いつものように二人はデートの終わりに居酒屋でビールを飲みながら夕食をとっている。
「吉田さんって、いつも夕食はどうしているんですか?」
「ウィークディは会社や駅の近くで外食することもあるけど、最寄り駅近くのコンビニやスーパーで弁当や惣菜を買って帰って、自宅で缶ビールを飲みながら食べている方が多いかな」
「一人自宅でゆっくり食べるのがお好きなんですか?」
「実をいうと僕はお酒を飲みながら夕食を食べたいんだ。そのあとごろっと横になって休みたい。でも外食でお酒を飲むと酔いが回った心地良い時に帰らなければならないのがいやなんだ」
「お酒がお好きなんですね」
「いや、好きというより、飲むとリラックスして1日の緊張がほぐれるから飲みたいんだ。ただ、多くを飲むわけではなくて、ビールなら350ml缶1本、チューハイなら350ml缶1本、ウイスキーの水割りなら1~2杯。それくらいで心地よくなって眠くなるので十分なんだ」
「そういえば、こうして飲んでいても、ほどほどの量ですね。それに酔っぱらったところを見たことがありませんし」
「若狭さんと飲むときは緊張しているから、酔わないし、酔えない。醜態は見せられないからね」
「自分で食事を作ったりしないんですか?」
「土日でデートがないときは、自分で作ることもあるけど、冷食を電子レンジで温めたり、ありあわせの材料で鍋料理を作ったりするくらいかな」
「それじゃ、次回は私の部屋で夕食会をしませんか?」
「若狭さんの部屋で夕食会? 二人で夕食を作るのか?」
「いえ、私が夕食を作ってご馳走します。和食、洋食、中華なんでもいいですよ。リクエストにお応えします」
「料理が得意なの? 知らなかった」
「得意というほどではありませんが、料理は好きです。まあ、食べてみてください」
「招待ありがとう。喜んでご馳走になるよ」
「なにがよいですか?」
「和食をお願いできるかな。あまり食べる機会がないから、食べてみたい」
「分かりました。じゃあ、再来週の午後5時に来てください。最寄り駅と住所を書いてお渡しします。ネットの地図を見てきてください。2階建てアパートの2階の201号室です」
メモを取り出してすぐに住所を書いてくれた。いままでは電車に乗って途中駅で別れていた。住所も教えてもらっていなかった。それに彼女を家まで送っていったことはなかった。
廸が自宅へ招待してくれたが、これをどう受け止めたらよいのだろうか? 僕を信用してくれているからだろうけど、女子から家へ招待されるのは生まれて初めてのことだからどうしたらよいのか分からない。
◆◆ ◆
彼女のアパートはすぐに見つかった。2階の201号室のドアホンを鳴らす。すぐに返事があって、ドアが開いた。エプロン姿の廸が迎えてくれた。
「デザートにアイスクリームとケーキを買ってきた」
廸は笑顔で受けとってくれた。彼女について中に入っていく。1LDKの独身者向けの部屋で僕の部屋と同じようなつくりだった。もうリビングの座卓に料理が2人前並べられている。
「どうぞお座りになってください。和食を一式つくりましたので、お召し上がり下さい」
「これを若狭さんがすべて作ったのか?すごいね」
「お昼過ぎからかかりましたが、一度作ってみたかったので良い機会になりました」
「料理が好きだとは知らなかった。少しも話してくれなかったからね」
「自慢できるほどの腕前か分かりませんから。お酒は何にしますか? 日本酒とビールを用意しましたが」
「和食だから日本酒でお願いします」
「お燗しますか? それとも冷がいいですか?」
「冷でお願いします」
「それでは準備します」
廸にこんな一面があったとは「恋愛ごっこ」を続けていたにもかかわらず気が付かなかった。廸があえて話さなかったからでもある。廸は冷を準備して座卓の反対側に座った。
「どうぞ、お召し上がりください。まずは一杯」
「ありがとう」
ガラスの盃に注いでくれる。
「君も一杯どう?」
「少しいただきます」
廸はお酒に弱いわけではなかった。でも二人で飲むときは控え気味で多くを飲むことはなかった。まして酔っぱらうようなことは決してなかった。
本格的な和食のフルコースだった。先付、吸物、刺身、焼物、酢の物、炊合、蒸し物、揚げ物、ご飯・味噌汁、果物。それぞれ量は少なめに作ってあった。
先付から食べ始める。和食のフルコースは会社の仕事上で接待する側とされる側の両方で何度か食べたことがある。料亭の和食の席ではこれらが一品ずつ運ばれてくる。今日は忘年会のようにすべて配膳されている。
一品一品と食べていくが、どれも味付けがよくておいしい。廸はお酌をしてくれながら自分も僕と同じように味を確かめるように食べている。僕も廸にお酌をしてあげる。食べながら会話が弾んだ。
ご飯は炊き込みご飯だった。電気釜から廸がよそってくれる。お酒のせいか、顔に赤みがさしている。いつもより酔っているのかもしれない。
それからデザートに僕の持ってきたアイスクリームを食べた。
「このアイスクリームとてもおいしい」
「気に入ってくれてよかった。君の料理もとてもおいしかった。ありがとう。後片付けを手伝うよ」
「大丈夫です。ゆっくりしていてください」
後片付けに立ち上がった廸が少しよろけた。僕は慌てて廸を支えた。廸の身体に触れたのはこれが初めてだったと思う。手はつないでいたが身体に触れたことはなかった。柔らかい華奢な身体だった。驚いて手を離した。本当は抱きしめたかった。
「少し酔ったみたい。飲み過ぎました」
「休んでいて、僕が後片付けしてあげる」
「その方がよいみたいです。申し訳ありませんがお願いします」
僕は要領よく食器をシンクに集めて洗ってゆく。洗いものは学生時代に実験用のガラス器具を散々洗っていたから慣れている。実験で使うガラス器具は汚れに気をつけなければならないので慎重に洗っていたが、食器はそれほどの注意は必要ない。
あっというまに洗い終わって、布巾で拭いて食器棚にしまった。食器棚には洋食や中華の食器もあった。
「食器がそろっているね」
「それらは母親が持たせてくれたものです。必要ないといったのですが、今日は役に立ちました」
「終わった。ご馳走になりました。そろそろ引き揚げます」
「ゆっくりしていって下さい」
「長居しては君に迷惑がかかる」
「迷惑だなんて」
廸が何を言おうとしているか分かったが、それを聞いてはいけないと思った。それですぐにその場から逃れようと玄関に向かって歩き出した。
せっかく自分の部屋に招待してくれたのに、このまま帰るといったので、廸は気落ちしたに違いない。でも廸は笑顔を作って、玄関まで見送りにきてくれた。
僕は後ろ髪をひかれる思いがあったにもかかわらず、廸の部屋をあとにした。なぜ、急いで部屋をでてきたのか、自分でもよく分からない。
廸の家で飲んだ日本酒が効いて酔っぱらっていたのかもしれない。家に着くまでの記憶があいまいだ。いや、帰り道ではなぜ急いで廸の部屋を出たのかをずっと考えていたからだった。
廸に悪いことをした。好意を踏みにじった。でもあのまま部屋にいたらどうなるかを想像したからそれを避けたかったのだと思う。廸を大切にしたい、そういう思いがあったに違いない。
廸が好意を見せてくれたのに、自分は廸に好意を持っていながら、一歩が踏み出せなかった。なぜなんだ。僕は本当に恋愛に向いていないのかもしれない。その時改めてそう思った。
でも廸を手放したくない。その気持ちを伝えなくてはいけない。そう思ってすぐに電話をかけた。廸はすぐに電話に出てくれた。
「今、家に着いた。夕食ありがとう。すぐに帰ってしまったので気を悪くしたのではないかと思って。すまなかった。どうしてもいたたまれなくなって。君を大切に思っている。『恋愛ごっこ』を続けてくれるね。お願いだから」
「はい、分かりました」
そっけない返事だったが、しっかりとした口調だったので修復はできたと思えた。思いは伝わったはずだ。
「吉田さんって、いつも夕食はどうしているんですか?」
「ウィークディは会社や駅の近くで外食することもあるけど、最寄り駅近くのコンビニやスーパーで弁当や惣菜を買って帰って、自宅で缶ビールを飲みながら食べている方が多いかな」
「一人自宅でゆっくり食べるのがお好きなんですか?」
「実をいうと僕はお酒を飲みながら夕食を食べたいんだ。そのあとごろっと横になって休みたい。でも外食でお酒を飲むと酔いが回った心地良い時に帰らなければならないのがいやなんだ」
「お酒がお好きなんですね」
「いや、好きというより、飲むとリラックスして1日の緊張がほぐれるから飲みたいんだ。ただ、多くを飲むわけではなくて、ビールなら350ml缶1本、チューハイなら350ml缶1本、ウイスキーの水割りなら1~2杯。それくらいで心地よくなって眠くなるので十分なんだ」
「そういえば、こうして飲んでいても、ほどほどの量ですね。それに酔っぱらったところを見たことがありませんし」
「若狭さんと飲むときは緊張しているから、酔わないし、酔えない。醜態は見せられないからね」
「自分で食事を作ったりしないんですか?」
「土日でデートがないときは、自分で作ることもあるけど、冷食を電子レンジで温めたり、ありあわせの材料で鍋料理を作ったりするくらいかな」
「それじゃ、次回は私の部屋で夕食会をしませんか?」
「若狭さんの部屋で夕食会? 二人で夕食を作るのか?」
「いえ、私が夕食を作ってご馳走します。和食、洋食、中華なんでもいいですよ。リクエストにお応えします」
「料理が得意なの? 知らなかった」
「得意というほどではありませんが、料理は好きです。まあ、食べてみてください」
「招待ありがとう。喜んでご馳走になるよ」
「なにがよいですか?」
「和食をお願いできるかな。あまり食べる機会がないから、食べてみたい」
「分かりました。じゃあ、再来週の午後5時に来てください。最寄り駅と住所を書いてお渡しします。ネットの地図を見てきてください。2階建てアパートの2階の201号室です」
メモを取り出してすぐに住所を書いてくれた。いままでは電車に乗って途中駅で別れていた。住所も教えてもらっていなかった。それに彼女を家まで送っていったことはなかった。
廸が自宅へ招待してくれたが、これをどう受け止めたらよいのだろうか? 僕を信用してくれているからだろうけど、女子から家へ招待されるのは生まれて初めてのことだからどうしたらよいのか分からない。
◆◆ ◆
彼女のアパートはすぐに見つかった。2階の201号室のドアホンを鳴らす。すぐに返事があって、ドアが開いた。エプロン姿の廸が迎えてくれた。
「デザートにアイスクリームとケーキを買ってきた」
廸は笑顔で受けとってくれた。彼女について中に入っていく。1LDKの独身者向けの部屋で僕の部屋と同じようなつくりだった。もうリビングの座卓に料理が2人前並べられている。
「どうぞお座りになってください。和食を一式つくりましたので、お召し上がり下さい」
「これを若狭さんがすべて作ったのか?すごいね」
「お昼過ぎからかかりましたが、一度作ってみたかったので良い機会になりました」
「料理が好きだとは知らなかった。少しも話してくれなかったからね」
「自慢できるほどの腕前か分かりませんから。お酒は何にしますか? 日本酒とビールを用意しましたが」
「和食だから日本酒でお願いします」
「お燗しますか? それとも冷がいいですか?」
「冷でお願いします」
「それでは準備します」
廸にこんな一面があったとは「恋愛ごっこ」を続けていたにもかかわらず気が付かなかった。廸があえて話さなかったからでもある。廸は冷を準備して座卓の反対側に座った。
「どうぞ、お召し上がりください。まずは一杯」
「ありがとう」
ガラスの盃に注いでくれる。
「君も一杯どう?」
「少しいただきます」
廸はお酒に弱いわけではなかった。でも二人で飲むときは控え気味で多くを飲むことはなかった。まして酔っぱらうようなことは決してなかった。
本格的な和食のフルコースだった。先付、吸物、刺身、焼物、酢の物、炊合、蒸し物、揚げ物、ご飯・味噌汁、果物。それぞれ量は少なめに作ってあった。
先付から食べ始める。和食のフルコースは会社の仕事上で接待する側とされる側の両方で何度か食べたことがある。料亭の和食の席ではこれらが一品ずつ運ばれてくる。今日は忘年会のようにすべて配膳されている。
一品一品と食べていくが、どれも味付けがよくておいしい。廸はお酌をしてくれながら自分も僕と同じように味を確かめるように食べている。僕も廸にお酌をしてあげる。食べながら会話が弾んだ。
ご飯は炊き込みご飯だった。電気釜から廸がよそってくれる。お酒のせいか、顔に赤みがさしている。いつもより酔っているのかもしれない。
それからデザートに僕の持ってきたアイスクリームを食べた。
「このアイスクリームとてもおいしい」
「気に入ってくれてよかった。君の料理もとてもおいしかった。ありがとう。後片付けを手伝うよ」
「大丈夫です。ゆっくりしていてください」
後片付けに立ち上がった廸が少しよろけた。僕は慌てて廸を支えた。廸の身体に触れたのはこれが初めてだったと思う。手はつないでいたが身体に触れたことはなかった。柔らかい華奢な身体だった。驚いて手を離した。本当は抱きしめたかった。
「少し酔ったみたい。飲み過ぎました」
「休んでいて、僕が後片付けしてあげる」
「その方がよいみたいです。申し訳ありませんがお願いします」
僕は要領よく食器をシンクに集めて洗ってゆく。洗いものは学生時代に実験用のガラス器具を散々洗っていたから慣れている。実験で使うガラス器具は汚れに気をつけなければならないので慎重に洗っていたが、食器はそれほどの注意は必要ない。
あっというまに洗い終わって、布巾で拭いて食器棚にしまった。食器棚には洋食や中華の食器もあった。
「食器がそろっているね」
「それらは母親が持たせてくれたものです。必要ないといったのですが、今日は役に立ちました」
「終わった。ご馳走になりました。そろそろ引き揚げます」
「ゆっくりしていって下さい」
「長居しては君に迷惑がかかる」
「迷惑だなんて」
廸が何を言おうとしているか分かったが、それを聞いてはいけないと思った。それですぐにその場から逃れようと玄関に向かって歩き出した。
せっかく自分の部屋に招待してくれたのに、このまま帰るといったので、廸は気落ちしたに違いない。でも廸は笑顔を作って、玄関まで見送りにきてくれた。
僕は後ろ髪をひかれる思いがあったにもかかわらず、廸の部屋をあとにした。なぜ、急いで部屋をでてきたのか、自分でもよく分からない。
廸の家で飲んだ日本酒が効いて酔っぱらっていたのかもしれない。家に着くまでの記憶があいまいだ。いや、帰り道ではなぜ急いで廸の部屋を出たのかをずっと考えていたからだった。
廸に悪いことをした。好意を踏みにじった。でもあのまま部屋にいたらどうなるかを想像したからそれを避けたかったのだと思う。廸を大切にしたい、そういう思いがあったに違いない。
廸が好意を見せてくれたのに、自分は廸に好意を持っていながら、一歩が踏み出せなかった。なぜなんだ。僕は本当に恋愛に向いていないのかもしれない。その時改めてそう思った。
でも廸を手放したくない。その気持ちを伝えなくてはいけない。そう思ってすぐに電話をかけた。廸はすぐに電話に出てくれた。
「今、家に着いた。夕食ありがとう。すぐに帰ってしまったので気を悪くしたのではないかと思って。すまなかった。どうしてもいたたまれなくなって。君を大切に思っている。『恋愛ごっこ』を続けてくれるね。お願いだから」
「はい、分かりました」
そっけない返事だったが、しっかりとした口調だったので修復はできたと思えた。思いは伝わったはずだ。