陽葵が入院してから三日が経った。
由依の話によれば、どうやら陽葵の容態は回復に向かっているらしい。昨晩、陽葵の母親から「透過現象も治まり、面会ができるようになった」と連絡があったそうだ。
前触れもなく悪化したり、すぐ回復したり……なんて気まぐれな病気なのだろう。まるで子どもの悪戯だ。なんだか陽葵の命が弄ばれているようで腹が立つ。
今は放課後。俺と由依は、陽葵が入院した病院にやってきた。生憎の雨模様で、灰色の空はぽつぽつと雨を吐き出している。
俺たちは面会の受付を済ませ、病室に向かった。
「由依。その……陽葵の容態は大丈夫なんだよな?」
「今は落ち着いているみたい。でも、今後のことは……」
「わからない、よな……」
透過現象が治まったとはいえ、素直に喜べる状況ではない。
今まで透過したことはあっても、入院するほどの事態はなかった。以前はどうか知らないが、少なくとも俺と出会ってからは初めてだ。
症状が悪化しているのではないか……そう思わずにはいられない。
「陽葵ね。最近は練習量を増やしているみたいなの」
不安そうな顔で、由依は言った。
「練習のない日はボイストレーニングを欠かさないし、毎日夜遅くまでギターの練習をしたり……私が聞いた話だと、疲労も原因だろうって」
「……ライブ前だから追い込んでいるのか」
「そうみたい。ライブはあの子の目標だし、バンド対決のこともある。絶対に勝ちたいんだと思うわ」
練習量が増えて心臓への負担が増加したのが原因……つまり、練習しているだけで症状が悪化したってことか?
そんなのあんまりだ。
限りある命の中で、陽葵は夢を叶えようと頑張っている。そのための練習さえもさせてもらえないのか。
「理不尽で不平等だ……どうして陽葵がこんな目に遭うんだよ」
「ええ……本当にね」
由依は相づちを打ったが、それ以上は言葉を発しなかった。彼女にならい、俺も無言で歩く。
病院のリノリウムの床は靴音をよく響かせる。普段は気にならない床を蹴る音がやけに煩く感じた。
しばらくして、陽葵の病室――五〇五号室で立ち止まった。
「陽葵。お見舞いに来たわ」
由依がドアをノックして、声をかける。
すると、すぐにドア越しに返事が返ってきた。
「おーっ! わざわざありがとう! どうぞ、入ってー!」
底抜けに明るい声が返ってきて拍子抜けしてしまう。
俺と由依は顔を見合わせて笑った。
「なんか元気みたいだな……」
「そうね。まったく、心配ばかりかけるんだから」
愚痴をこぼしつつ、病室のドアを開ける。
一人部屋にしては、まあまあ広い個室だった。物はほとんどない。点滴などの医療用具があるくらいで殺風景な部屋だ。外の雨音が聞こえるくらい静かで、なんだか逆に落ち着かない。
陽葵はベッドの上で本を読んでいた。ピンクの水玉模様のパジャマを着ている。女子のパジャマ姿とか、目のやり場に困るな……。
陽葵は本を置き、嬉しそうに手招きした。
「三崎くんもありがとね! ささっ、二人とも座って!」
言われるがまま、俺たちはパイプ椅子を用意して腰かけた。
「陽葵。本当に大丈夫なのか?」
「うん。ごめんね、三崎くん。心配かけちゃって」
「いや。そんなこと……」
「でも、安心して! ライブに支障はないから!」
陽葵はグッと親指を立て、ニカッと笑う。
「そうは言っても、しばらく入院生活なんじゃないのか?」
「ううん。先生が明日には退院してもいいって」
「明日!?」
おいおい。そんなに早くて大丈夫なのかよ。
「心配しないで。幽霊病って透けるのは突然だけど、治るのも一瞬だからね。このまま入院しても処置することはないってさ」
透けるのは突然……それって、ものすごく恐ろしいことだよな?
やめてくれよ。
不安になるじゃないか。
陽葵が何の前触れもなくこの世から消える……そんな最悪な未来だってありえるんだぞ?
「そんなことより、三崎くん。新曲の歌詞がんばって作ってね!」
陽葵は笑顔で俺を激励した。
……そうだ。俺には陽葵の応援歌を作る役目がある。
遊園地デートを経て、歌詞に込める想いは決まった。希望も絶望もすべて歌詞にして、それでも前を向く君を応援する歌詞を作るんだ。下を向いている場合じゃない。
陽葵がいつ消えるかなんて、誰にもわからない。だったら、今を全力で生きないと後悔する。俺は陽葵のために、新曲の歌詞を本気で考えるべきなんだ。
わかってはいるけど……前を向くのが辛すぎる。
心の整理ができないまま、俺は陽葵に言った。
「わかった。最高の歌詞を作るから、もう倒れたりするなよ?」
……なあ、陽葵。
これでいいんだよな?
俺ができること、音楽しかないんだよな?
命を救えないのなら、心だけでも救わないといけないから……陽葵の夢を手伝うことに全力を尽くすべきなんだよな?
臆病な俺に、尋ねるほどの勇気はない。
俺は二人に「売店で飲み物買ってくる」と言い残し、逃げるように退室した。
◆
見舞いに行った二日後、陽葵は無事に登校することができた。相変わらず元気で、見た目は異常ナシ。陽葵は「治るのも一瞬」と言っていたが、その言葉に間違いはなかった。
音楽室でギターを弾く彼女を見ていると、なんだか無性に不安になる。本人は平気だと言っているが、そんなの誰にもわからないのだ。だって、消えるのは突然だから。
その後、陽葵に「歌詞まだ?」と急かされる日々を送っていたが、ようやく完成した。今日はそのお披露目の日である。
音楽室は重苦しい雰囲気に包まれていた。陽葵と由依は、歌詞の書かれたノートを真顔で読んでいる。
新曲の歌詞は、想定よりも負の感情が入ってしまった。でも、陽葵の気持ちに寄り添い、励ませるような歌詞になったと思う。これでボツを言い渡されたら仕方がない。
二人が読み終えるのを待っていると、由依が大きく吐息を漏らした。
「はぁ……拗らせ中学生の暗黒ポエムを読んでいるような気分になったわ」
「待て。どういう意味だ」
言っておくが、俺は中二病じゃない。根暗の陰キャぼっちだ。
……と訂正したところで、ただのネガティブ自慢である。俺とかいう存在、可哀そうすぎるだろ。
「私としては、少し暗すぎると思うのよね。とにかく負の感情が多いから……微かな希望と熱いパッションは伝わってきたけれど」
「そ、そうか……じゃあ書き直しかな?」
「どうかしら。陽葵の意見も聞いてみないと……」
「たしかに。なあ陽葵。俺の歌詞、どう、だった……?」
俺と由依は固まってしまった。
どういうわけか、陽葵が泣いている。涙をこらえるように唇を噛んでいるが、透明な雫がノートに落ちていく。
「ひ、陽葵? どこか体が痛むのか?」
「違うの、三崎くん。嬉しいの」
そう言って、陽葵は目元を指で拭った。
「……私、こういう曲を歌いたかった」
「えっ?」
「世の中は嫌なことがいっぱいある。辛い目に遭うことだって、しょっちゅうだ。不幸を嘆いて、幸せを妬んで、自分を嫌いになることだってあった。それでも笑顔で前を向く……そういう生き方が理想だけど、やっぱり疲れちゃうからさ」
「陽葵……」
「なんかね。三崎くんの書いた暗黒ポエム、刺さっちゃった」
陽葵は「でも、たしかに暗いよね」と笑って付け足した。
この曲は陽葵のための応援歌……君を想って作ったんだ。『刺さった』を超える褒め言葉など存在しない。嬉しくて、俺まで泣きそうになる。
「そう……じゃあ、陽葵はこの歌詞がいいのね?」
由依が尋ねると、陽葵は俺のほうを向いて頬を緩めた。
「三崎くん。私、この歌詞でいきたい。きっと私以外の誰かにも刺さると思う」
「……ありがとう」
「ふふっ、お礼を言うのはこっちだよ。素敵な暗黒ポエムをありがとう」
「それやめろ。俺は中二病じゃなくて……」
「捻くれ陰キャぼっちでしょ? 知ってるって」
「そのとおり……じゃねーよ!? ちょっとは俺に優しくしろ!」
抗議すると、陽葵と由依は声を上げて笑った。つられて俺も笑顔になる。
……由依の気持ちが、少しだけわかった気がする。
大切な人の前では、笑顔でいるのが一番いい。たとえそれが地獄のように辛くても、陽葵には幸せになってほしいから。
「よし! じゃあ、二人とも! 今日からいっぱい練習しようね!」
陽葵が元気いっぱいに言うと、俺と由依は笑顔でうなずいた。
……こんなに明るい子が幽霊病なんて嘘みたいだ。
もしも意地悪な神様がいて、陽葵を苦しめようとしているのなら。
どうかライブが終わるまでは、ちょっかいを出さないでくれ。
そう願わずにはいられなかった。
由依の話によれば、どうやら陽葵の容態は回復に向かっているらしい。昨晩、陽葵の母親から「透過現象も治まり、面会ができるようになった」と連絡があったそうだ。
前触れもなく悪化したり、すぐ回復したり……なんて気まぐれな病気なのだろう。まるで子どもの悪戯だ。なんだか陽葵の命が弄ばれているようで腹が立つ。
今は放課後。俺と由依は、陽葵が入院した病院にやってきた。生憎の雨模様で、灰色の空はぽつぽつと雨を吐き出している。
俺たちは面会の受付を済ませ、病室に向かった。
「由依。その……陽葵の容態は大丈夫なんだよな?」
「今は落ち着いているみたい。でも、今後のことは……」
「わからない、よな……」
透過現象が治まったとはいえ、素直に喜べる状況ではない。
今まで透過したことはあっても、入院するほどの事態はなかった。以前はどうか知らないが、少なくとも俺と出会ってからは初めてだ。
症状が悪化しているのではないか……そう思わずにはいられない。
「陽葵ね。最近は練習量を増やしているみたいなの」
不安そうな顔で、由依は言った。
「練習のない日はボイストレーニングを欠かさないし、毎日夜遅くまでギターの練習をしたり……私が聞いた話だと、疲労も原因だろうって」
「……ライブ前だから追い込んでいるのか」
「そうみたい。ライブはあの子の目標だし、バンド対決のこともある。絶対に勝ちたいんだと思うわ」
練習量が増えて心臓への負担が増加したのが原因……つまり、練習しているだけで症状が悪化したってことか?
そんなのあんまりだ。
限りある命の中で、陽葵は夢を叶えようと頑張っている。そのための練習さえもさせてもらえないのか。
「理不尽で不平等だ……どうして陽葵がこんな目に遭うんだよ」
「ええ……本当にね」
由依は相づちを打ったが、それ以上は言葉を発しなかった。彼女にならい、俺も無言で歩く。
病院のリノリウムの床は靴音をよく響かせる。普段は気にならない床を蹴る音がやけに煩く感じた。
しばらくして、陽葵の病室――五〇五号室で立ち止まった。
「陽葵。お見舞いに来たわ」
由依がドアをノックして、声をかける。
すると、すぐにドア越しに返事が返ってきた。
「おーっ! わざわざありがとう! どうぞ、入ってー!」
底抜けに明るい声が返ってきて拍子抜けしてしまう。
俺と由依は顔を見合わせて笑った。
「なんか元気みたいだな……」
「そうね。まったく、心配ばかりかけるんだから」
愚痴をこぼしつつ、病室のドアを開ける。
一人部屋にしては、まあまあ広い個室だった。物はほとんどない。点滴などの医療用具があるくらいで殺風景な部屋だ。外の雨音が聞こえるくらい静かで、なんだか逆に落ち着かない。
陽葵はベッドの上で本を読んでいた。ピンクの水玉模様のパジャマを着ている。女子のパジャマ姿とか、目のやり場に困るな……。
陽葵は本を置き、嬉しそうに手招きした。
「三崎くんもありがとね! ささっ、二人とも座って!」
言われるがまま、俺たちはパイプ椅子を用意して腰かけた。
「陽葵。本当に大丈夫なのか?」
「うん。ごめんね、三崎くん。心配かけちゃって」
「いや。そんなこと……」
「でも、安心して! ライブに支障はないから!」
陽葵はグッと親指を立て、ニカッと笑う。
「そうは言っても、しばらく入院生活なんじゃないのか?」
「ううん。先生が明日には退院してもいいって」
「明日!?」
おいおい。そんなに早くて大丈夫なのかよ。
「心配しないで。幽霊病って透けるのは突然だけど、治るのも一瞬だからね。このまま入院しても処置することはないってさ」
透けるのは突然……それって、ものすごく恐ろしいことだよな?
やめてくれよ。
不安になるじゃないか。
陽葵が何の前触れもなくこの世から消える……そんな最悪な未来だってありえるんだぞ?
「そんなことより、三崎くん。新曲の歌詞がんばって作ってね!」
陽葵は笑顔で俺を激励した。
……そうだ。俺には陽葵の応援歌を作る役目がある。
遊園地デートを経て、歌詞に込める想いは決まった。希望も絶望もすべて歌詞にして、それでも前を向く君を応援する歌詞を作るんだ。下を向いている場合じゃない。
陽葵がいつ消えるかなんて、誰にもわからない。だったら、今を全力で生きないと後悔する。俺は陽葵のために、新曲の歌詞を本気で考えるべきなんだ。
わかってはいるけど……前を向くのが辛すぎる。
心の整理ができないまま、俺は陽葵に言った。
「わかった。最高の歌詞を作るから、もう倒れたりするなよ?」
……なあ、陽葵。
これでいいんだよな?
俺ができること、音楽しかないんだよな?
命を救えないのなら、心だけでも救わないといけないから……陽葵の夢を手伝うことに全力を尽くすべきなんだよな?
臆病な俺に、尋ねるほどの勇気はない。
俺は二人に「売店で飲み物買ってくる」と言い残し、逃げるように退室した。
◆
見舞いに行った二日後、陽葵は無事に登校することができた。相変わらず元気で、見た目は異常ナシ。陽葵は「治るのも一瞬」と言っていたが、その言葉に間違いはなかった。
音楽室でギターを弾く彼女を見ていると、なんだか無性に不安になる。本人は平気だと言っているが、そんなの誰にもわからないのだ。だって、消えるのは突然だから。
その後、陽葵に「歌詞まだ?」と急かされる日々を送っていたが、ようやく完成した。今日はそのお披露目の日である。
音楽室は重苦しい雰囲気に包まれていた。陽葵と由依は、歌詞の書かれたノートを真顔で読んでいる。
新曲の歌詞は、想定よりも負の感情が入ってしまった。でも、陽葵の気持ちに寄り添い、励ませるような歌詞になったと思う。これでボツを言い渡されたら仕方がない。
二人が読み終えるのを待っていると、由依が大きく吐息を漏らした。
「はぁ……拗らせ中学生の暗黒ポエムを読んでいるような気分になったわ」
「待て。どういう意味だ」
言っておくが、俺は中二病じゃない。根暗の陰キャぼっちだ。
……と訂正したところで、ただのネガティブ自慢である。俺とかいう存在、可哀そうすぎるだろ。
「私としては、少し暗すぎると思うのよね。とにかく負の感情が多いから……微かな希望と熱いパッションは伝わってきたけれど」
「そ、そうか……じゃあ書き直しかな?」
「どうかしら。陽葵の意見も聞いてみないと……」
「たしかに。なあ陽葵。俺の歌詞、どう、だった……?」
俺と由依は固まってしまった。
どういうわけか、陽葵が泣いている。涙をこらえるように唇を噛んでいるが、透明な雫がノートに落ちていく。
「ひ、陽葵? どこか体が痛むのか?」
「違うの、三崎くん。嬉しいの」
そう言って、陽葵は目元を指で拭った。
「……私、こういう曲を歌いたかった」
「えっ?」
「世の中は嫌なことがいっぱいある。辛い目に遭うことだって、しょっちゅうだ。不幸を嘆いて、幸せを妬んで、自分を嫌いになることだってあった。それでも笑顔で前を向く……そういう生き方が理想だけど、やっぱり疲れちゃうからさ」
「陽葵……」
「なんかね。三崎くんの書いた暗黒ポエム、刺さっちゃった」
陽葵は「でも、たしかに暗いよね」と笑って付け足した。
この曲は陽葵のための応援歌……君を想って作ったんだ。『刺さった』を超える褒め言葉など存在しない。嬉しくて、俺まで泣きそうになる。
「そう……じゃあ、陽葵はこの歌詞がいいのね?」
由依が尋ねると、陽葵は俺のほうを向いて頬を緩めた。
「三崎くん。私、この歌詞でいきたい。きっと私以外の誰かにも刺さると思う」
「……ありがとう」
「ふふっ、お礼を言うのはこっちだよ。素敵な暗黒ポエムをありがとう」
「それやめろ。俺は中二病じゃなくて……」
「捻くれ陰キャぼっちでしょ? 知ってるって」
「そのとおり……じゃねーよ!? ちょっとは俺に優しくしろ!」
抗議すると、陽葵と由依は声を上げて笑った。つられて俺も笑顔になる。
……由依の気持ちが、少しだけわかった気がする。
大切な人の前では、笑顔でいるのが一番いい。たとえそれが地獄のように辛くても、陽葵には幸せになってほしいから。
「よし! じゃあ、二人とも! 今日からいっぱい練習しようね!」
陽葵が元気いっぱいに言うと、俺と由依は笑顔でうなずいた。
……こんなに明るい子が幽霊病なんて嘘みたいだ。
もしも意地悪な神様がいて、陽葵を苦しめようとしているのなら。
どうかライブが終わるまでは、ちょっかいを出さないでくれ。
そう願わずにはいられなかった。