*





 「……このをyを2乗してxを代入する、ここまで言ったらわかるだろ。なあ、小山()


 いつもの頭痛が過ぎ去り、意識がはっきりしてきたころ、数学の授業中と思われる会話が耳に入ってくる。


 「……鬼ちゃ、いや、先生。わかりません」


 数学の先生は、あの鬼ちゃん。
 目の前の席の海は、そうとぼけたようにはっきりという。
 周りの数人は、鬼ちゃんにばれない様に笑いをこらえていた。


 「ったく……。お前、行く大学なくなるぞ。……これ分かる奴。鈴木とかわかるだろ」

 「3X2乗-y2乗です」


 先生にあてられるや否や、隣に座っている玲が素早く答えた。
 もう、タイムリープも2回目だというのに、この光景はいつになってもなれそうにない。


 「正解。じゃあ、次の問題いくぞー」


 そう言って、鬼ちゃんが俺らに背を向け、黒板に新たな問題の記入を始める。


 「……何、なんかついてる?」


 玲が俺の視線に気づき、玲と思わず目が合ってしまう。
 
 反射的に視線をそらし、俺は玲のいない反対方向を向いた。
 「別に」と、玲にだけ聞こえるような声の大きさで答える。

 玲はそれ以上何か言うことはなく、鬼ちゃんの記入する問題を自分のノートに書き写し始めた。
 その様子を見て少し安堵する。

 前回はここから数時間後、玲は友華と階段の踊り場で鉢合わせし、致命傷を負う。
 なんとしてでもそれは避けなければならない。

 前回の流れだと、授業終了後、俺は海に急かされすぐにこの教室を飛び出す。
 なんてったって、いつも食べている焼きそばパンは販売開始後5分で売り切れるほどの超絶人気のパンだから。
 しかし、今は焼きそばパンよりも、玲たちの安全が第一優先。
 1食抜いたとて、死ぬことはない。

 数学の授業終了後、玲の傍から俺が離れないようにすることが今回の最重要事項であることは明白だった。
 
 そうこう考えている間に、授業終了のベルが鳴った。
 焼きそばパン目当ての奴らは一目散に教室を飛び出していく。

 海も例外ではない。しかし、俺も一緒に行こうとしない様子を見て海は足を止める。


 「真琴、今日焼きそばパンいらねえの」

 「ああ、今日気分じゃないからいい」


 俺がそう断ると、海はそれ以上追及することなく、教室を出ていった。


 「珍しいこともあるんだね」


 その様子を見ていた玲が、ゆっくりとしたペースで、財布を用意し、購買に行こうと席を立って俺にそう言った。


 「ああ、たまには。今日お前らどこでご飯買うの?」

 「え……?購買だけど。でも、焼きそばパン売ってないところだよ。ほら、前に真琴が菓子パンばっかりじゃんって幻滅してたところ」


 玲が怪訝そうな表情を浮かべながら、そう答える。

 そんなあからさまに表情出すことないんじゃね、なんて思いながら、ここで玲とやり合っては、すべての俺の計画が水の泡と化すためぐっとこらえる。


 「ふーん、俺今日甘いもの食いたい気分だから、一緒に行く」

 「え、どうしたの。なんか変なもの食べた?」

 「別にいいだろ、たまには甘いもの食べたって」


 そんな言い合いをしながらも、玲と一緒に俺は教室を出る。その後ろを紫穂がついてくる。


 「真琴も甘いもの食べるんだ~」


 何かを疑うことなく、紫穂は俺をからかってくる。
 いちいち応対するのも面倒くさくなってきたため、無視して玲の背中に俺はついて行った。

 目的に近くになってくると、菓子パンだらけの購買ということもあって、9割がた女子が集まっていた。


 「真琴、何買ってほしいか言ってくれたら買ってきてあげようか?恥ずかしいでしょ」


 玲が面白そうに少しからかいながら、そう俺に問いかける。

 実際この女子だらけの中をかき分けて、パンを選び購入するのはかなり俺にとってはハードルが高かった。
 不服と感じながらも、俺は玲がいつも食べているクロワッサンを玲に注文する。

 玲は、俺の注文を受けるや否や、「貸し1ね」といい、女子だらけの人ごみの中へ入っていった。
 その瞬間だった。


 「————あ、立花くん……?」


 聞き覚えのある、声が俺の名前を呼ぶ。
 無意識に俺は声の方向へ顔を向けた。

 そこには、俺ににっこりと笑みを浮かべる友華の姿があった。
 友華の後ろには、友華といつも一緒にいた友人AとBがいる。

 付き合っていたあの時も、友人AとBはいつも友華と一緒にいたが、名前は覚えちゃいない。
 正直興味がなかったのだと思う。


 「ああ。……どうも」


 わざと怪訝そうな表情を浮かべて、応対する。
 陰性感情がある以上、そう難しいことではなかった。


 「珍しいね、立花くんがここに買いにくるなんて」


 しかし、友華はそんな俺の表情に気づかないのか、気づかないふりをしているのか、何事もなかったように話を続けた。

 丁度その時、紫穂と玲の買い物が終わったようで、人ごみから二人が出てきた。
 玲と、紫穂は友華を見るなり、一瞬だが、眉間に二人とも皺をよせ、視線を友華から意図的に外した。


 「じゃ、俺行くんで」


 俺はそう言って、友華に背を向け、玲と紫穂のほうに歩み寄る。

 すると


 「あ、玲ちゃんと、紫穂ちゃんじゃん。偶然だね」


 俺を通り過ぎ、友華は玲と紫穂の方へするりとすり寄っていく。

 玲も、紫穂はあからさまに避けようとすることはなく、苦笑いを浮かべる。
 そして「偶然ですね」と玲が友華に話を合わせだす。


 俺にはその光景がひどく_____気持ち悪く思えた。


 だからだと思う。


 「行くぞ」


 気づけば俺は、友華と玲たちの間に俺が入っていて。
 そして2人の手を引いて、その場から離れた。

 友華はそれ以上追いかけてくる様子は見られなかった。

 階段まで来ると、「ちょっとちょっと痛いよ!」と紫穂の声が聞こえて我に返る。
 思わず俺は2人の手を離すと、2人とも息絶え絶えだった。


 「歩くペース考えてよ、真琴は男。私たちは女。体力と足の長さには違いがあるの」


 紫穂が、離れた手をぶんぶん振りながらそう話す。


 「あ、わりわり、つい」

 無意識に力がこもっていたのだろう。
 反射的に俺も謝る。


 「とはいえ、まあ……。だいぶ助かったけどね」


  玲はそう言いながら、ぶら下げていたビニール袋の中からパンを1つ取り出して、俺に差し出した。


 「折角の貸しの1、すぐ返されちゃったなー」


 そう笑いながら話す玲の姿を見るのは――――とても久しぶりな気がして、込み上がってくる熱いものを俺はぐっと飲みこんだ。


 「……真琴、気づいてたんだ?」


 パンを俺が受け取るなり、玲は俺の前に出てそうつぶやくように口に出した。
 そして、教室に続く階段を上りだす。

 恐らく、友華と紫穂、玲の関係のことだと思った。


 「ああ、まあなんとなく」


 チャンスだと思った。
 ここで、玲が俺にヘルプを出してくれれば。
 そうすれば、変な言い訳をせずに、俺は玲のそばにしばらく居られる。
 そう思った。


 「はは、心配かけちゃったね。でも大丈夫だからね」


 だけど、玲はそういう弱みはおくびも出さない。
 だが、玲の隣を歩く紫穂は、玲に対して少し心配そうな顔をするのを俺は見逃さなかった。


 「……本当に?」

 試しのそう問いかける。
 だけど________。


 「さっきはありがとう」

 
 紫穂はそれ以上何も言うことなければ、玲はそうやって答えてしまう。


 「……ああ」


 そして、あっという間に教室につき、玲と紫穂は先に教室に入っていく。

 相手に頼ってもらうことの難しさを痛感し、自分自身に絶望する。

 だが、その後、その日1日は玲の傍には常に俺がいたということが大きかったのか、玲には何事もなく、その日は終わった。





 *






 その翌日もいつも通り玲が俺を迎えに来て、特に何の違和感もなく1日が始まった。

 そんないつも通りの通学中だった。


 「真琴ってさ……。好きな子とかいないわけ?」


 その質問は唐突だった。


 「なんだよ急に」

 「んー、深い意味はないよ。ただ、いないのかなーって、そう思っただけ」

 「そんなお前はどうなんだよ」

 「私?……いるよ」

 「えっ!?」


 思ってもいなかった答えに、俺の足は止まる。


 「そんなびっくりする?私だってもう、高2だよ」


 玲も俺に合わせて足を止め、後ろにいた俺を振り返った。そして、驚く俺をよそに、「早くいくよ」といって、再び玲は歩みだす。
 玲に置いて行かれまいと俺もまた一歩前に足を踏み出す。


 「え、俺の知ってるやつ?」


 俺の中で思い当たる人物は、1人しかいなかった。


 「え、言うわけないじゃん。だけど、真琴は当てられないと思う」


 そういたずらっぽく玲は俺に言い、歩むスピードを速める。

 過去。
 具体的に言うと2個前の世界では、海と玲は付き合った。
 止む負えない事情があったとはいえ、付き合った事実に変わりはない。

 海が玲のことを好きなことは、いくら鈍感な俺とは言えどなんとなく察していた。


 本当に両思いなのか――――。


 そう思った瞬間、胸の奥底がズキンと痛む。
 何に対して、どういう感情から痛んでいるのか、意味が分からなかった。
 ただ、1つ言える、確実なこととしては――――玲が誰かと付き合うということを俺は強く嫌がっている。
 それだけだった_______。




 ✳





 

 「れーい!」


 校門の前まで来た時、校舎近くにいた紫穂がこちらに向かって手を大きく振るのが目に入った。
 何も知らなかったときと、何ら変わらない光景が今俺の目の前に広がってる。
 玲も隣で、その紫穂に応えるように手を振り返していた。


 「じゃ、私委員会あるから先に行くね」

 「え……!」


 玲は俺が止める間もなく、紫穂のもとへ真っすぐかけていく。

 どうする、俺。
 万が一、俺のいないところで玲と友華が巡り合った際何が起きるかわからない。

 俺は左の手首にちらりと視線を向ける。


 「あと2回……」


 ふと漏れた声。
 手首の刻印されている数字は「003」。
 元の時間軸に戻ったら数字は変化し「002」になる。


 「おー、まーくん!」

 「……っ!」


 突然肩がぐっと重くなり、前に大きくよろける俺。
 聞きなれた声と、嗅ぎなれた柔軟剤の匂いが俺の鼻をかすめる。
 振り向かなくても、後ろにいるのが誰だか俺にはわかる。


 「んだよ、海。重いっての」

 「朝からつれねえなー」


 そう言って海は、俺から離れ、何事もなかったように俺の隣を歩き出した。

 今日はあのいたずら放送の約束はしていないはず。
 そのため、いつも遅刻ギリギリに来る海がこの時間に登校していることは珍しい。


 「お前、今日早くない?」

 「ああ、委員会だからなー。今までさぼってたんだけど、さすがに玲と紫穂に釘さされて……」


 委員会……。
 そう言えばさっき玲も……!


 「……っ、海!」


 流石に俺が24時間つきっきりなのは無理だ。
 なら……。

 俺は歩く歩みを止め、海の両肩を両手で強くつかむ。


 「おお、なんだよ。ちょ、男同士で向き合うのはずいんだけど」


 海は俺から視線を大きく外す。


 「なあ、海。理由を何も聞かずに、お前さ委員会中しばらく玲に張り付いててほしいんだけど」

 「はあ?……え、お前もしかして俺の気持ち……っ!」

 「そんなのはとうに気づいてるけど、そういうことじゃない。緊急事態だ、海。わかるな」

 「うわ、まじか。そんな俺わかりやすい?」

 「結構な。ってそのことはいったんおいていてお願いできるか?」

 「……ああ、なんだかわからないけど、離れなきゃいいんだよな……。嫌われない程度に」

 「ああ、任せた。委員会、早くいかねえと遅れるぞ、海」

 「……っと、そうだった。お前、後で理由ちゃんと聞くからな」

 「ああ、わりいな」


 俺は、最後に、海の背中を強く押す。
 海はこちらを振り返らずそのまま校舎に吸い込まれていった。

 海は、一度決めたことは必ず守り切る。
 そのことは友達の俺が一番よく分かっている。

 委員会が始まる前に何も起こらなきゃいいが……。
 HRが始まるまでいはまだ余裕がある。
 俺は、下駄箱の方には向かわずに、他の生徒と少し外れた道を歩みだす。
 彼は今、あそこで煙草をふかしている頃だろうか_____。





 *





 「おお、来たのか。見てたぜ。海とあのまま熱い抱擁でも交わすのかと思ったわー」


 長谷川はいつもと変わらない。
 手すりに腰かけ、ちらりと俺の方を見たと思ったら、左手に持っていた煙草をくわえる。


 「揶揄するために、先生はいつも俺を見てんのかよ」

 「んなわけないだろ。かわいい生徒の成長見守ってんだよ」


 長谷川は、5月下旬の青空に白い煙を吐き出した。


 「先生」


 空を仰ぐ先生に近づき、左手首の裏を長谷川に見せつける。

 長谷川は一瞬、目を見開くが、やがて大きなため息をつき、屋上のフェンスに再び身体を預けた。
 そして、俺の方をまっすぐ見つめてきた。


 「いつからこっちに来てる?」

 「昨日の10時から」

 「何のために?」

 「玲を助けに来た」

 「というと……?」

 「玲がいじめられてる。3年の迫田友華から」

 「……あー、あの目立つ女子か」

 「何度も、迫田が起因で玲が事故にあって亡くなっている。それで助けに来た」

 「……なるほどね。いいのか、真琴はここにいて。あと数時間しかお前ここにいられないだろ」

 「……ああ、だから海に玲を見ててほしいことをお願いした」

 「そっか」


 長谷川は、そこからまた大きなため息をつき、また煙草をくわえる。


 「で。そんなお前は俺のところに来て、何を聞きに来た?」


 そして再び、その切れ長の目で俺の目をまっすぐと見てきた。


 「貴重な時間だ。何の考えもなしに来たわけじゃないだろ?」


 流石担任というべきか。

 長谷川は、俺がここに来た理由に直接切り込んで来ようとする。


 「玲は、どうすれば救える?」


 その場の玲を助けることはできても、その後にどこかでまた歯車が狂って元に戻ってしまう。

 まるで___その未来は変えられないとでもいうかのように。


 「それは俺にもわからん」

 「……っ!」

 「ただ、1つ言えることとしては……救えないことも中にはある」


 長谷川は顔色一つ変えず、俺の目をまっすぐ見てそう言った。

 思わず俺は唇を強くかみしめる。
 少し血の味がした。

 藁にもすがる思いでここに来た。
 何かヒントがあるんじゃないかって、ここに来た。

 ___なんとなくわかってた。

 海に今玲をお願いしているが、いつか隙をつかれて、何かが起きてしまうんじゃないかって。
 それは、俺や海がどれだけ努力しようと敵わないじゃないかって。

 ____なんとなくわかってた。

 ただ____信じたくなかった。

 視界がぼやける。
 まだ終わっていないのに、まだ決まったわけじゃないのに、頬から生暖かいものが伝い地面に落ちる。
 肩が揺れる。
 呼吸が早くなる。
 心拍数が上がる。
 膝が揺れる。

 もう、立ってはいられず、崩れ落ちる____と思ったとき。


 「……っと、一人で結論出そうとするな」


 煙草のにおいが鼻をかすめ、俺の左腕を力強く長谷川が持ち、ゆっくりと俺を地面に座らせた。

 その後長谷川は、持っていた煙草の火を消し、俺と対面で胡坐で座り込んだ。
 そこで丁度、HRのベルが鳴る。

 長谷川は、持っていたスマホで誰かを呼び出し、「腹痛でトイレから出られないから、HRお願い」と、副担任に電話をかけ代打をお願いしていた。
 この手際の良さ。
 今回が初めてじゃないな……と。
 俺のせいでそういうことをさせているのにもかまわず、そんなことを思う。


 「真琴、お前口裏合わせとけよ」


 長谷川はそう言って、一瞬口角を上げ、スマホをもとのポケットにしまい込んだ。


 「先生、俺……」

 「すぐに玲とちゃんと会って、ちゃんと話せ」

 「は?」


 HRを休んだということは、俺に何か伝えるためじゃないのか……。


 「俺は答えを持っていない」

 「え、どういう……」

 「お前、玲とちゃんと話したか?自分の気持ち伝えたのか?」

 「話すも何も……」


 登下校中、いつも話してるし……。


 「俺は、ただ話せなんて言っていない。ちゃんと話せって言ってんだ」


 長谷川は、俺の目をまっすぐ見たまま、一方的にそう俺に話し続ける。
 長谷川が何を俺に伝えたいのか、そしてこの限られた時間内で俺は何をしなければいけないのか――――まだ俺にはわからない。


 「まだわからないって顔してるな……。本当に、わからないのか?」

 「……」

 「……お前自身は気づいてないかもしれないけど、お前はまだ玲に伝えきれていないことがある。隠してる感情があると俺は思う。それをまずお前自身が気付いて、それをどう伝えるか考えて行動しないと……玲の命救えたところで同じことを繰り返すぞ」

 「玲の命救えれば、俺はそれでいいんだけど……」

 「だっせーな。それはダサいわ」


 長谷川は先生ではあるまじき言葉を生徒である俺に吐き(生徒の前でタバコ吸うこと自体あり得ないが)、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、屋上の出口へと向かう。


 「ダサい今のお前に俺が言えることは以上だ。あとは自分で考えろ」


 そう言い残し、扉が閉じる音がした。


 「なんだよ……」


 誰もいない屋上に漏れる俺の声。
 八方ふさがり感を感じながらも、ポケットからスマートフォンを取り出し、今の時間を確認する。

 現在。
 午前9時10分。
 俺が元の世界に戻るまでに残された時間は約50分。
 長谷川にむかついている暇なんて、俺にはなかったことが思い知らされる。

 
 ____『お前、玲とちゃんと話したか?自分の気持ち伝えたのか?』


 長谷川の言葉が、再度今の俺を煽る。

 俺は自分の気持ちを高め、さっき長谷川が出ていった出口に向かう。
 かすかに、長谷川の吸っていた煙草のにおいが鼻をかすめる。

 不器用ながらに長谷川が俺の背中を押してくれているような、そんな気がした――――。




 *




 俺が教室に戻ったころには、HRはすでに終わっていた。
 
 いつもの場所。
 俺の席のあたりに玲と紫穂と、そして海がいた。

 海は俺を見つけるや否や、「おいおい、あれどういうことだったんだよ、真琴ー」なんて、おどけて俺に話しかけてくる。
 いつもの俺であれば、ちゃんと説明をするんだが、今はそんな時間はない。
 海ごめん、と思いながら俺は海をスルーし、そのまま玲のところまでまっすぐ進む。


 「え、何?」


 玲はびっくりしたように、俺をまっすぐ見てくる。


 「説明後でするから、黙ってついてきて」


 俺はそう言って、玲の手を引く。
 
 小さいころはこういうことは当たり前だった。
 だけど今日はなんだか緊張してしまって。
 手汗のことなんか気にしてしまって。
 強くは握れなかった。

 玲は抵抗することなく俺に手を握られ、戸惑いながらも俺の手のひく方についてきてくれた。
 俺はそのまま、先ほど長谷川と話していた屋上へと向かう。

 それまでの道で、他のクラスの生徒とすれ違った。
 なんだなんだという目を向けられたが、そんなのどうでもよかった。

 玲の今後がかかってる。
 そう思ったら――――周りのことなんてどうでもよかった。




 *




 真琴は、私にとって、大事な幼馴染であって――――私のヒーローだった。

 私は幼いころからお転婆だった。
 男の子みたいな髪型と恰好をして、真琴と遊んでいた私は、周りから「女子のくせに」「真琴のこと好きなんじゃないのか」とからからかわれたりすることがも多かった。
 お転婆な私からすれば、男の子の服のほうが、動きやすかったため好んで着ていた。
 そして仲のいい子がたまたま男の子なだけで、何でここまで言われなきゃいけないのかと、私は周りの反応が疑問だった。
 ただただ、真琴と遊びやすい服装で遊びたかっただけだった。
 
 そんな時、いつも真琴が守ってくれた。
 腕っぷしが強く、当時の真琴の右に出る子はいなかった。
 私を馬鹿にしていた子も、真琴が私の前に出ればみんな尻尾を巻いて逃げた。
 これまで、真琴の背中に私は守られてきた。

 だが、中学や高校に上がると真琴には真琴の、私には私のコミュニティが広がっていった。

 一緒にいる時間は以前に比べると減ったが、登下校が一緒である習慣は残った。
 一緒にいる心地よさは依然変わらなかったからだと思う。

 ただ、月日が流れるにつれて、真琴を見る周りの目は変わってきた。

 真琴の容姿は、幼馴染の私から見ても、中性的な綺麗な顔立ちをしていた。

 そのため、周りの女子たちの標的の的になったのは私だった。
 徐々に私は私で自分の身を守るすべを身に着けた。

 「真琴と私はただの幼馴染」と、呪文のように周りに吹聴した_____同時に自分にも。

 女子を真琴がその自慢の腕っぷしでどうにか出来るものではなかったから。
 私なりにどうにかして真琴と離れないでいられる方法を模索しながら過ごしてきた。

 だが、困ったことにこの高校生にになって、厄介な先輩に目をつけられた。
 
 迫田友華。
 真琴のことが……いや。
 多分、真琴の容姿が好きな先輩。
 小物をハイブランドでそろえ、友達も顔を見てアクセサリーのように身にまとう。
 真琴がそんな”廃”ブランドの仲間入りすることに関して、私は強く抵抗感を覚えた。

 高校2年生になったとき。
 迫田先輩からの絡みは陰湿なものから、直接的なものへ変化していった。


 「高校生にもなって、一緒に登校とか。真琴くんも迷惑なんじゃないの?さっさと独り立ちしたらどうなの」
 「男女の友情とか、いつの古い青春漫画よ。好きじゃないなら、さっさと離れなよ」
 「周りの目とか考えたことないの。真琴くんも海くんもかわいそうに。パッとしない女子2人に付きまとわれて」
 「なんでその髪で校則違反じゃないわけ……あ、もしかして長谷川とかたぶらかしてるんじゃない?」


 すれ違うたび、そうやって耳打ちするように迫田先輩から言われてきた。

 4月のある日、いつものように紫穂といたとき。
 偶然、迫田先輩とすれ違った。


 「ねえ、そろそろ真琴くんから離れてくれない?いい迷惑なんだけど」


 これまでと同様、薄笑いを浮かべながら迫田先輩に耳打ちされる。
 さすがに比較的我慢強い私も堪忍袋の緒が切れた。


 「ちょっと待ってくださいよ」


 向こうはびっくりしたようにみえるよう、立ち止まった。
 周りの目を強く気にしている迫田先輩。
 私をいじめていると悟られないように演技したのだろう。
 見事ともいうべきか。

 迫田先輩と友人AとBは立ち止まり、振り返って私たちのほうを見る。

 そこで、授業開始の予鈴が鳴った。
 周りの人が徐々にその空間からはけていく中、私たちだけがそこに立ち止まっていた。


 「何?急に。授業始まるんだけど」

 「真琴と付き合いたいなら、私と紫穂いじめるようなそんな回りくどいことしないで、ちゃんと真琴に告白したらどうなんですか」


 今まで我慢していたものが一気にあふれ出てくる感覚があった。
 隣で紫穂が、「あまり刺激しないで」と言っていたのが分かっていたが、私は紫穂のお願いを聞き入れる耳をその時は持たなかった。


 「ちょっと何のことだかわかんないんだけど」


 どこで誰が聞いているかわからないからだろう。
 迫田先輩はとぼけてくる。
 そして、徐々にゆっくりと、迫田先輩は私と距離を縮めてきた。

 一見、百合のようでたおやかに見える迫田先輩。
 しかし私は知っている。
 私と紫穂の前だけは、薔薇のような棘を前面に出してくることを。

 私は後ずさりすることなく、そんな迫田先輩を待ち構える。


 「私が告白なんてしたら、100%付き合えるにきまってるじゃない。だけど、邪魔なの。あなたたちが。私と真琴君が付き合っても、周りウロチョロするでしょうが」


 薔薇が、私の喉元にとげを刺そうとする。
 これまで何度もそうやって自分が優位に立てるように蹴散らしてきたのだろう。
 
 悪いが、こんなことで折れるほど私はやわじゃない。
 ほかの花と一緒にされては困る。 
 薔薇の棘ごときで場所を譲るほど、私は従順じゃない。
 何度も何度、雨風しのぎながらこの場所死守してきたのだから。
 これくらいの困難。
 私にとっては屁でもない。


 「それ、告白成功してから言ってもらっていいですか」


 売られた喧嘩は積極的に買っていく。
 先輩だからと言って容赦しない。


 「へー、いうじゃない。じゃあ、私が告白して、成功したら真琴くんの周りウロチョロしないで。一緒にいるところ見たら……」


 そう言って、迫田先輩は、紫穂のほうへ視線を移し、口角を少しばかり上げた。


 「こっちにターゲット変更するから」

 
 性格の悪さに感心しつつ、そこまで悪いとこちらも容赦する気が失せるから、逆にありがたかった。


 「じゃあ、こちらも言わせてもらいますけど。告白失敗したら、もう私たちに構うのやめてもらっていいですか。受験勉強もお忙しいでしょうに、大変でしょ」


 精一杯の嫌味を込めてそういうと、迫田先輩は、目を血走らせながらも「いいわよ」と、言って、私に背を向けた。


   「ちょっと……玲!」


 さっきまで隣で黙って聞いていた紫穂が、心配そうな目で私のほうを見てくる。


 「何?」


 早まる鼓動を落ち着かせようと、大きく息を吐きながらそう返答した。


 「どうすんの。万が一、迫田先輩が告白して真琴が付き合うなんて言い出したら……」


 正直、真琴がどう出るなんて私にはわからない。
 バカだから、容姿だけで判断して付き合うという可能性も十分にある。
 そういう選択を彼がしたのであればしょうがない。
 そこまで私が根を張り続けるのは、なんだか違う気がした。

 そうしたら、私のような雑草は、棘いっぱいのの薔薇にでもその場所譲ってやる。


 「そしたら……しょうがないね」


 精一杯の強がりでそう返した。

 他人に告白をさせ、真琴の気持ちを試させようとしている。
 そういう狡さに後ろめたさを感じつつも、教室に向かって歩き出す。

 紫穂は納得できないと顔には書いてあったが、それ以上は口に出さず、私の横を歩き出した。

 



 *




 ____「説明後でするから、黙ってついてきて」


 否応なしに真琴に手を引かれ、気づけば屋上に来ていた。
 いつも先生が煙草をふかしているが、今は授業中だろうか。
 私と真琴以外誰もいない。

 屋上についたとたん、真琴はさっきまで引いていた私の手を放し、私と少し距離をとるようにして座った。
 私も続いてとりあえず、その場で座り込む。
 こうやって、真琴と面と向かって話すのは……いつぶりだろうか。

 
 「まずごめん。無理やり連れてきて」


 珍しく、謝罪の言葉を口にする彼。

 昨日のある瞬間から、なんとなくいつもと少し様子が違うのには気づいていた。
 ただ、何がどう違うのか聞かれると言葉にするのは難しく……強いて言葉すると”幼馴染の勘”という言葉が一番しっくりくるのだろうか。

 
 「あ、うん。……で、なんで急に私をここにつれてきたわけ?」

 「ちょっと話したくて」

 「あ、うん。それはそうなんだけどさ、何の話?」


 昔から話が回りくどい且つ、はっきりしないのは、真琴の癖だった。
 そんな癖が、少し今の私をイライラとさせる。


 「……玲、俺になんか言うことない?」

 「というと?」


 迫田先輩のことを言っているのかと一瞬思ったが、私から話を切り出すのはなんだか違う気がした。


 「……はぁ、きっとこういうところなんだろうな……」


 真琴はそう、息を吐くかのように呟いた。
 そして、私の問いかけを放棄するかのように、真っ青な空を仰ぐ。


 「玲はさ、大人になったら何したいとかあんの?」

 「何、急に」

 「いいから」

 「んー、こういう仕事したいとか、こうなりたいとか今はないかな。だけどさ」

 「うん」

 「ゆっくり探していきたいなとは思ってる」

 「……そっか」

 「うん…真琴は?」

 「俺?」  

 「人に聞いといて、自分は何も考えてなかったの?」

 「……考えてなかった」


 真琴の表情が見えない。
 だけど、どんな表情をしているのかわかってしまった。


 「真琴」

 「何?」

 「私をここにつれてきた理由は何?」


 ______なんでそんなに悲しそうなの。


 そう、口の出そうとしたその時だった。

 悲しそうなその表情が苦悶の表情に変わり、頭を抱えて真琴はその場に倒れこんだ。

 すぐさま駆け寄り、真琴の身体を支えようとするも、私よりもずっと大きな真琴の身体を支えることは私の身体では叶わない。
 私も真琴と一緒にその場に倒れこむ形になってしまう。
 私に覆いかぶさった真琴の身体は非常に熱く、汗もかいてるようだった。
 荒い吐息が背中から聞こえる。

 
 「ちょっと、しっかりして、真琴!」


 そう叫んで、保健室へ運ぼうとする。
 しかし、私よりもはるかに大きくなった真琴の身体を、私だけでここから運び出すことは厳しい。

 私は、ゆっくりと真琴に大きな衝撃がいかないように気を付けながらその場で真琴を横にさせる。
 そして、誰かを呼びに行こうと、その場を立ち去ろうとしたときだった。


 「……れ、い。聞け……っ」


 か弱い、真琴の声が、焦る私を引き留める。


 「後で聞くから。今だれか呼んでくるからそれまで待ってられるよね」


 私は、後ろ髪を引かれる思いでその場を離れた。
 
 急いで屋上を出て階段を下る。
 下ったところでちょうど鬼ちゃんと鉢合わせる。
 鬼ちゃんは、私が屋上に続き階段を下りてきたため最初はそのまま説教をする体制に入ろうとしたが、私はすかさず「真琴が屋上で倒れた!」と言葉に出す。
 真琴を助けてくれるのであれば、正直だれでもよかった。
 鬼ちゃんの表情は鬼の形相から、驚いた顔へ変わり、私を追い越して屋上へ上がっていく。
 私も、おいて行かれまいと元来た道を戻る。

 だが、戻ったときには、自分の目を疑った。


 ―――――「玲、どうしたの」


 何事もなかったように青空の下に立つキミは、私の知っているあなたではないような、そんな気がした。





 *





 目の前にいた玲の姿が、一瞬で暗転。
 気が付けば、足が何か柔らかいものをとらえ、瞼の裏は光をとらえる。
 俺は、ゆっくりと目を開けると、そこは俺のいた部屋だった。

 時間は、俺がタイムリープした日が9月23日(土)。
 今は9月24日(日)のはず。
 ポケットに入ってたスマートフォンを取り出し、俺は日時の確認をする。
 予想通り、9月24日(日)の9時であった。

 そして、俺は今の俺の状態を確認する。
 そっと、口元に手を当てる。
 髭は若干生えてはいるが、数日放置した髭の感じではなく、昨日沿ったものが夜伸びた程度の長さ。
 部屋も、ゴミが散らかっていることはない。
 玲がまだ生きていたころの俺の部屋だった。

 もしかして――――。

 急に心拍数が上がってきて手が震える。
 深呼吸をしながら、俺は玲の連絡先を探す。
 玲とのやり取りをしていたSNSのアカウント見つけ出した。
 中を開き、こ俺の知らない間、どのようなやり取りをしてきたのか見ようとした_____その時だった。

 握りしめていたスマホが急に振動し、長谷川から着信がきていることを知らせる。

 おそらく、俺がこの世界に飛んできたことをキャッチしたのだろう。
 長谷川は俺よりも早く、この時代の流れをキャッチする。
 だから彼は知っている。
 玲の生死を____。


 「……はい」


 俺は、その着信に出た。


 「おお、でたでた……ゔっ……!」

 
  今にも何かを吐き出しそうな長谷川の声が聞こえる。
 

 「副作用……?」

 「お前が飛んだ道連れだよ。気持ち悪っ!……まあ聞け」

 「……聞いてる」

 「だな……。ゔっ……玲に電話かけてないな……」

 「ああ、かけてないけど」

 「はあ……ちょっと落ち着いてきた。……玲は、死んだよ」

 「いつ?」


 先ほど高鳴った鼓動が徐々に落ち着いて行くのが、俺にはわかった。


 「お前が玲を屋上に呼んだあの日」

 「なんで」

 「その日の帰り道。迫田と駅のホームでばったり会って言い合い。そのままホームに落ちた。即死だった」

 「そう……か」


 どこか冷静な自分に、自分で驚いていた。


 「……やけに冷静だな」

 「自分でもびっくりしてる」

 「まあ、あれだな。正直、現実味ないよな。だってお前、数時間前まで玲に会ってたんだもんな」

 「ああ、それもあるかも……。先生、俺さ、この世界では学校行けてたんじゃないのか」

 「……お前は学校に来てないよ。玲が死んだあの日から」

 「じゃあなんで……」


 こんなに部屋があの時と違うのか。


 「何かあったか?」


 長谷川は、電話の向こうで俺の返答を待っているのがわかる。
 だが、今の俺は今の状況を整理するので精いっぱいだった。

 明日になればきっと、これまでのことが頭の中に流れてくるのは分かっている。

 俺は気が付けば、そのまま長谷川からの電話を切っていた。
 事実を知りたくて_____でも知りたくもなくて。

 矛盾した気持ちのまま、俺はふらふらと立ち上がり、自分のデスクの前に立った。
 そこに答えはあった。

 
 『真琴へ。あなたのことが好きでした。どうか、真琴らしく生きて』


 メールの文章が印刷されたA4の用紙が、そのままテーブルの上に置かれている。


_____『その日の帰り道。迫田と駅のホームでばったり会って言い合い。そのままホームに落ちた。即死だった』


 長谷川から、先ほど聞いた言葉が脳裏で繰り返された。

 どうゆうことかと、考えた後、メールに書いてある日時に目が行く。
 『20XX年5月21日 17:15』
 それは、いつも玲と俺が帰りに乗っている電車の時刻だった。
 おそらくその電車にひかれたのだろう。

 そもそも、なぜその日だけ俺は玲と帰らなかったのか。
 その点が悔やまれるが、今俺一人考えたところでその情報が入るわけでもない。
 寝るか、誰かに聞くかその2択だった。
 
 俺は大きく息を吐き、呼吸を整える。
 そして、椅子にそのまま腰かけた。
 机に置かれている1枚の紙を持ち上げる。

 何度も握っては置いて、握っては置いてを繰り返していたのだろう。
 紙には何重もの折り目が重ねられていた。

 俺の手は、その折り目を何度もたどる。
 いくらすごいAIとはわかっていても、繊細な感情の起伏をこう行動化されてしまうと何とも不思議な気持ちになってしまう。
 きっとAIのほうが、俺の気持ちを分かっているのだろう____こうも優秀だと、俺の未来をただたどることなんてしなくていいから、玲を救う方に一生懸命になってくれたらいいんだけど。
 なんて、たらればなことを考えてしまう。

 玲が、この文章を俺に送ってくることができた理由は、もうすでにわかってる。
 わかっているというか、方法はおそらくこれしかない。
 自分の命が危ういと思ったとき、スマホからある動作をすれば一斉に伝えたい人に伝えたいことを送れるシステムを使っていたのだろう。
 何を思ってそのシステムを設定していたのかまではわからないけれど。

 階段から落ちた時は、一瞬過ぎてそれがかなわなかった。
 今回は、電車が来るその数秒の間に______。

 想像して、ぐっと胃に重圧を感じ、思わずせき込む。

 以前の癖で、いつも薬の入っていたデスクの引き出しを開ける。
 そこにはあった。
 頓服薬が_____。

 俺は慣れた手つきで服薬し、一息つく。
 ただただ、天井を眺めた。

 正直まだ現実味がない。
 玲が今俺がいるこの世界にはいないなんて、正直実感はわいていない。
 今日に限らず、以前もそうだった。
 
 天井を見上げ続けてどれくらい経っただろうか。
 俺はスマホを開き、ある人物の連絡先を探す。
 そして、躊躇することなく通話ボタンを押し、スマホを耳に当てた。
 コール音は5度ほど続き、なかなか出ないなと、思い始めた時だった。


 「真琴…!?」


 海の元気な声が俺の鼓膜にどんと響く。
 あまりにも大きな声だったため、思わずスマホを耳から少し離す。


 「……うるせえよ」

 「あー、ごめんごめん!あまりにもびっくりしたから……」

 「……俺も悪かったな」

  
 俺は自然と謝っていた。

 前回戻った経験から、俺は知っていた。
 玲がいなくなって、俺がいなくなって、海と紫穂が思っていたよりも傷ついていたこと。
 2人が頑張っている中、俺だけ1人逃げて、さらに2人を傷つけていたこと。


 「……お前は何も謝ることないだろ。……まあ、こういうことも玲は見抜いていたんだろうな」

 「どういう、こと?」

 「メールが来たんだよ。玲から。玲が亡くなったあの日」

 「お前も……?」

 「やっぱりおまえにも来てたんだな。紫穂も来てたらしい」

 「そっか……玲からなんて?」

 「……お前は?」

 海からそう聞かれて、心臓がぐっと締め付けられるような感覚になる。
 俺は知っている。
 海が、玲に好意を抱いていたこと。
 そして俺がそのことに気づいていることを、この世界の海はもう知っている。
 なぜならあの委員会の日に、海にはばれてしまったから。


 「俺は_____」


 俺はそう口に出して、印刷したメールの文章に視線を合わせる。


 「『どうか、真琴らしく生きて』って」

 
 後半の文章を俺は読み上げる。

 嘘はついていない。
 ただ、海に前半部分を伝えることは、今の俺にはできなかった。


 「ふーん……。玲、らしいな」


 そう、海が電話の向こうで少し笑みをこぼしているのが分かった。


 「で、海は?」

 「ああ、俺?俺は……。『今までありがとう。海との高校生活はすごく楽しかった。真琴は、きっと私がいなくなったことで学校とかこれなくなるかもしれないけど責めないであげて。それは彼なりの対処法だから。要は不器用なだけなんだけど。』って。

「俺よりだいぶ長いな」

「感想そこかよ……。長いったって……半分お前のことだけどな。……玲はお前のことよく見てたんだな」


 海はそう、どこか羨ましそうにそうつぶやいた。
 

 「……ごめん」


 なんて口に出せばいいかわからなくて。
 気づけば、また俺は海に謝っていた。


 「……馬鹿にしてんの?真琴」


 海の声がいつもの声のトーンより、ワントーン声が下がった。
 若干の緊張感が走るのが分かる。


 「そんなつもりじゃ」

 「ここで俺に謝るのは違うだろ。玲は帰ってこないんだしさ……って、俺が怒ってどうすんだよ」


 そういって海は深くため息をつく。


 「明日学校にこれそうか……?」


 海の声が、若干穏やかになる。


 「明日は、行く」

 「……おう、待ってる」


 そう言って、切れた電話。
 そのままスマホをデスクに置き、そのままイスに深く座り直し再び天井を見上げる。

 
 「情けな……」


 誰もいない空間に、吐き出した言葉。
 無機質な白い天井だけが俺の目の前に広がる。


 ___『真琴へ。あなたのことが好きでした。どうか、真琴らしく生きて』

 ___『今までありがとう。海との高校生活はすごく楽しかった。真琴は、きっと私がいなくなったことで学校とかこれなくなるかもしれないけど責めないであげて。それは彼なりの対処法だから。要は不器用なだけなんだけど。』


 真っ白な天井というキャンバスに、玲の言葉が浮かび上がっては消え、浮かび上がっては消えた。
 海にあてた文章、ひとこと余計だよな、なんて本筋からはずれなことがふと浮かぶ。

 腰かけていた椅子をゆっくり回転させながら、これまでのことを思い返してみる。
 あの日、玲が死んだ。
 見かねた長谷川が、俺にタイムリープのスキルを貸してくれた。
 1回目のリープは俺のいない隙に玲と友華が出合い階段から落ちて玲が亡くなった。
 2回目も俺が俺としていない間に玲と友華が出合いホームから落ちて亡くなった。
 いつの時も俺が玲といるときは、友華と玲が会うことはなく、玲は無事でいることができている。
 つまり____。


 「_____俺が玲と一緒にずっといればいい」


 そうすれば、玲は死なない。


 ____『……救えないことも中にはある』
 ____『……お前自身は気づいてないかもしれないけど、お前はまだ玲に伝えきれていないことがある。隠してる感情があると俺は思う。それをまずお前自身が気付いて、それをどう伝えるか考えて行動しないと……玲の命救えたところで同じことを繰り返すぞ』


 いつかの長谷川の言葉が、一瞬俺の脳裏をよぎる。
 しかし、俺はそれを打ち消すようにして、椅子から立ち上がった。

 海、ごめん。
 明日学校行くって言ったけど、その前にやっぱり行かないといけないところがある。

 俺は心の中で海へそう謝り、左手首の裏を触った。
 もうすでに、数字は『002』だった。
 これがラストチャンス____。


 「20XX年5月22日10時」


 俺が玲を屋上に呼び出したあの日、あの時間に俺はまた戻る。
 ____次こそは、玲を助ける。