打掛を着た羽月を乗せた駕籠は、龍神がいると言われている山を登っていく。
羽月は自分が着ている打掛に目を落とした。これから偽とは言え花嫁としてこんな豪華な着物を着られたのはせめてもの救いだった。二十歳で死ぬ運命の自分には、婚礼の着物が着られるなんて思っていなかった。束の間だが「誰かの花嫁になる」という女性の幸せを感じられて、羽月は少しだけ心がときめくような気持ちになった。
やがて自分の乗っている駕籠がどこかにおろされるのを感じた。さっきまで耳元に感じていた人の足音が離れていくのがわかる。目的地についたのだ。花嫁を乗せた駕籠は山のある場所まで運ばれると、そこで駕籠だけおろされて残される。しばらくそのまま放置されると、龍神のお付きのあやかしが花嫁を迎えに来る、そういう手筈になっているのだ。
花嫁はあやかしが声をかけるまで駕籠から出てはいけない。羽月はそう言われていたが、周りがどんな状況になっているのか気が気でなかった。自分はこのまま龍神の元へ行って殺されるのだろうか。いくら薄命の運命の自分とはいえ、死ぬのは怖かった。
どれくらいそのままでいただろう。羽月は恐怖ですっかり冷たくなった自分の身体を抱きしめるように時間が経つのを待った。やがてどこからか足音が聞こえてくる。これは龍神の使いのあやかしの足音だろうか、それとも人間の匂いを嗅ぎつけた熊の足音だろうか。どちらにしても自分を死に導くものだろう。羽月はこれから来る恐怖を考えて瞼を強く閉じた。
「――花嫁様の駕籠だ!」
駕籠の外で誰かが言う。羽月の耳に飛び込んできたその声は、意外にも穏やかそうな男性の声に聞こえる。
「花嫁様、どうぞ駕籠の外に出てらっしゃってください!」
次に女性の声が聞こえる。その声も羽月の耳には穏やかで嬉しそうな声に聞こえた。
羽月はまだその声の穏やかさが信じられなかった。今まで散々嫌な目にあったのだ。駕籠の外に出れば、また嫌な思いをする。きっとそうだ。
しかしいつまでも駕籠の中にいることはできない。声や足音の様子からすると、どうやら駕籠の周りにはたくさんのあやかしが集まっているらしい。自分がここで籠城しても、いずれは外にいるあやかしに引きずり出される。羽月は覚悟を決めて駕籠の御簾から恐る恐る顔を出した。
羽月が顔を出すと、駕籠の周りにはたくさんの人がいた。あやかしだと思っていたが、そこにいるのは普通の人のように見える。あやかしは一見、普通の人間のように見えるのだろうか。羽月は今まであやかしの話は聞いたことがあるが、それこそ龍神のように猿や野犬のように野蛮なものだと聞いていた。
羽月の顔を見ると、人々の間から歓声が上がった。
「まあ! 花嫁様、お美しいわ!」
「真っ白な着物を着て、何てきれいなんだ!」
周りにいる人はみんな笑顔で自分の姿を見て嬉しそうだ。
(――私が美しい? きれい?)
人々が口々に言う言葉が羽月には信じられなかった。今までの人生で「美しい」「きれい」など言われたことがない。そんな言葉を言われるのはいつも義妹の陽菜と決まっている。しかも、みなが自分を歓迎しているように見えるのも不思議だ。
義母と陽菜はいつも自分を見ると嫌そうな表情をするし、父親は視線を反らす。家の使用人は嫌な顔こそしないまでも、「薄命の娘」と言われている自分と目を合わそうとしない。
羽月が戸惑っていると、一人の中年の女性が近づいてきて、優しく羽月の手を取った。
「まあ、花嫁様、こんなに冷たい手をなさって。長旅大変でございましたね。さあ、あの馬に乗ってください。すぐにお屋敷へお連れしますから」
「馬?」
馬などどこにもいない、と羽月が思っている、突然駕籠のすぐ近くに大きな何かが降り立った。それは翼の生えた馬だった。羽月が驚いていると、中年女性は「ほほほ」と上品に笑う。
「人間の世界では空を飛ぶ馬は珍しいかもしれませんね。このあやかしの世界では日常的に空飛ぶ馬で移動しますのよ」
「では、ここはあやかしの……」
自分は本当にあやかしの、龍神のところへきてしまったのだ。羽月は表情を硬くしたが中年女性、いやあやかしの女性は笑顔のままだ。
「花嫁様、驚かせて申し訳ございません。でも、私たち花嫁様がいらっしゃるのをとても心待ちにしていたのですよ。さあ、あの馬に乗ってお屋敷へ向かいましょう」
「あの……、そのお屋敷には龍神様がいらっしゃるのでしょうか?」
「いえ、龍神様がいらっしゃるのは一年後です」
羽月は自分が着ている打掛に目を落とした。これから偽とは言え花嫁としてこんな豪華な着物を着られたのはせめてもの救いだった。二十歳で死ぬ運命の自分には、婚礼の着物が着られるなんて思っていなかった。束の間だが「誰かの花嫁になる」という女性の幸せを感じられて、羽月は少しだけ心がときめくような気持ちになった。
やがて自分の乗っている駕籠がどこかにおろされるのを感じた。さっきまで耳元に感じていた人の足音が離れていくのがわかる。目的地についたのだ。花嫁を乗せた駕籠は山のある場所まで運ばれると、そこで駕籠だけおろされて残される。しばらくそのまま放置されると、龍神のお付きのあやかしが花嫁を迎えに来る、そういう手筈になっているのだ。
花嫁はあやかしが声をかけるまで駕籠から出てはいけない。羽月はそう言われていたが、周りがどんな状況になっているのか気が気でなかった。自分はこのまま龍神の元へ行って殺されるのだろうか。いくら薄命の運命の自分とはいえ、死ぬのは怖かった。
どれくらいそのままでいただろう。羽月は恐怖ですっかり冷たくなった自分の身体を抱きしめるように時間が経つのを待った。やがてどこからか足音が聞こえてくる。これは龍神の使いのあやかしの足音だろうか、それとも人間の匂いを嗅ぎつけた熊の足音だろうか。どちらにしても自分を死に導くものだろう。羽月はこれから来る恐怖を考えて瞼を強く閉じた。
「――花嫁様の駕籠だ!」
駕籠の外で誰かが言う。羽月の耳に飛び込んできたその声は、意外にも穏やかそうな男性の声に聞こえる。
「花嫁様、どうぞ駕籠の外に出てらっしゃってください!」
次に女性の声が聞こえる。その声も羽月の耳には穏やかで嬉しそうな声に聞こえた。
羽月はまだその声の穏やかさが信じられなかった。今まで散々嫌な目にあったのだ。駕籠の外に出れば、また嫌な思いをする。きっとそうだ。
しかしいつまでも駕籠の中にいることはできない。声や足音の様子からすると、どうやら駕籠の周りにはたくさんのあやかしが集まっているらしい。自分がここで籠城しても、いずれは外にいるあやかしに引きずり出される。羽月は覚悟を決めて駕籠の御簾から恐る恐る顔を出した。
羽月が顔を出すと、駕籠の周りにはたくさんの人がいた。あやかしだと思っていたが、そこにいるのは普通の人のように見える。あやかしは一見、普通の人間のように見えるのだろうか。羽月は今まであやかしの話は聞いたことがあるが、それこそ龍神のように猿や野犬のように野蛮なものだと聞いていた。
羽月の顔を見ると、人々の間から歓声が上がった。
「まあ! 花嫁様、お美しいわ!」
「真っ白な着物を着て、何てきれいなんだ!」
周りにいる人はみんな笑顔で自分の姿を見て嬉しそうだ。
(――私が美しい? きれい?)
人々が口々に言う言葉が羽月には信じられなかった。今までの人生で「美しい」「きれい」など言われたことがない。そんな言葉を言われるのはいつも義妹の陽菜と決まっている。しかも、みなが自分を歓迎しているように見えるのも不思議だ。
義母と陽菜はいつも自分を見ると嫌そうな表情をするし、父親は視線を反らす。家の使用人は嫌な顔こそしないまでも、「薄命の娘」と言われている自分と目を合わそうとしない。
羽月が戸惑っていると、一人の中年の女性が近づいてきて、優しく羽月の手を取った。
「まあ、花嫁様、こんなに冷たい手をなさって。長旅大変でございましたね。さあ、あの馬に乗ってください。すぐにお屋敷へお連れしますから」
「馬?」
馬などどこにもいない、と羽月が思っている、突然駕籠のすぐ近くに大きな何かが降り立った。それは翼の生えた馬だった。羽月が驚いていると、中年女性は「ほほほ」と上品に笑う。
「人間の世界では空を飛ぶ馬は珍しいかもしれませんね。このあやかしの世界では日常的に空飛ぶ馬で移動しますのよ」
「では、ここはあやかしの……」
自分は本当にあやかしの、龍神のところへきてしまったのだ。羽月は表情を硬くしたが中年女性、いやあやかしの女性は笑顔のままだ。
「花嫁様、驚かせて申し訳ございません。でも、私たち花嫁様がいらっしゃるのをとても心待ちにしていたのですよ。さあ、あの馬に乗ってお屋敷へ向かいましょう」
「あの……、そのお屋敷には龍神様がいらっしゃるのでしょうか?」
「いえ、龍神様がいらっしゃるのは一年後です」