「清冬様、お逃げください! 私が引き留めておきますので、その隙に!」
「見誤るなよツツジ。俺一人死んだところで何の損もない。が、この屋敷にいる者全員を死なせて見ろ。一体どれだけの人数が泣くんだ?」

 屋敷の敷地内に入った途端に聞こえる、二人の言い合い。それはツツジさんと清冬様。清冬様は既にケガをしているのか、白い着物が所々赤く染まっていた。

「日登家の当主は清冬様です。当主が倒れるのはお家が潰されたも同然。何人が路頭に迷うことでしょう」
「……ふっ。何度も言わせるな。〝俺一人死んだところで何の損もない〟そう言ったろう。それに……

俺の代わりに、あの娘――末春がいる。

とどのつまり、日登家が生き残るためには治癒能力が使える奴がいればいいんだ。末春には俺の影武者になってもらえ。そうすれば日登家がお取り潰しになることはない」

「!」

 あぁ、そうか……。だから清冬様は私の元へ来て花束なんかを渡していたんだ。そうか、私を屋敷に戻したかったのは、自分の亡き後を心配していたからか。

 結局、清冬様は本当に私のことを好きではなかったんだ。
 全ては日登家のため。
 全ては――

「そうまでして日登家が大切ですか。これは言わまいと思っていましたが、能力なき清冬様は日登家の名前から解放され、自由に生きるという手もあるのですよ」
「……大切なのは日登家ではない」

 言いながら、二本の剣を持って上空の妖怪を見上げる清冬様。その目に写っているのは妖怪だけど、今、清冬様の頭にあるのは――別の物のような気がした。

「約束したのだ、末春と」

――あの子らは皆そろって優秀だ。引き続き日登家で面倒を見る

「日登家だ、当主だという前に、一人の男が女と交わした約束も守れないようでは誰かさんに〝女々しい〟と言われるからな」
「清冬様……」

「……っ」

 なに、なんだろう、あの人は……。さっきの話だと、今がんばってるのも、もう体がボロボロなのに戦おうとしているのも、全ては私との約束を守るためだと?

「最後に聞いてくれ、ツツジ。俺は日登家に生まれた意味がとんと分からなかった。分からなくて、分からなくて……そして、やっぱり分からないままだった。情けない当主で世話をかけたな」
「清冬様、そんな事をおっしゃらないでください」
「末春の能力をもらって驚いた。日登家ではない者が、これほど強大な力を持っているのかと。と同時に、どうして日登家の跡継ぎは末春ではなく、俺だったのかと。親父も、きっと〝末春が自分の子供だったら〟と思っただろうな。日登家の跡継ぎは俺ではなく、末春の方がよほどいい――と」

「!」

その時、昔の私を思い出す。そして、どうしようもなく冷たい涙が出て来た。

――どうして私ではなく、あの子が死なないとならなかったんだ。自分が食べる物を我慢すれば、例えそれで自分が餓死したとしても、親から愛されているあの子が生き残る方がよほどいい

「……ばかですね。自分の命を犠牲にしてまで息子の立場を守った干扇様が、清冬様を嫌いなわけがありますか」

 ぐいっと袖で涙を拭きとった後、近くに落ちていた刀を拾いあげ、思い切り清冬様に投げる。まるで体を串刺しにするように迫る刃。それを清冬様は、ツツジさんが反応するよりも前に素早くなぎ倒した。そして、肩で息をする私を見つける。

「へぇ……これは随分と小さな妖怪がいたもんだ。俺に当たったらどうするつもりだったんだ?」
「その時は私が治癒するのでご心配なく」
「……言ってくれる」

 ニッと笑った清冬様。その時、私はこの人の本当の顔を見た気がした。あなたはもっと冷徹で、無関心で、強欲で、自分本位な人ではなかっただろうか。こんなにも……慈愛に満ちた瞳で私を見つめる人だったろうか。

「末春」
「……はい」

 こんなにも優しい声で、私の名前を呼んでいただろうか。
 こんなにも、こんなにも――

「こんな状況で何をと思うだろうが、今日で最後だから聞いてくれ。
 屋敷に戻ってきて欲しい。もう一度、俺と一緒になってくれ」
「……」
「やはりダメか?」

 分かり切ったように笑う、どこか諦めた感情が見え隠れする表情が、なんだかひどくムカついて。「ダメに決まっています。屋敷には戻りません」と、そう伝えたかったのに、反骨心からか私の口は全く違うことを言っていた。

「私たちが一緒になれるかどうかは、清冬様にかかっています」
「……というと?」
「まずは清冬様が生き残らねば。そうしないと一緒になるも何も、あったものではないですから」

 上空の妖怪たちを見ながら突っぱねて言うと、なんと清冬様は「ぶっ!」と吹き出して笑った。その笑顔は純粋無垢な子供のようで、きっと清冬様の本音なのだろう。

 ……そうか。

 この人は素直ではないだけで、意外と中身は真っすぐな人なのかもしれない。己の心を上手く表現できないだけで、

――約束したのだ、末春と

 その心はあの白いバラのように澄み渡っているのではないかと、そう思った。

「私からも聞いていいですか?」
「構わない」
「以前、清冬様は〝欲しいのは能力だけではない〟とおっしゃいました。あの真意を知りたくて……」

 言い切る前に、自分が女々しい質問をしている事に気付き、急いで口に蓋をする。そんな私に一瞬呆気に取られるも、清冬様は妖艶な笑みを浮かべた。

「末春。その質問には、この場を生き残れたら教えてやる」
「……上等です」

 そこからは清冬様と私、そして妖怪たちの一騎打ちだった。

 どうやら清冬様が修行をしていたのは嘘でも何でもなかったらしく、妙に筋肉の行き届いた体で絶妙な刀裁きをしていた。二刀流だろうが何だろうが身のこなしは軽やかなもので、来る妖怪を次から次になぎ倒した。

 清冬様が戦っている間は軍人たちの治癒を、清冬様の治癒を行っている間は軍人たちが戦う戦法をとると、どうやら勝機があったらしい。夜が明けきる頃には、空にいた妖怪たちは地上で屍と化していた。

「はぁ~……」
「なんとか終わりましたね……」

 朝日が顔を出し、屋敷を明るく照らす。一匹の妖怪もいないことを目視で確認すると、私の隣に立っていた清冬様は膝から崩れ落ちた。ドサッと大きな音を響かせ、地面に転がる清冬様。見ると、暗闇では見えなかった傷から何筋かの血が流れていた。

「清冬様、お気を確かに。いま治癒しますので、ご安心を」
「はぁ、情けないな……」
「何を今更」

 ピシャリと言うと、清冬様は眉間にシワを寄せた。しかし言い返す気力はないのか――深いため息をついた後、寝転がったまま空へ目をやる。

「朝焼けか。眩しさのせいで白く見える」
「白色……ですか。いいではありませんか」

 治癒をしながら淡々と言うと、清冬様は「ふん」と鼻を鳴らした。

「〝いい〟と言う割には、あまりバラを喜ばなかったな」
「喜びましたよ。あなたから頂いた、ということを除けばですが」

「……」
「――……清冬様」

 気まずくなったところで、戦いの前に交わした約束を再び持ち出す。

「ご自分で言われた事は覚えておいででしょうか」

――以前、清冬様は〝欲しいのは能力だけではない〟とおっしゃいました。あの真意を知りたくて
――この場を生き残れたら教えてやる

「あの時の答えを今、教えていただけないでしょうか」
「……せっかちな奴だ」

 不敵な笑みを浮かべた清冬様は治癒が効いてきたのか、肘に力を入れて体を起こす。さっと背中へ手を回すと……まさか私が支えるとは思わなかったのか、清冬様は驚いたように私を見つめた。次に短いため息をついた後、自分の気持ちを少しずつ吐露し始める。

「能力ではなくお前だけがほしい、と言ったら嘘になる。しかし末春がいない屋敷は……なんだか味気ない」
「味気ない……?」

「力を失った俺にも、お前の〝治癒の糸〟は見え続けている。屋敷中に糸が見えているというのに、肝心な末春の姿はない。そのことになぜか寂しさを覚えてな」
「寂しさ、ですか?」

「そうだな……きっと、あれだろう。お前が俺から力を取り戻すためとは言え、最初で最後の抱擁が、存外この俺に効いたのだ」
「!」

 眉を下げて笑う清冬様を見た瞬間、胸の内側に何かが積もっていくのが分かった。それは温かで、胸がそわそわと落ち着かなくなる何かだ。

「再び、俺からも聞いていいか」
「……はい」

「もう一度、俺と婚姻し屋敷に戻ってきてほしい」
「しかし、私は……」

 人殺しという肩書を持っている。私が治癒の力を得たのは自分の愚かな行いのせいだからであり、詳細はとても白日の下に晒せるものではない。
 私の体は、私の命は、あの日から生きられなかった「春ノ助」に捧げるものであって……そこに私的な感情は入れてはいけない。戦闘の後から、なぜか清冬様を見ると心が跳ね、指の先が温かくなっていく理由にだって、見て見ぬふりをしないといけないのだ。

「末春」

 それなのに――

「お前が背負っている〝業(ごう)〟ごと、お前を受け止める。だから末春は何にも恐れず、ただ俺の手を握ればいい。お前が望む限り、俺の手は末春の前からなくならないと誓おう。どんな時もどんな物も、手を取り合い二人で一緒に背負うのだ」
「っ!」

 パタッと、涙が落ちる音が聞こえた。それくらい、静かな時間が流れていた。
 だけど静かな「外」とは対照的に、私は燃えるように温度が上がっていき、気づけば清冬様よりも指先が温かくなっていた。
 私の前に差し出された手。この手を握れば、この指を合わせれば……氷点下だった私たちの関係は、熱く燃え上がるだろうか。白いバラが赤く染まるくらいの情熱を、持ち合わせることが出来るだろうか。

「……いや、いいんだ」

 例えバラが赤く染まらなくても、それでもいい。だって私は、やっぱり白色が好きだから。

「そういえば清冬様のお名前、なんだか白っぽいですね」
「なんだ、いきなり」
「いえ……何も」

 私と清冬様。生きて来た立場や境遇は違えど、しんしんと降り積もる冷たい雪の中に、ずっと己の心があった似た者同士。

――どうして日登家の跡継ぎは末春ではなく、俺だったのかと。親父も、きっと〝末春が自分の子供だったら〟と思っただろうな。日登家の跡継ぎは俺ではなく、末春の方がよほどいい、と

――どうして私ではなく、あの子が死なないとならなかったんだ。自分が食べる物を我慢すれば、例えそれで餓死したとしても、親から愛されているあの子が生き残る方がよほどいい

 冷たい雪は、それぞれの心に充分に降っただろう。
 冬は終わりを告げ、これから温かな春を迎える。花が咲き乱れ、虫が土から顔を出し、温かな風が日本を包み込む――そんな未だ見ぬ春を、あなたと一緒に見たいと思うのは……私の我儘だろうか。清冬様と一緒なら、後ろだけではなく前を向ける勇気が持てると思うのは、都合のよすぎる解釈だろうか。

「末春」
「……はい」

「腹が空いた。向こうに炊き出しを用意させている。良ければ一緒に食べないか?」
「でも、まだお返事が……」

 すると清冬様は「優柔不断な奴だ」と言って、ついに待ちきれなくなったのか私の手をさらった。

「清冬様、この手は」
「腹が減ってはなんとやら、だ。お前も子供たちの事が心配だろう。きっと泣いているに違いない。しかし皆で飯を囲めば笑顔になると親父から聞いたことがある。本当に皆が笑うか、物は試しだ。つべこべ言わずに付き合え」
「戦いで疲弊した皆を活気づけたいと、素直におっしゃればいいのに……」

 小さな声で反論すると、どうやら正論だったらしい清冬様が繋いだ手に力を込めた。

「俺と繋いだ手を、これほど熱くさせておきながら、それでも〝婚姻する〟と素直になれない末春に言われたくないがな」
「な! それとこれとは話が――って、そういえば清冬様……お屋敷の人に、私が治癒の力を使えるってバレましたよ。どうしましょう」

 一足先に現実に戻り、心配事を口にする私を「浪漫の無い奴め」と清冬様は悪態をついた。ついで「心配いらん」と、しっかりした顔つきと足取りで屋敷の人達が集まる場所へ移動する。

「妻にも治癒能力が移った、と話せば問題ない」
「まだ婚姻のお返事をしていないのですが……」
「お前が素直にならないのなら外堀から埋める。こうでもしないと、未春は首を縦に振らないだろう?」

 ニヤリと悪い笑みを浮かべる清冬様。繋いだ手に力を込め「観念しろ末春」と、まるで子供のようにケラケラ笑った。そんな彼の姿を見ていると、一人だけ片意地張っているのも馬鹿らしく思える。だから私より一回りも二回りも大きな手に包まれているのを感じながら「もう仕方ないですね」って、清冬様と同じ、したり顔を返した。


【 完 】