夏休みが明け、陽葵のいない新学期が始まった。

 俺の日常に一つ変化があった。大沢がウザ絡みをやめ、音楽の話をしてくるようになったのだ。あいつと仲良くしたいわけではないが、音楽の話だけは妙に気が合って、ちょっといいヤツかも、と思ってしまう。

 あとで桐谷から聞いた話だが、バンド対決後の大沢は俺に興味を持ったらしい。桐谷に「中学からあんなに上手かったのか?」など、質問攻めしていたようだ。やっぱりあいつ、ツンデレだったのかと呆れている。

 大沢の友人も俺に話しかけるようになった。みんな面白がって「ベース弾いて!」と頼んでくる。俺が面倒くさそうに弾くと、「地味すぎだろ!」「何の曲だよ!」と大笑いした。楽しい時間ではないのだが、一人でいると陽葵のことを考えてしまう。誰かに話しかけられるのは、純粋にありがたかった。

 ……変な感じだ。

 由依がいて。大沢がいて。クラスメイトもいて。今日も学校は当たり前のように騒々しいのに、陽葵だけがここにいない。胸にぽっかりと穴が開いた気分だった。

 それでも、前を向くしかない。
 どれだけこの世界が理不尽でも、時間は未来へと流れていくのだから。

 ……少し前の俺だったら、絶望して自分の殻に閉じこもっていたに違いない。こんな根暗な俺を変えてしまう陽葵は、やっぱりすごいヤツなのだ。

 放課後。教室を出ると、廊下に由依が立っていた。俺を見つけると、控えめに手を振ってきた。

「三崎くん。調子はどう?」
「寝不足だよ。いろいろ考えちゃって」
「私も。ほら見て。目の下にクマができちゃった」

 あ、本当だ。徹夜三日目の朝みたいな顔をしている。

「ははっ……ま、ちょっとずつ元気を出していくしかないよな」
「三崎くん……そうね。ちょっとずつ、ね」
「ああ。陽葵もそれを望んでいると思うし」
「ええ……ところで、陽葵から手紙を預かっているの。あなた宛てよ」

 由依は鞄から一通の封筒を取り出した。色は白。長方形で、ハートのシールで封がしてある。

「どうして陽葵から手紙が……?」
「陽葵のお母様から預かったの。あの子、生前に書いておいたらしいわ。いつ消えてしまうかわからないから、元気なうちにって」

 由依は封筒を俺に差し出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう……何が書いてあるんだ?」
「さあ? ちなみに、私宛ての手紙には思い出とか、感謝の言葉が綴ってあったわ」
「そっか……じゃあ、俺もそんな感じかな?」
「ふふっ。どうかしらね?」
「なんだよ、その意味深な笑いは……やっぱり中身知っているんじゃないのか?」
「人の手紙を盗み見る趣味はないわよ。でも、陽葵とは親友だからね。なんとなく、内容はわかるの」
「じゃあ、教えてくれても……」
「駄目よ。自分で確かめなさい。泣いてしまうから、誰もいない場所で読むのをおすすめするわ。ソースは私」
「……さてはその目のクマ、深夜に読んで朝まで泣いていたな?」
「ふふっ。恥ずかしいけど、そういうこと」

 由依は「ばいばい」と言い残し、笑いながら去っていく。
 俺はその場で手を振り、彼女を見送った。

 さて……どこで読もうか。

「……適当な場所を探すか」

 手紙を鞄にしまい、校門を出た。そのまま帰路とは反対方向へと歩いていく。

 日は西に沈みかけ、もう夕方になっていた。オレンジに染まった歩道をひたすら歩く。夏休み明けとはいえ、今日も猛暑日だ。途中で冷たい缶ジュースを買って飲みつつ、目的地に向かう。

 しばらく歩き続け、河川敷にやってきた。
 周囲には誰もいない。ここなら誰にも邪魔されずに読めるだろう。

 俺は芝生の上に座り、鞄から手紙を取り出した。
 封を開けると、数枚の便箋が綺麗に折りたたんで入っていた。
 それらを丁寧に広げていき、一枚目から目を通す。



『こんにちは、三崎くん。空町陽葵です。

 君がこの手紙を読む頃には、たぶん、私は消えてしまっていることでしょう。
 いつ消えてしまうからわからないので、私からの最後のメッセージは、確実に届けられる手紙という形で残そうと思います。

 ……あらたまって書くと照れちゃうね。なんかむず痒い。敬語で書くの、ここでおしまいにしよっと。

 実は私、三崎くんに秘密にしていたことがあるの。それをこの手紙で伝えたかったんだ。

 ねえ。私との出会い、覚えてる?

 たぶん、三崎くんはこう思っているはず。「俺がライブハウスから出てきたとき、脅迫してバンドに強制加入させたあの日か」って。あのときはごめんね。でも、あれがなかったら仲良くなれたかったよ? 結果オーライだよね、えへへ。

 三崎くんにとって、私との出会いはあの日かもしれない。

 でも、私は違うんだ。

 ライブハウスでバンドに誘った日、私はすでに三崎健を知っていたの。私たちは偶然出会ったんじゃない。私が君を待ち伏せしてバンドに誘うまで、全部計画通りだったんだ。

 意味わかんないよね。ちゃんと説明する。下手っぴだけど、頑張るね。

 私が中学生の頃の話。

 長くは生きられない……それはもう小さい頃からわかっていた。だから、好き勝手生きることにしたの。人生は一度きり。最後の瞬間までキラキラした自分でいたかったから。

 でも、どうすればキラキラできるのか。そんな難しいこと、わからなかった。私は青春さえもロクに送れない、可哀そうな女の子だったんだもの。キラキラした人生なんて、ほど遠いところで生きていたんだから仕方がないよね。

『陽葵は何かやりたいことないの? 何か一緒にやらない?』

 中三の夏、由依がそう言ってくれた。
 誘われたのは嬉しかった。一人ではできないけど、二人なら少しはキラキラできるかもって思えたから。

 だけど、私は由依の質問に答えられなかった。入退院を繰り返す私には、全力で打ち込める『やりたいこと』なんて何もなかったから。

 それから数日が経った、ある日のこと。由依がライブに誘ってくれた。

 あ。言い忘れていたけど、その頃には由依はもう退院していたんだ。元気に学校にも通っていたし、私以外の友達もできていたみたい。ライブに誘ってくれたのは、由依の友達の一人がライブに出るからだったの。

 当時の私は音楽に興味がなかった。でも、由依と出かけるのは好き。だから、軽い気持ちでついていった。小さなライブハウスだったなぁ。狭くて、内装は黒くて、なんか怖い場所に来ちゃったなって思った。なんか全身タトゥーの人とかいたしさ。怖かったから、ずっと由依の手を握っていたっけ。

 私はドキドキしながらライブを観た。

 そのとき、とても切ない音を鳴らすベーシストがいた。

 その人は悲しい顔で弦を爪弾くの。ううん、それだけじゃない。心地よいアタック音を連続で鳴らした。音にならないその音は幽霊の声みたいで、私は目が離せなかった。

 あとで調べたら、その人の名前がわかった。

 三崎健。私と同い年で、すっごく上手いベーシスト。でも、何故かバンドはやっていなくて、サポートメンバーとして様々なバンドに参加しているらしい。

 私は君を追っかけた。SNSを駆使して情報を集めて、君の出るライブはできるだけ行った。あの幽霊の音符が聞きたくて……真夜中に想いを吐き出すような音を奏でる、君のことが気になって。

 というわけで、私は三崎くんの大ファンだったのでした。

 どう? 驚いたでしょ?

 で、君の演奏を聞いているうちに、私も音楽をやりたくなっちゃったんだ。君みたいに美しい音を奏でられたら、それはきっと素敵なことだと思ったから。

 私は由依を誘って音楽をやることにした。
 私がボーカルとギター。由依はドラム。ベースは……いつか君と演奏ができるように空けておいた。

 君と同じ高校に入学したのは偶然だった。運命じゃないかって思ったよ。憧れのベーシストがこんなにそばにいる……私に意地悪ばかりする神様が、最後くらいは三崎くんとバンドでもやればいいって言っている気がした。

 でも、すぐには声をかけられなかった。一緒に活動するには、まだ私たちのレベルでは納得してもらえないと思ったんだよね。

 だから一年間、死ぬ気で練習した。休む暇なんてない。病気が悪化しても続けたよ。だって、あと少し手を伸ばせば夢が叶うんだもん。本気になるのは当然でしょ?

 そして、あの日――私は偶然を装って、君を誘いにライブハウスへ行ったんだ。

 私がキラキラした夢を見つけられたのは、三崎くん……あなたのおかげだよ。

 本当にありがとう。
 最後に素敵な思い出ができた。

 いい人生を送れたって、胸を張って言える』



 信じられない事実の連続に、涙をこらえるのがやっとだった。

 出会ったあの日。どうして陽葵は俺のことを知っていたのか気になっていた。まさか、あいつが俺の追っかけだったなんて夢にも思わなかったよ。

 陽葵のおかげで俺は変われた……そう思っていたけど、それは陽葵も同じだったんだな。保健室で君が言っていたとおりだ。

 俺は手紙の続きを読んだ。



『実はもう一つ、三崎くんに隠していたことがあります。

 でもね、この手紙を書いている今も伝えようか迷っているんだ。私の秘密を打ち明けたら、君を困らせるだけだってわかっているから。

 ……恥ずかしさよりも、怖いって気持ちが勝る。私も君と同じで、臆病で弱虫だから。自分のことよりも三崎くんのことを考えてしまうの。

 それなのに、私、もう自分の想いを抑えきれない。保健室で言いかけたこともあったけど、今はもう駄目みたいでさ。胸がパンクしちゃいそうなの。

 恋をするって、こういう気持ちなんだね。

 これから書くことは、たぶん三崎くんを不快にさせてしまうかもしれない。だから、これ以上は読まなくても大丈夫。

 だけど。
 もし、私のワガママを聞いてくれるなら、最後の一枚まで付き合ってほしいな。

 ……大丈夫かな?

 言っちゃうよ?

 大切な君に、ずっと言えなかったこと』



 手紙を持つ手が震えていた。
 目頭が熱い。涙で滲んで文字がよく見えない。

 最後の一枚には、こう書かれていた。



『告白します。

 私、三崎くんのことがずっと好きでした。

 人を傷つけてしまうことを恐れる優しさ。
 ちょっぴり捻くれているけど、芯が通っていて真っ直ぐな信念。
 なんだかんだいって、誠実で仲間想いな性格。
 そういうところが、好きだった。

 まだまだあるよ。照れ隠しするときの可愛い顔も。大きくて男らしい手も。ベースを持ったらイケメンなところも。ぜーんぶ好きです。

 でも一番好きなのは、やっぱり君の奏でる音楽かな。
 孤独の中に強く燃える意志。それが幽霊音符となって、私の弱っちい胸を打つの。

 陰キャぼっちのベーシストさん。
 私に夢を見させてくれて、ありがとう。
 キラキラした青春をプレゼントしてくれて、ありがとう。
 恋を教えてくれて、ありがとう。

 好きです。
 大好きです。

 いつになるかわからないけど、またいつかライブしようね。一足先に天国で待っているから。告白の返事は、そのときに聞かせてほしいな。

 ……ねえ。音楽、続けるよね?
 私がいなくなったからって辞めちゃ駄目だよ?

 私に気をつかわなくていいからさ。由依を誘ってバンドやってよ。新メンバー入れて楽しくやってほしいな。天国まで聞こえるように、いい音を奏でてね。

 最後までワガママな女の子でごめんなさい。

 さよなら、私の大切な人。
 ばいばい、三崎くん。

 PS・デート中、君が私の私服を「可愛い」って言ってくれたの、覚えてる? あのとき、実は少しだけ手が透過していたんだ。たぶん、君にはバレちゃってたよね。幽霊病って心臓の鼓動が速まると、症状が悪化しやすいから。たぶん、その性質のせいかも。

 好きな人に「可愛い」って言われて、透けるほど心臓が高鳴りました。嬉しかったです』



 手紙を持つ手に力がこもる。

 約束するよ。音楽を続ける。バンドメンバーも探す。天国にいる君に届くまで、何度だって音をかき鳴らすよ。

 だから、いいだろ。
 今だけは、弱音を吐かせてくれ。

「うあっ……あぁぁっ……!」

 泣きながら、夕焼け空を見上げた。
 我慢なんてできない。温かい涙があふれ、こぼれ落ちていく。

 もっと君のことを知りたかった。もっとそばにいたかった。もっと一緒に音楽をやりたかった。

 もっと早く出会えていたら。そう思わずにはいられない。

 ずるいよ、陽葵。自分だけ告白するなんてさ。
 君が言った「好き」って気持ち……俺は、言ってあげられなかったのに。

 そもそも「恋人は作れない」って言ったの、陽葵じゃないか。だから俺は好きって気持ちを我慢して詞を書いたのに……最後まで自分のやりたいことをやりやがって。本当、自由奔放なヤツ。

 だけど。
 陽葵の気持ち、嬉しかったよ。
 君を好きになれて、本当によかった。

「陽葵……ありがとう」

 感謝の言葉はオレンジ色の空に吸い込まれていった。

 目元を拭い、遠くの景色を眺める。

 夏の河川敷は幽霊みたいに揺らめいていた。