「見てないよ。第一話を見逃したら見る気なくした」
「見逃し配信もしてるし、今からでも見なよ。すっごい良かった。退魔師の少女とあやかしのイケメンの帝との禁断の恋! あやかしは外見や年齢で恋をしないから、主人公の魂の輝きにどうしようもなく惹かれて」
うっとりと沙彩が言う。
「そんな設定なんだ」
「瑞穂之国は実際にそうらしいよ。昨日はね、退魔師を失格になるのを覚悟で主人公が王の真実の名を守ろうとするの。主人公がひたむきで良かった!」
「真実の名前を知られると支配されちゃうんだっけ?」
「そうそう。だから伴侶に真実の名前を伝えるのが最大級の愛の誓いなのよ」
またうっとりと沙彩が言う。
あやかしとの恋かあ、と静穂は内心でつぶやく。あやかしが夫だが、結婚前も後も、一度も会ったことがない。まったくもって恋どころではない。
「イケメンで優しくて私を深く愛してくれるなら、あやかしもありだな。背が高くて細身で着物……でもあえてのスーツもあり!」
「条件多くない?」
「妄想くらい好きにさせてよ。イケメン退魔師との恋もいいなあ」
「イケメンならなんでもありなの?」
「顔は大事よ。花帆は? 好きな人とかできた?」
興味津々で沙彩がたずねる。
「できない」
静穂は即答した。
「いつまでも初恋引きずってると損するよ」
「初恋でもないし、引きずってもないよ。顔も覚えてないし」
かつて夜祭りの晩に会った、少し年上のお兄さんだ。わたあめをわけてあげたらうれしそうにしていた。それが静穂にもうれしくて、だから忘れられずにいる。だが、ただの思い出だ。
以前にこの思い出話をしたら、沙彩に初恋だと勘違いだとされてしまったのだ。
「じゃあ、恋しなよ」
「無理だって」
今から恋をしたところで自分はもう結婚している。なにもどうにもできない。
わー! と騒ぐ声が聞こえてきた。
そちらを見ると、男子学生たちが一人を取り囲んでわいわいと話している。
「マジだって、大物をあと一歩ってとこまで追い詰めたんだからな!」
叫んでいるのは雰囲気イケメンの明るい茶髪の男だった。派手なTシャツに革ジャンを着て、耳にピアスをいくつもつけて、シルバーのペンダントをつけている。左腕には数珠のようなブレスレットがジャラジャラとついていた。
「無理すんなって」
囲んだうちの一人が笑いながら言う。
「退魔師ってのも嘘だろ?」
別の一人が言う。
「マジだって! 今日だって、授業が終わったらあやかし退治に行くんだ。俺はすべての妖怪を退治して退魔師キングになる!」
「そりゃすげえ」
仲間がゲラゲラと笑う。
「ファイナル・クライマックス退魔師、爆誕!」
彼は真面目な顔でポーズを決めた。
うわあ、恥ずかしい。
静穂は他人ながら羞恥を覚えた。将来、布団をかぶってもだえることになりそうなセリフだ。
「いまだにいるんだ、あんなの。河童がすごい万能薬を持ってるらしいけど、さすがにあれは治らないよね」
沙彩はあきれてつぶやいた。
「そもそも、あやかしイコール悪じゃないよね」
「人と同じ、いい人も悪い人もいるんだって。おじいちゃんが言ってた」
「あいつに倒されるあやかしはいない気がする」
「そうだね」
強そうには見えないのは静穂も同意だった。
「あいつとの恋だけはないわ」
沙彩が言って、あやかしの話は終わった。その後は二人で授業やバイトの話をして笑った。
授業を終えて帰るときだった。
門のあたりに女性が集まってきゃあきゃあ騒いでいるのが見えた。
「芸能人でも来てそうな騒ぎだね」
「イケメンが来てるといいな」
沙彩の声は弾んでいた。
固まって騒ぐ女子学生を横目に門にさしかかったときだった。
「花帆さん!」
男性の声がかかり、静穂は立ち止まった。
「待っていましたよ。こちらへ」
「あ!」
静穂は声を上げた。
写真でしか見たことのない自分の夫、雷刀だった。
紫の髪も瞳も、写真より美しく妖艶だった。背が高く、スーツがよく似合っている。
「花帆、知り合い?」
「えーっと」
どう説明したものか、と沙彩を見たときだった。
人々の視線が自分に向いていることに気づき、静穂の顔がひきつった。
「花帆さん、私は忙しい。早く車に乗って」
雷刀が催促した。
「はい。沙彩、また今度ね」
静穂は謝って、彼に誘導されるままに黒い高級車に乗った。突き刺さるような視線から、とにかく逃げたかった。
車が到着したのは豪華な洋館だった。あやかしの駐日大使公館ということだが、どこにも表示はなかった。表立って瑞穂之国との国交はないから当然か、と思い直す。
連れて行かれたのは豪華な洋間だった。クラシカルでヨーロピアンな家具が並ぶ。
静穂はソファを勧められ、腰掛けた。
向かい側には雷刀が座る。
目が合うと、彼はにこやかな笑顔を浮かべた。
静穂はほっとした。友好的に迎えられたのだ、変なことにはならないだろうと思った。
それなのに。
「離婚しましょう」
席に着くなりそう言われて唖然とした。
「今、なんて」
聞き返す。
「離婚しましょう、と言いました」
「どうして」
静穂がかろうじて絞り出した声は、かすれていた。
「あなた、花帆さんではありませんよね」
静穂の顔がひきつった。
ばれてるー!
「あなたは妹の静穂さんでしょう?」
「ち、違いますよ。そんなわけないじゃないですか」
うろたえて否定するのは肯定になるのでは。予想外のことを言われたからうろたえたのだというふりをしなくては。
なりすましがバレたら外交問題になるかもしれない。そうなったら、自分だけの問題ではすまない。
静穂の心臓はばくばくと早鐘を打つ。口の端に刻んだ笑みが不自然なことは自分でもわかった。
「嘘ですね」
彼は一刀両断した。
どうやってごまかそうか、静穂が目をさまよわせたときだった。
どこからともなく現れた小さな動物が、ひょこっとテーブルに載った。
「かわいい!」
状況を忘れて、思わず声をあげた。
「あ、デンカ、駄目です」
雷刀が捕まえようとするが、するりとしなやかに抜けて静穂に近づく。
丸い頭に小さな丸い耳、小さな金色の目、ピンク色の鼻。細長い体に短い手足、長いしっぽ。全身は金色のやわらかな毛で覆われていた。
「フェレットですか?」
「雷獣ですよ」
雷刀が答える。
あやかし学の授業で、雷獣はイタチのような姿だと言われたことを静穂は思い出した。
「なでて良いですか?」
「それは……」
雷刀が雷獣を見る。雷獣はうなずくような仕草を見せた。
「ちょっとだけですよ」
静穂は目を輝かせ、雷獣の頭をそっと撫でる。首につけられた黒っぽい首輪が重々しくて不似合いだった。
「やわらかい。かわいい」
そういえば、とちらりと雷刀を見る。
彼もまたあやかしのはずだが、なんのあやかしなのか、説明がなかった気がする。
国の威信をかけた政略結婚のはずなのに、杜撰なのではないのか。もしかしたら聞いても忘れているだけかもしれないが。
疑問を押し込み、静穂は別のことを聞いた。
「名前はデンカなんですか?」
「……そうです。電気の電に火、ですよ」
わりと安直な名前だな、と静穂は思った。
あやかしにとって、名を知られるのは魂を縛られるのと同義だという。だから真の名は秘して人に知らせず、仮の名を人に教える。だからデンカも仮の名だろう。
「どうして雷獣がここに?」
「自国民を保護するのも外交官の仕事ですよ」
「保護されたんだ。迷ってこっちの世界に来ちゃったの?」
頭をなで続けると、クククッ、と笑うような鳴き声をもらした。なんだか楽しそうだ。
「まったく、忙しいのに仕事を増やされて」
雷刀がぼやくと、デンカがくるっと彼を振り返った。
「お忙しいなら、また今度ということで」
言って、静穂は席を立つ。
「そんなわけにはいきません」
彼もまた席を立ち、静穂の前に立ちふさがった。背の高い彼に見下ろされると、それだけで迫力があった。
「忙しいんですよね?」
静穂はすがるように言う。
「忙しいですよ。不可侵条約の更新に、国交を開始する準備、日本からの使節団を迎える準備。特命全権大使の補佐官として、やることは山積みです。なのに大使が姿をくらまして昼寝にいそしんで、見つかったかと思えば仕事を放棄して散歩」
雷刀はため息をついた。
「大使にこきつかわれたおかげで、婚約してから今まで、あなたに会いにくることもかないませんでした」
「そうなんですね」
てっきり、人間との婚姻が嫌で会いに来ないのだと思っていた。自分たちの――正確には姉に来た縁談だが――結婚は政略結婚だったから。
それはともかく、今は離婚を回避しなくては。
「あ、いたたた、急にお腹が」
静穂はお腹を押さえた。
「嘘っぽいですが……お手洗いに行くなら、こちらですよ」
彼は先導して扉を開けてくれる。
「ありがとうございます」
静穂はバッグを斜めがけにして彼に続く。
ひょこひょことデンカがついてきた。
廊下に出た瞬間、静穂は走り出した。
「あ!」
雷刀はあっけにとられたあと、すぐさま静穂を追う。
「待ちなさい!」
追いかけて来る声と足音を振り切るべく、静穂は全力で走った。
静穂はとにかく走った。
広い館の中、あいまいな記憶を頼りに出口に向かう。
が、すぐに迷った。
徐々に彼が迫って来る。
このままでは捕まってしまう。
逃げなくちゃ。逃げている間は離婚しなくて済む。
必死に走ったが、廊下は行き止まりになった。
目の前には扉が一つ。
振り返ると、雷刀が走って来る。
「その扉はダメです!」
彼が叫ぶ。
かまわず開けて飛び込み、扉を閉める。
そして、愕然とした。
「どこ、ここ……」
まるで洞窟の中だった。
壁にはたいまつがかけられていて、なんとか足元は見える。
振り返ると、扉は消えていた。
「え?」
呆然としていると、足元からクククッと声が聞こえた。
「デンカちゃん! 一緒に来ちゃったのね」
なんだかホッとして、デンカを抱き上げる。
「ここ、どこなんだろう。どこへ行ったらいいのかな」
つぶやくと、デンカはするりと腕から抜け出した。見事に着地して、軽やかに走り出す。
「待って」
思わず静穂は追い掛ける。
デンカはしばらく走ると静穂が追いつくのを待った。それからまた誘導するように走る。
「待ってったら。危ないよ」
静穂は転ばないように気を付けながらデンカを追った。
しばらくして、デンカは走るのをやめて歩いた。
静穂はおとなしくそれについて行く。
まるでこの洞窟を知っているかのようなデンカの歩調を信じることにしたのだ。
洞窟は湿っていて滑りやすく、でこぼこして歩きにくかった。坂になっていないのがせめてもの救いだ。
「こんなことになるなんて」
こぼれたつぶやきに、デンカが顔をあげる。
「私、身代わりなのよ」
あやかしの国との回廊発生から二年後、友好的な不可侵であるという証明のために、両国の代表者の婚姻が行われることになった。
そこに白羽の矢が立ったのが、当時十二歳の静穂の双子の姉、弦坂花帆だった。
連絡は打診ではなく、決定の通達だった。
サラリーマンの家庭だが、先代までは退魔をなりわいとしていてあやかしの知識が多少なりともあり、敵対的でもない。それらの条件が合致したようだった。
「初めはお姉ちゃんが選ばれたんだけどね。お姉ちゃんには好きな人がいて、だから私が身代わりに立候補したの。一卵性の双子だから顔も年齢も一緒。バレないと思ったんだけどなあ」
「親は反対しなかったのか?」
問われて、静穂は首をふる。
「反対したわよ。バレたらどうなるかわからないって。だけど花帆が家出しちゃって。そこまで嫌なら、私が立候補してるんだしって、入れ替わりを認めてくれたの。それから引っ越しして入れ替わりをばれないようにしたりして、大変だった」
引っ越した先では花帆は静穂に、静穂は花帆になった。
初めは緊張したが、あちらからはなんの音沙汰もなく、拍子抜けした。
ときおり来る政府からの連絡に無難な返事をしてやり過ごした。
婚約状態のまま四年が過ぎ、十六歳で婚姻届けが出された。が、ふだんは弦坂花帆のまま家族とすごしていたので生活はほぼ変わらず、結婚した実感などなかった。
「今まで会いに来なかったんだから、これからも会わないと思ったのに」
なりすましたまま、そうして円満に一生を終えると思い始めていた。自由に恋ができないのはさみしかったが、姉を救えたならそれでいいと思った。
ふと、静穂は気が付く。
自分とデンカしかいないのに、声がしたような。
「浅はかだな」
あきれるような声がした。
「誰? どこにいるの?」
「ここだ」
声は下からした。そこにいるのはデンカだけなのに。
「我がしゃべるのが不思議か?」
ククク、と笑うような声がした。
「あなたが!?」
「あやかしが口をきくのは珍しいことではないだろう」
「知ってはいたけど……」
さきほどまでまるで話せないかのように黙っていたのに。
「お前、逃げてどうするつもりだ?」
「逃げている間は離婚できないでしょうから、その間に対策を考える。だからお願い、内緒にして!」
「さて、どうしたものかな」
ククク、とデンカは笑う。
「お願い、デンカちゃん」
「ちゃんはやめよ」
「デンカくん? デンカさん?」
「……今はデンカで良しとしておいてやろう」
なんか偉そうだが、かわいいから許せてしまう。むしろギャップでなおさらかわいいくらいだ。
「逃げを打つのは浅慮としか言いようがないが、おもしろそうだ。しばしつきあってやろう」
なんでこんなにバカにされるんだろう。
思うが、やはりかわいくて、文句を言う気はなくなってしまう。モフモフした姿を見ていると、先ほどのやわらかな毛並みをまたさわりたくなってしまった。
「歩くの大変じゃない? 抱っこしてあげるよ」
「やめよ。年頃の娘がはしたない」
はしたない、なんて。
意外な言葉に驚いていると、彼はため息をついた。
「さっさと歩け。行くぞ」
「どこへ?」
「我が国だ」
静穂は目を丸くした。
そんな彼女にかまわずデンカはひょこひょこ歩いて行く。
「待って」
静穂は置いて行かれないように慌ててついて行った。
洞窟を出ると、山の麓の森の中だった。
デンカはさらにずんずんと進む。
森を抜けると、江戸時代のような町並みが広がっていた。
「すごい、時代劇みたい」
静穂が感心すると、デンカがクククと笑った。
二人で街へ降りる。
静穂はキョロキョロと周りを見回す。
あやかし学の教科書で見たようなあやかしたちが歩いていた。河童や一つ目小僧、ろくろ首などの有名どころもいれば、見たことのないあやかしもいた。人型は着物を着ていて、動物型の者は着ていたり着ていなかったりした。
「さほど驚かぬのだな」
「驚いてるよ。でも一応、知ってはいたから」
生前の祖父からも聞いたことはあった。雷刀の婚約者となってからはさらにこちらの世界の勉強をさせられた。真剣にやってこなかったが。
「あ、お饅頭」
屋台に団子と饅頭が並んでいる。
静穂は目を輝かせた。が、すぐに表情を曇らせた。
静穂はこちらの通貨を持っていない。
買えないとなるとなおさらおいしそうに見える現象はなんだろう。
通りすがりの岩魚坊主が屋台で団子を買っている。その名の通り、岩魚がお坊さんのような格好をしていた。
いいなあ、と思いながら通りすぎたときだった。
横からスッと手が伸びて、お饅頭が差し出された。
「どうぞ」
「え?」
スーツらしき袖をたどり、腕の主を見た静穂は飛び上がりそうになった。
彼はもう片方の手で静穂の手を掴む。
「おとなしくしてくださいね。まわりに人間だとバレるとどんな目に遭うかわかりませんよ」
彼は優しく微笑して言った。笑顔だけなら甘いのに、言葉はまるっきり脅しだ。
「なんでこんな簡単に見つかるの」
「あの道からは、ここに来るしかないですからね」
雷刀は苦笑した。
「まずはお饅頭いかがですか? 材料は人間の世界と同じですよ」
「ありがとうございます」
静穂はおずおずと受け取った。