それからは練習に明け暮れる日々だった。
 朝も昼休みも放課後も練習。家に帰っても自主練を続ける日々。俺たちはオーディションに向けてひたすら技術を高めていた。

 気になることがあるとすれば、大沢である。

 あの一件以来、大沢は絡んでこなくなった。無言で睨まれたり、舌打ちをされることはあるが、意地悪してくる様子はない。敵意はあるのに、何もしてこないのがなんとも不気味だ。

 とはいえ、あいつにかまっている暇なんてない。俺はひたすら練習に打ち込んだ。


 ◆


 あっという間に数日が過ぎ、迎えたオーディション前日。
 放課後の練習が終わり、俺と陽葵は帰り道を歩いていた。

「いよいよ明日だね、三崎くん」
「ああ。絶対合格しよう。俺たちならできるさ」
「だねっ!」

 陽葵は大きく伸びをした。夕陽を背に受けて、体を伸ばす彼女の姿は絵になる。まるで映画のワンシーンみたいだ。

「ねえ。三崎くんはさ、嫌じゃない?」

 唐突にそんな質問を投げかけられた。

「嫌って何が?」
「幽霊病のバンドメンバーがいること」
「……どうしてそんなことを聞くんだ?」
「ん? まあ、なんとなくだよ」
「誤魔化さずに言えよ。ちゃんと言葉にしてくれないと、こっちが不安になるだろ」
「おおー。自己主張ができなかった三崎くんが、はっきりと自分の意見を言うなんて……成長したね」
「茶化すなって」
「あははっ。ごめんね。なんかマジな話をするの、恥ずかしくてさ」

 陽葵は立ち止まった。
 先ほどまで笑っていたのに、急にしおらしくなる。

「……このまま三人でバンド続けるとしてさ。それは嬉しいことだけど……私、いつかいなくなっちゃうから」
「陽葵……」
「私ってば、三崎くんを強引に誘っちゃったでしょ? その張本人がバンド続けられないの、無責任に思われるかなーって」

 夕陽のせいだろうか。陽葵は今にも消えてしまいそうな、儚い笑みを浮かべている。

 初めて見たかもしれない。
 あの陽葵が、露骨に弱音を吐いているところを。

「……三崎くん。バンド、無理に誘っちゃってごめん」
「ばーか。そんなことで謝るな」
「ぷぎゃっ!」

 俺は陽葵の鼻にデコピンしてやった。

「いったいなぁ! 何すんだよぅ!」
「あのな。たしかに出会いは最悪だったよ。初対面のヤツが脅してきて、無理矢理バンドに誘ってきたんだから」
「うっ……それは本当にごめん」
「俺とは真逆の性格で、自分の言いたいこと言って、やりたいことやって……振り回されてばっかりだっつーの」
「ご、ごめんってばぁ」
「……でも、今は感謝してるよ」

 陽葵は俺に変わるきっかけをくれた。
 後悔しないで生きるなら、言いたいことは言ったほうがいい……優しい言葉で、俺の心を救ってくれたんだ。

「俺が自己主張できるようになったのは陽葵のおかげだ。それなのに、嫌になるわけないだろ」
「そっか……えへへ。なんか安心したかも」

 照れくさそうに笑う陽葵。
 頬が赤いのは、きっと夕陽のせいじゃない。

「へえ。陽葵も照れたりするんだな」
「な、なにさぁ。そっちが恥ずかしいこと言うからじゃん」
「言いたいこと言っちゃえって、陽葵から教わったんだが?」
「むーっ。可愛くないヤツ」
「ははっ、悪かったよ……なあ。その、こんなこと聞いていいのかわからないんだけど……」
「なに?」
「……幽霊病の進行具合はどうなんだ?」

 たぶん、今すぐ消えてしまうような状況ではないと思う。

 ゴーストリノ原子が陽葵に悪さをするのは、鼓動が速まったときに限定される。事実、陽葵が透過しているのを見たのは初合わせのときだけ。それ以降、練習中に体調不良になったことは一度もない。

 だから、つい現実逃避してしまう。
 もしかしたら、このまま長生きできるんじゃないかって。

 期待と不安が入り混じる中、陽葵は首を左右に振った。

「自分でもわからないんだよね。調子がいい時期が続いていても、急に透過することもあるし」
「それは……激しい運動をしたときか?」
「ううん。調子が悪いときは、軽くボイストレーニングしただけでも、手が透けたりするんだ」
「そっか……」
「でも、今すぐ死ぬわけじゃないから安心して?」

 そう言って、陽葵は笑った。

 風が吹き、彼女の髪がはらりと揺れる。沈む夕陽と一緒に消えてしまいそうな気がして、なんだか無性に悲しくなった。

「こらこら。オーディション前日にそんな暗い顔しないの!」
「でも……」
「死ねないっしょ! ライブやるまではさ!」

 陽葵は俺の顔を覗きこみ、ウインクした。
 当事者でもない俺がこんなに怖いのに、君は明るく前を向くんだな。すごいヤツだよ、本当に。

「……そうだな。明日は頑張ろう」
「うん! ぶちかましちゃお!」

 陽葵は夕焼け空に向かって拳を突き上げながら歩き出した。彼女の足元から伸びる長い影も一緒について行く。まるで背後霊みたいだ。

 漠然とした不安だけが心の中に渦巻く。

 ……自分にできることがなさすぎて嫌になる。

 俺は陽葵に何をしてやれるのだろうか。
 彼女が俺に大切なものをくれたように、俺も何か与えてやれるのだろうか。

 そんなことを考えながら、陽葵の背中を追った。