遊園地に到着すると、陽葵は俺の手を放して遠くのほうを指さした。

「見て、三崎くん! でっかい観覧車!」

 見上げると、そこには巨大観覧車があった。中央にはデジタル時計があり、時刻が表示されている。この遊園地の名物観覧車らしく、時計型観覧車としては世界で一番大きいらしい。

「夜にはライトアップされるらしいよ。カップルにも人気なんだって」
「ふーん。ま、俺には縁のない話だな」
「あとで乗ろうね!」
「ああ……えっ?」

 こいつマジか……普通、カップルの話をしたあとで誘う? 意識しちゃって照れくさくなるだろ。

「でも、まずはジェットコースターからね。ところで、三崎くんは絶叫マシン平気?」

 陽葵は特に照れる様子もない。動揺しているの、俺だけかよ。

「三崎くん? 私の話、聞いてる?」
「……聞いてるよ。怖いかどうか、正直わからないんだ」
「どういうこと?」
「俺、遊園地で遊んだ記憶がないから……ほら。遊ぶ友達もいないし」
「あっ……なんかごめん」

 おいこら。『なんか』で謝るのやめろ。みじめな気持ちになるだろうが。

「ジェットコースター、陽葵はどうなんだ? 怖くないのか?」
「私は平気だけど……とりあえず、何事も経験だと思って乗ってみよう!」
「ええー……」
「大丈夫だよ。ありえない高さから安全に高速降下していくだけだって」
「ありえない高さから落ちたら大丈夫じゃないよね?」
「もう。三崎くんは保守的すぎだよ。日常を楽しむためには、非日常への一歩を踏みださなきゃ」
「……陽葵はなんでも楽しめるんだな。すごいや」

 何気なく出た言葉だった。他意はまったくない。俺は陽葵のことが羨ましいだけだ。ただ、嫌味っぽく聞こえてしまったかもしれない、と少し不安になる。

 陽葵は驚いたように目を瞬かせた。
 そして、ふっと優しく微笑む。

「……人生、一度きりじゃん。楽しまないと損だよ」

 俺の心に巣食う影を払うような、眩しい言葉だった。

 ふと由依との会話を思い出す。


『ええ。正確には「最後の瞬間まで陽葵のそばにいて、一緒に夢を追いかけること」かしら』


 陽葵の夢。それは『キラキラした青春を過ごす』こと。

 より正確に言えば、『悔いなく生きること』なのだろう。やりたかったバンドも、ずっと享受できなかった青春も、それら全部が陽葵の想いだ。

 そして……限られた命を使ってでも叶えたい夢でもある。

 俺の夢は陽葵が叶えてくれた。
 今度は俺が陽葵の夢を叶える番だ。
 たとえそれが、俺にとって辛いことだったとしても。

「よし! 乗るか、ジェットコースター!」

 気づけば、自分でも呆れるくらい大声を出していた。

「おっ! 三崎くん、ノリいいねぇ!」
「何事も経験だからな。楽しまないと損だろ?」
「あははっ。それ、私の名言じゃん」

 陽葵が楽しそうに笑うから、つられて俺も笑顔になる。

 君はいずれ消えていなくなるのかもしれない。
 でも、今日の出来事は絶対に消させやしない。
 けっして色褪せない青春の一ページとして、心に刻みつけるんだ。

「行くぞ、陽葵! ジェットコースターを制圧だ!」
「いえっさー!」

 俺にしてはハイテンションすぎるが気にしない。陽葵が笑ってくれるなら、どこまでも浮かれてやる。

 俺たちはジェットコースター乗り場までやってきた。
 空を見上げると、レールが縦横無尽に伸びている。こうして真下から見るのは初めてだが、その迫力に圧倒された。

 支払いを済ませて列車に乗る。しばらくして、係員が安全バーを下げた。

 列車は静かに動き出し、ゆっくりとレールを登っていく。周囲を見渡せば、はるか遠くまで望める高さだ。
 しかし、恐怖はさほど感じない。もしかして、俺って絶叫マシン得意なのでは?

「三崎くん、平気そうだね」
「身構えていたけど、拍子抜けしたよ。ただ高いところにいるだけだ」
「おー。言うねぇ」
「そもそも、アトラクションなんてのは娯楽だよ。ジェットコースターも然り。安全性は保障されているんだ。多少のスリルは感じても、恐怖を感じるわけがない」
「……こうして盛大なフラグを立てる三崎くんであった」
「おい。変なナレーションするな。俺は本当に怖くないって――」
「あ、そろそろだよ!」
「え?」

 陽葵に言われて前を見る。先ほどまで上っていたはずのレールが見えない。頂上までやってきたのだ。

 ということは……このあとは降下していくのみ。

「ははっ。こんなの子供だまし……ん?」

 徐々に降下していく……と思ったら、急激に速度が上がった。映像で見るのとは全然違う。見た目よりも速く、それでいて高い。カーブの遠心力もすごくて、吹っ飛んでしまいそうだ。

 列車はアップダウンを繰り返し、さらには上下まで反転した。逆さまのまま、カーブしていく。

 未知の体験の中、俺は叫んだ。

「うわあぁぁぁ! こっ、こえぇぇぇっ!」

 見事にフラグ回収である。安全であることと、恐怖を感じることは別問題であることに今さら気づいたのだ。

 マジで怖いんだけど……陽葵は平気なのか?

 ちらりと隣を見る。
 陽葵はバンザイをしながら笑っていた。

「ひゃっほー! あははっ、すごーいっ!」

 風で髪をなびかせながら、楽しそうに叫んでいる。

 俺は彼女の横顔に見惚れていた。
 怖いはずなのに、どうしてだろう。
 陽葵の笑顔を見ていると、こっちまでワクワクしてしまうのは。

「あははっ! 三崎くん、変な顔してる!」
「お前も髪ばっさばさでお化けみたいになってるぞ!」
「あはははっ! それ三崎くんじゃん! 髪がなびいて、おでこ丸見え! 妖怪でこ!」
「誰が妖怪でこだ!」

 ツッコミつつ、自然と笑みがこぼれる。

 ……変なの。

 陽葵を楽しませようと思っていたのに、いつのまにか俺が楽しませてもらっている。まるで太陽だ。日陰者の俺を照らして、笑顔にしてくれるんだから。

 ……俺は、君にもらってばかりだな。

 やがてジェットコースターはスタート地点に戻ってきた。
 列車から降りると、陽葵が伸びをしながら目を細める。

「いやー! 楽しかったね、三崎くん!」
「ああ。最初はビビったけどな」
「にししっ。三崎くんの反応、傑作だったなぁ。『うわあぁぁぁ!』って」
「やめて、恥ずかしいから忘れて!」
「あはははっ! やだよー。由依に教えちゃうもんね」

 嬉しそうに笑う陽葵がくるっとターンした。ロングスカートの裾が淑やかに舞う。

「三崎くん。次はどれ乗る?」

 どれに乗ればいいかなんて、遊園地初心者の俺にはわからない。

 ただ、確かなことが一つだけある。
 陽葵と一緒なら、どれに乗っても楽しい。

「陽葵のおすすめに乗ろう。俺を連れ回してくれ」
「いいの? また絶叫マシンに乗っちゃうよ? 怖くない?」
「怖いもんか。あれは安全が約束された、ただの娯楽だ」
「いやそれ聞いたから」

 笑いながら、陽葵が手を差し伸べる。

「いこ? まだデートは始まったばっかりなんだから」
「……ああ。そうだな」

 俺は陽葵の手を取った。
 できることなら、二度と離したくない。
 いつかこの小さな手を握れなくなる日が来るなんて、今だけは信じたくなかった。