ジェットコースターに乗った後も、俺たちは遊園地を満喫した。
次に向かったのは、水上を走るダイビングコースター。最初に乗ったアトラクションと比較すると、水上のレールを走る点が大きく異なる。水飛沫が大きく飛んだときは、俺も陽葵も大はしゃぎだった。
個人的に面白かったのが、その次に乗ったVRアトラクションである。従来のジェットコースターとは違い、列車は乗り込むだけで発車しない。その代わり、VRゴーグルを装着し、仮想空間をあり得ない動きで駆けていく。列車も仮想空間に連動して揺れたり傾いたりして面白かった。
どのアトラクションで遊んでも、陽葵は笑顔だった。きっとその隣で俺も笑っていたのだろう。
「だいぶ遊んだねー、三崎くん」
「ああ。もうすっかり夜だな」
夜空を見上げると、そこには満月が寂し気に浮かんでいた。星はほとんど見えない。排気ガスで薄っすらと汚れている、都会の空らしいなと思った。
「どうする。そろそろ帰るか?」
「あーっ。三崎くん、マイナス2点」
何故か減点された。何のポイントだよ。
「まだ乗ってないアトラクションあるでしょ。約束したじゃん」
「約束って……あ、観覧車か」
そういえば、陽葵が「あとで乗ろう」と言っていたっけ。
「というわけで、最後に乗っていかない?」
「ああ。景色が見たいのか?」
この時間帯なら、ライトアップされた夜景が見える。陽葵のお目当てはそれかもしれない。
と、思っていたのだが。
「うーん……三崎くんと、ちょっとお話がしたくて」
遊園地に来てから、初めて陽葵は真剣な顔つきになる。
「デートに誘った理由とかさ。そういうの、全部三崎くんに話しておきたいの」
「理由……?」
まさか告白……って、そんなわけないだろう。ありえない妄想するのは、陰キャぼっちの悪い癖だ。
「念のため言っておくけど、別に愛の告白とかじゃないからね?」
「お前はエスパーか」
「エスパーって?」
「なんでもないよ。ほら、行くぞ」
「あ、うん……変な三崎くん」
不思議がる陽葵を連れて、観覧車の列に並ぶ。
しばらく待った後、赤いゴンドラに乗り込んだ。
ゴンドラがゆっくりと上昇していく。空からは絶景が望めた。ライトアップされた園内は、夜に宝石を散りばめたかのように美しい。身を寄せ合うようにして立ち並ぶビル群は、人工的な光がまばらについていた。なんてロマンチックな夜景なのだろう。こりゃカップルに人気なわけだ。
「おおーっ。きれいだねぇ」
陽葵は街を見下ろし、感嘆の声を漏らした。
「ああ。悪くないな。ジェットコースターより安全だし」
「あはは。どっちも安全だってば」
「まあそうだけど……本当に綺麗だな」
「うん。そうだね」
和やかに会話しながら夜景を眺めていると、陽葵は消え入りそうな声で言った。
「私が消えたら、きれいなモノに生まれ変わりたいなぁ。たとえば、この景色の一部みたいに」
「陽葵……」
「あ、ごめん! なんかセンチメンタルだったね! 今のなし! 忘れて?」
慌てて笑顔を作る陽葵。その様子を見ていると、なんだか胸の奥がキリキリと痛む。
観覧車に乗ってから陽葵の様子がおかしい。笑顔の合間に、どこか物憂げな表情を見せている。
俺と話したいと言っていたけど……やっぱり幽霊病のことなのかな。
「……そういえば昨日、健診に行ったんだろ? 病気の調子はどうなんだ?」
「お医者さんは毎回同じことを言うの。未知の病気だから確信はないけど、緩やかに進行しているだろうって。私自身、悪くなってると思う」
「そう、なのか……」
こういうとき、なんて言葉をかけるべきかわからない。歯がゆい思いをしながら、陽葵の話に耳を傾ける。
「最近、透過現象が起きる頻度が上がっててさ。昔は年に数回とかだったんだけど、今はよく体調崩しちゃうから」
間近で見ていたから知っている。陽葵の様態が悪くなるときは、たいてい演奏をした直後だ。俺が思っている以上に、心臓に負担がかかるのだろう。
大好きな音楽が陽葵の体を蝕むだなんて、これほど悲しい試練はない。神様は残酷だ。
「陽葵は……バンド続けても大丈夫なのか?」
「ま、辞めたら少しは長生きできるかもね」
「……そうか」
俺は質問したことを後悔した。
バンドを辞めて、できるだけ長く生きる選択肢もあるのではないか。
そんなこと、覚悟を決めている陽葵に言えるわけがないのだから。
「私ね、ずっとバンドやりたかった。ステージの上で演奏しているバンドマンってさ、本当にキラキラしてるから。少なくとも、私はすごくかっこいいと思ってる」
「そうだな……かっこいいし、やっぱり楽しい」
「だよね、だよね! それにさ、やっぱり音楽だから表現できることってあると思うんだ。それはすごく素敵なことで、私の人生に必要なことなの」
「わかる気がするよ。俺も音楽なしじゃ生きられないから」
中学時代、バンドが解散してもベースを弾き続けていた理由はそこにある。臆病者の心の声は、音楽でしか伝えられない。不器用な生き方だなと我ながら思う。
「だから、私はバンドを続けたい。そもそも、バンドは私の夢の一部だからね。やりたいこと我慢して死んだら、絶対に後悔するもん」
「陽葵がよく言う『人生は一度きり』ってやつか」
「うん。自分の人生を振り返ったとき、短かったけどキラキラ輝いていたぞって、胸を張っていたいんだ」
「……そうか」
「実は今日のデートもそれがテーマなの」
「どういう意味?」
「君と恋愛気分を味わってみたかったんだ」
「えっ!?」
いきなり何を言い出すんだ、こいつは。
「そ、そういえば、今日はなんで俺を誘って遊園地に……?」
「うん……私さ、いろいろ青春したいけど、恋愛だけは無理なんだ。しちゃいけないの」
「しちゃいけない? なんでだよ。恋愛なんて自由だろ」
「もちろん、することはできるけどさ……たとえば、私と三崎くんが付き合ったとするじゃない?」
「お、俺と!?」
「うん。でも、私はいずれ死んじゃう。そしたら、君は悲しんじゃうでしょ?」
「あっ……」
陽葵がこの世を去ったら、残された人は悲しみに暮れる。ましてや、恋人ならなおさらだ。だから、陽葵は恋愛をしないのだろう。
……当たり前のことができないのは、本当に辛いな。
「それで俺とデートして、少しでも恋愛気分を味わってみたかったんだな?」
「うん。振り回してごめんなさい」
「べつにいいよ。で、どうだった?」
「なんか違うって思った。三崎くん、全然彼氏っぽくない」
「悪かったな。どうせ陰キャの俺には女性の気持ちなんてわかんないよ」
「あははっ。拗ねないでよ」
陽葵がケラケラと笑うので、俺もつられて笑った。
「……なあ陽葵。もっとワガママになってもいいんじゃないのか?」
「何が?」
「恋愛したいなら、してもいいじゃん」
そう言うと、陽葵は目を丸くした。
「いや駄目でしょ。三崎くん、話聞いてた?」
「ああ。陽葵の思いやりは理解したよ。でも、陽葵は病気のせいで、できないことがたくさんあったはずだろ? それなのに、今もなお自由に生きられないなんてさ……意地悪な神様に腹が立ったんだ」
「三崎くん……」
「ごめん、忘れてくれ。陽葵がやりたいようにするのが一番だよな」
「……ありがとう」
「礼を言われるようなことは何もしてないよ」
「そんなことない。私の痛みを理解してくれたもの。優しいんだね」
「……べつに、そんなんじゃないし」
「あ、照れ隠しだ。可愛い」
にししっ、と陽葵はいつものように笑った。
こんなに暗い話なのに、明るく振舞える彼女は、やはり眩しい。
「……強いな、陽葵は。憧れちゃうよ」
もはや口癖にもなった言葉をこぼすと、陽葵は困ったように笑った。
「憧れてもらえるのは嬉しいけど……私、全然強くないんだ」
「そんなことないだろ」
「そんなことあるよ。だって、死ぬのは怖いから」
その短い言葉は鋭くて、胸に深く突き刺さった。
「明るく振舞うのは虚勢。笑顔は『前向きに生きなきゃ!』っていう自己暗示。ぜーんぶ弱い私を奮い立たせる魔法なの」
「陽葵……」
「死にたくないよ……私だって、もっと君とバンドやりたいもの」
初めて聞く、陽葵の本音だった。
俺は馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。
いつ死ぬかわからない病気を患っていて、常に前を向いていられるはずがないだろう。
それがわかっているから、由依は言っていたんだ……陽葵も、そして自分自身も強くないのだと。
「あれ……?」
陽葵の瞳から涙があふれる。
透明なその雫は白い頬を伝い、緩やかに滑り落ちていく。
「ごめん。泣くつもりじゃ、なかったんだけどなぁ……!」
声は震えていた。
陽葵の表情が見る見るうちに悲しみに塗り潰されていく。
こんなとき、なんて言っていいかわからない。
だから何も考えず、心のままに声をかけた。
「陽葵がやりたいようにするのが一番だ。泣きたいなら、泣いてもいい」
「三崎くん……?」
「人は理不尽な世界で生きている。闘ってばかりだと、傷口ばかりが増えていくんだ。たまには弱音を吐いて、心の傷をケアしてあげないといけない」
「そうだね……本当、つらいことばかりで嫌になっちゃうや」
「ああ。だから、仲間といるときくらいは、嫌なことを吐き出していい。我慢なんてするな」
「うん……ありがとう」
「二人きりだから。いいよ、泣いても」
「……うっ……ひっく……!」
そして、陽葵は声をあげて泣いた。
青春がしたい。恋がしたい。ずっとバンドを続けたい。ステージで輝きたい。
このまま、何事もなく大人になりたい。
みんなにとって当たり前のことを、陽葵は泣きながら強く願った。
今度こそ、かける言葉は見つからなかった。感情だけが胸中で渦巻き、胸がずきんと悲鳴をあげる。
運命を呪いたくなる絶望感。
あらゆる幸福に向けられる憎悪。
そして、陽葵を救いたいという想い。
言葉にできないのなら、歌詞にするしかないのだろう。不器用な俺には、それしか方法がないと思った。
「私、怖いの……死にたくないよ、三崎くん……!」
俺はゴンドラが地上に到着するまで、陽葵の想いを受け止め続けた。
空から見る排気ガスまみれの街。嫌味なほど華やいでいて、ぶっ壊してやりたかった。街中の光源にベースを叩きつけて、ぐちゃぐちゃにしたい。綺麗なものなんて、亡骸にしちまえばいいんだ。そうすれば、みんなも輝く命の尊さがわかるだろう。
……なあ、陽葵。
ラブソングが嫌いな俺とデートしたところで、恋愛気分なんて味わえるわけないよ。
根っこがネガティブだから、耳触りのいい恋の歌が信じられないんだ。
『君にまた会えると信じて』とか。
『ずっとそばにいるからね』とか。
そんな綺麗ごとを押しつける流行りのラブソングが、俺は憎くて仕方がない。
だって、すべて根拠のない嘘だから。
相手が誰であろうと、ずっとそばにいられるわけがない。出会いがあれば、別れがある。命にだって限りがあるんだ。そのことを、今の俺はよく知っている。
死を恐れ、泣いている陽葵の前で、そんなことを考えていた。
次に向かったのは、水上を走るダイビングコースター。最初に乗ったアトラクションと比較すると、水上のレールを走る点が大きく異なる。水飛沫が大きく飛んだときは、俺も陽葵も大はしゃぎだった。
個人的に面白かったのが、その次に乗ったVRアトラクションである。従来のジェットコースターとは違い、列車は乗り込むだけで発車しない。その代わり、VRゴーグルを装着し、仮想空間をあり得ない動きで駆けていく。列車も仮想空間に連動して揺れたり傾いたりして面白かった。
どのアトラクションで遊んでも、陽葵は笑顔だった。きっとその隣で俺も笑っていたのだろう。
「だいぶ遊んだねー、三崎くん」
「ああ。もうすっかり夜だな」
夜空を見上げると、そこには満月が寂し気に浮かんでいた。星はほとんど見えない。排気ガスで薄っすらと汚れている、都会の空らしいなと思った。
「どうする。そろそろ帰るか?」
「あーっ。三崎くん、マイナス2点」
何故か減点された。何のポイントだよ。
「まだ乗ってないアトラクションあるでしょ。約束したじゃん」
「約束って……あ、観覧車か」
そういえば、陽葵が「あとで乗ろう」と言っていたっけ。
「というわけで、最後に乗っていかない?」
「ああ。景色が見たいのか?」
この時間帯なら、ライトアップされた夜景が見える。陽葵のお目当てはそれかもしれない。
と、思っていたのだが。
「うーん……三崎くんと、ちょっとお話がしたくて」
遊園地に来てから、初めて陽葵は真剣な顔つきになる。
「デートに誘った理由とかさ。そういうの、全部三崎くんに話しておきたいの」
「理由……?」
まさか告白……って、そんなわけないだろう。ありえない妄想するのは、陰キャぼっちの悪い癖だ。
「念のため言っておくけど、別に愛の告白とかじゃないからね?」
「お前はエスパーか」
「エスパーって?」
「なんでもないよ。ほら、行くぞ」
「あ、うん……変な三崎くん」
不思議がる陽葵を連れて、観覧車の列に並ぶ。
しばらく待った後、赤いゴンドラに乗り込んだ。
ゴンドラがゆっくりと上昇していく。空からは絶景が望めた。ライトアップされた園内は、夜に宝石を散りばめたかのように美しい。身を寄せ合うようにして立ち並ぶビル群は、人工的な光がまばらについていた。なんてロマンチックな夜景なのだろう。こりゃカップルに人気なわけだ。
「おおーっ。きれいだねぇ」
陽葵は街を見下ろし、感嘆の声を漏らした。
「ああ。悪くないな。ジェットコースターより安全だし」
「あはは。どっちも安全だってば」
「まあそうだけど……本当に綺麗だな」
「うん。そうだね」
和やかに会話しながら夜景を眺めていると、陽葵は消え入りそうな声で言った。
「私が消えたら、きれいなモノに生まれ変わりたいなぁ。たとえば、この景色の一部みたいに」
「陽葵……」
「あ、ごめん! なんかセンチメンタルだったね! 今のなし! 忘れて?」
慌てて笑顔を作る陽葵。その様子を見ていると、なんだか胸の奥がキリキリと痛む。
観覧車に乗ってから陽葵の様子がおかしい。笑顔の合間に、どこか物憂げな表情を見せている。
俺と話したいと言っていたけど……やっぱり幽霊病のことなのかな。
「……そういえば昨日、健診に行ったんだろ? 病気の調子はどうなんだ?」
「お医者さんは毎回同じことを言うの。未知の病気だから確信はないけど、緩やかに進行しているだろうって。私自身、悪くなってると思う」
「そう、なのか……」
こういうとき、なんて言葉をかけるべきかわからない。歯がゆい思いをしながら、陽葵の話に耳を傾ける。
「最近、透過現象が起きる頻度が上がっててさ。昔は年に数回とかだったんだけど、今はよく体調崩しちゃうから」
間近で見ていたから知っている。陽葵の様態が悪くなるときは、たいてい演奏をした直後だ。俺が思っている以上に、心臓に負担がかかるのだろう。
大好きな音楽が陽葵の体を蝕むだなんて、これほど悲しい試練はない。神様は残酷だ。
「陽葵は……バンド続けても大丈夫なのか?」
「ま、辞めたら少しは長生きできるかもね」
「……そうか」
俺は質問したことを後悔した。
バンドを辞めて、できるだけ長く生きる選択肢もあるのではないか。
そんなこと、覚悟を決めている陽葵に言えるわけがないのだから。
「私ね、ずっとバンドやりたかった。ステージの上で演奏しているバンドマンってさ、本当にキラキラしてるから。少なくとも、私はすごくかっこいいと思ってる」
「そうだな……かっこいいし、やっぱり楽しい」
「だよね、だよね! それにさ、やっぱり音楽だから表現できることってあると思うんだ。それはすごく素敵なことで、私の人生に必要なことなの」
「わかる気がするよ。俺も音楽なしじゃ生きられないから」
中学時代、バンドが解散してもベースを弾き続けていた理由はそこにある。臆病者の心の声は、音楽でしか伝えられない。不器用な生き方だなと我ながら思う。
「だから、私はバンドを続けたい。そもそも、バンドは私の夢の一部だからね。やりたいこと我慢して死んだら、絶対に後悔するもん」
「陽葵がよく言う『人生は一度きり』ってやつか」
「うん。自分の人生を振り返ったとき、短かったけどキラキラ輝いていたぞって、胸を張っていたいんだ」
「……そうか」
「実は今日のデートもそれがテーマなの」
「どういう意味?」
「君と恋愛気分を味わってみたかったんだ」
「えっ!?」
いきなり何を言い出すんだ、こいつは。
「そ、そういえば、今日はなんで俺を誘って遊園地に……?」
「うん……私さ、いろいろ青春したいけど、恋愛だけは無理なんだ。しちゃいけないの」
「しちゃいけない? なんでだよ。恋愛なんて自由だろ」
「もちろん、することはできるけどさ……たとえば、私と三崎くんが付き合ったとするじゃない?」
「お、俺と!?」
「うん。でも、私はいずれ死んじゃう。そしたら、君は悲しんじゃうでしょ?」
「あっ……」
陽葵がこの世を去ったら、残された人は悲しみに暮れる。ましてや、恋人ならなおさらだ。だから、陽葵は恋愛をしないのだろう。
……当たり前のことができないのは、本当に辛いな。
「それで俺とデートして、少しでも恋愛気分を味わってみたかったんだな?」
「うん。振り回してごめんなさい」
「べつにいいよ。で、どうだった?」
「なんか違うって思った。三崎くん、全然彼氏っぽくない」
「悪かったな。どうせ陰キャの俺には女性の気持ちなんてわかんないよ」
「あははっ。拗ねないでよ」
陽葵がケラケラと笑うので、俺もつられて笑った。
「……なあ陽葵。もっとワガママになってもいいんじゃないのか?」
「何が?」
「恋愛したいなら、してもいいじゃん」
そう言うと、陽葵は目を丸くした。
「いや駄目でしょ。三崎くん、話聞いてた?」
「ああ。陽葵の思いやりは理解したよ。でも、陽葵は病気のせいで、できないことがたくさんあったはずだろ? それなのに、今もなお自由に生きられないなんてさ……意地悪な神様に腹が立ったんだ」
「三崎くん……」
「ごめん、忘れてくれ。陽葵がやりたいようにするのが一番だよな」
「……ありがとう」
「礼を言われるようなことは何もしてないよ」
「そんなことない。私の痛みを理解してくれたもの。優しいんだね」
「……べつに、そんなんじゃないし」
「あ、照れ隠しだ。可愛い」
にししっ、と陽葵はいつものように笑った。
こんなに暗い話なのに、明るく振舞える彼女は、やはり眩しい。
「……強いな、陽葵は。憧れちゃうよ」
もはや口癖にもなった言葉をこぼすと、陽葵は困ったように笑った。
「憧れてもらえるのは嬉しいけど……私、全然強くないんだ」
「そんなことないだろ」
「そんなことあるよ。だって、死ぬのは怖いから」
その短い言葉は鋭くて、胸に深く突き刺さった。
「明るく振舞うのは虚勢。笑顔は『前向きに生きなきゃ!』っていう自己暗示。ぜーんぶ弱い私を奮い立たせる魔法なの」
「陽葵……」
「死にたくないよ……私だって、もっと君とバンドやりたいもの」
初めて聞く、陽葵の本音だった。
俺は馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。
いつ死ぬかわからない病気を患っていて、常に前を向いていられるはずがないだろう。
それがわかっているから、由依は言っていたんだ……陽葵も、そして自分自身も強くないのだと。
「あれ……?」
陽葵の瞳から涙があふれる。
透明なその雫は白い頬を伝い、緩やかに滑り落ちていく。
「ごめん。泣くつもりじゃ、なかったんだけどなぁ……!」
声は震えていた。
陽葵の表情が見る見るうちに悲しみに塗り潰されていく。
こんなとき、なんて言っていいかわからない。
だから何も考えず、心のままに声をかけた。
「陽葵がやりたいようにするのが一番だ。泣きたいなら、泣いてもいい」
「三崎くん……?」
「人は理不尽な世界で生きている。闘ってばかりだと、傷口ばかりが増えていくんだ。たまには弱音を吐いて、心の傷をケアしてあげないといけない」
「そうだね……本当、つらいことばかりで嫌になっちゃうや」
「ああ。だから、仲間といるときくらいは、嫌なことを吐き出していい。我慢なんてするな」
「うん……ありがとう」
「二人きりだから。いいよ、泣いても」
「……うっ……ひっく……!」
そして、陽葵は声をあげて泣いた。
青春がしたい。恋がしたい。ずっとバンドを続けたい。ステージで輝きたい。
このまま、何事もなく大人になりたい。
みんなにとって当たり前のことを、陽葵は泣きながら強く願った。
今度こそ、かける言葉は見つからなかった。感情だけが胸中で渦巻き、胸がずきんと悲鳴をあげる。
運命を呪いたくなる絶望感。
あらゆる幸福に向けられる憎悪。
そして、陽葵を救いたいという想い。
言葉にできないのなら、歌詞にするしかないのだろう。不器用な俺には、それしか方法がないと思った。
「私、怖いの……死にたくないよ、三崎くん……!」
俺はゴンドラが地上に到着するまで、陽葵の想いを受け止め続けた。
空から見る排気ガスまみれの街。嫌味なほど華やいでいて、ぶっ壊してやりたかった。街中の光源にベースを叩きつけて、ぐちゃぐちゃにしたい。綺麗なものなんて、亡骸にしちまえばいいんだ。そうすれば、みんなも輝く命の尊さがわかるだろう。
……なあ、陽葵。
ラブソングが嫌いな俺とデートしたところで、恋愛気分なんて味わえるわけないよ。
根っこがネガティブだから、耳触りのいい恋の歌が信じられないんだ。
『君にまた会えると信じて』とか。
『ずっとそばにいるからね』とか。
そんな綺麗ごとを押しつける流行りのラブソングが、俺は憎くて仕方がない。
だって、すべて根拠のない嘘だから。
相手が誰であろうと、ずっとそばにいられるわけがない。出会いがあれば、別れがある。命にだって限りがあるんだ。そのことを、今の俺はよく知っている。
死を恐れ、泣いている陽葵の前で、そんなことを考えていた。