帰宅直後、部屋に監禁される、という衝撃的なことがあったのに、当の私はというと、妙に落ち着いていた。
 昔から兄さんが口煩い私を嫌っていたのを知っているからだろう。そんな私を呼び出すのだから、何かあると真っ先に考えてもいいものの……。

「私ったら」

 思わずため息を吐いた。

「まだまだ未熟ね」

 冴子様に比べたら。

 芹を付けてくれたこと。車で行くように念を押されたこと。このどれもが今の私にとって、どれだけ有り難いことか。頭が下がる思いだった。

 案の定、事は三時間後に起こった。
 ドタバタと聞こえてくる音が聞こえてきたのだ。それを聞きながら、私は芹がこの襖を開けて、「若奥様!」という声を待っていた。
 けれど襖を開けたのは、予想外の人物だった。

「大丈夫ですか? 弓維さん!」

 誰? 使用人の誰か?

 青味がかった黒髪に、金色の瞳。一瞬、異国の人かと思った。が、端正な顔立ちは、完全な日本人の顔。
 さらによく見ると、使用人にしては身なりがいい。ヒョロっとしているところも、また違うように思えてならなかった。(まと)っている雰囲気も。

 加えて声のニュアンスから、私を知っているような印象を受ける。が、私の方は見覚えがない。一目見れば忘れないような人物なのに。

 けれどその男性は、私のそんな不躾な視線を別の意味に受け取ったらしい。不安そうな顔を向けてきた。

「どこか怪我でもしたんですか?」
「え? あ、いえ、大丈夫、です」

 予想外の質問に、私は間抜けな返答をしてしまった。

 初対面とはいえ、第一印象が大事なのに。こんな反応を見せてしまうなんて。相手がどこの誰であろうとも、これではアホな女だと思われる。

 私はあまりにも気恥ずかしくて、そっぽを向いた。すると男性は慌てた様子で私に近づく。

「もしかして、ぶたれたんですか?」
「え?」

 あ、そうか。私が頬に手を当てているから。しかも室内は薄暗い。男性が勘違いするのも頷けた。

「これは違うんです」
「しかし……」

 確かめるように男性が顔を近づけた。その端正な顔を。

「っ! 怪我などしていません! していないんです!」
「弓維さん!」

 私は男性から逃げるために、急いで立ち上がった。途端、言葉とは裏腹に、右足に痛みが走る。
 その想定外の出来事に、私は隠す素振りもできず、そのまま顔を顰めた。さらに体も右に傾き……倒れるかと思った。

 そう、思っただけで。男性が抱きしめるように支えてくれたのだ。お陰で、転倒することはなかったが、再び距離が縮み、心臓が跳ねる。

「ありがとう、ございます」
「当然のことをしたまでですよ。それよりも、足を?」
「はい。(くじ)いたようです。多分、この部屋に入れられた時の反動で……」

 物を投げるように私を部屋に入れたから、その時にやってしまったのだろう。ずっと座っていたから気がつかなかった。

「つまり、手荒なことをされたんですね」
「……お恥ずかしい話、この家の者にとって、私は目障りな存在のようなので、粗雑に扱われてしまうのです」
「……相変わらず、自身を繕うことはしないんですね」
「え?」

 相変わらず、とはどういうことですか? と聞こうとした瞬間、横抱きにされた。このヒョロっとした男性に。

「あの! 突然、何を!」
「ここにいるのはよくありませんし、弓維さんも出て行かれようとしていたので。ご迷惑でしたか?」
「そんなことは、ない、です。……ただ、重くないのかな、と」

 あと、不釣り合いだと思ったのだ。こんな小賢しい女。顔がよくないから、勉強だけは人一倍頑張った。家業は継げないけど、兄さんの役には立てるくらいになろうと。

 まぁ、それは大きなお世話だったんだけど……。

「むしろ軽い方ですよ。ちゃんと食べているんですか?」
「食べています! 十分過ぎるほど、頂いているんです!」
「それは良かった」

 何が? とは思ったが、筒鳥家から不当な扱いを受けていないことだけは伝わって良かった。
 この男性が誰だか分からないけれど、こうしてすぐに助けられたのは、偏に冴子様のお陰だったからだ。


 ***


 見知らぬ男性に横抱きにされながら、三時間前、兄さんに引きずられた廊下を過ぎる。

「先ほど、手荒に扱われたことを否定していませんでしたが、相手はどなたですか?」
「……兄です。元々、私が気に入らないようでしたので」
「けれど、部屋に閉じ込める、というのはやり過ぎではありませんか? 兄妹であったとしても」

 この人は兄弟がいないのかな。兄弟であれ家族であれ、反りの合わない人はいる。

「兄妹だからですよ。他人であれば躊躇(ちゅうちょ)しますでしょう? その背後に親がいて、家がありますから。しかし、同じ条件であればどうでしょうか」
「あぁ、確かに。恐れる必要はありませんね」
「さらに私は父にも生意気だ、と言われていますから、止める人がいないんです」
「母君は?」
「母は――……」

 父さんの言いなりだった。反抗することすらしない。ただ言われた通りにしか動けない。使用人も同然の人間。

 今の私も、言いなりではないけれど、筒鳥家の嫁というよりかは、使用人に近い。冴子様の秘書だ。

 だから、母さんが危篤と聞いて焦ったのだ。
 助けないと。助けられるのは私だけだと……。それなのに、私を呼び出す材料にされてしまった。昔から私は何かと母さんを庇っていたから。

「私の守るべき人の一人です」

 そのために仕送りをしているようなものだった。父さんと兄さんの生活のためじゃない。母さんと、そして義姉さんのためだ。

「そうでしたか。弓維さんの意思が聞けて良かったです」
「何が?」

 今度は言葉にできた。が、答えが返ってくる前に、到着してしまった。そう、川本呉服店の店先に。