バンド対決をすることが決まってから十数日が経った。
いよいよ六月になり、ジメジメした日が続いている。制服は冬服から夏服に移行し、生徒たちはみんな涼しげだ。夏の到来もすぐだろう。
あれから詳しい説明をオーナーから受けた。当日は『スリーソウルズ』と大沢たちのバンドを含めた四バンドが演奏をするらしい。
問題なのは、各バンドはそれぞれ二曲演奏しなければならないということ。
俺たちの持ち曲はたった一曲しかない。ライブに出演するには、一曲足りないのである。
というわけで、再び新曲を作ることになった。
今は放課後。俺たちは音楽室に集まっている。陽葵に呼ばれたのだ。
「お待たせ、二人とも。新曲できたよん。といっても、歌詞はまだだけど」
「もうできたの? すごいわ。さすが陽葵ね」
由依が褒めると、陽葵はえっへん、と得意げに胸を張った。陽葵がすぐ調子に乗るのは、由依が甘やかすからだと密かに思った。
「というわけで、早速二人に聞いてもらいたいんだ。いい?」
「もちろんよ。ね、三崎くん?」
「ああ。楽しみだよ」
気をよくしたのか、陽葵はニヤリと意味深に笑った。「ふっ。私の天賦の才がバレちゃうぜ」とほざいている。こっちはまだ曲を聞いてもないのに、どこからその自信が来るんだか。
呆れていると、陽葵がスマホを手に取った。
「じゃあ、今準備するね……あれ?」
――かつん。
陽葵はスマホを床に落とした。
よく見ると、彼女の体がふらついている。まるで平均台の上を歩いているかのような危うさだ。
声をかける前に、陽葵は尻もちをついた。
「陽葵!? 具合でも悪いの!?」
慌てて由依が尋ねると、内股座りの陽葵は立ち上がって笑った。
「あはは。手元が滑っただけ。ごめん、おっちょこちょいで」
「そっちじゃなくて転んだほうよ。さっき、ふらついていたわよね?」
「最近、室内で歌とギターの練習ばかりしてるじゃん? ちょっぴり運動不足でさぁ。体幹、鍛えないとね」
「運動不足って……」
「由依は過保護すぎるんだよ。ほら、私なら大丈夫だから」
そう言って、陽葵はその場で腿上げ運動をした。眩しい太ももは躍動し、短いスカートが忙しなく動いている。手足を目で追ってみるが、透過している様子はない。
普通に元気そうだけど……さっきの倒れ方は不自然だったよな?
陽葵は立っていただけだ。いくら運動不足でも、その場でふらつくのはおかしい。もちろん、体幹の問題でもないはずだ。
それに、スマホを落としのも気になる。
ほんの一瞬、体が透過して、スマホに触れられなくなったのではないか……そう考えると、辻褄が合ってしまう。
「もう……わかったから、あまり激しい運動をしないで?」
「はーい」
心配そうな由依。
対して、陽葵は舌をちろっと出して笑っている。
……本当に大丈夫なんだよな?
大沢たちとのライブ、ちゃんとできるんだよな?
「陽葵……新曲、聞かせてくれるか?」
不安な気持ちを押しのけて尋ねる。
「うん! もちろん!」
無駄に大きくうなずく陽葵。
まるで元気であることを盛大にアピールしているみたいで、余計に怖くなるのだった。
◆
その後、俺たちは新曲を聞き、解散となった。陽葵が病院に行くため、練習できないからだ。なんでも今日は定期的に受ける健診の日なのだとか。
今は帰り道。由依と二人で話しながら歩いている。話題は新曲だ。
陽葵いわく、新曲のテーマは『応援歌』らしい。たしかに『クロハル』に比べると、全体的に明るいサウンドだ。とはいえ、仄暗い雰囲気も漂っており、そこは『スリーソウルズ』らしさが残っている。
今回もいい曲だったが、一つだけ問題があった。陽葵がまた俺に歌詞を考えてくれと言ってきたのだ。
陰キャぼっちが他人様を応援するなんて無理だろ。
……そう陽葵に伝えたのだが、俺の意見は直ちに却下。「三崎くんの考える応援歌を歌詞にしてね!」と言われてしまった。
はぁ……陽葵の中で、俺はもう作詞担当なんだろうなぁ。
「あのさ、由依。陽葵って作詞できないの?」
ふと頭に浮かんだ疑問をぶつけてみる。
由依は不思議そうに首を傾げた。
「そんなことないと思うけど……どうして?」
「いや。作れるのなら、なんで毎回俺に頼むのか気になって」
「そんなの、三崎くんに作ってほしいからに決まってるじゃない」
「うーん。そういうものか……?」
「そういうものよ。陽葵、三崎くんのことがお気に入りみたいだから」
お気に入りって。俺はあいつのなんなんだよ。
「俺のこと、ぬいぐるみか何かと勘違いしてないか?」
「ふふっ。そんな嫌な顔しないであげて? あんなに可愛い子から気に入られたんだから喜びなさいよ」
「『振り回されている』の間違いだろ……まあ可愛いとは思うけど」
「可愛い……それ、本人に言ってあげたら?」
「え、なんで? 陰キャの俺から言われても嬉しくなくね?」
「君は自己肯定感低すぎるのよねぇ……はぁ」
盛大に嘆息する由依。
悪かったな。自己肯定感が高かったら、陽キャやってるっつーの。
「……ところで、由依に聞きたいんだけどさ。陽葵の健診って毎月あるの?」
「いえ、もっと頻繁に受けているはずよ。幽霊病は未知の病気でしょ? 細かいケアが必要だもの」
「そっか……」
初合わせの日、陽葵の手は透過した。それまで元気だったのに、急に体調が悪くなったように俺には見えた。
オーディションのときもそう。演奏前、陽葵はピンピンしていたはず。透過こそしなかったが、少なからず幽霊病の影響があったのだろう。
鼓動が速まれば、いつ発作が出ても不思議はない……そんな悪質な奇病と、陽葵はずっと闘っている。
「幽霊病……恐ろしい病気だな」
「ええ。陽葵自身も怖いと思う。だから、三崎くん。あの子に負けないように、私たちも笑顔でいなきゃ駄目よ?」
そう言って、由依は優しい笑みを浮かべた。
「……由依も強いんだな」
「そう? どうして?」
「親友が幽霊病でも前を向いていられるから」
「そうね……でも、私は強くないわ。陽葵がいるから頑張れるだけよ」
「陽葵のおかげってこと?」
「ええ……私の魂は、陽葵そのものだから」
一瞬、言っている意味がわからなかったが、遅れて理解した。
俺たちのバンド名は『スリーソウルズ』。三人の魂を集結させたバンドだ。
俺は『自己主張ができない自分とはサヨナラする』という想いを、陽葵は『キラキラした青春を過ごす』という想いをそれぞれ込めている。
由依の魂は内緒だと言っていたが、ようやくわかった。
「以前、由依と交わした約束……『陽葵を支える』ことこそが、君の魂だったんだな」
「ええ。正確には『最後の瞬間まで陽葵のそばにいて、一緒に夢を追いかけること』かしら」
最後まで、という言葉にドキッとする。
由依はもう、陽葵が消えてしまう現実を受け入れ、覚悟を決めている。それはきっと陽葵も同じだ。だからこそ、二人は今を全力で生きているのだろう。
「由依。話してくれて、ありがとう」
「ふふっ。別にお礼を言われるようなことじゃないわよ。言ってなかったから言っただけ」
「……やっぱり由依は強いよ」
「いいえ。強い人なんていないわ。たぶん、この世界のどこにもね」
「強さとは何か……哲学的な話だ」
「ふふっ。なんでも深く考えるのは、あなたの悪い癖だわ」
由依は俺を追い抜き、十字路の前で止まった。
「私、家こっちだから」
「あ、うん。また明日」
「ええ。新曲の歌詞、頑張ってね」
別れの挨拶を交わし、夕陽を背に受けて帰路につく。自分の前に伸びる長い影は細くて頼りなかった。
一人で歩いていると、不安なことばかり考えてしまう。
いつか陽葵はいなくなる……本人はもちろん、由依だって辛いはず。
それなのに、二人とも前を向いて生きようとしている。きっと誰にでもできることじゃない。少なくとも、俺には無理だ。
でも、由依は強い人なんていないと言う。
俺にはその理由がわからなかった。
「……歌詞、どうしようかな」
ぽつりとつぶやいたとき、ポケットに入れていたスマホが振動した。
手に取ってみると、そこには新着メッセージの文字。
送り主は陽葵だった。
「あいつ、健診じゃないのか……?」
メッセージを開くと、そこにはこう書かれていた。
『明日ヒマ? ヒマだよね? 絶対ヒマでしょ! 休日だもん!』
やたら押しが強いメッセージだった。意訳すると、「陰キャぼっちに休日の予定なんかないよね?」である。あのなぁ、決めつけるなよ。
……まあ実際ヒマだけどさ。
『ああ、どうせヒマですよ。ぼっちだからな』
皮肉混じりに返信すると、『あはは、拗ねないの』とメッセージが返ってきた。
『で? 明日、陽葵は何か用事でもあるのか?』
『うん。よかったら、私とデートしようよ』
おもわず足を止める。
……は?
デート?
「え……なんで?」
わけがわからず、棒立ちするのだった。
いよいよ六月になり、ジメジメした日が続いている。制服は冬服から夏服に移行し、生徒たちはみんな涼しげだ。夏の到来もすぐだろう。
あれから詳しい説明をオーナーから受けた。当日は『スリーソウルズ』と大沢たちのバンドを含めた四バンドが演奏をするらしい。
問題なのは、各バンドはそれぞれ二曲演奏しなければならないということ。
俺たちの持ち曲はたった一曲しかない。ライブに出演するには、一曲足りないのである。
というわけで、再び新曲を作ることになった。
今は放課後。俺たちは音楽室に集まっている。陽葵に呼ばれたのだ。
「お待たせ、二人とも。新曲できたよん。といっても、歌詞はまだだけど」
「もうできたの? すごいわ。さすが陽葵ね」
由依が褒めると、陽葵はえっへん、と得意げに胸を張った。陽葵がすぐ調子に乗るのは、由依が甘やかすからだと密かに思った。
「というわけで、早速二人に聞いてもらいたいんだ。いい?」
「もちろんよ。ね、三崎くん?」
「ああ。楽しみだよ」
気をよくしたのか、陽葵はニヤリと意味深に笑った。「ふっ。私の天賦の才がバレちゃうぜ」とほざいている。こっちはまだ曲を聞いてもないのに、どこからその自信が来るんだか。
呆れていると、陽葵がスマホを手に取った。
「じゃあ、今準備するね……あれ?」
――かつん。
陽葵はスマホを床に落とした。
よく見ると、彼女の体がふらついている。まるで平均台の上を歩いているかのような危うさだ。
声をかける前に、陽葵は尻もちをついた。
「陽葵!? 具合でも悪いの!?」
慌てて由依が尋ねると、内股座りの陽葵は立ち上がって笑った。
「あはは。手元が滑っただけ。ごめん、おっちょこちょいで」
「そっちじゃなくて転んだほうよ。さっき、ふらついていたわよね?」
「最近、室内で歌とギターの練習ばかりしてるじゃん? ちょっぴり運動不足でさぁ。体幹、鍛えないとね」
「運動不足って……」
「由依は過保護すぎるんだよ。ほら、私なら大丈夫だから」
そう言って、陽葵はその場で腿上げ運動をした。眩しい太ももは躍動し、短いスカートが忙しなく動いている。手足を目で追ってみるが、透過している様子はない。
普通に元気そうだけど……さっきの倒れ方は不自然だったよな?
陽葵は立っていただけだ。いくら運動不足でも、その場でふらつくのはおかしい。もちろん、体幹の問題でもないはずだ。
それに、スマホを落としのも気になる。
ほんの一瞬、体が透過して、スマホに触れられなくなったのではないか……そう考えると、辻褄が合ってしまう。
「もう……わかったから、あまり激しい運動をしないで?」
「はーい」
心配そうな由依。
対して、陽葵は舌をちろっと出して笑っている。
……本当に大丈夫なんだよな?
大沢たちとのライブ、ちゃんとできるんだよな?
「陽葵……新曲、聞かせてくれるか?」
不安な気持ちを押しのけて尋ねる。
「うん! もちろん!」
無駄に大きくうなずく陽葵。
まるで元気であることを盛大にアピールしているみたいで、余計に怖くなるのだった。
◆
その後、俺たちは新曲を聞き、解散となった。陽葵が病院に行くため、練習できないからだ。なんでも今日は定期的に受ける健診の日なのだとか。
今は帰り道。由依と二人で話しながら歩いている。話題は新曲だ。
陽葵いわく、新曲のテーマは『応援歌』らしい。たしかに『クロハル』に比べると、全体的に明るいサウンドだ。とはいえ、仄暗い雰囲気も漂っており、そこは『スリーソウルズ』らしさが残っている。
今回もいい曲だったが、一つだけ問題があった。陽葵がまた俺に歌詞を考えてくれと言ってきたのだ。
陰キャぼっちが他人様を応援するなんて無理だろ。
……そう陽葵に伝えたのだが、俺の意見は直ちに却下。「三崎くんの考える応援歌を歌詞にしてね!」と言われてしまった。
はぁ……陽葵の中で、俺はもう作詞担当なんだろうなぁ。
「あのさ、由依。陽葵って作詞できないの?」
ふと頭に浮かんだ疑問をぶつけてみる。
由依は不思議そうに首を傾げた。
「そんなことないと思うけど……どうして?」
「いや。作れるのなら、なんで毎回俺に頼むのか気になって」
「そんなの、三崎くんに作ってほしいからに決まってるじゃない」
「うーん。そういうものか……?」
「そういうものよ。陽葵、三崎くんのことがお気に入りみたいだから」
お気に入りって。俺はあいつのなんなんだよ。
「俺のこと、ぬいぐるみか何かと勘違いしてないか?」
「ふふっ。そんな嫌な顔しないであげて? あんなに可愛い子から気に入られたんだから喜びなさいよ」
「『振り回されている』の間違いだろ……まあ可愛いとは思うけど」
「可愛い……それ、本人に言ってあげたら?」
「え、なんで? 陰キャの俺から言われても嬉しくなくね?」
「君は自己肯定感低すぎるのよねぇ……はぁ」
盛大に嘆息する由依。
悪かったな。自己肯定感が高かったら、陽キャやってるっつーの。
「……ところで、由依に聞きたいんだけどさ。陽葵の健診って毎月あるの?」
「いえ、もっと頻繁に受けているはずよ。幽霊病は未知の病気でしょ? 細かいケアが必要だもの」
「そっか……」
初合わせの日、陽葵の手は透過した。それまで元気だったのに、急に体調が悪くなったように俺には見えた。
オーディションのときもそう。演奏前、陽葵はピンピンしていたはず。透過こそしなかったが、少なからず幽霊病の影響があったのだろう。
鼓動が速まれば、いつ発作が出ても不思議はない……そんな悪質な奇病と、陽葵はずっと闘っている。
「幽霊病……恐ろしい病気だな」
「ええ。陽葵自身も怖いと思う。だから、三崎くん。あの子に負けないように、私たちも笑顔でいなきゃ駄目よ?」
そう言って、由依は優しい笑みを浮かべた。
「……由依も強いんだな」
「そう? どうして?」
「親友が幽霊病でも前を向いていられるから」
「そうね……でも、私は強くないわ。陽葵がいるから頑張れるだけよ」
「陽葵のおかげってこと?」
「ええ……私の魂は、陽葵そのものだから」
一瞬、言っている意味がわからなかったが、遅れて理解した。
俺たちのバンド名は『スリーソウルズ』。三人の魂を集結させたバンドだ。
俺は『自己主張ができない自分とはサヨナラする』という想いを、陽葵は『キラキラした青春を過ごす』という想いをそれぞれ込めている。
由依の魂は内緒だと言っていたが、ようやくわかった。
「以前、由依と交わした約束……『陽葵を支える』ことこそが、君の魂だったんだな」
「ええ。正確には『最後の瞬間まで陽葵のそばにいて、一緒に夢を追いかけること』かしら」
最後まで、という言葉にドキッとする。
由依はもう、陽葵が消えてしまう現実を受け入れ、覚悟を決めている。それはきっと陽葵も同じだ。だからこそ、二人は今を全力で生きているのだろう。
「由依。話してくれて、ありがとう」
「ふふっ。別にお礼を言われるようなことじゃないわよ。言ってなかったから言っただけ」
「……やっぱり由依は強いよ」
「いいえ。強い人なんていないわ。たぶん、この世界のどこにもね」
「強さとは何か……哲学的な話だ」
「ふふっ。なんでも深く考えるのは、あなたの悪い癖だわ」
由依は俺を追い抜き、十字路の前で止まった。
「私、家こっちだから」
「あ、うん。また明日」
「ええ。新曲の歌詞、頑張ってね」
別れの挨拶を交わし、夕陽を背に受けて帰路につく。自分の前に伸びる長い影は細くて頼りなかった。
一人で歩いていると、不安なことばかり考えてしまう。
いつか陽葵はいなくなる……本人はもちろん、由依だって辛いはず。
それなのに、二人とも前を向いて生きようとしている。きっと誰にでもできることじゃない。少なくとも、俺には無理だ。
でも、由依は強い人なんていないと言う。
俺にはその理由がわからなかった。
「……歌詞、どうしようかな」
ぽつりとつぶやいたとき、ポケットに入れていたスマホが振動した。
手に取ってみると、そこには新着メッセージの文字。
送り主は陽葵だった。
「あいつ、健診じゃないのか……?」
メッセージを開くと、そこにはこう書かれていた。
『明日ヒマ? ヒマだよね? 絶対ヒマでしょ! 休日だもん!』
やたら押しが強いメッセージだった。意訳すると、「陰キャぼっちに休日の予定なんかないよね?」である。あのなぁ、決めつけるなよ。
……まあ実際ヒマだけどさ。
『ああ、どうせヒマですよ。ぼっちだからな』
皮肉混じりに返信すると、『あはは、拗ねないの』とメッセージが返ってきた。
『で? 明日、陽葵は何か用事でもあるのか?』
『うん。よかったら、私とデートしようよ』
おもわず足を止める。
……は?
デート?
「え……なんで?」
わけがわからず、棒立ちするのだった。