廸は運命の人とまで言ってもよいかもしれない。僕にぴったりの女性だと思っている。出会いから付き合って結ばれるまでの経緯を振り返ってもそうだ。さっぱりしていて性格も良いし、彼女と一緒にいると気が休まって癒される。

彼女を自分のものにしたい。いやもう彼女は僕のものになっている。それは確かだ。決して失いたくない。もう彼女におぼれてしまっている。自信が不安に変わっていく。すぐにでも確実に自分のものにしておきたい。

プロポーズして入籍しておかないと安心できない。すぐにでもプロポーズしておかなければならないという脅迫観念にさいなまれる。すっかり恋に落ちてもがいているようで、もういてもたってもいられなくなった。

すぐに廸に電話を入れる。こういう時に限ってなかなかでない。会議中でサイレントモードになっているみたいだ。ますます焦ってくる。留守電にすぐに電話をくれるように伝言をいれた。

待っていてもなかなか電話が来ない。どうしたんだ。いつまで会議をしているんだ。気持ちが落ち込んでくる。

スマホが鳴った。すぐに出る。

「もしもし、どうしたんですか? こんな時に」

いつもは午後9時を過ぎてから連絡を入れていたので、廸は疑問に思ったに違いない。

「ああ、急いで伝えたいことがある。急だけど明日の晩、会えないか?」

「急ね、週末じゃだめなの?」

「大事な話がある」

「大事な話って、電話じゃだめなの?」

「会って話すから」

こういえば何を話したいか分かってくれたと思う。

「分かりました。明日の晩、お会いしましょう。場所と時間は?」

「追ってメールを入れるから」

「了解しました。じゃあ」

「ああ、きっと」

できれば今晩にしたかったが、会う場所の確保と指輪を準備しなければならない。まず、場所を決めなければならない。どこにしようか? プロポーズに適当なところが思いつかないが、無難なところで、有名ホテルのメインダイニングといったところか? 時間は7時ごろか?

すぐに夜景の綺麗なホテルのメインダイニングを探して予約した。それからのことも考えて部屋も予約しておいた。明日は指輪を買いに行こう。すぐに明日の休暇申請もしておいた。廸にはホテルのロビーに7時少し前に来てほしいとメールを入れた。了解の返信が入ってほっとした。

それからは仕事が手に付かず、終業の時間が待ち遠しかった。明日は指輪を買いに行かなければならないが、どんな指輪にしようか、難しい。彼女の気に入るものを探さなければならない。指輪のサイズがよく分からない。何かの機会に聞いておくべきだったと後悔した。

いろいろ考え事をしていたら、よく眠れなかった。でも明け方になって寝入ってしまったようで目が覚めたら、もう8時を過ぎていた。

この時間になってもどんな指輪が良いか分からない。10時になったので、とりあえずジュエリーショップへ出かけることにした。銀座へ行けばいくつか店があるだろうと出かけることにした。

目移りする。種類が多いと目移りする。2~3個から選ぶのはたやすいが、種類が多い中から選ぶのは難しい。気に入ってもらえるかを考えると分からなくなる。考え抜いた末に指輪を選ぶのはあきらめた。

彼女に好きなものを選んでもらうのが一番という結論にたどり着いた。もう、ここまででお昼を過ぎていた。でも何か渡すものが必要だと思ったらブレスレットが目に入った。これだ。サイズは関係ない。それに僕はブレスレットをしている女性を電車で見かけて、とても素敵だと思ったことがあった。

廸にはブレスレットが似合うと思った。彼女は色白だからシルバーのブレスレットがぴったりだ。そう思って探すと気に入ったブレスレットが見つかった。僕の趣味で選んだが申し分ない。これで準備完了。

◆ ◆ ◆
ホテルのロビーで待っていると7時少し前に廸は現れた。約束したときの感じからおおよそのことは察していると思う。落ち付いたシックな服装をしていた。

すぐにメインダイニングへ向かう。廸は黙って腕を組んでついてきている。会った時から僕は緊張していたみたいだ。口をきかずに腕を組んだらすぐに歩き出していた。

実際、僕はプロポーズのことで頭の中がいっぱいだった。どう切り出そうか、万が一にも断られることはないと思っているが、言ってみないと分からない。

入口で名前を告げて予約を確認した。すぐに窓際の席に案内された。ウエイトレスがきて食事の内容を確認した。飲み物はどうするか聞かれたので、ビールを頼んだ。こんなところでビールは似つかわしくないとすぐに思った。それで廸に飲み物を聞いた。

「ジンジャエールをお願いします」

ウエイトレスが戻っていった。

「大事なお話ってなんですか?」

すぐに聞かれるとは思わなかった。分かっているくせに聞いてくるんだ。想定していなかったからあわてて応える。

「食事が済んでからゆっくり話すから。まず食事を楽しもう」

ウエイトレスが飲み物とアペタイザーを運んでくる。僕はおもむろに食べ始める。それを見て廸も食べ始める。何を話題にして良いか分からない。頭の中はプロポーズのことでいっぱいなので、話題が思いつかない。無口で食べ続ける。

もう日が落ちて夜景がきれいなのに気がついた。

「夜景がきれいだね」

「ええ、とってもきれい。こんなところで食事するのは初めてですね」

「ああ、大事な話をするためにここへきたんだから」

「だから、大事な話ってなんですか?」

「食事が終わってから話す」

「食事しながら話してください。食事中、間が持ちませんから」

そこまで言われて、僕も踏ん切りがついた。

「じゃあ、話す。大事な話というのは、つまり、僕と結婚してほしいというプロポーズなんだけど、どうかお願いします」

廸は黙ってしまった。あの時と同じだ。だめなのか? そんなはずはない。約束をするときに大事な話と言っているから分かっているものと思っていたが、違うのか?

「どうなの」

「どう答えていいか?」

「ええ、迷っている?」

「いえ、お受けしますといいたいのですが、気の利いた言い方がないかと考えてしまって」

「お受けしますでいいんだけど」

「それじゃあ、わざわざこんな場所を設定してもらったのに、悪くて」

「一言で十分、嬉しいんだけど」

「じゃあ、喜んでお受けします。これでいいですか?」

「ありがとう。十分過ぎる。ほっとした。これでゆっくり食事ができる」

「そう思って聞いたのです。一目見たときから緊張していると分かりました。何かとても緊張されているようなので、せっかくの食事が台無しだと思って。それに話が弾まないから、楽しくありません」

「ご免、僕の気の使い過ぎだったみたいだね。すごく緊張したものだから」

「そんなに緊張することはないと思いますけど」

「まえに、プロポーズした時のことを覚えている?」

「ええ、突然、『恋愛ごっご』はやめて僕と結婚してくれないかと言われました」

「あの時、それを聞いた君が話しはじめるまでかなり時間があった。僕はすぐにお受けしますという言葉を聞けると確信していた。でも、沈黙の時間がとても長く感じた。ええっ違うのか、僕の思い過ごしだったのかと思った。でも結婚を前提とした恋愛をお受けしますと聞いてほっとした」

「あの時は、まさかプロポーズをされるとは思っていなかったので、驚いてしまって。とても嬉しかったので、すぐにお受けしますと言いたかったけど、せっかくプロポーズしてもらうなら、もう少し気の利いたところでしてほしい。そういうのを夢見ていたものですから」

「そうだったのか、僕も気が利かないね。でもあの時は必死だった。分かっていてくれたとは思うけど」

「その必死の気持ちは伝わりました。だから期待を裏切らないご返事はさせていただきました」

「それでよかったのだと思う。あれから君とは十分に本気の恋愛をさせてもらったし、充実した恋愛時代を楽しむことができた」

「私も本当の恋愛ごっこを楽しませていただきました」

「それで今日は少し気の利いたところでプロポーズしたつもりだけど、これでよかったのかい?」

廸はまた黙ってしまった。ええっ、この場所がよいと思ったけど? どこならよかったんだ?

「あのー、聞くところによると、プロポーズは指輪を差し出されるものらしいのですが?」

「ごめん、すっかり忘れていた。どうかこれを受け取ってください」

僕はすぐにポケットからブレスレットが入ったケースを取り出して両手で手渡した。廸は両手でしっかり受け取ってくれた。

「開けてみて」

「素敵なブレスレット!」

「指輪も考えたんだけど、デザインが気に入らないと困ると思って、指輪は後日、二人で買いに行って、気に入ったデザインのものを買ってあげようと思っている。これは僕が君にしてもらいたいと選んだブレスレットだ」

「すごく気に入りました。ありがとうございます。私に似合うと選んでいただいたのが嬉しいです」

「ほっとした。これで落ち着て食事ができる」

「せっかくのご馳走ですから、楽しく味っていただきましょう」

廸は僕が緊張していたのでゆっくり楽しんで食事ができるようにあえてプロポーズを急がせたのだと思った。やはり心づかいのできる人だ。いい人を選んだ。改めてそう思った。

確かにプロポーズを受けてもらったあとの食事は楽しかった。お酒もうまかった。廸もとっても楽しそうで思い出の食事になったと思う。

食事も終わりデザートが出て来たときに僕はまた緊張してきた。予約したホテルの部屋のことについて廸に話さなければならない。

「この後のことなんだけど」

「この後?」

「ラウンジでもう少し話さないか、お酒でも飲んで」

いいそびれた。

「そうですね。まだ時間も早いし、少し酔ってみたい、行きましょう」

◆ ◆ ◆
ラウンジのバーの止まり木に二人並んで座っている。僕はジョニ黒のロックを飲んでいる。廸はカシスオレンジを飲んでいる。東京の夜景がとてもきれいだ。

僕はテーブルの上の廸の右手に左手を重ねた。温かい手だ。その僕の手に廸が手を重ねてきた。触れ合いたかった。廸もそう考えていたんだ。

「部屋をとってあるから」

廸の耳元でささやいた。ようやく言えた。横顔が頷くのが分かった。

◆ ◆ ◆
部屋に入るやいなやどちらからということもなく二人は抱き合った。そしてお互いの服を脱がせながらベッドに倒れ込んだ。それからは疲れ果てて眠りに落ちるまでただひたすら愛し合った。

それから半年後に僕たちは結婚した。シャイな男の『恋愛ごっこ』のお話はこれでおしまいです。めでたし、めでたし。