
三島、一緒に帰ろうって。
他の子なんか気にせずに、言えばよかったのだ。

ドドドドっと、もはや何の音なのかよくわからないくらいに強くなった雨に、一旦雨宿りしようと辺りを見渡せば、掠れて見えづらくなった"たばこ"の文字。

その軒下に取り敢えず入り込んで、雨を凌ぐ。

相変わらず寂れたシャッターが降りているそこは、この間、三島とキスしそうになった、あの場所だ。

そう、キスしそうになった。
なったのだ。誰が何と言おうと、絶対キスしそうになってた!

なのに、なのに〜!!

「三島の意気地なし! 思わせぶり野郎〜〜〜!!!」

本当に意気地なしなのは、今更キスしたかったことに気づいた私の方だ。

「誰が意気地なしで思わせぶりって?」
「っ……!」

怒涛の雨の中、シャッターを睨んでいた私に声をかけてきたのは。

「っ…み、しま……」
「はは、ひっでぇ」

名前を呼んだ私に、びちょびちょの三島がくしゃりと笑った。

水も滴るなんとやらとはよく言うけど、滴るレベルなんかすでに超えていて、蛇口の壊れた水道ぐらい三島の髪とか服とか至る所からじゃばじゃばと水が流れ落ちている。

「あーやっべ、めっちゃ濡れたわ。氷川速えぇよ」

どさりと鞄を地面に投げ置いて、タオルタオルとつぶやきながらその場に座り込んだ三島。

「げっ、まじか」

スカスカの鞄に気持ち程度に入っていた教科書が濡れてふにゃふにゃになっているのに気づいて、慌ててタオルを押し付けている。

「先に身体拭きなよ」

仕方がないからタオルを貸してあげた。

「お、さんきゅ」
「てか、傘は?」

忘れてきたならいざ知らず、あのときしっかりと傘を持っていたはずなのに、何でこんな土砂降りの中手ぶらで。

「貸した」
「……貸した?」
「おう」

そう言った後、何事もなかったかのように髪を拭き始めた三島。

「え、誰に?」
「傘忘れたってやつ」

さっきの子だ。

「だから、貸したの?」
「なくて困ってたからな。これ使えばって言ったら喜んでたよ」

絶対嘘。

あの子、絶対傘持ってたのに。
三島もきっとわかってたはずなのに。

三島と一緒に帰りたいと、そう思って嘘をついていたことに。

「はは、ひど」

知らなかった。

意外と三島がそんな人だということを。

そのことがどうしようもなく嬉しくて、心の奥底から仄暗い歓喜が湧き出てくるような、自分がそんな人間だったことを。

「思わせぶりなことしたら、怒られるからな」

ある程度拭き終わったのか、私のタオルを首にかけながらそう言った三島。

使い終わったなら返してよと、そう言おうとした頭が、瞬時に別の思考に塗り替えられた。

「え」
「ん?」

まって、まってまって。

「え、まさか。聞いてたの!?」

あの日のみっちゃんとの会話。
思わせぶりなことをしたツバサにいたく憤慨していたあの日のこと。

「……おう」

どこか気まずそうに逸らした視線と、まごうことなき肯定の言葉が、その答えだった。

「は、はぁ!? バカってとこからしか聞いてないって言ってたじゃん!」
「そりゃあんなの盗み聞きしてましたとか言えねぇだろ!」

あんなの!?
あんなのって……どんなのだったっけ!?

思い出す。いや、思い出さなくても覚えてる。

だって、あのとき言ったのは。

「……もしかして、あれも」
「え?」
「あれも、聞いてたの!?」
「あれ?」

言うのが恥ずかしくて遠回しに聞いてるのに、こんな時だけ察しが悪いのは何なの!

「だから! その、回数、数えてる……こと、とか」

相合傘の、とまでは言えなかった。

萎んだ声を雨音が上書きする。

聞こえたのか心配で、てかむしろ聞こえてなければ良いと、知りたい気持ちとは矛盾した気持ちが湧き上がる。

「……おぉ」

でもそれは顔を赤くしながら呟いた三島によって、見事にぶち壊された。

「さ、さいってぇーー!!!」

ありえないありえない!
あんなのが聞かれてたなんて恥ずかしくてどうにかなる!

「だから聞かなかったふりしたんだろ!」
「だったら最後まで貫き通してよ!」
「それはごめん!!」

はぁはぁとお互いに声を荒げて、それに負けじと軒を打つ雨の音が強くなった気がした。

「……で?」
「え?」

もう知らん。
こうなったら、とことん開き直ってやる。

「で、どう思ったの?」
「どう、とは」
「それを聞いて、どう思ったのかって聞いてんの!」

今の私はそんなに気が長くない。そんな余裕なんてないんだもん。

むすっとしながら腕を組んだ私と、あのーそのーと言ってどこかはっきりしない三島。

「あー……っと、その。あれ、10回目だと思ってたけど、違ったんだなって」

そう、思いました。

最後の方はほとんど聞き取れないくらい小さな声だった。

「え?」

10回目?

それは意地悪な天気のせいで、まだ訪れていないと思っていたのに。

「まぁ覚えてないよな」
「え、ほんとに10回目?」
「うん。氷川にとってはそんな気じゃなかったのはわかってるけど。その、雨の日とかじゃなくて、去年の夏に」

去年の夏?

「あっ」
「思い出した?」

思い出した。

そうだ、去年の夏。

日差しが眩しくて、むせかえるような暑さがどこまでも続くような気がしていた、あの日。

もう無理、暑い、耐えられないと言っていた三島に、日傘を差してあげたのだ。

そんなの言ってる方が暑くなるでしょと、だからこれで静かになるようにと。

半分ふざけて、半分の下心を持って。

でもあんな一瞬のこと。
なんだか恥ずかしくなってすぐに辞めたのに。

「あーもー恥ずかしっ。氷川にとっては何てことないかもしれないけど! そんなのわかってるけど! それでも俺はあの時からめちゃくちゃ意識してたのに! 思わせぶり、良くない!」

「ご、ごめん」

勢いに圧倒されて、そんなことないよと言えずに謝ってしまった。

「だからあの日、氷川が折りたたみ傘を見つけた時。めっちゃドキドキしながら相合傘しようと傘持ったのに、氷川がすげぇびっくりした顔するから」

あの日、初めて相合傘をした日だ。

……いや、去年の夏を合わせれば2回目か。

「だから、少しだけ凹んだ」
「……それはごめん」

でも言い訳させて欲しい。
あの時はほんとに急だったもん。

「それに、その後もこっそりと機会狙ってたのに、氷川全然隙ねぇし」
「隙?」
「たまには傘忘れるかも〜って期待して置き傘までして、いつでも傘貸せるようにめちゃくちゃスタンバってたのに。ぜってぇ傘忘れないし、てか折りたたみ傘まで持ってるし!」

ふぅぅとひとつ呼吸を整えた三島が、さっきまでの熱弁はどこへやら、急にキリッとした顔になった。

「だから俺が忘れればいいやってすぐに切り替えられたのはファインプレーでした」

「ふ、ふふっ」
「笑うなよ。まじで恥ずかしいんだって」
「あっはっは。だって、同じこと考えてたんだもん」
「え?」

キリッとした顔から、きょとんとした顔になった三島が面白くて可愛くて。

「また雨降ったら、一緒に帰れるかなって。折りたたみ傘さえ入れてれば、いつでも大丈夫だし、いつかは日の目を見るかもって」

折りたたみ傘のわずかな重みが、今もなお鞄の中で存在を主張している。

「だから、嬉しい」

緩んだ顔と、感情がはち切れそうな程痛む心臓。

「あ、お、おれも!」

三島がそう言って、肩から私のタオルがずれ落ちた時だった。


────ドォン!ゴロゴロ……


低く唸る雷の音は、まるであの時と同じ状況で。

それにどこか気まずくて、でもお互い今度は目を離さなかった。

「氷川、好きだ」
「……うん。私も」

何だか照れ臭くなって、そわそわと目線を漂わせる。

どこか落ち着かないまま、三島が落ちたタオルを拾って、もはや無意識に、その手に自分の手を重ねた。

こっちを向いた、少しだけ緊張したその顔が好きだ。

反対の手で私の手が包み込まれる。

いつのまにか、さっきまでの土砂降りが、少しだけ控えめな雨に変わっていて。

あの日よりも、随分と静かだった。

「あ、やべ」

──くしゅんっ。

顔を逸らした三島が、盛大なくしゃみと共に鼻水を垂らすまでは。

「うわ、ちょっと」
「やべ、ちょ、ティッシュ持ってない?」
「ほら、早く拭いて」

ちーーんとどこか締まらない音を立てて鼻を噛む三島に、呆れながらも笑ってしまう。

「うわ、俺カッコわる」
「びしょ濡れだもん。風邪ひくから帰ろ」
「うぅ確かに寒いかも。カッコ悪ぃー」

ほら、と差した傘。

それを三島がいつものように自然と手にとって、弱まった雨の中を2人で歩く。

「10回目……じゃなかった。11回目だね」
「……覚えてなかったのに?」
「思い出したからいいの!」

さっきまで覚えていたのが恥ずかしいって言ってたくせに。

「てか、傘差してたら手ぇ繋げないんだよな」
「これからいっぱい繋げばいいじゃん」
「……ふっ、ははっ。そうだな。付き合ってるんだもんな」

改めてそう言われるとなんだか恥ずかしくて、ばっと両手を前に突き出す。

「もう両手じゃ数えられなくなっちゃった」
「俺の両手がまだあるよ。あと足もある。俺足の指めっちゃ器用に動かせるから、数くらい数えれるよ」
「あはは、なにそれ」
「それに」

傘を持ってない方の三島の手が伸びて、私の指に絡みつく。

「数えられなくなっても、全部覚えてるよ。氷川のことなら、全部」

冷えたその手が触れたところが、熱いような冷たいような変な感じだった。

「私も、全部覚えてる」
「日傘のこと忘れてたのに?」
「もう! それは思い出したからいいの!」

三島が笑う。
それにつられて私も笑った。

きっと三島は全部受け止めてくれる。
私から溢れ出た、その愛を。


           〜fin〜