小夜は初婚ではないし、恭一郎も仕事が忙しいというといことで、祝言は犬神家の主だった親戚が見守る中で簡単にすませた。
 
 犬神本家はどういうわけか出席せず。

 数多くある分家の主だった親戚のみが麹町の恭一郎宅に集った。

 そして、なぜか小夜の親族は誰一人として参加していない。

 犬神家とつながりができると喜んでいた父は、祝言への参加を拒否されたとたいそう腹を立てていた。
 だが、犬神家はお上に仕える家柄である。盾突くことはできなかった。

 儀式の始まりから、不穏な空気が漂っていた。
 
 それもそのはず、恭一郎には分家の犬上敏子という許嫁がいたのだ。そのことを小夜は式の前日に仲人から知らされた。それだけでも気が重い。
 
 三々九度が済んだとたん、紋付きの中年男性が怒りの声を上げる。
 
 「恭一郎さん、どうしてこんな石女(うまずめ)を娶るのか!」
 
 小夜はその男性が誰かわからない。ただその横には小夜と年の変わらない女性が寄り添っている。
 恐らくその女性が恭一郎の元許嫁の敏子で、中年男性はその父だろう。
 
 それを皮切りに大広間に集まった面々からこの結婚に対する不満の声が漏れ始めた。
 
 「なぜ、敏子さんがいるのに、ひどい話」
 同情したように一人の中年の女が敏子の横に座り聞こえよがしに言う。

 「離縁された性悪だ」

  ひそひそとしていた声が、やがてざわめきに変わる。

 「そうよ。本当なら、私が恭一郎さんの妻になるはずだったのに」

 恨めしげに敏子が睨んでくる。無理もない。今年女学校を卒業した彼女が恭一郎と結婚するはずだったのだから。

 さぞ悔しかろうと、小夜は申し訳なく思う。

 そして、この結婚に一番混乱しているのは小夜だ.
 

 図らずも小夜は、敏子から恭一郎を奪った形になってしまった。

 小夜は罵声が浴びせられる中で、そっと目を伏せた。

 泣いてもダメ、怒ってもダメ、傷ついた顔をしてもダメ。なぜなら被害者は小夜ではなく、彼らなのだから。
 
 小夜は嵐が過ぎ去るのを待つ。
 
 こうして縮こまっていると小夜の中にある大切なものが削られ、心が虚ろになっていく気がする。

 きっと恭一郎も不満を飲み込んで、この結婚を承諾したのだろう。ここにいる誰もが彼女を望んでいない。

 実家にすら小夜の居場所はなかった。

 (なぜ、こんなことになってしまったのだろう……)

 その時、小夜の前にふっと影が差す。

 一瞬打たれるのかと思い小夜は固く目を閉じ縮こまる。しかし、痛みは襲ってこない。
 恐る恐る目を開けると、恭一郎が小夜を庇うように前にたっていた。

 「これより、私の妻を貶すものは許さない」

 静かだか、重く強制力を持つ声。広間はしんと静まり返る。

 恭一郎は、小夜を振り返る。

 「小夜、嫌な思いをさせて悪かった。部屋に下がって今日はもう休め」

 まさか夫が庇ってくれるとは思っていなかった。
 
 親戚たちは、いったん口を噤んだものの不満が今にも爆発しそうだ。

 張り詰めた空気のなか、小夜は広間をでた。

 特に敏子の視線は小夜の肌を突き刺すようだ。

 小夜は廊下で待っていた使用人連れられて、しずしずと大広間を出た。

 その後、彼らの間で、どのような会話がされたのかわからない。




 小夜が夜の寝所で恭一郎を待ちながら、昼間の回想にふけっていると、
 
「小夜、入るぞ」

 恭一郎の声が聞こえた。

 がらりと目の前の襖が開かれ、小夜は緊張に体をこわばらせて、思わず三つ指をつき頭を伏せる。

 「小夜。面をあげろ」

 彼の言葉は静かで、怖くはないのに、どこか強制力を持っていた。これが退魔師としての力なのか、小夜にはわからない。

 小夜はゆっくりと顔を上げる。

 すると恭一郎は軍服に一振りの日本刀を手に持っていた。その姿に小夜は恐れおののいた。

 「呼び出しがかかった。俺は仕事に行かねばならない。今夜はこれで失礼する。小夜はゆっくり休め」
 「は、はい」

 ぴしゃりとふすまが閉まると、彼の足音が遠のいていく。

 小夜の心臓は驚きのあまり飛び出しそうになる。

 「優しい方なのかしら……?」

  恭一郎の表情は、揺らぐことなく、にこりとも笑わない。
  
 だが、祝言では小夜を親戚たちから庇ってくれたのは確かなことで。

 そして今は使用人に頼まず、自ら不在を小夜に伝えに来てくれた。

 少し前まで世話になっていた杉本家とはずいぶんと勝手が違う。




 犬神家は退魔師の家系で秘密が多く、この縁談をまとめた仲人自身も内情はよく知らないと言っていた。

 中でも小夜が一番気になっているのは、この家に舅と姑がいないことだ。

 妙なことにこの広い屋敷に恭一郎は一人で住んでいる。

 恭一郎とは顔合わせはしたものの短時間で、家族構成すら明かされていない。

 「ご挨拶とか、どうしたらいいのかしら……」

 この家のしきたりを教えてくれるものが誰もいないのだ。 

 ほどなくして小夜は行燈の火を消し、一人床に就いた。
 
 布団は実家や杉本家とは違い柔らかくて温かい。だが、妙に頭がさえてねむれそうにもなかった。