「退けろ! ……お姉様!」

 見張りの兵士の制止を振り切ってシェジョンがテシアの部屋に入ってきた。
 穏やかな気性のシェジョンにしては珍しく怒った目をしている。

 その目はテシアに向けられているが怒りの矛先はテシアではない。

「やっぱり僕は納得できません! 今からでも父上に……」

「シェジョン、あなたもお茶を飲まない?」

「どうしてそんなに冷静なのですか? 僕には理解ができない……」

 冷静なテシアの声色にシェジョンも頭の熱が下がってくる。
 今度は捨てられた子犬のような目をしているとテシアはクスリと笑う。

「なぜなのですか……?」

 しょんぼりとしたシェジョンがテシアの隣に座った。
 テシアよりもすっかり身長は大きくなっているはずなのにどうしてだろうか、まだ小さいようにも見えてしまう。

 子供だった頃の記憶がシェジョンのことをそうテシアの目に映してしまうのかもしれない。

「これは必要なことだったのよ」

「必要なこと……ですか?」

「そう、これは大いなる流れ。こうなるべきだからこうしたのよ」

「意味が分かりません」

「分からなくてもいいの。結局は私がそうしたくてやったことだから」

 あまりにも抽象的な言い方にシェジョンは理解ができない。
 テシアも全てを理解してもらおうとしてはいない。

「ただ一つ言えるのは、これはみんなのためなの。みんなが幸せになるためにやったこと。そして幸せを願う相手にはシェジョン、あなたも含まれているわ」

 テシアは愛おしそうにシェジョンに手を伸ばして頬に触れた。
 昔はモチモチとしていたほっぺたもいつの間にか男らしくなっている。

「お言葉を返すようですが」

 シェジョンはそっと頬に当てられたテシアの手を握る。
 まるで触れれば壊れそうなものかのように優しく力を入れて頬に押し当てる。

「僕が幸せになってほしいと願う人はお姉様です。このようなことになってお姉様は……幸せですか?」

「分からないわ」

 シェジョンが安心する言葉をかけてあげることもできた。
 けれどテシアは正直に首を振った。

 やり遂げたという感覚はあるがそれを幸せだと言えるかは分からなかった。

「でもね、私これから幸せになろうと思うの」

 今は幸せか分からない。
 しかしテシアはこれから幸せになるつもりだった。

「皇女という立場も、やらねばならない仕事も、私を縛り付ける宿命も全てここで終わり。私は自由になるの。そして私だけの幸せを見つけるの」

「お姉様だけの……幸せ」

「そうよ。幸せになるの」

 優しく笑うテシアの目を見れば本気なことは分かる。

「そっか……お姉様は自由になって、そして幸せになるんですね」

 シェジョンの知るテシアなら言ったことはやり遂げる。
 テシアが幸せになるというのならきっと本気で幸せになるのだ。

「ですが……もし仮に結婚なさるなんてことになったら一度僕に合わせてください」

「どうしてかしら?」

「お姉様にふさわしくない男だったら僕がそいつを切ります」

 テシアの手を握るシェジョンの手に少し力が入る。
 冗談かと思ったけど割と本気のようだった。

「大丈夫。悪い男には引っかからないから」

 テシアは自分を心配してくれるシェジョンが愛おしく、そしておかしくてクスクスと笑う。

「お姉様、僕は本気ですよ!」

「わかってるわ、可愛い子」

 テシアは逆の手もシェジョンの頬に添えて微笑みかけるとゆっくりと額に口づけをした。

「この国はしばらく安泰のはずよ。お兄様たちをよく手伝ってあなたもあなたの幸せを見つけなさい」

 シェジョンはずるいと思った。
 テシアのいう幸せの一つにいい相手を見つけなさいという言葉も含まれている。

 だが世界中探したってこんないい女性いないと思う。

「ただ一つお願いがあるの」

 テシアはシェジョンから手を離し、紅茶のカップを取った。

「何でしょうか! 僕にできることなら何でもやります!」

「お父様に伝言……というかお願いを伝えてほしいの」

「何でも伝えます!」

「身一つで出ていかねばならないのは分かっているけれど思い出の品ぐらいは持っていきたいと思ってるの。お父様にスーツケース一つでも物を持っていけるようにお願いしてくれないかしら?」

「もちろんです! それぐらい父上も許してくれるはずです。今すぐ伝えてきます!」

 シェジョンはテシアに何かをお願いされることが嬉しくて部屋を飛び出すように出て行った。

「……いつかは分からないけれど幸せになって、落ち着いたら手紙でもあなたに送るわ」

 もういないシェジョンには届かない言葉を呟いて、テシアはゆっくりと紅茶に口をつけた。