――今日は何を話そうかな?
菜月羽は音楽を聴きながら考える。
昨日も同じようなことを思った。時間がもつだろうかと不安だったが、意外と盛り上がった。
――楽しい。
そんなことを思っていると、自習室の空気が動いたのが分かった。
冬杞がいる。
イヤホンを外した。
「冬杞くん!」
「今日は先に気付いたな」
「うん、学習したから」
冬杞は昨日と同じところに座った。2人共、結局、今日もカッターシャツを着ている。
「明日から3連休だね」
今日は7月12日金曜日。恋人(仮)、7日間の3日目。
7月13日・14日は普通の土日。7月15日は月曜日だが、海の日で祝日である。
「あ!そういえば、」
自らの3連休という言葉で、菜月羽はあることを思い出す。
「何?」
冬杞が反応する。
「あ、ううん。大したことじゃない――、こともないんだけど」
微妙な返事。冬杞は笑みを浮かべる。
「何?言いにくいこと?」
「あ、いや、そういう訳じゃないんだけど」
菜月羽は考え事をする人のように、こめかみ辺りに指を置いた。
「もうすぐ弟の誕生日があって、この3連休までに何をあげるか考えて、買いに行こうと思ってたの。でも――」
そこで冬杞は合点がいった。
「考えてないんだ」
「うん」
菜月羽は白状する。
「考えてない訳じゃないんだけど、何もいい物が思い浮かばなくて」
困った表情。
「知らないの?弟が欲しい物」
「知ってるよ」
「え?」
意外な答えだった。
「知ってるの?」
「うん、知ってる」
「だったら、それにしたら?」
「それが、そういう訳にもいかなくて」
冬杞は首を傾げる。
「何?あ、高いとか?」
「高いのは高いけど、そういうことじゃなくて」
「何?」
「あの子に何が欲しい、って聞いたら、絶対『スマホ』って言われるのがオチなんだよね」
「ああ……」
妙に納得する。
「さすがにスマホは、私が購入する権利はないかな、って」
「まあ、確かにな」
2人はうんうんと頷く。自然とその動きがシンクロしていることに、彼らは気付いていない。
「今時、小学生でもスマホって持ってるでしょ?私も前から、親に言われてたんだけど、『高校からでいい』って断ってて。結局、今年の3月に買ってもらったばかりなの。でも弟は、ずっと前から欲しい、って言ってて。だけど、『菜月羽が高校から持ちはじめたんだから、あんたもそうしなさい』って親に言われて。なんか申し訳ないことしちゃったな、って思ってる」
「弟、何年生なの?」
「中2」
「あー、じゃあ確かに、欲しい時期かもな」
「でしょ?多分、それ以外の物は言ってくれないと思うんだよね」
無意識だろうか、菜月羽はほんの少し片頬を膨らませている。冬杞は、そんな彼女の姿を見て、微笑ましく思う。
「冬杞くんは、きょうだいいないの?」
「いるよ」
「上?下?」
「姉ちゃん」
「本当!」
菜月羽の目が輝く。
「じゃあ、誕生日に貰って嬉しかった物の思い出とかない?弟として、姉に何をプレゼントされるのが嬉しかった?」
すると、冬杞は目の前で右手を揺らした。
「俺の家は参考にならねえよ。あいつ、家族の誕生日なんて、興味ないから」
「へー、そうなんだ」
「だから俺も気にしてない。っていうか、別に誕生日プレゼントをあの人から貰いたいなんて考えもしない」
「そっか」
きょうだいにもいろいろな関係があるんだな、と菜月羽は感心する。
「でも、私の弟の場合は難しいかな」
「難しい?」
「だって、私の弟、明らかに誕生日前にソワソワしはじめるから。『ああ、楽しみにしてるんだな』って思って」
冬杞はふっと息を漏らした。
「なるほど、それは期待されてるな」
「でしょ?まあ、別にね、何をあげても、大体『ありがとう』って言って喜んではくれるんだけどね。でも、毎年のことだから、私のアイディアが尽きてきちゃって」
「うん」
「同じ物でも、友だちから貰うのと、家族から貰うのとでは印象が違うだろうし」
「うーん」と菜月羽は考え込んでしまう。これはもう、冬杞も協力して正解を導き出さなければいけない状況になってしまっている。
冬杞による質問コーナーがはじまる。
「中2って言ったよな?」
「うん」
「部活は?何してるの?」
「サッカー、してる」
「好きなんだ、サッカー」
「うん」
「中2の夏……。サッカー部……。なんかまさに、部活で青春してます、っていう時期だな」
「ああ、確かに、そうだね。この頃の試合の結果次第で、3年生は引退だしね」
「上手いの?」
「私はあんまり詳しくないけど、本人曰く『結構強い』らしいよ」
「へー、そうなんだ」
「うん」
「サッカー自体が好きなの?プロの試合とか、そういうのには興味あるの?」
「あー、なんかね、好きなチームがあるみたいだよ。えっとね――」
菜月羽は腕組みをした。
「えっとね――」
なかなか答えが出ない。冬杞はスマホを取り出す。
「名前聞いたら分かる?」
「分かる、と思う」
冬杞は、スマホの画面を見ながら、サッカーのチーム名を次々と読み上げていく。そのひとつひとつに、菜月羽はご丁寧に首を振ったり、「違うなあ」と呟いたりする。20チーム程読み上げたあたりで、ようやく、
「あ!それ!」
と言った。
「ああ、これって――」
菜月羽が「それ」と言ったチームは、いわゆる地元のチームである。
「そのチームの試合、あんまりテレビでは放送しないから、よく私のスマホで結果、見てるんだよね」
そして、冬杞は閃く。
「だったら、チームのグッズとか、あげたら?」
「……ん?」
菜月羽はポカンとする。
「チームの公式グッズ、あげたら?」
「……冬杞くん」
彼女の目が大きくなる。
「え?何?」
冬杞は身構えた。しかし、それに反し、菜月羽は笑顔を見せる。
「そんなこと、考えたこともなかったよ!」
「は?」
「いいね、きっと喜ぶよ、弟も」
どうやら、彼女は喜んでくれているようだ、と冬杞は思うことにした。
「ねえ、それって、どこに売ってるの?」
「ネットとかでも買えるんじゃねえの?」
「ネットかあ……。私、そういうのよく分かんないんだよね」
「だったら、あそこは?」
「あそこ?」
冬杞は再びスマホをいじりはじめた。
「俺の父親もスポーツが好きで、そういうグッズとかを集めるのも好きなんだよ。で、前に父親が言ってたのが――」
話しながら、冬杞はスマホを菜月羽に見せた。光が反射してよく見えず、菜月羽は手で屋根を作った。
「何?」
「M市のショッピングモールの中に、スポーツ用品店が出来たらしくて、そこで地元のスポーツチームの公式グッズも取り扱ってるみたい」
スマホには、その店のホームページが載っていた。
「へー、そうなんだ。じゃあ、そこに行ったら、直接買えるってことだ」
「うん」
冬杞は菜月羽の役に立てたような気がして、少し誇らしくなった。
しかし。
「あ!待って!これ、M市って言ったよね?」
M市は、2人が暮らす市の隣にある。
「そうだけど」
菜月羽の顔に困惑が現れる。
「なんで?」
「いや、えっと……」
彼女はこめかみ辺りに指を置いた。
「どうやって行くのかなと思って」
「親は?車、出してもらえるの?」
「もともと1人で買いに行くつもりだったから、お父さんとお母さんに特に頼んでなくて。だから、2人共、仕事で車はないかな」
「だったら電車だな。自転車で行くような距離じゃねえよ」
「……だよね」
こめかみを押さえていた指が、頬に移動した。
「行ったことない?」
「あるけど、いつも車で連れて行ってもらってたから」
「ああ、なるほど」
「駅から近い?」
「駅からだったら10分ぐらいかな」
「10分……」
菜月羽は頭の中で、微かな記憶を頼りにマップを作り上げていく。しかし、菜月羽の行動範囲は、家と高校の周辺だけである。上手くマップを作ることが出来ない。
「道、分かりやすい?」
「駅から建物は見えてるし、それを目印に歩けば分かると思うけど」
「ね、冬杞くん、地図描ける?」
「地図?」
「うん」
「描けなくはないけど、スマホ持ってるだろ?それ見ながら行けばいいんじゃねえの?」
「そんな高度なこと、私、出来ないよ」
「高度って」
菜月羽にとってスマホは、電話をする為のものである。購入してすぐの頃、何かを検索した時にいかがわしい広告が表示されたのがトラウマで、それ以上のことをあまり求めないようになった。
「だったら、2人で、行く?」
頭で考える前に、言葉がこぼれていた。
「……え?」
菜月羽は驚いた顔をしている。
「俺と2人で、行く?」
冬杞はもう1度言った。思考が言葉に追いついた上で、もう1度。
「なんか、心配だし」
右手で自分の頭の後ろを触る。
「それに、1日ぐらい、2人で出掛けても罰は当たらないだろ、俺たち付き合ってるんだし」
確かに、本当の恋人なら、不自然なことは何もない。しかし、菜月羽と冬杞は、恋人(仮)だ。
「そういうのは、憧れてないの?」
「それは……」
――憧れてる、すごく。
照れ隠しなのだろうか、冬杞は少し俯いたまま、目を合わせようとしない。それなりに勇気を出してくれたことは、菜月羽にも伝わってくる。胸の奥がじんと熱くなる。
しかし、菜月羽は黙ったままである。返事がないことを不安に思った冬杞が目線を上げると、彼女は目を泳がせていた。
「別に嫌なら無理に――」
言いかけて、やめた。菜月羽の視線が止まったからだ。その視線の先を冬杞も追うが、そこには窓があり、普通の景色が広がっているだけである。だが、菜月羽は立ち上がると、フラフラとその窓に吸い寄せられていった。
昨日と同様、窓は開いている。若干風が吹いており、菜月羽の髪を微かに揺らす。
「菜月羽?」
冬杞も傍に歩み寄ろうと椅子に手を掛けたが、その前に菜月羽が振り返った。何とも言えない表情をしている。
「私、学校行事とか以外で、友だち同士で出掛けたり、遊びに行ったりしたことないの。正直、面倒だな、って思ってて」
「面倒?」
菜月羽は頷く。窓を背にしたまま、彼女は語りはじめる。
「私と弟って、結構、性格とか真逆なところがあって。
例えば、私は親に今まで、『勉強しなさい』とか『テスト大丈夫なの?』とか、言われたことがないの。言われる前に、自分からすることがほとんどだったから。
でも、弟はその逆。親にしょっちゅう、『勉強しなさい』とか『ゲームやめなさい』って注意されてて。何回も言われて、ようやく動きはじめるタイプなの」
「うん」
確かに対照的だな、と冬杞は思う。ちなみに冬杞は、親がそういうことにあまり関心がない為、「好きなことを好きなだけしなさい」と言われてきた、第三のタイプである。
「で、私は、どっちかって言うと人見知りで、友だち同士で『遊びに行こう』っていう感じじゃないんだよね。引っ張るよりは、ついていくことの方が多い。
何かする時も、いろいろ親の許可がないと1歩進めなかったり、お店で気に入った商品があっても、一旦店内を全部見て回って、その上で『買おうかな、やめておこうかな』って何分も迷っちゃうし」
冬杞は黙って頷く。
「でも、弟は社交的で、誰にでも平気で声を掛けちゃう。運動部のノリみたいなものもあるのかもしれないけど、友だち同士で遊ぶことも多いみたい。
自分がやりたい、って思ったら、どんどん前に進んでいくしね。お店に欲しい物があったら、他の物なんて目に入らなくて、『これ買う』って即決できるタイプだし」
ふふっと冬杞は笑った。
「見事に正反対だな」
「でしょ?」
つられて菜月羽も笑う。
「そんな弟のことが、お母さんは心配で心配でしょうがないみたい。ついでに、私のことも」
菜月羽は自分の足先を見つめる。
「お母さんのこと、悪く言いたい訳じゃないんだけど……」
少し言い淀む。
きっと彼女は、誰かの悪口を言ったり、愚痴を言ったりすることに慣れていないのだろう。冬杞は、菜月羽がこちらを見ていないと分かっていながらも、優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。菜月羽の話してることが、悪口だとは思ってないから」
その言葉に背中を押された。菜月羽は話の続きを再開した。
「私たちのお母さんはね、出来るだけ子どもの行動を把握してたい、って思う人で。だから、例えば、何曜日は何限授業っていうのも覚えてるし、テスト期間がいつ、っていうのも毎回チェックしてる」
「うん」
そういう親もいるだろうな、と思う。
「でも、弟にとって、そういうのが鬱陶しくなることもあるみたい」
――中2。
確かに、親の愛が鬱陶しくなる子どもも多いだろう。
「帰る時間が遅くなることについては何も言わない、ちゃんと理由が分かっていたら。部活で遅くなるとか、体育祭の練習があるからとか、ちゃんとした理由」
「うん」
「それは、学校とは関係ない時でも同じ」
菜月羽はため息にも似た息を吐き出す。
「何月何日?何時から?どこに集合?どこで解散?誰と一緒?どこに行くの?どうやって行くの?何をしに行くの?何時に帰ってくるの?ごはんは家で食べるの?送り迎えはいるの?
そういう細かい質問が飛んでくる。それにひとつひとつ答えて、納得してもらわないと、GOサインが出ない」
――思ってたよりも……。
息が詰まるような現実。
「でも、弟は、それが煩わしいと思ってる」
――だろうな……。
冬杞は納得する。
「弟の気持ち、よく分かるんだよね。だって、誰と一緒に行くって、仮に名前を言ったところで、お母さんには分からない。なのに、なんで言う必要があるの?『友だち』とか『クラスの子』じゃ、なんでだめなの?
それに、例えば5時に帰るって言っても、ぴったり帰れないことだってあるでしょ?もしかしたら、急に部活が長引くことだってあるかもしれないし、友だちとの話が盛り上がってしまうこともあるかもしれない。
でも、お母さんはそれが嫌で。5分とか10分とかの遅れに対して、30分も1時間も小言を言われる」
菜月羽は自分の顔が引き攣っていることを実感する。
『菜月羽の話していることが、悪口だとは思ってないから』
冬杞の言葉が、菜月羽の罪悪感を和らげてくれる。
「だから、弟はたまに嘘をついてた」
「嘘?」
「うん」
頭の中に弟の姿が思い浮かぶ。菜月羽とは正反対の、けれど、決して憎めない弟の姿。
「本当は友だちと遊びに行ったんだけど、お母さんには部活だ、って言って」
「え?」
「わざわざ学校のジャージまで着てたんだよ。でも、私には、それが嘘だって分かる。もちろん、全部じゃないけどね。少なくとも1年間は同じ学校に通ってたから、ばれる嘘もあるんだよ」
「なるほど」
「そういう弟の姿を見てると、私は出掛けようっていう気がなくなっちゃう。いろいろ聞かれるのは、目に見えて分かってるから、面倒だな、って」
「それで……」
冬杞は納得した。先程の「面倒」という言葉はここに繋がるのだ。
確かに、そこまで根掘り葉掘り聞かれると分かっていながら外出するというのは、面倒かもしれない。
「今は?」
「ん?」
ふと湧き上がった疑問がある。
「普段のこういう放課後は平気なの?」
終業時間を把握しているのであれば、帰宅までのこの空白の放課後は、彼女たちの母親にとって、いわゆる天敵のはずだ。
「それは大丈夫。入学してすぐぐらいに、ちゃんとお母さんと話し合ったから」
「そっか」
その辺りは、やはり、きちんとしているようだ。
――じゃあ……
「じゃあ――」
今回の件はなしだな、と言おうとした時、菜月羽がバッと顔を上げた。真っ直ぐに冬杞を見つめるその表情は、とても凛々しかった。
「だから、私、今回だけは絶対、冬杞くんと一緒に行きたい」
「……は?」
話の流れから考えて、「だから今回もやめておく」と思っていた冬杞は、妙な声を発してしまった。
「最初で最後になるかもしれないし」
「……大袈裟じゃね?」
「誘ってもらえて、すっごく嬉しかったし」
ずんずんと歩みを進め、冬杞の目の前まで歩み寄る。
「だから、絶対に行く!行きたい!」
あまりの菜月羽の勢いに、冬杞は圧倒されてしまう。
「分かった、分かったから、とりあえず座れって」
菜月羽は冬杞に促されて、席に座った。
「俺は別に大丈夫だから。だから、ちゃんと親には説明しろよ?」
「うん、分かった。冬杞くんも、絶対、予定空けといて」
「分かった」
あまりの必死さに、冬杞は却っておかしさが込み上げてくる。
「それなら連絡先、教えといて」
「あ……、えっと……」
菜月羽は急に大人しくなる。
「何?」
「私、あれ、やってないから」
あれ、というのは、メッセージアプリのことだ。
「ああ、そうなんだ」
「うん」
「いいよ、俺もやってないし」
「あ、そうなんだ」
煩わしい、それが理由だ。
「でも、菜月羽が使ってないのは意外かも」
「うーん、実はね――」
彼女は自分のスマホを取り出した。
「見て」
スマホ画面を見る。冬杞は目を見開いた。
「何、これ?」
そこには、多くのゲームアプリが表示されている。フォルダの中にまとめられており、ざっと見ただけでも、10個ぐらいはあるだろう。
「これ、菜月羽が?」
「まさか。私じゃないよ」
フォルダの名前を見ると、「俺の」と表示されている。
「これ、弟の」
「ああ……」
「私がスマホを買ってもらってから、弟もこれをよく使うようになって。っていうか、家では弟の方がよく使ってるかもしれない。ほとんどゲーム用みたいなんだけどね」
菜月羽はフォルダを閉じながら話す。
「だから、連絡をくれても、弟がゲームをしてると、すぐに返事ができなくて。アプリ自体も入ってない。とりあえずはこれで何とかなってるから、まあ、夏休みまでは様子を見ようかな、って」
一方の弟は、そのゲーム内で友だちと繋がっているようで、どこか不思議な状況になっている。しかし、何だかんだ言って、姉と弟の仲は良好のようだ。
――まあ、そうじゃねえと、プレゼントなんてあげないか。
「なら、電話番号だけでも教えて」
「うん」
電話があったら、さすがに弟も姉のところにスマホを持ってきてくれる。
2人は連絡先を交換した。少し迷って、冬杞は「菜月羽」と、菜月羽は「今原冬杞」と、互いの名前を登録した。
「出来れば月曜日のお昼以降、3時とか4時ぐらいがいい。だめ?」
「俺はいいよ。でも、ちゃんと親には伝えとけよ?」
「うん」
菜月羽は力強く頷いた。
「あと、」
「何?」
「私、職員室に用事があるの、思い出した」
「呼び出しされてたの?」
「違う違う、私が用事があるの」
「そっか」
「だから、今日はそのまま帰ろ?」
冬杞はスマホの時計を見た。昨日より、時間は早い。しかし、菜月羽が戻ってくるのを待っている程でもないような気がした。
「分かった、そうしよ」
そして、これまでと同じように、先に菜月羽が自習室を出る。一応、他の人に目撃されない為の対策である。
だが、菜月羽は扉の前で立ち止まった。
「どうした?」
その後ろ姿に、冬杞は声を掛ける。すると、振り返った菜月羽は、
「……絶対に行く。……楽しみにしてる。……誘ってくれてありがとう」
伝えたかったことをギュッと凝縮して言葉にし、自習室を出ていった。
冬杞ははにかみ、そして、十分な間を置いてから自習室を後にした。
☆☆☆
菜月羽は音楽を聴きながら考える。
昨日も同じようなことを思った。時間がもつだろうかと不安だったが、意外と盛り上がった。
――楽しい。
そんなことを思っていると、自習室の空気が動いたのが分かった。
冬杞がいる。
イヤホンを外した。
「冬杞くん!」
「今日は先に気付いたな」
「うん、学習したから」
冬杞は昨日と同じところに座った。2人共、結局、今日もカッターシャツを着ている。
「明日から3連休だね」
今日は7月12日金曜日。恋人(仮)、7日間の3日目。
7月13日・14日は普通の土日。7月15日は月曜日だが、海の日で祝日である。
「あ!そういえば、」
自らの3連休という言葉で、菜月羽はあることを思い出す。
「何?」
冬杞が反応する。
「あ、ううん。大したことじゃない――、こともないんだけど」
微妙な返事。冬杞は笑みを浮かべる。
「何?言いにくいこと?」
「あ、いや、そういう訳じゃないんだけど」
菜月羽は考え事をする人のように、こめかみ辺りに指を置いた。
「もうすぐ弟の誕生日があって、この3連休までに何をあげるか考えて、買いに行こうと思ってたの。でも――」
そこで冬杞は合点がいった。
「考えてないんだ」
「うん」
菜月羽は白状する。
「考えてない訳じゃないんだけど、何もいい物が思い浮かばなくて」
困った表情。
「知らないの?弟が欲しい物」
「知ってるよ」
「え?」
意外な答えだった。
「知ってるの?」
「うん、知ってる」
「だったら、それにしたら?」
「それが、そういう訳にもいかなくて」
冬杞は首を傾げる。
「何?あ、高いとか?」
「高いのは高いけど、そういうことじゃなくて」
「何?」
「あの子に何が欲しい、って聞いたら、絶対『スマホ』って言われるのがオチなんだよね」
「ああ……」
妙に納得する。
「さすがにスマホは、私が購入する権利はないかな、って」
「まあ、確かにな」
2人はうんうんと頷く。自然とその動きがシンクロしていることに、彼らは気付いていない。
「今時、小学生でもスマホって持ってるでしょ?私も前から、親に言われてたんだけど、『高校からでいい』って断ってて。結局、今年の3月に買ってもらったばかりなの。でも弟は、ずっと前から欲しい、って言ってて。だけど、『菜月羽が高校から持ちはじめたんだから、あんたもそうしなさい』って親に言われて。なんか申し訳ないことしちゃったな、って思ってる」
「弟、何年生なの?」
「中2」
「あー、じゃあ確かに、欲しい時期かもな」
「でしょ?多分、それ以外の物は言ってくれないと思うんだよね」
無意識だろうか、菜月羽はほんの少し片頬を膨らませている。冬杞は、そんな彼女の姿を見て、微笑ましく思う。
「冬杞くんは、きょうだいいないの?」
「いるよ」
「上?下?」
「姉ちゃん」
「本当!」
菜月羽の目が輝く。
「じゃあ、誕生日に貰って嬉しかった物の思い出とかない?弟として、姉に何をプレゼントされるのが嬉しかった?」
すると、冬杞は目の前で右手を揺らした。
「俺の家は参考にならねえよ。あいつ、家族の誕生日なんて、興味ないから」
「へー、そうなんだ」
「だから俺も気にしてない。っていうか、別に誕生日プレゼントをあの人から貰いたいなんて考えもしない」
「そっか」
きょうだいにもいろいろな関係があるんだな、と菜月羽は感心する。
「でも、私の弟の場合は難しいかな」
「難しい?」
「だって、私の弟、明らかに誕生日前にソワソワしはじめるから。『ああ、楽しみにしてるんだな』って思って」
冬杞はふっと息を漏らした。
「なるほど、それは期待されてるな」
「でしょ?まあ、別にね、何をあげても、大体『ありがとう』って言って喜んではくれるんだけどね。でも、毎年のことだから、私のアイディアが尽きてきちゃって」
「うん」
「同じ物でも、友だちから貰うのと、家族から貰うのとでは印象が違うだろうし」
「うーん」と菜月羽は考え込んでしまう。これはもう、冬杞も協力して正解を導き出さなければいけない状況になってしまっている。
冬杞による質問コーナーがはじまる。
「中2って言ったよな?」
「うん」
「部活は?何してるの?」
「サッカー、してる」
「好きなんだ、サッカー」
「うん」
「中2の夏……。サッカー部……。なんかまさに、部活で青春してます、っていう時期だな」
「ああ、確かに、そうだね。この頃の試合の結果次第で、3年生は引退だしね」
「上手いの?」
「私はあんまり詳しくないけど、本人曰く『結構強い』らしいよ」
「へー、そうなんだ」
「うん」
「サッカー自体が好きなの?プロの試合とか、そういうのには興味あるの?」
「あー、なんかね、好きなチームがあるみたいだよ。えっとね――」
菜月羽は腕組みをした。
「えっとね――」
なかなか答えが出ない。冬杞はスマホを取り出す。
「名前聞いたら分かる?」
「分かる、と思う」
冬杞は、スマホの画面を見ながら、サッカーのチーム名を次々と読み上げていく。そのひとつひとつに、菜月羽はご丁寧に首を振ったり、「違うなあ」と呟いたりする。20チーム程読み上げたあたりで、ようやく、
「あ!それ!」
と言った。
「ああ、これって――」
菜月羽が「それ」と言ったチームは、いわゆる地元のチームである。
「そのチームの試合、あんまりテレビでは放送しないから、よく私のスマホで結果、見てるんだよね」
そして、冬杞は閃く。
「だったら、チームのグッズとか、あげたら?」
「……ん?」
菜月羽はポカンとする。
「チームの公式グッズ、あげたら?」
「……冬杞くん」
彼女の目が大きくなる。
「え?何?」
冬杞は身構えた。しかし、それに反し、菜月羽は笑顔を見せる。
「そんなこと、考えたこともなかったよ!」
「は?」
「いいね、きっと喜ぶよ、弟も」
どうやら、彼女は喜んでくれているようだ、と冬杞は思うことにした。
「ねえ、それって、どこに売ってるの?」
「ネットとかでも買えるんじゃねえの?」
「ネットかあ……。私、そういうのよく分かんないんだよね」
「だったら、あそこは?」
「あそこ?」
冬杞は再びスマホをいじりはじめた。
「俺の父親もスポーツが好きで、そういうグッズとかを集めるのも好きなんだよ。で、前に父親が言ってたのが――」
話しながら、冬杞はスマホを菜月羽に見せた。光が反射してよく見えず、菜月羽は手で屋根を作った。
「何?」
「M市のショッピングモールの中に、スポーツ用品店が出来たらしくて、そこで地元のスポーツチームの公式グッズも取り扱ってるみたい」
スマホには、その店のホームページが載っていた。
「へー、そうなんだ。じゃあ、そこに行ったら、直接買えるってことだ」
「うん」
冬杞は菜月羽の役に立てたような気がして、少し誇らしくなった。
しかし。
「あ!待って!これ、M市って言ったよね?」
M市は、2人が暮らす市の隣にある。
「そうだけど」
菜月羽の顔に困惑が現れる。
「なんで?」
「いや、えっと……」
彼女はこめかみ辺りに指を置いた。
「どうやって行くのかなと思って」
「親は?車、出してもらえるの?」
「もともと1人で買いに行くつもりだったから、お父さんとお母さんに特に頼んでなくて。だから、2人共、仕事で車はないかな」
「だったら電車だな。自転車で行くような距離じゃねえよ」
「……だよね」
こめかみを押さえていた指が、頬に移動した。
「行ったことない?」
「あるけど、いつも車で連れて行ってもらってたから」
「ああ、なるほど」
「駅から近い?」
「駅からだったら10分ぐらいかな」
「10分……」
菜月羽は頭の中で、微かな記憶を頼りにマップを作り上げていく。しかし、菜月羽の行動範囲は、家と高校の周辺だけである。上手くマップを作ることが出来ない。
「道、分かりやすい?」
「駅から建物は見えてるし、それを目印に歩けば分かると思うけど」
「ね、冬杞くん、地図描ける?」
「地図?」
「うん」
「描けなくはないけど、スマホ持ってるだろ?それ見ながら行けばいいんじゃねえの?」
「そんな高度なこと、私、出来ないよ」
「高度って」
菜月羽にとってスマホは、電話をする為のものである。購入してすぐの頃、何かを検索した時にいかがわしい広告が表示されたのがトラウマで、それ以上のことをあまり求めないようになった。
「だったら、2人で、行く?」
頭で考える前に、言葉がこぼれていた。
「……え?」
菜月羽は驚いた顔をしている。
「俺と2人で、行く?」
冬杞はもう1度言った。思考が言葉に追いついた上で、もう1度。
「なんか、心配だし」
右手で自分の頭の後ろを触る。
「それに、1日ぐらい、2人で出掛けても罰は当たらないだろ、俺たち付き合ってるんだし」
確かに、本当の恋人なら、不自然なことは何もない。しかし、菜月羽と冬杞は、恋人(仮)だ。
「そういうのは、憧れてないの?」
「それは……」
――憧れてる、すごく。
照れ隠しなのだろうか、冬杞は少し俯いたまま、目を合わせようとしない。それなりに勇気を出してくれたことは、菜月羽にも伝わってくる。胸の奥がじんと熱くなる。
しかし、菜月羽は黙ったままである。返事がないことを不安に思った冬杞が目線を上げると、彼女は目を泳がせていた。
「別に嫌なら無理に――」
言いかけて、やめた。菜月羽の視線が止まったからだ。その視線の先を冬杞も追うが、そこには窓があり、普通の景色が広がっているだけである。だが、菜月羽は立ち上がると、フラフラとその窓に吸い寄せられていった。
昨日と同様、窓は開いている。若干風が吹いており、菜月羽の髪を微かに揺らす。
「菜月羽?」
冬杞も傍に歩み寄ろうと椅子に手を掛けたが、その前に菜月羽が振り返った。何とも言えない表情をしている。
「私、学校行事とか以外で、友だち同士で出掛けたり、遊びに行ったりしたことないの。正直、面倒だな、って思ってて」
「面倒?」
菜月羽は頷く。窓を背にしたまま、彼女は語りはじめる。
「私と弟って、結構、性格とか真逆なところがあって。
例えば、私は親に今まで、『勉強しなさい』とか『テスト大丈夫なの?』とか、言われたことがないの。言われる前に、自分からすることがほとんどだったから。
でも、弟はその逆。親にしょっちゅう、『勉強しなさい』とか『ゲームやめなさい』って注意されてて。何回も言われて、ようやく動きはじめるタイプなの」
「うん」
確かに対照的だな、と冬杞は思う。ちなみに冬杞は、親がそういうことにあまり関心がない為、「好きなことを好きなだけしなさい」と言われてきた、第三のタイプである。
「で、私は、どっちかって言うと人見知りで、友だち同士で『遊びに行こう』っていう感じじゃないんだよね。引っ張るよりは、ついていくことの方が多い。
何かする時も、いろいろ親の許可がないと1歩進めなかったり、お店で気に入った商品があっても、一旦店内を全部見て回って、その上で『買おうかな、やめておこうかな』って何分も迷っちゃうし」
冬杞は黙って頷く。
「でも、弟は社交的で、誰にでも平気で声を掛けちゃう。運動部のノリみたいなものもあるのかもしれないけど、友だち同士で遊ぶことも多いみたい。
自分がやりたい、って思ったら、どんどん前に進んでいくしね。お店に欲しい物があったら、他の物なんて目に入らなくて、『これ買う』って即決できるタイプだし」
ふふっと冬杞は笑った。
「見事に正反対だな」
「でしょ?」
つられて菜月羽も笑う。
「そんな弟のことが、お母さんは心配で心配でしょうがないみたい。ついでに、私のことも」
菜月羽は自分の足先を見つめる。
「お母さんのこと、悪く言いたい訳じゃないんだけど……」
少し言い淀む。
きっと彼女は、誰かの悪口を言ったり、愚痴を言ったりすることに慣れていないのだろう。冬杞は、菜月羽がこちらを見ていないと分かっていながらも、優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。菜月羽の話してることが、悪口だとは思ってないから」
その言葉に背中を押された。菜月羽は話の続きを再開した。
「私たちのお母さんはね、出来るだけ子どもの行動を把握してたい、って思う人で。だから、例えば、何曜日は何限授業っていうのも覚えてるし、テスト期間がいつ、っていうのも毎回チェックしてる」
「うん」
そういう親もいるだろうな、と思う。
「でも、弟にとって、そういうのが鬱陶しくなることもあるみたい」
――中2。
確かに、親の愛が鬱陶しくなる子どもも多いだろう。
「帰る時間が遅くなることについては何も言わない、ちゃんと理由が分かっていたら。部活で遅くなるとか、体育祭の練習があるからとか、ちゃんとした理由」
「うん」
「それは、学校とは関係ない時でも同じ」
菜月羽はため息にも似た息を吐き出す。
「何月何日?何時から?どこに集合?どこで解散?誰と一緒?どこに行くの?どうやって行くの?何をしに行くの?何時に帰ってくるの?ごはんは家で食べるの?送り迎えはいるの?
そういう細かい質問が飛んでくる。それにひとつひとつ答えて、納得してもらわないと、GOサインが出ない」
――思ってたよりも……。
息が詰まるような現実。
「でも、弟は、それが煩わしいと思ってる」
――だろうな……。
冬杞は納得する。
「弟の気持ち、よく分かるんだよね。だって、誰と一緒に行くって、仮に名前を言ったところで、お母さんには分からない。なのに、なんで言う必要があるの?『友だち』とか『クラスの子』じゃ、なんでだめなの?
それに、例えば5時に帰るって言っても、ぴったり帰れないことだってあるでしょ?もしかしたら、急に部活が長引くことだってあるかもしれないし、友だちとの話が盛り上がってしまうこともあるかもしれない。
でも、お母さんはそれが嫌で。5分とか10分とかの遅れに対して、30分も1時間も小言を言われる」
菜月羽は自分の顔が引き攣っていることを実感する。
『菜月羽の話していることが、悪口だとは思ってないから』
冬杞の言葉が、菜月羽の罪悪感を和らげてくれる。
「だから、弟はたまに嘘をついてた」
「嘘?」
「うん」
頭の中に弟の姿が思い浮かぶ。菜月羽とは正反対の、けれど、決して憎めない弟の姿。
「本当は友だちと遊びに行ったんだけど、お母さんには部活だ、って言って」
「え?」
「わざわざ学校のジャージまで着てたんだよ。でも、私には、それが嘘だって分かる。もちろん、全部じゃないけどね。少なくとも1年間は同じ学校に通ってたから、ばれる嘘もあるんだよ」
「なるほど」
「そういう弟の姿を見てると、私は出掛けようっていう気がなくなっちゃう。いろいろ聞かれるのは、目に見えて分かってるから、面倒だな、って」
「それで……」
冬杞は納得した。先程の「面倒」という言葉はここに繋がるのだ。
確かに、そこまで根掘り葉掘り聞かれると分かっていながら外出するというのは、面倒かもしれない。
「今は?」
「ん?」
ふと湧き上がった疑問がある。
「普段のこういう放課後は平気なの?」
終業時間を把握しているのであれば、帰宅までのこの空白の放課後は、彼女たちの母親にとって、いわゆる天敵のはずだ。
「それは大丈夫。入学してすぐぐらいに、ちゃんとお母さんと話し合ったから」
「そっか」
その辺りは、やはり、きちんとしているようだ。
――じゃあ……
「じゃあ――」
今回の件はなしだな、と言おうとした時、菜月羽がバッと顔を上げた。真っ直ぐに冬杞を見つめるその表情は、とても凛々しかった。
「だから、私、今回だけは絶対、冬杞くんと一緒に行きたい」
「……は?」
話の流れから考えて、「だから今回もやめておく」と思っていた冬杞は、妙な声を発してしまった。
「最初で最後になるかもしれないし」
「……大袈裟じゃね?」
「誘ってもらえて、すっごく嬉しかったし」
ずんずんと歩みを進め、冬杞の目の前まで歩み寄る。
「だから、絶対に行く!行きたい!」
あまりの菜月羽の勢いに、冬杞は圧倒されてしまう。
「分かった、分かったから、とりあえず座れって」
菜月羽は冬杞に促されて、席に座った。
「俺は別に大丈夫だから。だから、ちゃんと親には説明しろよ?」
「うん、分かった。冬杞くんも、絶対、予定空けといて」
「分かった」
あまりの必死さに、冬杞は却っておかしさが込み上げてくる。
「それなら連絡先、教えといて」
「あ……、えっと……」
菜月羽は急に大人しくなる。
「何?」
「私、あれ、やってないから」
あれ、というのは、メッセージアプリのことだ。
「ああ、そうなんだ」
「うん」
「いいよ、俺もやってないし」
「あ、そうなんだ」
煩わしい、それが理由だ。
「でも、菜月羽が使ってないのは意外かも」
「うーん、実はね――」
彼女は自分のスマホを取り出した。
「見て」
スマホ画面を見る。冬杞は目を見開いた。
「何、これ?」
そこには、多くのゲームアプリが表示されている。フォルダの中にまとめられており、ざっと見ただけでも、10個ぐらいはあるだろう。
「これ、菜月羽が?」
「まさか。私じゃないよ」
フォルダの名前を見ると、「俺の」と表示されている。
「これ、弟の」
「ああ……」
「私がスマホを買ってもらってから、弟もこれをよく使うようになって。っていうか、家では弟の方がよく使ってるかもしれない。ほとんどゲーム用みたいなんだけどね」
菜月羽はフォルダを閉じながら話す。
「だから、連絡をくれても、弟がゲームをしてると、すぐに返事ができなくて。アプリ自体も入ってない。とりあえずはこれで何とかなってるから、まあ、夏休みまでは様子を見ようかな、って」
一方の弟は、そのゲーム内で友だちと繋がっているようで、どこか不思議な状況になっている。しかし、何だかんだ言って、姉と弟の仲は良好のようだ。
――まあ、そうじゃねえと、プレゼントなんてあげないか。
「なら、電話番号だけでも教えて」
「うん」
電話があったら、さすがに弟も姉のところにスマホを持ってきてくれる。
2人は連絡先を交換した。少し迷って、冬杞は「菜月羽」と、菜月羽は「今原冬杞」と、互いの名前を登録した。
「出来れば月曜日のお昼以降、3時とか4時ぐらいがいい。だめ?」
「俺はいいよ。でも、ちゃんと親には伝えとけよ?」
「うん」
菜月羽は力強く頷いた。
「あと、」
「何?」
「私、職員室に用事があるの、思い出した」
「呼び出しされてたの?」
「違う違う、私が用事があるの」
「そっか」
「だから、今日はそのまま帰ろ?」
冬杞はスマホの時計を見た。昨日より、時間は早い。しかし、菜月羽が戻ってくるのを待っている程でもないような気がした。
「分かった、そうしよ」
そして、これまでと同じように、先に菜月羽が自習室を出る。一応、他の人に目撃されない為の対策である。
だが、菜月羽は扉の前で立ち止まった。
「どうした?」
その後ろ姿に、冬杞は声を掛ける。すると、振り返った菜月羽は、
「……絶対に行く。……楽しみにしてる。……誘ってくれてありがとう」
伝えたかったことをギュッと凝縮して言葉にし、自習室を出ていった。
冬杞ははにかみ、そして、十分な間を置いてから自習室を後にした。
☆☆☆