とうとうオーディション当日を迎えた。

 俺たちが申し込んだライブハウスでは、生演奏のオーディション方式が採用されている。いわゆる、デモテープなどは必要ない。主催者側が「実際に演奏を聞き、見て判断する」のが方針なんだとか。

 オーディション直前。俺たちはステージ上で機材のセッティングを始めた。この後にPAさんの協力のもと、サウンドチェックがある。今はその準備中ってわけだ。

「三崎くん。き、緊張しちゃだめだよ?」

 セッティングを終えると、陽葵が震えた声でそう言った。

 俺は経験者だから緊張はしないけど……どちらかといえば、陽葵のほうが緊張しているように見える。

「落ち着け、陽葵。オーディションと聞くと身構えてしまうけど、そう緊張しなくていい」
「で、でもさぁ……」
「オーディションってのは、バンドの方向性や曲を確認する審査みたいなものだ。何も点数をつけて合否を決めようってわけじゃない。陽葵が思っているほど、狭き門じゃないさ」
「そうなの? なんだ。じゃあ、合格できそうだね」
「……まあ普通に実力不足なら落選するけど」
「ちょっと! リラックスさせてよぅ!」
「す、すまん。でもまあ、たぶん大丈夫だから。練習どおりやろう。な?」
「うん……そうだね。由依は平気?」
「ええ。頼れる仲間が二人もいるもの。へっちゃらよ」
「由依……だよね! 私、がんばる!」

 陽葵は「よし!」と大声を出して気合いを入れた。まだ顔が少し強張っているが、いくらか緊張が解けたらしい。さすが由依。陽葵の扱いが手慣れている。

 場の空気が和んだところで、俺はPAさんに声をかけた。

「『スリーソウルズ』、セッティングOKです」
「ありがとうございます。では、サウンドチェックいきます。まずはドラムから――」

 PAさんの指示に従い、音を鳴らしていく。
 サウンドチェックでは、楽器の音量のバランス確認とその修正をする。よくライブ前のリハーサルでやるアレだ。

 サウンドチェックと照明の確認が終わると、ライブのオーナーさんがやってきた。年齢は四十歳くらいだろうか。銀髪ロングの男性だ。細身でスタイルがいい。ベロアの黒いジャケットをかっこよく着こなしている。

 簡単に挨拶を交わすと、オーナーに演奏を促された。

「『スリーソウルズ』です。よろしくお願いします。『クロハル』って曲を演奏します」

 陽葵がそう言うと、三人で目配せする。

 オーディションとはいえ、これがスリーソウルズのデビュー戦。ネックを持つ手に自然と力がこもる。

 それぞれの事情で暗黒の青春時代(クロハル)を過ごしてきた俺たち。
 今、ここで淀んだ春に終止符を打とう。

 ドンチッ、ドンチッ!

 後ろで聞こえるドラムの四つ打ち。二拍目と四拍目にスネアが入り、単調になりがちなリズムのアクセントとなる。青春に負けた俺たちの反撃の合図だ。

 シンバルが生み出す、大切な何かが壊れたような音。儚い音色の合間を縫うように走るギターの旋律。それをベースの低音が調和し、一つの音楽となる。

 俺は正確なリズムを刻みながらアタック音を奏でた。ゴーストノート。陽葵が褒めてくれた、幽霊の音。

 昨日の光景――夕焼け空の下、くすぐったそうに笑う陽葵の姿が脳裏に浮かぶ。

 俺が陽葵のためにしてあげられること……考えたけど、たった一個しか思い浮かばなかった。

 それは、このバンドで最高のパフォーマンスをすること。

 陽葵は言った。俺のゴーストノートがかっこいいって。俺らしい歌詞を書いてほしいって、そう期待してくれたんだ。
 だったら、それに応えるしかないだろ。
 俺をイメージした暗い楽曲がやりたいって?
 上等じゃないか。
 生憎だが、真っ黒な思い出なら売って余るほどある。このベースで青く塗り潰して音楽に変えてやるよ。

 他にはなんだ?
 陽葵がやりたいこと、もっと教えてくれ。

 キラキラした青春を送りたい?
 人気者になりたい?
 夢は大きくメジャーデビュー?

 それが陽葵の夢ならば、俺は全力でアシストする。
 こんなふうに、根暗な音をかき鳴らして。

「――――」

 サビに入り、美しい裏声(ファルセット)がステージに響く。

 新曲のテーマは『陰キャでも、ありのままの自分で青春したい!』。要するに、俺の魂をぶつけた歌だ。

 臆病だから何も言えない。好きも嫌いも胸の奥。心に鍵をかけて、気持ちは大事にしまっている。教室の隅っこで空気みたいに突っ立ってさ。みんなの声は俺に届いても、俺の声はみんなに届かないんだ。どうすれば自分らしく生きられるのか。答えはわかっているのに、やらない言い訳だけが上手くなっていく。下手くそな作り笑顔ばかり浮かべて、やりたくもないサポートのバイトをする日々だった。

 そんな俺の濁った心を、陽葵が青色に塗り替えてくれたんだ。

 第一印象は最悪だったけど、今は誇れるよ。
 いつだって自分らしく振る舞う君と、バンドを組んでいることを。

「――――」

 ドラムとリズムを合わせながら、狂ったようにアタック音を入れる。全身全霊のベースソロだ。

 作曲者の陽葵があえて俺の見せ場を作ったのは、それなりの意味があると思う。音楽でも自己主張しちゃえばいいじゃん……そんなメッセージが込められているような気がしてならない。俺は心の叫びをベースの音に乗せた。

 嫌いなものが多すぎて目を瞑った日も。人を傷つけるのが怖くて、震えながら口を閉ざした日も。本当は心を曝け出したかったんだ。俺が何を愛して、何を嫌うのか。それだけでも誰かに知ってほしくて。

 陽葵から勇気をもらった今なら言える。俺が心から欲したのは、信頼できる仲間と音楽を奏でる青春。一番嫌いなのは、人付き合いに臆病な自分だ。吠えろ、ゴーストノート。この音は学校にいてもいなくても変わらない、陰キャぼっち(ゴースト)の咆哮だ。

 ……ああ。でも、今は違うか。

 隣を見れば、気持ちをぶつけ合える仲間がいる。
 俺たちは『スリーソウルズ』。三つの魂の叫びが、最高の音楽を生み出すんだ。

「――――」

 身を焦がすような歌声が止むと同時に、弦を押さえる。

 演奏が終わった。
 三人の荒い呼吸が耳鳴りのように聞こえる。心臓は騒がしいけど、穏やかな気分だ。

「ありがとうございました!」

 三人で頭を下げるが、オーナーからの反応はない。

 ……駄目だったか?

 顔を上げると、オーナーの表情は硬かった。

「……暗い音楽だね。音も歌詞も夜みたいだ」

 やっぱりか……俺の主観全開の歌詞だし、そうなるよな。

 落ち込んでいると、オーナーの表情がふっと和らぐ。

「でも、ひたすらに真っすぐで、心に刺さるいい楽曲だったね……合格だ」
「本当ですか!?」

 おもわず聞き返すと、オーナーは笑顔で首肯した。

「ああ。ぜひうちのライブを盛り上げてくれ。頼んだよ」

 言われた瞬間、腹の底から熱い感情がこみ上げてきた。

 やった……これでまだ陽葵と夢を追いかけることができる!
 拳をぎゅっと握り、仲間たちのいるほうへ振り返ろうとした。

 そのときだった。

「陽葵ッ!」

 由依の悲鳴がステージ上に響く。
 慌てて振り返ると、陽葵がうずくまっていた。

 ふとファミレスでの由依の言葉が脳裏に蘇る。


『これもお医者さんの話だけど、心臓の鼓動が速まると、ゴーストリノ原子が活発になるみたい。緊張状態や興奮状態はもちろん、激しい運動……ライブなんかも含まれるわ』


 まさか……幽霊病が発症したのか?
 初合わせの、あの日のように。

「お、おい! 大丈夫かよ!」

 俺と由依は陽葵のもとへ駆け寄った。

「あはは……へーき。ちょっと立ち眩みしただけ」

 陽葵の笑顔は引きつっていた。顔は青白くて、額には脂汗が滲んでいる。呼吸も荒い。体が透過していないのが、せめてもの救いだ。

「あまり大丈夫そうには見えないが……救急車を呼ぼうか?」

 いつのまにかそばに立っていたオーナーが、心配そうに陽葵に尋ねる。

「いえ、本当に大丈夫です! ご心配かけてすみません!」

 陽葵は由依に肩を借りて、よろよろ立ち上がった。

「ならいいんだが……気分がよくなるまでロビーで休んでいくといい」
「ありがとうございます、オーナーさん……由依。迷惑かけてごめんね?」
「おばか。私のことよりも自分の心配をしなさい」
「ちぇっ。怒られちゃった」

 拗ねる陽葵と目が合う。
 彼女は嬉しそうに笑った。

「三崎くん! オーディション、受かったね!」

 こんなにボロボロな状態なのに、どうして笑っていられるのか。その強さと眩しさに命の輝きを感じてしまい、何故か無性に不安になる。

「……ああ。本番も頑張ろうな。この三人で」

 俺は当たり前のことを言葉にした。願いを口にしないと、なんだか叶わないような気がしたから。

 陽葵は「うん!」と明るく返事をして、由依と一緒にロビーへ向かった。俺はオーナーに礼を言ってから、彼女たちの背中を追う。

 ライブ本番まで、陽葵は元気でいられるだろうか。楽しそうにギターを弾き、美しい歌声を響かせられるだろうか。最後まで俺たちのそばにいてくれるだろうか。最悪なシナリオが頭の中に浮かんでは消えていく。

 ……いけない。せっかくオーディションに受かったんだ。暗いことばかり考えるな。今は喜びを分かち合う場面だろ。

 ロビーに着くと、由依は陽葵を椅子に座らせた。

「陽葵。あまり無理しては駄目よ?」
「大丈夫だよ、由依。本当に立ち眩みだったの。体も透けなかったでしょ?」
「でも……」
「んもう。せっかくオーディション合格したんだよ? もっと喜ぼうよ!」
「……そうね。お疲れ様」
「そうそう、それだよ。私、ニコニコしてる由依のほうが好き」
「あなたが心配かけなければ、私はいつも笑顔なのだけど」
「なにそれー。意地悪すんなよー」

 二人で和やかに会話しているのを、俺は黙って聞いていた。

 親友がこんな状態なのに、由依も笑顔でいてあげられるんだな。
 ただ一人、俺だけが弱いんだ。
 もしも陽葵が音楽をやらずに安静にしていれば、長生きできるんじゃないか……そんなことを考えてしまっているのだから。

 わかっているさ。命短い陽葵から音楽(ゆめ)を奪うなんてこと、できっこない。陽葵だって、一生懸命悩んでたどり着いた結論のはず。いくら仲間でも、考え抜いた生き方を否定すべきではない。

 だからこそ、辛いんだ。
 あいつの夢は叶えられても、命は救ってやれないなんて……悲しすぎるんだよ、ちくしょう。

 己の無力さを呪っていると、入り口のドアが開いた。男四人がぞろぞろと入ってくる。
 男たちを見て、ぎょっとした。
 そのうちの一人が大沢だったからだ。

「こんちはー……あ? なんで三崎たちがいるんだ?」

 大沢は俺を見るなり、急に不機嫌になる。

「俺たち、ここのライブに出たくてオーディションを――え?」

 大沢の隣に立っている男を見て、頭が真っ白になる。

 背が高くて、線の細い体。切れ長の目。パーマのかかった黒髪。中学の頃から、あまり変わっていないからすぐ気づいた。

 桐谷修司(きりたにしゅうじ)
 中学時代、俺が活動していたバンドのドラマーだ。