日本国は、現在とてもバチバチしている。人同士の戦争じゃなくて、主に「妖怪」との戦争で――だけど、国の端っこのド田舎で「今日の洗濯干しも終わり」なんて、一つ括りにした黒い髪を揺らしながら呑気な事を言う私には、妖怪なんてどこか他人事だと。そう思っていた。
この日までは――
「春ノ助(はるのすけ)様でお間違いありませんか?」
「へ、私?」
着物……ではなく、高そうな軍服をピシリと着こなす男性。まだ若いのか、肌艶がいいし瞳のくすみも全くない。おかっぱ頭に似た黒い髪型は、どこか子供っぽさを連想させる。
「今日ここに参りました理由は――」
「……」
視線をそらさないまま自分の肌を少しだけ引っ張り、小首を傾げた。まだ私も十六歳で若いはずだが、両手を見ればアカギレはあるし、白っぽい粉ふいてるし。近い年齢の者同士でこれだけ違いが出るものかと、落胆しながら干し終わったばかりの大量の洗濯物を見た。
「――と、そういう事でして。今から日登(ひのぼり)清冬(きよふゆ)様のお屋敷へ来ていただきます」
「私が、何をしに?」
「だから」
青年は「聞いてたのか?」という鋭い眼差しを私に向けた後、指令が書かれている紙を開いて見せた。
「清冬様と春ノ助様の婚礼の儀を執り行いますので、日登家のお屋敷へ来てください」
「婚礼の、儀?」
言いながら疑惑の「ぎ」……ではなく疑惑の「め」を向ける。けれど青年は素早く紙をしまったかと思えば「行きますよ」と。それだけ言って、来た道を戻っていく。もちろん「はい、喜んで!」なんて流れにはならなくて、疑問に疑問を重ねてパンク寸前の頭を抱えた。
まさか自分が結婚するなんて思わなかったし、ましてや日登家なんて――
日々妖怪退治を行う軍人たちにつきものな事。それはケガだ。限られた軍人たちがケガで戦闘不能になっては、国が妖怪の餌食になってしまう。しかし軍人たちは適切な治癒のおかげで、驚異の回復力で前線に戻って行った。それにより何とか日本は妖怪に対抗できているらしい。
言わば国の要となっている「適切な治癒」――これを行っているのが日登家なのである。もちろん、ケガを消毒し包帯を巻いて何日も療養……なんて轍は踏まない。治癒に時間をかけていると、戦える軍人の数は妖怪たちより劣ってしまう。そのため早急に前線に戻さねばならないのだ。
その時間、一晩。
日登家の当主のみが使えるとされている「治癒能力」。それを使えばいくらケガの程度が重い軍人ですら、翌朝には五体満足で前線に戻れるという、誰もが喉から手が出る能力を日登家が持っているのだ。
「しかし、その日登家が、なぜ身分の低い私なんかを……?」
「自分でもお分かりなのでは?」
「全くもってわかりません」
「……」
いや絶対分かってるだろ――という視線を向けられた後。さっさと私に引導を渡すためか、青年は細部まで丁寧に説明してくれた。
「あなたが十人ほど孤児を養っているというのは?」
「本当です」
「しかも、まだ喋れないほどの幼子(おさなご)もいると?」
「はい」
答える私の後ろには、家の中から心配そうにこちらを覗く二十の目。妖怪との争いで親を亡くした子供たちを引き取っていたら、いつの間にか大所帯になってしまった。そんな子供たちを、青年は表情を変えず見つめる。
「十人もいたら、さぞ生活が大変でしょうね。しかも幼子までいるとなると……病気を患った数も、数えきれないほどでしょう。しかし不思議なことに、あなたが町医者にかかった姿を、近隣に住む者は見たことがない。もしや子供を殺めているのでは?と疑った町医者が、ある日こっそり春ノ助様の家を覗いたそうです。
すると、まぁ不思議。熱にうなされていた子供は、あなたが子供に手をかざした瞬間、一瞬にして良くなったそうです。淡い青光りも出ていたとか。これは一体、どういう事なんでしょうねぇ?」
「ね、ねぇ……?」
失礼。最ほど説明の中で、治癒能力を使えるのは日登家の当主だけと言ったが、なぜか私も同じ力を使うことができる。しかも日登家が一晩かかって治すケガを、私はほぼ数時間で治すことが出来るのだ。
「み、見られていたんですか……」
「こんな掘っ立て小屋に住んでいては〝見てくれ〟と言ってるようなものでしょう」
段々と口調がきつくなっている青年を見て頬を膨らませた後。「ならお願いがあります」と、青年のいう「見てくれと言わんばかりの我が家」を指さした。
「私がいなくなれば、あの子たちは全員死にます。あなたは日登家の人間ですよね? 人を治す事に重きを置く名家が子供を見殺しにしていいのですか?」
「……つまり?」
「あの子たち全員を、日登家の養子にすること。この条件を飲んでくださるなら、私はどこへでもついて行きます」
「……」
すると「そう言われてはね」と、青年は二、三度頷いた。
「いいでしょう。ならば全員身支度を。お引越ししますよ」
「やった! ありがとうございます」
そして私と子供たち十人は引っ越しをする。
「わー、皆でおでかけなんて初めてだねぇ!」
「どこ行くのー?」
「ふふ(きっと)いい所だよ~」
皆で歌を歌いながら河原沿いを歩く……のだけど。その時に、ふと思った。子供十人を養子に――なんて条件を出したが、それを上にも確認せず独断で「是」と言った青年。まさか相当に身分が高いのでは?
「何でしょうか?」
「……いえ、何でもありません」
私たちが脱走しないようにか一番後ろを歩く青年に視線を送る。もちろん一瞬で気づかれた。こういう機微に聡いところも、どこか一般の軍人とは違う気がする。現在進行形で、赤子の一人を抱っこしてもらっている慣れた手つきもそうだ。あれほど若い青年が、赤子の扱いに長けているものだろうか。
「なんか嫌な予感がするなぁ」
言いようのない焦燥感はなんだろう。こう何度も「違和感」が身に降りかかると、自分の知り得ない領域に足を踏み込んでしまった気がして不安になる。
それに――私の力がバレたのは仕方ないにして。どうして日登家が私を娶るのかが分からない。だって私の力がなくとも当主がいれば治癒は出来るわけだし……あ、治癒のお手伝いをさせられるのかな。それくらいなら、まあいっか。
なーんて思っていたのが少し前。
だけど現在の私は、老いた元当主が布団に横になっている姿を見て唖然としていた。
「よぅ来てくれた。あんたがすごい治癒力を持つという女子(おなご)か?」
「は、はい……」
元当主、名前を日登干扇(ひせん)様。
豪華な部屋、豪華な布団、豪華な置物の中におられるが、全く覇気はなく。むしろすぐにでも命の灯が消えてしまいそうにさえ思える。だけど隣の部屋から「手当をお願いします」と軍人に言われれば黙って頷き、寝転がったまま手を上げて〝襖を閉めたまま〟軍人の治癒にあたっていた。
「むしろ干扇様こそ治癒が必要なのでは……?」
「今度言うと首が飛びますので発言にはご注意を」
「ひぃ……っ」
お屋敷に着いてから、子供たちはすぐに別室へと連れて行かれた。青年が「決して悪いようにはしないでご安心を」と言ってくれたから、その言葉を信じて私は青年に連れられ、この部屋へ来たというわけだ。
だけど、どうにもおかしい。
街の噂では、日登家は当主が変わったはず。だから治癒も、干扇様ではなく現当主である息子がしているはずなのに。どうして干扇様が治癒しているんだろう? 当主しか治癒能力は使えないはずでは?
頭が疑問符でいっぱいになっていると、干扇様が「こっちへ」と私を手招きする。近づくと、干扇様の口元の白髭がわずかに揺れた。顔を見ると、安心したように笑っている。
「ここに来てくれたということは、清冬と結婚してくれるということか」
「はい……あの、ですが」
「ツツジ」
「はい」
ツツジ――と呼ばれたのは、あの青年。干扇様が何を言いたいのか分かっているのか、二人の間で刹那の目くばせが終わった後、ツツジさんは素早く退室した。
「さて、どこから説明したものか。いや、その前に。お前さんの能力から説明してもらおうか。どうして治癒能力が使えるんじゃ?」
「私は生まれつき孤児でした。人に言えないような事をして、なんとか生きてきましたが病やケガには勝てず。死にそうになった時がありました。その時いきなり自分の手から青い光が出て……それを体にあてると、嘘のように元気になりました。力が開花したのは、その時です」
「ふむ。では家系の類ではないのか。ワシはてっきり、日登家のライバルが現れたのかと思ってな」
「ただの一般人ですよ。しかし……なるほど。脅威は早いうちに吸収しておけ、ということですか。高い治癒能力を持つ私が日登家以外に目をつけられると、こちらとしては厄介ですものね」
「まぁ、それもあるんじゃが」
干扇様は疲れているのか、話しの間にしばしば休憩を入れる。別に急かす理由もないので待っていると、遠くで子供たちのはしゃぐ声が聞こえた。良かった、楽しそうな声色だ。
「実は、息子の清冬に問題があってな」
「問題?」
言うと、干扇様が「内密な話ぞ」と声を落とした。
「清冬は治癒能力が全く使えないんじゃ。当主が変わったというのに、ワシの力を与えることが出来ん」
「え、えぇ!?」
じゃあ、さっき干扇様が軍人を治癒していた理由って……無能な息子の代わりをしていたってこと!?
「隠居されたのに、その実は治癒を継続されていた、ということですか。皆には内緒で」
「そうじゃ。ワシとツツジとお前さんだけしか知らん」
「あ、だからさっき」
襖を開けずに治癒していたのか。軍人は、襖の向こうで清冬様が治癒してくれてると思っているんだ。当主が治癒出来ない事が知られれば、軍人の指揮が下がるばかりか、国からお家が潰されるかもしれないもんね。そりゃあ公にはできないよ。
「だが、お前さんほどの力があれば、もしや清冬に力を与えられるのでは?と思い呼んだのだ。力が与えられなければ、その時は清冬の代わりに治癒をしてくれ。それがお前さんと清冬が婚姻する理由じゃ」
「そうだったのですか……」
なるほど、これはお家の一大事だ。ツツジさんが「十人の養子の件」を即・受諾したのも頷ける。
「この日登家のために尽くしてくれるか?」
「私には大事な子供たちがいます。その子たちが幸せでいられるなら、私はどんな事でもします。だから、これからよろしくお願いします」
「うむ――では、ツツジ」
「はい」
いつの間にか部屋に戻ってきていたツツジさんが、私の手をさらった途端に親指に鋭い痛みが走る。次に、指から紙の感触が伝わった――見ると、なんだか厳かな用紙に私の親指が押し付けられていた。
「これは……血判?」
「はい、これで婚姻の儀は終わりです」
「え、今ので!?」
白無垢もなく?と驚いていると、ツツジさんが「仕方ないんですよ」とため息をつく。
「当主である清冬様はずっと不在でして、帰ってこないんです。なんでも〝修行を積めば能力は開花するはず〟と思っているらしく、血眼で体を鍛えているんですよ」
「へ?」
体を鍛えても、それは意味ないんじゃ――と喉まで出かかった言葉を飲みこむ。無能なこともそうだし、もしかして清冬様は頭が弱いのでは? そう邪推した時、干扇様が「ゴホッ」と咳をした。かなりしんどそうだ。あぁ、息子の代わりにご無理をされて、お気の毒に。
「干扇様、今どれほどの人数を治癒されていますか?」
「三十人ほどじゃ。しかしまだ足りん。ケガ人は増えるばかりで、」
「では全て私に回してください。五十人……いえ、百人ほどなら同時に治癒出来ると思います」
「ひゃ、」
百人!?――干扇様とツツジさんが声を揃えたところで、干扇様から伸びている治癒の糸を切って、代わりに私の糸を伸ばす。
治癒の糸――皆には見えないけど、術者には見える。この糸を伝って、治癒の力がケガ人に移動するというわけだ。
「本当は直接、体に手を当てた方が治癒力は高いのですが、そうも言ってられないですしね」
「お前さんの力は……本当に不思議じゃな。治癒能力を使う術者は、自分の生命力を削りながら対象者を回復させるという。かなりの数を治癒をしてきたワシは、見事にこのザマじゃ。しかしお前さんくらいの術者なら、命の心配をすることはないだろう。逞しい限りじゃな」
「干扇様を元気にしてあげたいのですが……老衰にだけは、この治癒は効かないですからね」
清冬様が無能なばかりに、干扇様の死期が早くなったのは間違いない。だけど干扇様は恨み言一つ言わずに、白髭を揺らしながら笑っていた。
「これで、やっと心置きなく眠れるわい。ありがとうな、全てお前さんのおかげじゃ。そういえばまだ名前を聞いてなかったな」
「春ノ助です。孤児なので苗字はありません」
「フッ、男みたいな名前じゃな」
「よく言われます。幼い頃、すれ違った男性の懐から財布を盗みました。その財布の中に春ノ助と書いてあって……――いえ。何でもありません、ただの拾い名です」
「……そうか」
目を瞑った干扇様は、しばらく黙った。しかし次の瞬間。
「今日からお前の名は末春(みはる)だ」と言った。
「元々が拾い名であるなら、今さら名前を変えようが構わんじゃろ。清冬の妻でありながら男のような名前というのは、妙な噂が立つかもしれんしな」
「まぁ実際、私は男のような気性ですからね」
おどけて言うと、干扇様は「顔は美人なのにのう」と言った。思わぬ褒め言葉に声が出ず、自分が座っている畳を見るだけに留まる。でも、思う所が一つ。
「そうは言っても干扇様。できれば……今の名前のままで屋敷にいさせてくれませんか?」
「……そうじゃのう」
無理な要求というのは分かっている。それでも私にとっては――と思っていた時。やはり「無理だな」と干扇様。
「しかし自分の名前が変わったからと言って、元の名前を忘れてしまうわけではないだろう? その拾い名は、大切に胸の中に閉まっておくことだ。お前を見る限り、春ノ助という拾い名は〝いい思い出〟とは言えないようだしな。たまに思い出して、また閉まっておく。悲しい感情とは、それくらいの距離感でちょうどいいのじゃ」
「干扇様……」
そう、なのかな。いや、例え違っていたとしても……忘れなかったらいいんだ。ずっと胸にしまっておけば、その名前を忘れることはないのだから。
「素敵な名前をいただき嬉しく思います。これからよろしくお願いいたします」
「うむ。清冬がいない分、ここを頼んだぞ、末春」
「はい」
そしてツツジさんと部屋を出る。どうやら私専用の部屋があるらしく、長い廊下を縦に並んで移動した。その時、ツツジさんが「どうでしたか」と唐突に私に尋ねた。
「ここでの生活、やって行けそうですか」
「はい、きっと何とかなると思います。干扇様もお優しい方ですし…………」
「どうしましたか?」
黙った私に、前を見たままツツジさんが問う。一方の私は、頭の中で干扇様のことを思い出していた。
「私の親のように子を捨てる親もあれば、干扇様のように子のために命を削る親もいるんですね」
「……干扇様は、もうあなたの親でもあるのですよ。それが婚姻というものです」
「ふふ、そうですか」
ツツジさんの物言いは淡々としているからか、どこか冷たいように聞こえる。だけど、その実は相手を思いやっている言葉選びをしてくれていると、彼の雰囲気から分かる。
だけど――そんな「どこか優し気」な雰囲気のツツジさんは、私の部屋に着いた途端にガラリと変わった。まずは私を座らせ、次に目の前にツツジさんが座る。え、なに、どういう状況?
「改めまして。私は清冬様の秘書官、ツツジです。末春様よりも一回り年上です、どうぞよろしくお願いいたします」
「ひ、一回り!?」
私と同じくらいの青年かと思いきや、それは検討ハズレもいいところ。ツツジさん、どれだけ童顔なんだろう。
「さて話は変わりまして。今日からあなたは清冬様の奥様です。日登家の嫁は高貴な女性を、と思っていたのですが事情が事情です。仕方ありません」
「ん? なんか失礼な事を言われた気がしたけど……」
「末春様は顔は良いが品行方正がまるでなっていない。先ほども干扇様がお優しいから良かったものの、あんな態度で清冬様の前に出てみてください」
「ど、どうなるんですか?」
「塵になります」
ち、塵!?
ギュッと眉間にシワを寄せたのを見て「それなので」と、ツツジさんは分厚い書を何冊も渡して来た。
「末春様には治癒を行ってもらいつつ、礼儀作法を徹底的に勉強していただきます。いつ清冬様が帰ってこられてもいいように最短で会得していただきますので、そのおつもりで」
「え、でも私は清冬様の代わりに治癒を行うわけですし、清冬様は私に偉ぶる立場にないのでは?」
「清冬様、ではなく〝旦那様〟です。残念ながら清冬様は自尊心が高いので、その辺は諦めてください。あなたが今まで育てていた十人の子供たちの中で間違いなく一番手がかかるので、ご覚悟を」
「清……旦那様は、おいくつなのですか?」
「末春様より五つ上です」
「もう大人じゃないですか!」
それなのに自尊心が高いって。旦那様は予想以上に子供っぽいお人か……。
「屋敷の者には、末春様は高貴な女性として通っています。あなたが掘っ立て小屋の出身だと、絶対にバレないように気を付けてお過ごしください」
「一気に窮屈になってきました……」
この屋敷は驚くほど広々しているけれど、自由には出来ない。しかし〝掘っ立て小屋の方が皆とワイワイ騒げたし楽しかった〟――なんて後悔しても時すでに遅し。その日から毎日、朝から晩までツツジさんからの礼儀作法の勉強があった。生まれて一度も勉強なんてしたことなかったから、文字も読めないし字も書けないことが、まさかこんな形で仇になるとは。
「どこまで出来ないんですか、末春様」と何度も何度もツツジさんから絶望の眼差しを向けられながら、遠隔操作で常に治癒能力を行う毎日。ともすれば発狂しそうな環境下で、それでも私が逃げ出さず耐えてこられたのは、十人の子供たちの存在があったからだ。廊下ですれ違ったり、物陰から覗いたり。目にする度に、目覚ましい成長を遂げている子供たちのおかげで「逃げちゃダメだ、私も頑張ろう」とやる気を貰えた。
ただ、不思議なのが。
「今日は血をもらいますからね」
「はい」
月に一回、私の血を採ってはどこかへ届けているツツジさん。私の血を、いったい何に使っているんだろう。研究かな、それ以外にあり得ないだろうし。
しかし私は忘れていた。干扇様のお言葉を――
――お前さんほどの力があれば、もしや清冬に力を与えられるのでは?
この言葉を思い出すのは、私が嫁いで三年経った日。
悔しくも干扇様のお命が尽きた、ちょうど一か月後に。
「能力が手に入った今、もうお前は必要ない。俺と離縁してもらう」
私は、初めて旦那様とお会いした。
「能力が手に入った今、もうお前は必要ない。俺と離縁してもらう」
「あなたは……」
顔の横にある髪が、わずかに長い黒髪の人。高い鼻をなぞっていくと、鋭い目つきと重い視線がぶつかる。口は真一文字に閉じられているものの、今にも悪態をつきそうだ。
ある日の朝。
部屋で身支度を整えていると、声もなしにいきなり襖が開いた。盗賊かと思ったけど、盗賊にしては随分といい着物を身に着けている。派手な柄が描かれている黒色の着物の下に、赤色の長襦袢(ながじゅばん)。羽織は白色だけど、金色の装飾が両肩についている。その姿を一望して、この方が私の旦那様――日登(ひのぼり)清冬(きよふゆ)様だと分かった。
だけど、さっきの発言。改めて頭の中で整理すると……。
――能力が手に入った今、もうお前は必要ない。俺と離縁してもらう
結婚して三年。初めて会った旦那様から離縁を申し込まれた。そういうことになる?
「お初にお目にかかります、旦那様。妻の末春でございます。旦那様が家を不在にされている間、こちらのお屋敷にて過ごしておりました。お会い出来て嬉しゅうございます」
「俺の話を聞いてなかったのか? さっさと出て行けと言っている」
「……」
どうやら、聞き間違いではなかったみたい。それにしても、どういうこと? 日登家が私の力を欲したから、私はここにいるのに? 清冬様がお帰りになったところで無能なんだから、継続して私がお屋敷にいないといけないんじゃないの?――と様々な疑問が渦巻く中、それでも笑顔を張りつめたまま至極おだやかな物腰になるよう努める。
「恐れながら旦那様、私は現在三百人ほどの治癒にあたっております。そんな中で私が不在になれば、傷ついた者たちは、」
「俺が引き継ぐ。心配いらない」
「……?」
え、どういうこと? だって清春様は、治癒能力が使えないのでしょう?
すると私の目の前に、バラバラと何かが降って来る。それは本当に小さな小さな瓶――あ、これって確か、私の血を採る時にいつもツツジさんが持っていた小瓶だ。それがどうして、清冬様の手にあるのだろう。
「お前の能力、全てこの清冬が手に入れた。だからお前は用済みというわけだ」
「……え?」
「試しにお前の血を俺の体に入れてみた。するとどうだ? 上手い具合に融合してくれ、今では俺でも治癒を行うことが出来る」
言うや否や、私が張り巡らせている治癒の糸を、手刀でスパッと切る。その後、瞬時に自分で新たな糸を張り巡らせ、けが人の治癒を継続した。屋敷の中の雰囲気を察するに、急患が出た様子はない。となれば、清冬様は本当に能力を使えるようになったらしい。
「……っ」
「声が出ないほど悔しいか? 聞けばお前は身分が低いという。そんなお前からすると、この三年は実に優雅なものだったろうな。一時の夢を見られて幸せだっただろう」
「ちが、違います……」
この三年が優雅? 何を世迷言をおっしゃる。私がこの三年間、どんなに血のにじむ思いで過ごしていたか微塵も知らないくせに。離縁だ出て行けなんて言われて、悲しむはずがないでしょう。今だって、嬉しさで緩んだ口元を隠すのに必死だというのに――
「能力の開花、まことにおめでとうございます。確かに、私はもう必要ありませんね。婚姻の儀の時に血判を押しましたので、アレを燃やしてください。それで離縁になりましょう。私は早々に出て行きます。しかし一つだけ問題が。一緒に来た十人の子供たちは、どうなりましょう?」
「安心しろ。あの子らは皆そろって優秀だ。引き続き日登家で面倒を見る」
「そうですか、ありがとうございます。それでは旦那様、どうかお元気で」
手をついてお辞儀をする。清冬様は私を冷たい眼差しで見ていたが、私が「しかし」と顔を上げた瞬間、端正な顔に影を落とした。
「私が去るということは、私の一部である治癒能力も一緒になくなるということ。
というわけで元・旦那様――
私の能力、返していただきます」
「は?」と清冬様が口を開ききる前に、私は清冬様に抱き着いた。隙間なく体を押し当てる。すると耳のあたりで、なにやら騒々しい音がひっきりなしに聞こえる。これは……? 不思議に思って顔を上げると、なんと真っ赤な旦那様の顔。どうやら唸りを上げていたのは、清冬様の心臓だったらしい。
「お前……何をしている!」
「え、うわっ!」
力強く押され、なすすべなく畳の上をすべる。思いもよらぬ反撃に出た短気な清冬様を見上げると……やっぱり赤い顔をしている。まさか、こんな事で恥ずかしがってる? いや、そんなわけはないだろう。こんないい歳した男性が、女慣れしていないなんて。それに、家を不在にしていた間も、修行だなんだの合間に女を買うこともあったでしょう。成人男性が欲を我慢できるはずないだろうし。
「そんなに驚かれなくても……大げさですよ。私は能力を返してもらっただけです」
「は? 能力を、返す?」
「抱擁すれば能力は移動できるんですよ。あれ? ご存じなかったですか。あぁ、だから月に一回、私の血を体内に取り込んでいたんですものね。清冬様が帰ってきてくだされば、この方法を早く教えてさしあげることが出来ましたのに」
「な……!」
すごく悪女っぽい事を言っている。だけど私が怒るのも無理はない、はずだ。だって三年も姿を見せなかったくせに「ほしかったのは力だけ。お前はいらない」でポイ捨てされるのだから。……だけど怪我をしている軍人に非はない。干扇様との約束もあるし、ここに運び来まれるケガ人は、私が引き続き遠方から治癒することにしよう。
「治癒の糸を放ちました。ここにいる人たちの治癒は、私が継続して行いますのでご安心を。それでは」
「おい、待て。じゃあ結局、俺には……!」
「治癒の力はございません。清冬様がもっとお優しければ、結果は違っていたかもしれませんがね」
「――っ」
悔しそうに顔を歪める清冬様の隣を通り過ぎる。その時、ほのかにだけどお酒の香りがした。……やっぱり。修行だなんだと表向きは体裁のいいことを言っても、蓋を開けてみれば朝からお酒をたしなむ放蕩者だったんだ。頭の中に、布団に横になりながらも必死で治癒に励んでいた干扇様を思い出す。この放蕩者が能力さえ使えれば、干扇様はもっと長生きできたはずなのに。
「干扇様、お可哀想に……」
ポツリと呟いた言葉が清冬様に聞こえたか聞こえていないか知らないが、部屋を出た私は一度も振り返ることなく、ツツジさんに事情を話して屋敷を後にする。最後に元気な子供たちの声を聞く事ができて、少しだけ安心した。あの子たちさえ元気なら、私は――
「あ、そうだ」
日登家の敷地から出る前に、干扇様のお墓を目指す。少し歩けば、立派なお墓に鮮やかな花が添えられていた。その鮮やかさは、さっき清冬様が来ていた着物を思い出してしまって……つい顔が歪む。
「干扇様、あなたの息子がやっと帰ってきましたよ。代わりに、今度は私が出て行きますが」
ふっと笑うと、風の音と一緒に干扇様の笑い声が返ってきた気がした。と同時に、何かの香りが私の鼻に届く。これは……
「さっき清冬様から香った、お酒の匂い……?」
見ると、墓石の下からじわじわ乾いてきているものの、全体的に濡れた形跡がある。干扇様のお墓にお酒をかけてあげたのだろうか。そして、親子水入らずの時間を過ごしたのだろうか。その時、清冬様はなにかおっしゃったのかな。
――すまないな、親父
「とか? ……って、なに勝手に想像してるの私は」
だけど、放蕩者だと思っていた清冬様が、帰って一番に父・干扇様のお墓参りに来ていたことに、力んでいた肩の力が抜けた。なんだ、そういう一面もあるんだ。あの冷徹な顔の裏、優しさのカケラくらいは持っているのかもしれない。
「あ、じゃあさっき私が言った言葉」
――干扇様、お可哀想に
「あれが清冬様に聞こえていたら、ちょっとかわいそうなこと言っちゃった……かも?」
少しだけ悶々とするも、身勝手に離縁されたことを思い出して両頬をぱちんと叩いた。
「追い出されたのは私の方だし、清冬様への同情の余地なし。窮屈なお屋敷で暮らさなくていいし、万々歳!」
その後すぐ日登家を後にする。
そして離縁から一週間後。
私が身を置いた場所は――
「初めまして、末春(みはる)です。どうぞ、よしなに」
遊郭に身を落としていた。
といっても医者として、だ。女郎ではないため、客引きもしない。ここで働く人はお金がなく大変な生活を強いられているというのに病気にかかることが多い。その人たちの助けになればと、医者と偽って住み込みで働いている。
そんな私が、どうして「末春」と名乗って部屋に通されたか。それは店一番の花魁姉さんが出て来るまでの時間稼ぎを任されたからだ。「今回限りだよ、お願い」と日ごろからお菓子をたくさんくれる花魁姉さんからそう言われては、首を横に振る事も出来ず(決して餌付けされているわけではない)こうして助っ人にきているというわけだ。
が――世の中は狭いと、よく言うもので。
「ほぉ、身寄りがなくてついに女郎になったか」
「へ……清冬様!?」
妖艶な笑みを向けて出迎えてくれたのは、元旦那様の日登清冬様だった。
窓枠のそばにより、着物が着崩れるのも気にせず。元・旦那様である清冬様は、長いキセルを手に持ったまま、入室した私に切れ長の瞳を寄こした。
「女将と花魁の手引きがなきゃ、お前を見つけるのは無理だった」
「え?」
「おう」とか「よう」もなく、もちろん「久しぶり」も「元気だったか」もない第一声は、歪んだ表情で吐き捨てられた。
「こんな薄暗い所に隠れやがって……随分と探したぞ」
「!」
清冬様が相変わらず不機嫌なことは理解できた。だけど、言われている言葉の意味がさっぱり分からない。
探す……探す?
清冬様が私を? どうして!?
あ、報復に来たとか? 私が全部の能力を取り返したから、怒ってるのだろうか。
「仕返しをしに来られたのですか?」
「は?」
「だって、そうでしょう……。能力ほしさに私を脅そうと、こんな所にまで」
ここまで言った時。カンッ、と高く大きく響く音――見ると、くわえていたキセルの灰を、清冬様が慣れた手つきで灰入れに落としていた。
「仕返し? 俺がそんな女々しい男だと思うか。見くびるな」
「……っ」
威圧感がすごい。雰囲気が、空気が――頬に傷が入る錯覚を覚えるほどの鋭さだ。
だけど……女々しい男って、今さらじゃないですか? 修行に出ると意気込んで三年。一度も帰らず、していたことと言えば「こっそり私の能力をとる」こと。しかも恩を仇で返すとはこのことで、能力が手に入れば私を用済みと言って、さっさと離縁。清冬様は実に女々しく、実に男らしくない。
視線を合わせず畳を見つめていると、清冬様が先に口を開いた。
「お前に伝えたいことがあって、ずっと探していたんだ」
「伝えたいこと?」
コトンとキセルを置き、体ごと私へ向き直る清冬様。私も近くへ寄り、お互い正座をして見つめ合った。
「俺がいない間、随分と親父を助けてくれたらしいな。お前が屋敷からいなくあった後ツツジから聞いた。感謝する」
「え……」
本当に、ほんとうに僅かだけど……清冬様は体を傾け目を伏せた。これはまさか……お辞儀? 驚愕な光景に開いた口が塞がらず固まっていると、清冬様は僅かに口角を上げる。
「お前のおかげで、親父も晩年は穏やかに過ごせたと聞く。眠った顔、すごく穏やかだったんだろう?」
「……はい。とてもきれいな寝顔のようでした」
「――ふっ、そうか」
「!」
その時、薄く笑った笑みが綺麗で、けれども儚くて。見た瞬間、唐突に三年間不在にされた「屋敷で一人ぼっちだった」日を思い出す。この人は、また遠くに行ってしまうのではないかと。既に何の縁もなくなった私だけど、これが情と言うものか――気づけば私の視線は、清冬様に釘付けになっていた。
「その顔は、睨んでいるのか?」
「……へ? あ、いえ……すみません。違います。見入っていただけです」
「見入る、か」
「……」
しまった。誤解を生む言い方をしてしまった。すぐに口を噤んだ私を、清冬様はしばらく興味深そうに眺める。しかし着物が擦れる音が聞こえたと同時に――いつ動いたか分からない俊足で、私の目の前に佇み、なおかつ顔を近づけた。
「ひっ!」思わぬ事態に頭が真っ白になる。それは清冬様が「怖い」というのもあるけれど、無駄に顔が整っているせいでもある。今まで子供としか接してこなかった私に、このくらいの年齢の男性は耐性がないのだ。
「な、なんですか……?」
「いや、随分と顔を厚く塗られたものだと思ってな」
ふっ、と嫌味っぽく笑う顔を見ると、少しだけ冷静になれる。今のが褒め言葉ではなく嫌味や皮肉の類ということは、さすがの私でも分かった。
清冬様のこういう「妙に子供っぽいところ」は、遊郭にいるというのに男女のあれこれを全く想像させない力があるから、経験不足な私にとっては重宝する。さっきまで赤面していた私の顔は、いつの間にか能面のような無表情に戻っていた。
「これくらい厚く塗らないと私は商品にならないみたいなので。見るに堪えかねるのであれば、早々に退席いたします」
「商品にならない? なら、ここの遣り手(やりて)ばあの目は節穴だ。花に花を添えても無意味だろ、魅力が半減するってもんだ」
「え……?」
今のって……もしかして褒められた? いや、まさかね――だけど少し喜んだ私がいるのか、手の内側がわずかに湿ってきた。決してバレまいと、膝の上で拳を強く握る。
しかし、そんな固い意志があっけなく崩れ去るのは――三秒後。
「で、ここからが本題だ。まずはコレを受け取れ」
「これは……?」
コレ――と言われて出されたのは、白いバラの花の束。今まで赤いバラは見たことあったけど、白なんて……こんな高級な代物、どこで手に入れたんだろう。さすが日登家だ。人脈と資金は潤っているわけか。
……そうじゃなくて。
「えっと……、この花束は?」
「お前にだ」
「わ、私に?」
なぜ? 私に渡す道理が分からない――戸惑ってなかなか花束を受け取らない私を見て「いらないなら捨てておけ」と、清冬様はバサリと投げた。花束が床にぶつかった瞬間、何枚かの花びらが千切れてしまう。あぁ、かわいそうに……。
「いくら腹が立ったからと言って……おやめください。花に罪はありません」
そっと拾い上げると、まるで花束が喜んだようにわずかに揺れた。例え清冬様からの頂き物といえど、やっぱり花を見ていると癒される。しかも、こんなに豪華な花束。何本あるんだろう、30本以上だろうか。
「……そんな顔もするんだな」
「え?」
「いや」
フイと顔を逸らしたかと思えば、再びキセル。なんと慌ただしく、落ち着かない人だろう。
「それで、どうして花束を? 私には受け取る理由がないのですが……」
「――……だ」
「え?」
ただでさえキセルをくわえていて聞き取りずらいのに、私がいる向きとは正反対の窓を向かれ、更に聞き取りずらかった。思わず聞き返すと――
「分からないのか鈍い奴め。男が花束を贈ると言ったら、求婚を申し込んでいるに決まっているだろう」
「え……」
え?
「す、すみません……よく聞こえなかったのですが」
「二度も言わん」
ピシャリと言われてしまい、仕方なく口を閉じる。と同時に、さっき言われたことを思い出した。聞き間違いでなければ、清冬様は……求婚を申し込んでいると言った。しかも、私に――?
「ど、どこか体調が悪いのですか?」
「は?」
「だって清冬様がこんなとち狂った事をされるなんて、ご病気以外に考えられません。すぐにツツジさんを呼んで、」
「――!」
その瞬間。パシッと私の腕が握られる。間髪入れずに引き寄せられ、なすすべなく傾いた私の体は、胡坐をかいた清冬様の足の上にあっけなく倒れてしまった。
「な、ななな、なにを……っ!」
「ツツジは呼ぶな、絶対だ」
「ど、どうして呼んではいけないのですか? 調子が悪いのならお屋敷で休まれないと、」
早口で喋る私を、顔を歪めて見下ろす清冬様。今度こそキセルをやめて、代わりに懐から扇子を取り出した。何をするかと思えば私の顔の前へ持ってきて、まるで「黙れ」と言わんばかりにバサリと扇を広げた。
「俺がここにいることはツツジには内緒だ。アイツを撒くのに、どれほど大変だったと思っているんだ」
「どうして内緒なんですか……?」
「お前は知られてもいいのか?」
言いながら、着物の切れ目から覗く私の足を、清冬様が閉じた扇子でなぞっていく。ゆっくり、じわじわと。まるで私を追い詰めるように。
「わ、私は商品ではなく医者として遊郭におります……ですので、そういう行為は禁止です」
「今のお前は俺が買っている。どうしようが俺の自由だろ? それに――」
両脇へ手を入れ、清冬様は簡単に私の体を持ち上げた。そして自分の足の上に私を座らせ、私たちはかつてない至近距離で見つめ合う。
「医者をしてるっていうなら好都合。さっき〝俺の調子が悪くないか〟と心配しただろ? なら診察してくれ。その間、俺はここで休ませてもらう」
「へ?」
「頼んだぞ」
窓に体を預け、目を瞑る清冬様。この状況で放置されても……困る。
「風邪ひきますよ、清冬様」
「すー――」
なんとなんと。清冬様はものの数秒で寝てしまった。仕方ないので、私が来ていた打掛(うちかけ)を清冬様の体にかける。その時……まじまじと、顔を見てしまった。だって清冬様があまりにも綺麗な顔をしてるから、本当に生きてるの?って不思議で不思議で。
「すー――」
「……生きてる。カッコイイのに、変な人」
ボソッと呟いた後、危なくないようキセルの道具を片付ける。清冬様が寝ているなら私は用済みだし、退室してもいいよね? 抜き足差し足で襖まで移動し取っ手に手を掛ける……その時。清冬様に乱暴に引き寄せられた時に、床へ落としてしまった花束へ目をやった。
――男が花束を贈ると言ったら、求婚を申し込んでいるということだ
「今さら何を……」
呆れて物も言えないとはこういう事で、浪漫たっぷりに高価な花束を贈られたところで昔の裏切りを許せるわけでもなく。それ以前に、求婚する真意が不透明すぎるが故に……不気味だ。何の目的があって、こんな事をするんだろうか。
「……でも、花に罪はない。か」
全開の花びらを見て、誰が捨て置くことが出来るだろう。清冬様に離縁されているため、捨てられる痛みというのは良く知っているつもりだ。だから、仕方ない。
「今回だけですからね」
花束を拾い上げ、今度こそ部屋を出る。すると今回の逢引きに手を貸したとみられる花魁姉さんとバッタリ出くわした。
「まぁまぁ、こんなにステキな花を貰っちゃって。あんたも隅におけないねぇ」
「姉さん、こんな事はこれっきりにしてくださいよ。私は医者なのですから」
恨み言を言うと、姉さんは「仕方ないじゃないか」と、紅のついた色のいい唇をキュッと引っ張った。
「末春という女に会いたいと、何日も熱心に通われちゃぁねぇ」
「え……?」
何日も、熱心に?
あの清冬様が、本当に?
「それに顔が大層イイだろ? 断り続けるなんて無理な話さね」
「もう。結局、絆されただけじゃないですか」
「ふふ、そう怒るな。堪忍しておくれ、末春」
「うぅ……」
末春という名前ではなく、別の名前で生きて行こうと思っていた。だけど……
――今日からお前の名は末春(みはる)だ
干扇様から頂いた名前を簡単に捨てることは出来ず、かといって春ノ助に戻ることも出来ず。現在も私は「末春」として生きている。
「そいで、お客さんは?」
「寝たので部屋に置いてきました」
「まったく鬼のような子だね、お前は」
ふふ、と綺麗な笑みを向けた花魁姉さんは、禿と一緒にいなくなった。「鬼のような子」なんて……失礼きわまりない。私がしてきたことよりも、清冬様の行いの方がよほど「鬼」だろうに。
「……あ、お風呂は朝にならないと入れないし。今日一日、ずっと化粧したままの顔でいるのはツライよ」
全ては清冬様が会いに来たせいで――と小言を呟き、部屋の前から通り過ぎる。そんな私の声を、声を潜めて聞く者が一名いた。
「……はっ」
もちろん清冬様だ。
「あの女、俺が寝ていると分かったら、サッサと出て行きやがった」
ジワジワ広げた扇子を、パシンと勢いよく畳む。その仕草には怒りが隠れている……かに思われたが。
「何も思ってないような顔をして、俺のことを褒めたな。まったく変な女だ」
――カッコイイのに、変な人
「ふっ。この打掛、また返しに来ないとな」
毒々しい笑みではなく、穏やかな笑顔を見せる清冬様。その顔を見ていたのは誰でもなく、私が残した打掛だけだった。
その翌日――
「おう」
「……」
昨日と同じシチュエーションで、清冬様は現れた。遊女でも何でもない私と会うために遊郭へと足を延ばし、医者として働く元・妻である私と同室する。昨日と比べて変わったことと言えば、私が遊女の姿ではなく普通の着物姿で出て来たこと。あとは……「おう」と。私に挨拶をするようになったこと。
「今日は何の用でしょうか」
「〝またいらしてくださった〟とか、可愛い言い方できないのか」
「……私が清冬様を歓迎する道理がありませんし」
素直に言うと、清冬様が「チッ」と大きな舌打ちをした。顔に出来たシワの数がどんどん増えても、それでも整った顔は見ごたえがあるのだから悔しいったらない。……この顔で、何人の女を虜にしてきたんだろう。私が嫁いだ後だって、こうやって女遊びをしていたのだろう。清冬様の代わりに屋敷で治癒を行っていた私の事などは、一切考えることもなく。
「酌をしてくれないのか」
「……私は遊女ではないので」
「なんだ、遊女以外は酌をしてくれないのか?」
「〝なんだ〟、なんて……。ここ(遊郭)での遊び方は、清冬様はとっくにご存じのはずでしょう?」
言うと、清冬様はムッとした顔つきになる。言葉にするなら「不機嫌の上塗り」だ。
「あいにくだが――遊郭の暖簾をくぐったのは、お前を探しだして初めてのことだ」
「え」
「故に、ここでのしきたりも楽しみ方も知らない。金を積めばたいていの事はまかり通るという事だけは分かったがな」
ニヤリと笑った顔の裏で、こうやって私と会うためにいくらのお金を積んでいるんだろうと不安になる。清冬様、まさか無駄にお金を使っているのでは……?
「毎日遊郭通いなんて、ツツジさんが心配しますよ」
「だから早くお帰りくださいって? 昨日も言ったが、俺は用があってここに来ているんだ。俺が明日もここに来るか来ないかは、お前次第なんだぞ」
「……」
その「用」というのは、まさか求婚……? と予想するまでもなく、清冬様が座る横に、昨日見たと同じ白いバラが置かれてある。薄黄色の畳に映える白――この色が、まさか私への「求婚の証」だなんて。あんな仕打ちを受けた後では、とてもじゃないが信じられない。
「花束と一緒にお帰りください」
「その心は?」
「……あなたは離縁の際に〝治癒能力が手に入ったからお前は用済み〟とおっしゃいました」
「そんな酷い言い方はしていない」
「同じことです」
ピシャリと言うと、清冬様は取り付く島もないとあきらめたのか、キセルに火をつける。この際だから思っていることは言っておこうと、背筋をのばして続きを話した。
「私はここで働きながらも治癒の糸を伸ばして、日登家の屋敷にいるケガ人へ治癒を施しています。それでは気に入りませんか? 治癒能力を自分の物にしないと気が済みませんか? 本来なら、自分から縁を切った相手に再び求婚を申し込むなど、屈辱的な事のはず。ですが清冬様は、なんのためらいもなしにやってのける。それは裏を返せば……私の能力が欲しくてたまらないから。そんなに治癒能力が欲しいですか?」
「……そうだ、と言ったら?」
「っ!」
カッと顔に熱が集まったのは知っていたけれど、振り上げた手が清冬様の頬に向かっていると気づいた時は、もう自分では止めることは出来なくて――パチン。気づいた時は、私は清冬様を叩いていた。
「あ……っ、すみません」
「……」
急いで手を引っ込め、頭を下げる。いくら憎い相手と言えど、叩くのは良くなかった。手を上げるのは、卑しい者のすることだろうから。もう私は〝そんな事〟はしないと……あの掘っ立て小屋の中、子供たちの寝顔を見ながら誓ったのだ。
「……」
「俺が欲しいといったのは能力だけではない」
「――え?」
黙りこくった私を見たままキセルをくわえ、すうと息を吐く清冬様。叩かれた頬が私の手と呼応するように、それぞれ似た色を帯びてきた。
「俺が屋敷にいない間のこと、ツツジを始め色んな者から聞いた。親父の看病も熱心にしてくれたそうだな」
「! そんなこと……当たり前のことです」
「子供らのことがあるからか?」
「……最初は確かにそうでした」
そう。最初は「子供たちのため」に頑張ってるだけだった。そのはずだったけど、屋敷に足を踏み入れた初日――あの時の干扇様の優しいお姿が、私の心にはずっとあった。
「私は孤児でした。もちろん私を捨てた親の顔なんて覚えていません。親というのは自分勝手なものだと、そう思っていました。だけど、干扇様は違った。自分のお命を削ってまで子供に徒する姿……私の親に少しでもこういった想いはあっただろうかと、いや、あったはずだと。理屈はないですが、そんな希望が持てたのです。それまで親のことを思い出す時は、暗い気持ちばかりでしたから。干扇様が、それを変えてくださったんです」
「……そうか」
カンッと、キセルの雁を灰入れに落とす清冬様は、どこか遠くを見ていて……昨日と同じく、私は見入ってしまった。澄んだ瞳の奥では、今、干扇様の事を思い出しているのだろうか。
なんて思っていると――
「しかし孤児の生まれであるにも関わらず、日登家の妻になれたとは。とんだ棚からぼた餅だな」
「どなたかのおかげで、キッパリ縁もなくなりましたがね」
再びピシャリと言うも、清冬様のお心には響いてないのか。ばかりか「だから言ってるだろう」と強気な態度。
「俺からの求婚を受け入れれば、再び〝日登家の嫁〟という名誉な地位が手に入るぞ?」
「いくら名誉でも、その旦那様であるあなたが、こうも心無いお方だと先が思いやられます」
「ほう……」
顔の横の長い髪の間から覗く、切れ長の瞳。妖しく弧を描く口元……しまった。いくら憎い相手とは言え、あけっぴろに物を言い過ぎた。一言「すみませんでした」と添え、立ち上がろうとする。話はまとまらないし、何より私は忙しい。この人の代わりに何人ものケガ人を抱えているのだから。
だけど立ち上がる私の手を「掴むのが当然」と言わんばかりに。パシリと、清冬様は躊躇なく握った――その時だった。
パサッ
「これは?」
「あ、」
落ちたのは、年季の入った小さな財布。財布と言っても、小さな巾着に紐がついているだけという簡易的な物だ。
「これはお前のか? 血もついてるしボロボロじゃないか。今から買いに行くか? 好きなのを選ぶといい」
「ち、ちがいます! これは、私のじゃなくて……っ」
「?」
清冬様の手にあった財布を乱暴に取り返す。あぁ、なんで出てしまったのか。見られたくなかったのに……。
すると清冬様は「これは聞いた話だが」と胡坐をかいて正面から私を見た。
「末春という名は親父がつけたそうだな。元の名は春ノ助だったとか」
「! そうですが……なにか」
「どうして男の名前を使った?」
その質問をした時、わずかに清冬様の目が鋭くなった気がした。なんて真剣な顔をするんだろう。あなたにとって、それほど気になる内容でもないだろうに。
「男か?」
「へ?」
「別れた男の名前を使っているのかと聞いている」
「そんなに女々しく見えますか、私が……」
真剣な顔で私に尋ねる清冬様を、一歩引いた目で見る。日本のどこに、別れた男の名前に改名する女がいるというのか。
「たまたまですよ。私は孤児で何も知らないので、春ノ助という名前が男名ということも、つけた後に初めて知ったのです」
「――その巾着も、男物だな」
「!」
それを悟られないために素早く奪ったというのに。清冬様、きっちり見ていたのか……。抜け目のなさに感服、と同時に落胆する。
「どこで巾着を拾った?」
「……これは私の家にあった物です」
「ウソだな」
「……っ」
どこをどうしてウソだとバレるのか。この状況を抜け出せない悔しさから唇を強く噛む。と同時に、昔の記憶が脳裏に滲み出始めた。
街を行きかう人の中を潜り抜け、一人の男へ近寄り、卑しく手を伸ばす自分の姿を――
「おい、末春」
「――っ!」
ぐいっと手を引かれ座ったのは、なんと清冬様の膝の上。あぐらの中にすっぽりと私のお尻がおさまっている。
「な、は、離してください!」
「お前を買って正解だったな」
「こ、ここで私に何する気ですか! 楼主を呼びますよ……っ?」
だけど清冬様は脅しにも怯まず、決して私を離さなかった。何をされるか構えていると「寝ろ」の一言。
へ……、寝る?
「手が震えてる。顔色も悪い。寝ないと倒れるぞ」
「でも仕事が、」
「言ったろ。お前の時間は俺が買っている。その俺が寝ろと言ってるんだ。それに――どうせこの場から逃げられないのだから、さっさと夢の中にでも逃げたらどうだ?」
「ぐ……」
力の強い清冬様に抗っても、所詮は抜け出すことが出来ず。言われた通り、諦めて脱力する。するととっくにキセルを手放していたらしい清冬様が、まるで私を包み込むように後ろから抱きしめた。
「な、」
「お前の打掛だ。返してやってるだけだ、受け取れ」
振り返ると、確かに私の打掛が私の体にかかっている。そうだ。昨日、清冬様に渡してそれきりだった。
「これを返すために、わざわざ遊郭へ?」
「ばかいえ。言ったろ、求婚するために来てるのだと」
「……諦めてください」
すると温かくなってきて睡魔が訪れたのか、頭がぼんやりとしてくる。そう言えば働きづめだった事を思い出し、瞼を閉じることにした。少しだけ、小言を言いながら――
「清冬様……私に執着するのは、おやめください」
「理由を聞こう」
「今は能力が使えますが、もしやいつか使えなくなる時が来るかもしれません――その時、高貴な身分をもたない私は、日登家にとって本当に用済みの存在になる」
「深い関係になる前に離れておきたいということか? 存外に寂しがり屋なんだな」
「そういうわけではなくて」と呟いた私の脳裏には、睡魔と、そして昔の光景。
――うわあああ、春ノ助ぇぇ!!
唇をキュッと噛み、瞳を強く閉じる。
そして――
「私と関わるのは、清冬様のためになりません。
なぜなら私は、人殺しですから」
「私は、人殺しですから」
そう言った時。
清冬様の顔を、なぜか見ることが出来なかった。
――あれから、三日が経った。
打掛を返してもらった日から、清冬様は遊郭に来ていない。……いや、正確に言うと、遊郭に花束を持ってやって来るのだけど、頑なに私が「会いたくない」と言っているから、さすがの花魁姉さんも「仕方ないねぇ」と清冬様に帰ってもらっている――というわけだ。
「だって、会えるわけない……」
あの時、確かに意識が眠りに落ちる最中だったとはいえ……言ってはいけない事を言った。
人殺し――なんて。
治癒を専門にしている日登家からすると、私みたいな異分子は忌み嫌う存在そのものだ。ケガ人を治すことが使命であるお家柄の人に、人殺しの肩書を持った人間なんて……ちぐはぐもいいところだ。
「だけど面倒な人に知られてしまった。目を覚ましたら清冬様はいなかったし……誰かに言いふらしてないかな」
私の名が書かれた罪状が頭をよぎり、いつお国から呼び出しがあるかビクビク過ごす――そんな私にとって、毎日送られる花束は不思議だった。
「あんな事実を知った後でさえ、どうして清冬様は花束を贈ってくるのだろう」
最初に大量に花を買いつけたから、ただの在庫処理のために私へ花を送ってる? いや、生花だから買いだめしていたら腐ってしまうから、やっぱり毎日わざわざ買っているに違いない。だけど……どうして?
「殺人犯に花束なんて。不釣り合いもいいところだってのに……」
ふぅ、と自室でため息をつく。その部屋の片隅、予備の着物の下に隠されるように「それ」は置かれていた。
清冬様が見つけた巾着袋――それは昔、孤児だった私が今日を生きる食べ物にも困っていた際、盗みをはたらいて得た代物だ。古臭い巾着だから期待しないで中身を見れば、そこにはなんと大金が入っていた。私はすぐに食べ物に変え、更にはボロボロになった服さえ新調した。それでも残った金銭を何に使うか、鼻歌混じりで考えていた時だった。
『うわあああ、春ノ助ぇぇ!!』
一軒の古い小屋から声が聞こえた。それは叫び声にも近くて、何かあったのだと一瞬で判断のつく声色だった。しかし大胆に近づく勇気もなく、小屋の影から中を盗み見た。そこには、小さな男の子と、その男の子を抱きかかえる一人の男の姿。
『あの金さえ盗まれなきゃ、お前を治す薬を買えたのに……すまねぇ、すまねぇ!』
その時、自分の心がざわついたのを感じた。なぜなら盗んだ巾着の中には、驚くほどの金が入っていたからだ。それは一般人が持つにはあまりに多い額。しかし年季の入った巾着の具合を見るに、持ち主が高貴な人だったとも思えず。巾着の一つもろくに変えない一般人が、何を理由に高額な金を用意していたのか――その疑問は巾着を盗んだ時、確かに私の胸に湧いたものだった。
だから、小屋の光景を見た時に嫌な予感がした。今この巾着を男性に見せれば、自分は殺されるのではないかと思ったからだ。いや、この際、自分が殺されることはどうでもいい。問題は――自分のせいで、一人の罪なき子供が死んでしまったことだ。
冷や汗と動悸が体を支配する中、私の疑念を確証づける声が周りで聞こえた。それは男の泣き声を聞いて集まった野次馬だった。その野次馬は男と既知の仲だったらしく、私が知りたい情報を野次馬同士が小さな声で話あっていた。
『かわいそうになぁ、毎日寝る間も惜しんで働いたっていうのに』
『金はたまったんだろう? なんだって薬が買えなかったんだ』
『どうやら盗みにあったらしい。最近は手グセの悪い餓鬼がウヨウヨいるからなぁ』
『あぁ、むごたらしいな……。仲の良い親子だったのに』
野次馬の話で全てを悟った私は、言葉通り、逃げるように去った。そして巾着を盗んだ犯人が私だとバレないように、山へ入り巾着を捨てようとした――だけど巾着を振り上げた瞬間、巾着の口が開いていたのか残ったお金と一枚の紙きれが出て来た。その紙きれには、
【春ノ助が元気になりますように】と、そう書かれていた。
『う……うぅっ』
自分の行った下賤さに嫌気がさし、自分自身を恨み、憎んだ。しかしいくら自分を責めたところで亡くなった子供が生き返るわけでもなく、泣いている自分の行為が「自分が楽になるためだけの卑怯な逃げ道」と分かってからは、涙さえ出なくなった。
どうして私ではなく、あの子が死なないとならなかったんだ。自分が食べる物を我慢すれば、例えそれで自分が餓死したとしても、親から愛されているあの子が生き残る方がよほどいい――と悔いて悔いて、どうしようもない後悔を、どうにもならないほど繰り返した。
まるで尼に入ったように入山したままで、それきりだった私は、何日目かにして初めて野生動物に襲われた。おそらくイノシシだったと思うが、恐ろしい速さで突撃され引きずりまわされた。挙句私は、きりたった崖の下に落ちてしまったのだ。
『痛い……、死ぬ』
だけど「怖い」という感情は、一瞬にして消え失せた。自分の犯した罪は消えないが、しかし卑しいことをした自分はこの世から消えていく。もう私は、誰の命を奪う事もないのだと思うと、妙な安心感につかまれた。
結局、捨てに捨てきれなかった巾着を最期に見ようと着物から取り出す。ボロボロの巾着は私の血の色に染まり、少しだけつややかに見えた。この巾着を抱いて眠ろう――そう思い、自分の胸に巾着を抱き寄せる。すると不思議なことが起こった。
『青い光……?』
自分の手から青い光が出て、体全体を包み込んでいる。妖怪からの攻撃かと思ったが、そうではなく。むしろ痛みを忘れていくような安心感さえ覚えた。そしてしばらくした後、青い光は消えて行った。一つの変化を残して。
『傷が、治った……?』
きっと助からないだろうと思った深い傷は、ものの見事に綺麗に治っていた。切り傷もなく、皮膚という皮膚が全て綺麗に再生されていたのだ。
もしかして、あの青い光は治癒能力の――と勘づいた時、持っていた巾着が静かに落ちた。その様子を見て……私は、自分の天命を知った。
『きちんと罪を償ってから、地獄へ行けってこと……?』
私が生かされたのは「たまたま」ではない。きっと天命なんだって、この時に直感した。これからは人の命を救って生きろという、男の子からのお告げなんだって。そう思った。
そして、その日から私は「春ノ助」の名をもらい、真っ当に生き始めた。孤児になった子供たちを見つけては一緒に住み、その子供たちが病気になったら治癒能力で治す。たまに「医者だ」と言っては、近隣住民の治癒にあたり対価としてお金をもらった。盗んだお金ではない、働いて得たお金で作ったご飯は美味しくて、たまにしょっぱかった。
『まーた春ねぇが泣いてるよ』
『泣き虫~』
あの子たちは全員日登家に行き、これからも不自由なく過ごせることだろう。誰一人欠けることなく、皆で大人になっていくはずだ。私のせいで命を落としてしまった、あの子の分まで、立派に――
「っと……夕方か。物思いにふけりすぎた」
寝ていたわけではないが、長い間閉じていた目を開けるのは、ひどく重く感じる。ゆっくりと動く瞼にやっと力を入れて、窓の外を見る。すると障子の向こうが、燃えるように明るかった。ちょうど夕焼けなのだろうか――と、今日も姉様から渡された白いバラの花束を見る。
「こんな私の過去を知ったら、花束ではなく、刀の〝刃(は)な束〟が届くだろうな」
自嘲気味にため息をはいた、その時だった。廊下を歩く遊女たちの会話が耳に入る。
「聞いた? 妖怪が総出で日登家を襲っているらしいわ」
「やだ怖い。でも狙われるのは時間の問題だったものね」
「ケガ人を治す日登家が潰れるということは、人間側の戦力がなくなるということですものね」
「……っ!」
聞いた瞬間、燃えるような明るい障子に手を伸ばす。すると遊女たちの話していた日登家がある方角から、確かに眩しいほどの明るい「赤」が見えた。その上空には、数多の数の妖怪たち。すごい数だ。日登家が潰れるのは時間の問題。いかに妖怪を倒すかという話ではなく、あとどれくらい持ちこたえられるか、という方が正しい。
ということは、けが人もかなりの数が出ているはず。私の治癒は、遠方よりも近くであればあるほど効果が高い。つまり……いま私がいるべき場所は、ここではないということだ。
「すみません、ちょっと行ってきます……っ!」
私は遊女ではないので、遊郭の外に出る際に許可はいらない。ただ「出てきます」、「帰りました」を合言葉よろしく、きちんと挨拶していれば、厳しいお咎めはない。今日もしかりで番頭さんが「あいよ」と、帳簿とにらめっこしながら軽い返事をした。
「急がないと、急がないと!」
走りにくい草履を脱ぎ捨て、急いで日登家を目指す。燃え盛る日登家の上空に、不気味にうごめく妖怪たち。それらは攻撃をやめることなく日登家に攻め続けている。
やめて、やめて……!
あの屋敷の中には私の子供たちがいるの。私の大事な贖罪たちが――
「それに、あの人だって!」
え……私、今なにを――
ふと、頭の中に浮かんだ白いバラ。私に離縁を叩きつけておいて、白いバラの花束で機嫌を取ろうとしている変な人。そんな元・旦那様のいつもの強気な表情が、なぜだか頭をよぎった。
「屋敷が大変な今、きっと清冬様は部下から頼りにされている。だけど、あの人は……何の能力もない」
そんな人が陣頭指揮をとれるわけがない!って、そう思っていた。きっとどこかで隠れて、この様子を見ているのだろうと。
だけど――
「清冬様、お逃げください! 私が引き留めておきますので、その隙に!」
「見誤るなよツツジ。俺一人死んだところで何の損もない。が、この屋敷にいる者全員を死なせて見ろ。一体どれだけの人数が泣くんだ?」
屋敷の敷地内に入った途端に聞こえる、二人の言い合い。それはツツジさんと清冬様。清冬様は既にケガをしているのか、白い着物が所々赤く染まっていた。
「日登家の当主は清冬様です。当主が倒れるのはお家が潰されたも同然。何人が路頭に迷うことでしょう」
「……ふっ。何度も言わせるな。〝俺一人死んだところで何の損もない〟そう言ったろう。それに……
俺の代わりに、あの娘――末春がいる。
とどのつまり、日登家が生き残るためには治癒能力が使える奴がいればいいんだ。末春には俺の影武者になってもらえ。そうすれば日登家がお取り潰しになることはない」
「!」
あぁ、そうか……。だから清冬様は私の元へ来て花束なんかを渡していたんだ。そうか、私を屋敷に戻したかったのは、自分の亡き後を心配していたからか。
結局、清冬様は本当に私のことを好きではなかったんだ。
全ては日登家のため。
全ては――
「そうまでして日登家が大切ですか。これは言わまいと思っていましたが、能力なき清冬様は日登家の名前から解放され、自由に生きるという手もあるのですよ」
「……大切なのは日登家ではない」
言いながら、二本の剣を持って上空の妖怪を見上げる清冬様。その目に写っているのは妖怪だけど、今、清冬様の頭にあるのは――別の物のような気がした。
「約束したのだ、末春と」
――あの子らは皆そろって優秀だ。引き続き日登家で面倒を見る
「日登家だ、当主だという前に、一人の男が女と交わした約束も守れないようでは誰かさんに〝女々しい〟と言われるからな」
「清冬様……」
「……っ」
なに、なんだろう、あの人は……。さっきの話だと、今がんばってるのも、もう体がボロボロなのに戦おうとしているのも、全ては私との約束を守るためだと?
「最後に聞いてくれ、ツツジ。俺は日登家に生まれた意味がとんと分からなかった。分からなくて、分からなくて……そして、やっぱり分からないままだった。情けない当主で世話をかけたな」
「清冬様、そんな事をおっしゃらないでください」
「末春の能力をもらって驚いた。日登家ではない者が、これほど強大な力を持っているのかと。と同時に、どうして日登家の跡継ぎは末春ではなく、俺だったのかと。親父も、きっと〝末春が自分の子供だったら〟と思っただろうな。日登家の跡継ぎは俺ではなく、末春の方がよほどいい――と」
「!」
その時、昔の私を思い出す。そして、どうしようもなく冷たい涙が出て来た。
――どうして私ではなく、あの子が死なないとならなかったんだ。自分が食べる物を我慢すれば、例えそれで自分が餓死したとしても、親から愛されているあの子が生き残る方がよほどいい
「……ばかですね。自分の命を犠牲にしてまで息子の立場を守った干扇様が、清冬様を嫌いなわけがありますか」
ぐいっと袖で涙を拭きとった後、近くに落ちていた刀を拾いあげ、思い切り清冬様に投げる。まるで体を串刺しにするように迫る刃。それを清冬様は、ツツジさんが反応するよりも前に素早くなぎ倒した。そして、肩で息をする私を見つける。
「へぇ……これは随分と小さな妖怪がいたもんだ。俺に当たったらどうするつもりだったんだ?」
「その時は私が治癒するのでご心配なく」
「……言ってくれる」
ニッと笑った清冬様。その時、私はこの人の本当の顔を見た気がした。あなたはもっと冷徹で、無関心で、強欲で、自分本位な人ではなかっただろうか。こんなにも……慈愛に満ちた瞳で私を見つめる人だったろうか。
「末春」
「……はい」
こんなにも優しい声で、私の名前を呼んでいただろうか。
こんなにも、こんなにも――
「こんな状況で何をと思うだろうが、今日で最後だから聞いてくれ。
屋敷に戻ってきて欲しい。もう一度、俺と一緒になってくれ」
「……」
「やはりダメか?」
分かり切ったように笑う、どこか諦めた感情が見え隠れする表情が、なんだかひどくムカついて。「ダメに決まっています。屋敷には戻りません」と、そう伝えたかったのに、反骨心からか私の口は全く違うことを言っていた。
「私たちが一緒になれるかどうかは、清冬様にかかっています」
「……というと?」
「まずは清冬様が生き残らねば。そうしないと一緒になるも何も、あったものではないですから」
上空の妖怪たちを見ながら突っぱねて言うと、なんと清冬様は「ぶっ!」と吹き出して笑った。その笑顔は純粋無垢な子供のようで、きっと清冬様の本音なのだろう。
……そうか。
この人は素直ではないだけで、意外と中身は真っすぐな人なのかもしれない。己の心を上手く表現できないだけで、
――約束したのだ、末春と
その心はあの白いバラのように澄み渡っているのではないかと、そう思った。
「私からも聞いていいですか?」
「構わない」
「以前、清冬様は〝欲しいのは能力だけではない〟とおっしゃいました。あの真意を知りたくて……」
言い切る前に、自分が女々しい質問をしている事に気付き、急いで口に蓋をする。そんな私に一瞬呆気に取られるも、清冬様は妖艶な笑みを浮かべた。
「末春。その質問には、この場を生き残れたら教えてやる」
「……上等です」
そこからは清冬様と私、そして妖怪たちの一騎打ちだった。
どうやら清冬様が修行をしていたのは嘘でも何でもなかったらしく、妙に筋肉の行き届いた体で絶妙な刀裁きをしていた。二刀流だろうが何だろうが身のこなしは軽やかなもので、来る妖怪を次から次になぎ倒した。
清冬様が戦っている間は軍人たちの治癒を、清冬様の治癒を行っている間は軍人たちが戦う戦法をとると、どうやら勝機があったらしい。夜が明けきる頃には、空にいた妖怪たちは地上で屍と化していた。
「はぁ~……」
「なんとか終わりましたね……」
朝日が顔を出し、屋敷を明るく照らす。一匹の妖怪もいないことを目視で確認すると、私の隣に立っていた清冬様は膝から崩れ落ちた。ドサッと大きな音を響かせ、地面に転がる清冬様。見ると、暗闇では見えなかった傷から何筋かの血が流れていた。
「清冬様、お気を確かに。いま治癒しますので、ご安心を」
「はぁ、情けないな……」
「何を今更」
ピシャリと言うと、清冬様は眉間にシワを寄せた。しかし言い返す気力はないのか――深いため息をついた後、寝転がったまま空へ目をやる。
「朝焼けか。眩しさのせいで白く見える」
「白色……ですか。いいではありませんか」
治癒をしながら淡々と言うと、清冬様は「ふん」と鼻を鳴らした。
「〝いい〟と言う割には、あまりバラを喜ばなかったな」
「喜びましたよ。あなたから頂いた、ということを除けばですが」
「……」
「――……清冬様」
気まずくなったところで、戦いの前に交わした約束を再び持ち出す。
「ご自分で言われた事は覚えておいででしょうか」
――以前、清冬様は〝欲しいのは能力だけではない〟とおっしゃいました。あの真意を知りたくて
――この場を生き残れたら教えてやる
「あの時の答えを今、教えていただけないでしょうか」
「……せっかちな奴だ」
不敵な笑みを浮かべた清冬様は治癒が効いてきたのか、肘に力を入れて体を起こす。さっと背中へ手を回すと……まさか私が支えるとは思わなかったのか、清冬様は驚いたように私を見つめた。次に短いため息をついた後、自分の気持ちを少しずつ吐露し始める。
「能力ではなくお前だけがほしい、と言ったら嘘になる。しかし末春がいない屋敷は……なんだか味気ない」
「味気ない……?」
「力を失った俺にも、お前の〝治癒の糸〟は見え続けている。屋敷中に糸が見えているというのに、肝心な末春の姿はない。そのことになぜか寂しさを覚えてな」
「寂しさ、ですか?」
「そうだな……きっと、あれだろう。お前が俺から力を取り戻すためとは言え、最初で最後の抱擁が、存外この俺に効いたのだ」
「!」
眉を下げて笑う清冬様を見た瞬間、胸の内側に何かが積もっていくのが分かった。それは温かで、胸がそわそわと落ち着かなくなる何かだ。
「再び、俺からも聞いていいか」
「……はい」
「もう一度、俺と婚姻し屋敷に戻ってきてほしい」
「しかし、私は……」
人殺しという肩書を持っている。私が治癒の力を得たのは自分の愚かな行いのせいだからであり、詳細はとても白日の下に晒せるものではない。
私の体は、私の命は、あの日から生きられなかった「春ノ助」に捧げるものであって……そこに私的な感情は入れてはいけない。戦闘の後から、なぜか清冬様を見ると心が跳ね、指の先が温かくなっていく理由にだって、見て見ぬふりをしないといけないのだ。
「末春」
それなのに――
「お前が背負っている〝業(ごう)〟ごと、お前を受け止める。だから末春は何にも恐れず、ただ俺の手を握ればいい。お前が望む限り、俺の手は末春の前からなくならないと誓おう。どんな時もどんな物も、手を取り合い二人で一緒に背負うのだ」
「っ!」
パタッと、涙が落ちる音が聞こえた。それくらい、静かな時間が流れていた。
だけど静かな「外」とは対照的に、私は燃えるように温度が上がっていき、気づけば清冬様よりも指先が温かくなっていた。
私の前に差し出された手。この手を握れば、この指を合わせれば……氷点下だった私たちの関係は、熱く燃え上がるだろうか。白いバラが赤く染まるくらいの情熱を、持ち合わせることが出来るだろうか。
「……いや、いいんだ」
例えバラが赤く染まらなくても、それでもいい。だって私は、やっぱり白色が好きだから。
「そういえば清冬様のお名前、なんだか白っぽいですね」
「なんだ、いきなり」
「いえ……何も」
私と清冬様。生きて来た立場や境遇は違えど、しんしんと降り積もる冷たい雪の中に、ずっと己の心があった似た者同士。
――どうして日登家の跡継ぎは末春ではなく、俺だったのかと。親父も、きっと〝末春が自分の子供だったら〟と思っただろうな。日登家の跡継ぎは俺ではなく、末春の方がよほどいい、と
――どうして私ではなく、あの子が死なないとならなかったんだ。自分が食べる物を我慢すれば、例えそれで餓死したとしても、親から愛されているあの子が生き残る方がよほどいい
冷たい雪は、それぞれの心に充分に降っただろう。
冬は終わりを告げ、これから温かな春を迎える。花が咲き乱れ、虫が土から顔を出し、温かな風が日本を包み込む――そんな未だ見ぬ春を、あなたと一緒に見たいと思うのは……私の我儘だろうか。清冬様と一緒なら、後ろだけではなく前を向ける勇気が持てると思うのは、都合のよすぎる解釈だろうか。
「末春」
「……はい」
「腹が空いた。向こうに炊き出しを用意させている。良ければ一緒に食べないか?」
「でも、まだお返事が……」
すると清冬様は「優柔不断な奴だ」と言って、ついに待ちきれなくなったのか私の手をさらった。
「清冬様、この手は」
「腹が減ってはなんとやら、だ。お前も子供たちの事が心配だろう。きっと泣いているに違いない。しかし皆で飯を囲めば笑顔になると親父から聞いたことがある。本当に皆が笑うか、物は試しだ。つべこべ言わずに付き合え」
「戦いで疲弊した皆を活気づけたいと、素直におっしゃればいいのに……」
小さな声で反論すると、どうやら正論だったらしい清冬様が繋いだ手に力を込めた。
「俺と繋いだ手を、これほど熱くさせておきながら、それでも〝婚姻する〟と素直になれない末春に言われたくないがな」
「な! それとこれとは話が――って、そういえば清冬様……お屋敷の人に、私が治癒の力を使えるってバレましたよ。どうしましょう」
一足先に現実に戻り、心配事を口にする私を「浪漫の無い奴め」と清冬様は悪態をついた。ついで「心配いらん」と、しっかりした顔つきと足取りで屋敷の人達が集まる場所へ移動する。
「妻にも治癒能力が移った、と話せば問題ない」
「まだ婚姻のお返事をしていないのですが……」
「お前が素直にならないのなら外堀から埋める。こうでもしないと、未春は首を縦に振らないだろう?」
ニヤリと悪い笑みを浮かべる清冬様。繋いだ手に力を込め「観念しろ末春」と、まるで子供のようにケラケラ笑った。そんな彼の姿を見ていると、一人だけ片意地張っているのも馬鹿らしく思える。だから私より一回りも二回りも大きな手に包まれているのを感じながら「もう仕方ないですね」と、清冬様と同じ〝したり顔〟を返した。
【 完 】