翌日。俺は由依とファミレスに集合した。昨日、陽葵と交わした約束を報告するためである。

「えっ……ライブやるの?」

 説明すると、由依は目を丸くした。目元が腫れぼったく見えるのは、泣き過ぎたせいかもしれない。

「ああ。陽葵が最後にやりたいって」
「私は反対。そんな縁起でもないこと、やりたくないわ」
「由依……」
「それに三崎くんもそばで見てきたでしょう? ライブをするたびに陽葵の命が削られていくのを」
「……俺も陽葵も、辛いのは承知の上だ」

 俺だってわかっている。ライブ後、陽葵が決まって体調を崩していたことくらい。心臓に負担がかかり、ゴーストリノ原子が透過して、人間を構成する原子が結合崩壊を起こす……その症状はどんどん悪化している。

 俺も完全に覚悟が決まったと胸を張って言えるわけじゃないんだ。陽葵には消えてほしくない。当たり前だ。

 でも、陽葵は音楽をやることが夢だという。長い時間、死と向き合って出した結論なのだろう。

 好きな人が望む、最後の願い……叶えてあげたいって思うこの気持ちは本物だ。
 陽葵の最期を看取るとき、「つまんない人生だったな」なんて言ってほしくないから。

「頼む。由依はずっと陽葵を応援してくれていたじゃないか」
「それは……でも、陽葵の容態は確実に悪化しているわ。今までとは状況が全然違う」
「だからこそ、なんだ」

 残された時間はわずかなら、なおさら『キラキラした青春』を送ってほしい。それが、あの子の『(ソウル)』だったはずだろ。

 俺は席を立ち、頭を下げた。

「お願いだ、由依」
「ちょ、三崎くん!?」
「陽葵のおかげで俺は変われた。たくさんの希望をもらったんだ。でも、俺はまだ何も返せていない……最後の瞬間まであいつに寄り添うことが、俺にできる恩返しなんだよ」
「三崎くん……」
「俺のことを恨んでもいい。だけど、最後に一回だけ、俺と陽葵のワガママに付き合ってくれ」

 由依は返事をしなかった。俺は無言で彼女の反応を待つ。

 しばらくして、由依のため息が漏れる。

「はぁ……顔をあげなさい。あと恥ずかしいから座って」
「ああ……わかった」

 言われたとおり、顔をあげて席に座り直す。

 由依は真剣な顔で俺を見た。

「それ、陽葵のお願いなのよね?」
「ああ。お願いというか、陽葵との約束だ」
「……私の知らない間に、そんな関係になっていたのね」

 そう言って、由依は笑った。

「わかった。ライブしましょう」
「本当か!? ありがとう、由依!」
「まったく困った子ね。今思えば、陽葵にはずっと振り回されてきたわ」
「そういえば、陽葵は昔からああなのか?」
「ええ。自分のやりたいこと優先で、いつも私を巻き込むトラブルメーカーよ」

 由依はふっと微笑み、昔話を始めた。

「実はね。私、最初は陽葵と仲良くなかったの」
「えっ? そうなのか?」

 意外だな。幼い頃から陽葵のよき理解者だと思っていた。

「小さい頃、私も病弱で学校に行けなかったって話、したかしら?」
「ああ。たしか初めて会ったときに聞いた気がする」
「私も難病を抱えていてね。手術しないと助からない、心臓の病気だったんだけど……怖くて手術を拒否していたの。万が一、手術が失敗したら、死んじゃうって聞いていたから……あっ。もちろん手術は成功したから、今は人並みに健康よ?」
「そうだったのか……それで似たような境遇の陽葵と仲良くなれたんだな?」
「ええ。でも、当時は陽葵のこと、好きじゃなかった。同じ病院に入院していたんだけどね。あの子、病気のくせに元気でうるさくて……私と同じ病人なのに、全然辛そうにしていないのが羨ましかったのよ。今思えば、ポジティブに生きられる陽葵に嫉妬していたのね」
「……昔から変わらないな、あいつは」

 どれだけ不幸でも、明るく前を向いている。それが陽葵だ。本当は俺たちと同じ弱虫なのに。

「あるとき、陽葵に言ったの。『陽葵ちゃんと遊びたくないから、もう声かけないで』って」
「それは……ものすごい拒絶だな」
「そしたら、あの子なんて言ったと思う? 『嫌だ! だって、由依ちゃんとお友達になるって決めたんだもん! 病弱だから学校に通えない、ぼっち友達!』って」
「ははっ。滅茶苦茶だな……でも、陽葵らしいかも」

 呆れてそう言うと、由依は笑ってうなずいた。

「そのとき、思ったの。私より重たい病気にかかっているのに、どうしてこの子は明るく前向きに生きられるのかなって……この子のそばにいれば、私もポジティブになれるのかなって」
「じゃあ、手術を受けられたのは……」
「ええ。陽葵が元気と勇気をくれたからよ」

 由依は微笑んだまま、俺の目を真っ直ぐ見た。

「だから、今度は私の番。陽葵の命は救えなくても、挫けそうな心は支えられる。あの子が最後に『一生懸命生きた!』って胸を張って言えるように、手を貸してあげたい」
「由依……ライブ、頑張ろうな。陽葵が笑って消えていけるように」

 手を差し出し、固い握手を交わした。

 考えないといけないことは、たくさんある。
 ライブハウスをどうするか。病院の許可はいるのか。ご両親に報告すべきか。これからメンバーで話し合い、一つ一つ決めていかなければならない。

 でも、一番大事なのは、どんな新曲を陽葵と演奏するかだ。

 陽葵と約束したんだ……俺らしい曲を用意するって。

 もう迷わない。
 さよならの瞬間まで、キラキラした青春を送ってやる。

 それが、大好きな人の願いだから。


 ◆


 その日の夜。俺は自室で歌詞を考えていた。
 テーマは決まっていない。しいて言うなら『陽葵に捧げる最後の楽曲』だ。

 陽葵に贈る言葉が次々と浮かび、それらをノートに書き留める。たくさんの「ありがとう」が溢れて止まらない。

 陽葵への感謝……それは俺の嘘偽りない気持ちだ。

 だが、本当にそれでいいのだろうか。
 あいつが最後に聞きたいのは、俺からの「ありがとう」だけじゃないはずだ。他にもまだあると思う。

 一瞬、告白の言葉が脳裏をよぎる。

「……言えるわけないっての」

 陽葵は言っていた。自分が消えるとわかっていながら、恋人なんて作れないって。

 そもそも、あっちが俺のことをどう想っているのかもわからないのだ。最後の最後で困惑させるような言葉を投げかけるべきではない。

 行き詰まり、ペンを机の上に置く。
 こんなとき、どうすれば歌詞が思いつくのだろう。

 ふとオーディションで歌詞作りをしていたときのことを思い出す。あのとき、俺は陽葵からアドバイスをもらい、納得のいく歌詞ができたっけ。

 だが、陽葵に聞かせたい曲なのに、本人から助言をもらうわけにもいかない。

 ……由依に相談してみようか。
 彼女は陽葵と付き合いが長い。陽葵に捧げる曲を作るなら、よきアドバイスをくれるはず。

 俺はスマホを手に取り、由依に電話をかけた。

『もしもし。三崎くん?』
「ごめん、由依。こんな時間に電話して。今ちょっと話したいんだけど平気?」
『ええ。もしかして、歌詞の相談?』
「えっ? な、なんでわかった?」
『ふふっ。帰り際の三崎くん、すごくやる気に満ちていたから。帰ったら歌詞を考えるんだろうなって思っていたわ』
「バレバレだったか……」

 仕方ないだろう。俺はもう陽葵のことで頭がいっぱいなんだ。

『それで? 私は作詞の経験ないんだけど……協力できそうかしら?』
「ああ。実は、書きたいことが多すぎて困っているんだ。そこで由依の意見を聞きたい」
『そう……どんな歌詞を書くつもりなの?』
「最初は陽葵に贈る感謝の気持ちを伝えようと思ったんだ。自己主張もできない俺に変わるきっかけをくれてありがとうとか。俺のベースを好きって言ってくれてありがとうとか」
『素敵じゃない。いいと思うけど?』
「でも、それだけじゃ足りないんだ。俺は……陽葵にたくさんのものを貰いすぎた」

 君がいなくなるのが悲しい。大切な人を失うことが怖い。もっとたくさんの思い出を作りたかった。もっと笑顔が見たかった。言いたいことはたくさんある。感謝だけでは語り尽くせない。

「俺はどんな想いを曲に込めればいいんだろう……」
『そんなの、もう答えは出ているじゃない』

 スマホ越しに由依の呆れたような声が聞こえた。

「答えが出ている……?」
『三崎くんは陽葵にたくさんのものを貰ったって言ったわよね? 何を貰ったの?』
「前を向く強さとか、失うことの怖さとか、仲間がいることの温かさとか、安心できる居場所とか……おい。なんか恥ずかしいんだが?」
『ふふっ。いい感じね。もう答えはすぐそこよ。それらを陽葵から教わったとき、どう思ったの?』
「感謝だったり、悲しみだったり、幸せだったり……」
『そのすべてが、三崎くんの伝えたいことなんじゃないのかしら?』
「えっ? ぜ、全部?」

 その発想はなかった。
 だが、そんなの一曲に収まるのか? テーマがぼやけたりするんじゃないか?

 俺の心を見透かしたかのように、由依は言った。

『これが最後かもしれない。伝えなきゃ、きっと後悔するわ』

 その言葉は、心の中にある靄を払う光のようだった。

 由依の言うとおりだ……どうして伝える気持ちを一つにする必要がある?

 大切な人に伝えたいこと。そんなのたくさんあって当然だ。
 後悔なんてしたくない。
 俺の想いをすべてぶつけよう。

「由依。ありがとう。なんとか書けそうだよ」
『お役に立てたならよかったわ……ねえ、三崎くん』
「なんだ?」
『あのね……陽葵を支えてくれて、ありがとう』

 声が震えていた。
 涙ぐんでいるような、そんな声音だ。

『あなたがいたから、陽葵は強くなれたと思う』
「ううん、それは逆だよ」
『いいえ。逆じゃないわ。あなたが陽葵からもらったように、陽葵もあなたから夢をもらったの。あなたのおかげだわ』

 俺のおかげ……?

 ふと保健室での陽葵とのやり取りを思い出す。
 あのとき、陽葵自身も自分が変われたのは俺のおかげって言っていたな……どういう意味だ?

「なんかよくわからないけど……じゃあ、お互い様だな。礼を言い合うようなことじゃないさ」
『……ふふっ。そうかもしれないわね』

 そう言って、由依は笑った。

 その後、バンドの思い出話を少しして通話を終えた。

「さて……やるか!」

 ノートに向き合い、ペンを走らせる。陽葵のことを想いながら、感情の赴くままにフレーズを書き留めていく。

 楽しいとき。悲しいとき。泣いたとき。音を鳴らしたとき。夕焼け空の下、放課後の帰り道を歩いているとき。人を好きになる気持ちを知ったとき。どのシーンを切り取っても、俺のそばには君がいたね。

 だから、こんなに胸が熱くなるし、痛いんだ。

 涙が頬をすべり落ち、ノートに染みができる。
 そこにはちょうど歌詞が書いてあり、滲んで読みにくくなってしまった。

「あっ……」

 濡れた文字を心の中で読み返す。


『また明日、会えるかな?』


 会いたいな……明日も、明後日も。いつもの音楽室。隣で君の歌声を聴きながら、ゴーストノートを弾いてさ。練習が終わったら、コンビニで買い食いして帰るような、そんな当たり前の青春がしたいんだ。

 大切な人のことで胸がいっぱいになる、この想い。

 これが、恋なんだ。

 俺は涙をこぼしながら、朝まで歌詞を考え続けた。