ライブ後の控え室。
 俺は椅子に座り、陽葵と大沢のやり取りをぼんやりと眺めていた。

「おい。テメェら」
「あっ、大沢くん! 私たちの演奏、ちゃんと聞いてくれた?」
「ボーカルのお前……空町陽葵だっけ?」
「そ、そうだけど……なに? また文句言うつもり?」
「……この前は馬鹿にして悪かったな」
「えっ?」

 陽葵は目を丸くしている。気持ちはわかるよ。正直、あの大沢が謝るなんて俺も思わなかったから。

 大沢は陽葵から離れ、俺のほうへ大股でやってきた。しかも、何故か睨んでいる。いや目が怖いんですけど!?

「おいコラ三崎ぃ!」
「な、なんでございましょうか……?」
「今日のところは引き分けだ! 次はボコボコにしてやるから覚悟しておけ!」

 大沢はそれだけ言い残して、控室から出ていってしまった。

 引き分けでいいのか……?
 すまない、大沢。俺はお前らのバンドの演奏、よく聞いてなかったからわからんのよ……。

 戸惑っていると、

「三崎。お疲れ」

 桐谷がニヤニヤしながら声をかけてきた。

「おう。お疲れ様、桐谷」
「三崎のヤツ、悔しがってたぜ? 三崎があんなに上手いわけねぇだろうがーって」
「なんで怒られてるんだ、俺は……」
「ははっ。お前のこと、認めてるだけだよ。だからこそ、悔しいんだろ」
「……よくわからないけど、ツンデレってことでいい?」

 大沢の考えていることなんて理解できっこない。だってあいつ、ゴリラだし。まあ音楽で殴り合った結果、わかり合えたってことにしておこう。

「三崎。俺たちのバンドはどうだった……てかお前、ぼーっとしていて聞いてなかっただろ?」
「うぐっ」

 どうやら桐谷にはお見通しだったらしい。対決を楽しみにしていただろうに、悪いことしちゃったな……。

「申し訳ない。俺、完全燃焼しちゃったみたいで……」
「ははっ。三崎らしいな。ま、俺としてはお前の音楽が聞けて満足したよ」

 そう言って、桐谷は笑った。どうやら怒っていないらしい。大沢だったら、こうはいかないだろう。

「……三崎。お前、変わったな」
「え? そうか?」
「ああ。昔は自分の考えを表に出すタイプじゃなかったから」
「それは……そうかもな」
「でも『ビート・エアライン』が解散したあの日、お前は自分の意見を主張して、絶対に曲げなかった。それがずっと気になっていたんだ。そこまでして、三崎の本気でやりたかった音楽ってヤツを」
「桐谷……」
「同時に心配もしていてさ。あの一件以来、三崎は音楽を続けているのか。続けていたとしても、昔以上にクールな音が出せているのかってな」

 そこまで気にかけてくれていたのか……俺は昔も今も友達ができないかわりに、バンドメンバーには恵まれているんだな。

「そういうこともあって、今日は熱い演奏が聞けて嬉しかったよ。中学のお前とは別人みたいで、すごくエモかった」
「……そっか。だったら、俺も嬉しいよ」

 もし桐谷が「三崎は変わった」と思うなら、それはきっと陽葵のおかげだ。

 ちらりと陽葵を見る。

 瞬間、血の気が引く。
 陽葵が胸を押さえて、苦しそうにしているのだ。

「陽葵!? おい、大丈夫か……?」

 俺は目を疑った。
 陽葵の顔が透けていて、奥にいる由依の驚いた顔が見えたから。

 ライブという大仕事を終えた今、消えてしまうんじゃないか。まるで浮遊霊が現世の「やり残したこと」を解消し、あの世へ還るみたいに。

 そんな漠然とした不安に押し潰されそうになり、俺は声を失った。

 やや間があって、陽葵は倒れた。

「陽葵!」

 叫びながら、陽葵のもとへ駆ける。

 いつのまにか顔の透過現象を治まっていた。しかし、完全に回復したわけではない。陽葵の額には脂汗が浮かんでいる。とても辛そうで見ていられない。

 そうだ……手足は? 透けてないよな!?

 陽葵の頭のてっぺんから爪先まで視線を走らせる。

「えっ――」

 両肘から指先まで透過していた。

 いや。手だけじゃない。

 そんな、足まで透けて……!

「誰か救急車を! お願い、早くッ!」

 由依の泣き叫ぶ声が聞こえる。他のバンドが慌てふためく中、桐谷がスマホで電話をかけてくれた。

 俺はそっと陽葵の頬に手を添えた。

「陽葵……こんなところで消えたら嫌だよ!」

 君の夢をこんなところで終わらせたくない。まだキラキラした青春を送っている途中だろ。これからも支えさせてくれよ。そのための応援歌だったんだぞ。

 陽葵はわずかに口角を持ち上げて笑った。

「大丈夫。消えてなんかやらないんだから……せめて、もう一回ライブをするまでは」
「馬鹿! 次が最後みたいな言い方するな!」
「ごめん。でも、なんかさ。わかんないんだけどね」


 ――最後みたいな、気がしちゃうんだ。


 陽葵の寂しそうな声が、鼓膜より深いところで重たく響く。

 そんな弱気な言葉、聞きたくなかった。
 信じたくなくて、俺は首を左右に振った。

「もういいから! 安静にしていろ!」
「三崎くん。またライブしよ? 私、もっと演奏したい」
「わかった、俺がその夢を叶える! だから今はしゃべるな!」
「えへへ。ありがとう、三崎くん」

 陽葵の手が俺の頬に伸びてくる。
 しかし、透明な手は俺の顔をすり抜けてしまう。触れていないはずなのに、不思議と陽葵の温もりを感じた気がした。

 陽葵は言った。もう一回ライブをするまでは消えてなんかやらないと。
 頑張れ、陽葵。俺が支えるから、幽霊病なんかに負けるな。
 そう思う一方で、臆病な俺は考えてしまう。
 あと一回ライブをしたら、もう一生会えないのかもって。

 俺は「大丈夫だから」と何度も繰り返し、救急隊員が到着するまで陽葵のそばにいることしかできなかった。

 さよならのときは、すぐそこまできている。

 残酷な未来がちらついて、心臓がうるさく鳴るのだった。