――――鬼の宴の日が来た。鬼の宴は、頭領の屋敷のある敷地内の、宴用の別館で行われるそうだ。

「本日はよろしくお願いします」
「えぇ、もちろんよ」
「よろしくねぇ」
私だけ何もしないわけにはいかない。だから少しでもできそうな厨房のお手伝いに混ぜてもらうことになっている。
普段は本邸で働く使用人もおり、顔見知りがいると少しだけ安心する。
その他にも普段から別館を任されている使用人たちがせっせと宴の準備をこなしている。

お義母さんはお義父さんと、鬼たちと打ち合わせ、あと紅緋はお義兄さんと宴会場の最終確認などをしており、お義姉さんはお客さまをお迎えする準備に向かっている。

本来は主役のひとりである私は手伝わなくても……と言われたのだが……ずっとひとり待っていると言うのも心細いし……。

宴会用の着替えの準備が始まるまではとこちらでのお手伝いを願い出たのだ。

せっせとお皿や酒瓶を並べていれば、ふいに青い髪に角の鬼の少女が目に映る。普段はこちらで暮らしている……鬼だろうか……?年齢は私と同じくらいだと思うけど。

彼女は私と目が合うと、まっすぐに私の方へと向かってきた。何か……用だろうか?彼女とは初対面だし……本邸のひとたちは初対面でもにこやかに声をかけてくれたけれど……彼女はどこか……違う……?

「あなたが杏子?」
「はい、そうです。あなたは……」

「人間の娘のくせに、私に名を聞くの?生意気よ」
「そ……そう、ですか」
本邸での暮らしが楽しくて、忘れかけていたけれど。鬼は本来は人間よりも高位の存在である。
実家では私のような卑しいものが口を利いてはいけないと言われてきた。
それは実家が特殊と言うことではなく……鬼からしても、そう言った考えはあるのだろう。
いや、だからこそ、人間の中にも過剰に反応するものたちがいる。

「あなたみたいな醜女が、紅緋さまの花嫁ですって?あり得ない!」
「……」

「紅緋さまはね、本来は私と結婚するはずだったのよ!」
え……?
だけど……私が紅緋と婚約したのは……8歳の時だが……。彼女はそれより以前に紅緋と婚約をしていたのだろうか……?そしてそうならばなぜ、紅緋は巫女の家から人間の花嫁を探していたのだろうか……?

「何であんたみたいな女が!」
パシィンッと鋭い音が響き、頬に痛みが走る。彼女に平手打ちにされたのだと分かった。

「何か言い返しなさいよ!口が利けないのかしら!気持ち悪い……!」
「……っ」
それは……っ。

けど、フラッシュバックが襲って、動けない。抵抗したり声を漏らせば、さらに……酷くなる。

「この……っ」
再び彼女が手を振り上げたとき、その手首をがしりと掴むひと影が見えた。

「……っ」
紅緋……っ!

「何をしている。清霞(きよか)
紅緋がそう呼んだ清霞は、紅緋との顔を見て固まる。

紅緋が仮面を外した素顔で、怒りの形相で清霞を見下ろしていたからだ。

「何をしていると聞いている……!」

「ひ……、そ、れは……っ」
先祖返りの鬼の形相と言うのは、同族であれども恐い……?いや、先祖返りは、先祖返りだからこその畏怖の対象。

「こ……この()が何も答えないから……わ、悪いのよ!」
「いきなり捲し立てて、暴力を振るっておいて、杏子が何も言わないから悪いと……?」

「え……っ」
「俺を呼びに来た使用人たちが駆け込んで来たんだ。こちらに残ったものたちも、俺が問うならば証言してくれるだろう」
思えば紅緋の後ろには、紅緋を呼びに行ってくれたらしい人間の花嫁の女性がいる。

そして私に氷嚢を持ってきてくれるた女性は申し訳なさそうにそっと告げる。

「(すぐ助けてあげられなくてごめんなさい……あの方は分家の鬼姫だから……っ)」
私はふるふると首を振る。こんなにも早く紅緋が駆け付けてくれたのなら、彼女が私に向かってきた時にすぐに、紅緋を呼びに行ってくれたのだろう。彼女たちのお陰で……紅緋が来てくれた。彼女たちだって、鬼相手に恐かっただろうに。

お義姉さんはフレンドリーでみんな接しやすいけれど、人間より上位の存在は、根本的には恐いのだ。

「……な、に、人間どもの言うことなんて……っ」
しかし清霞は構わず、彼女たちまで貶すようなことを言う。

けれど彼女たちの元に駆け付けたのは、騒ぎを聞き付けた……鬼。いや、傍らに寄り添うところをみると彼らは彼女たちの伴侶の男鬼なのだ。

そして分家筋の女鬼が相手と言えど、自分の花嫁まで貶した彼女に怒りの形相を向けている。さらに彼女は……彼らの頭領の跡取りを怒らせた。

「そ……そもそも、紅緋さまの花嫁になるはずだったのは……私で……っ」

「そんな話は一度も聞いたことがない」
「そ……んな……っ」

「そもそも俺の顔をまともに見られぬものなど、娶るはずもない……!」

「……だ……だって……先祖返りは……っ」

「杏子はいつだって俺をまっすぐに見る。だからこそ、俺の妻は杏子だけだ」
「……っ」

「貴様は出ていけ」

「……っ、た、退出、いたしますから……っ」

「荷物を纏める準備くらいは待ってやる」
「……え?」

「追放だと言ったんだ。俺の妻に手を出す鬼はいらん」
「でも、私は女鬼で……っ、分家の……っ」

「どうでもいい。お前のような鬼は害悪でしかない。鬼の一族から出ていけ」

「そ……そんな……お慈悲を……生きて、いけな……っ」
鬼が鬼の頭領から追放されたのなら、もう鬼の社会では生きていけない。
そう言う鬼ははぐれ鬼と言われ、人間からも敵として忌避される。

「俺の顔を見てみろ」
「……っ」
清霞は恐る恐る顔を上げる。そしてその双眸が紅緋の目と合った瞬間……。

「いやぁぁぁぁぁぁっ!?」
清霞が悲鳴を上げ、紅緋が彼女の手首を外せば、力なく崩れ落ちる。

「連れていけ」
「はい」
駆け付けた鬼の武人たちが、清霞を引きずるようにその場から運び出す。

そうして、訪れる安堵の時。

「紅緋」
頬の腫れが少し引き、氷嚢をくれた女性に預ければ、その名を呼ぶ。この場ではそうした方がいい気がしたのだ。

するとピンと張りつめた糸が切れたように、紅緋がホッと安堵の表情を浮かべて、私を抱き締めてくれる。

「杏子に、何てことをしてくれた」
「でも、助けに来てくれた、みんなも」
そう答えると、そうだな、と言わんばかりに、紅緋が私の頭をぽふぽふと撫でてくれる。

「本当だな。何事かと思えば。お前が覇気を露にすれば、周りも気が気じゃない」
現れたのはお義兄さんで、集まっていた各々に配置に戻るように指示を出す。

「しかし……杏子ちゃんは頬が……」
お義兄さんが心配そうに顔を覗いてくる。

「だ、大丈夫です。それに……私は、紅緋の側にいるって、約束したから」
「だがこれでは……欠席と言う手も」
紅緋が心配そうに問うてくる。

「冷やしたら、少し楽になったから」
「……杏子が、そう言うのなら。でも……無理はしないでくれ」
「……うん」

そうして、宴用の晴れ着の準備に移れば、お義母さんとお義姉さんも駆け付けてくれて、無事で良かったとお義母さんが目一杯抱擁をくれた。

本当にお義母さんがいれば、こう言う感じだったのだろうか……?その温かさが、とても心地よい。

「痛みがあるなら、無理にお化粧はしない方がいいわね」
「元がきれいだもの、大丈夫よ、お母さま」
「そうね……確か顔を隠す衣もあったはずよ。用意してくれる?」

「もちろんです!」
準備のための本邸の侍女たちも集まってくれていて、早速顔の見えにくい被きに似た衣を上にかけてくれる。

「昔の貴人は、髪や肌を見せてはいけないと言われていてね、そう言った時代に合った装束が、今でも少し形を変えて残っているのよ。これはそのひとつ」
肌だけではなく、髪も……。あ、髪にも霊力が宿るからか。それを鬼から隠すためのものだったのだろう。しかし今は……鬼の屋敷でもその名残の装束が受け継がれているのは……代々鬼の家に嫁いできた巫女たちの影響だろうか……?

「頬が痛くなったらすぐに氷嚢を運ばせるから、被きの陰でそっと頬に当てられるわ」
「はい、ありがとうございます、お義母さん」

「どういたしまして。宴会場では……薔薇と桔梗は後ろに控えているけれど、私と漆樹は隣の席だから、安心して?」
「分かりました」

「それじゃ、外で紅緋が待っているから、合図が上がったら、入場ね」
「はい、お義母さん」
こくんと頷けば、外では紅緋が正装に着替え……仮面をつけたうえで待っていた。先に入場するお義母さんとお義姉さんを見送り、私たちは侍従たちの案内に続いて、宴会場へと足を踏み入れた。