――――それは昔の話だ。
菖蒲が7歳になった頃、遂に鬼の頭領の子息をつれた一行が実家に来た。つまりはお見合いである。
その席で菖蒲は騒いだ。
「嫌よ!こんな化け物!鬼ってきれいな顔をしているんじゃなかったの!?こんなの化け物じゃない!」
鬼に目通りできる見た目ではないと、私は襖の向こうに入ることを許されていなかった。
そして明るい襖の向こうの応接間からそんな菖蒲の癇癪が聞こえて来たのだ。
両親に蝶よ花よと育てられ、何でも与えられ、見目麗しい次期鬼の頭領の花嫁の座をも与えられるはずだったのに。
菖蒲は鬼の見た目が美しくないと拒んだのだ。巫女の家だからと言って、頭領の花嫁に選ばれたからといって、人間側に選ぶ権利があるわけではない。
欲しいものを何でも与えられてきた菖蒲は、根本的なところを理解していなかった。できるはずもなかった。
それゆえに鬼の頭領の子息にとんでもない暴言を吐いて怒らせたのである。
鬼側の怒りはすさまじく、私は慌てて逃げたしてしまった。
それともあそこに居続けた方がよかったのか、分からない。けれど良かったことならひとつだけあった。
「……誰……?」
「……」
お面で顔を隠した、鬼の子どもだった。
「……っ!ごめんなさい、私なんかが……」
鬼さまと口を利くだなんて。
両親からも私のような卑しい見た目の人間が口を利いてはいけないと言われたのに。けど……。
「……泣いてるの……?」
「……っ」
どうしてか、小さな嗚咽のようなものが聞こえた気がしたのだ。
「大丈夫だよ。その……食べる?」
私にとっては貴重なものだったけど、菖蒲が飽きたと言って食べなかったお菓子ではあるが。
そっと差し出したお菓子を、鬼の子は恐る恐る受け取り、お面の内側へと指を運び、口に含んだ。
「辛い時は、美味しいものを食べればいいんだよ」
私が食べられることは、菖蒲が飽きた時くらいだけど。
「……お前は……」
「……私……?私は……その、杏子」
両親も妹も呼ばないけれど。
「杏子。……うん、杏子……覚えた」
「……っ!」
名前を呼ばれるだなんて、新鮮なほどに久々だ。
「あの……あなたは……っ」
いや、聞いたら……失礼だっただろうか……?
「俺……は、その、あか……赤丹」
――――それが、赤丹との出会いだった。
その後、私が旦那さまに嫁ぐことになり、それから赤丹が様子を見に来てくれて、嫁いでからも赤丹が側にいてくれた。
たとえ旦那さまから『会うつもりはない』と言われたとしても。
菖蒲が鬼の頭領の子息を嫌がり、縁談が破談になった後、私を代わりに嫁がせることで実家は生きながらえた。
そして縁談が破談になった妹を哀れんで、両親は代わりの鬼への嫁ぎ先を探したが、どの鬼も相手にしなかった。
年頃になった菖蒲は、それならば自分でと手当たり次第に見目麗しい鬼にアタックし出したが、それでも相手にされず、腹いせに私に暴力暴言を浴びせた。
両親も私のせいだと責めた。
そしてとっととあの醜い鬼に嫁げと。そうすれば菖蒲の嫁ぎ先の鬼も見付かると根拠のない言い分を掲げて……。
そもそも頭領の子息に失礼を働いたからだと言うのに、菖蒲を甘やかすあの両親はそれすらも見て見ぬふりをして、私に責任を押し付けるのだ。
しかし、こちらに嫁げば彼らから解放されると思っていたのに。
「あはははははっ!ほんっと、アンタって貧相ね」
菖蒲が笑う。
「悪いけど、紅緋さまとは私が結婚するわ。だからブスなアンタは出ていって」
そうか……紅緋さまも私を捨てるつもりだったのこ。なら、ちょうどいい。私ももともと、出ていくつもりだったから。
「こんなところに……っ!何をしている!」
続いてやって来た黒鬼に、菖蒲が目を輝かせる。確かに菖蒲が好きそうな見目麗しい青年だ。
黒い鬼角に、焦色の髪、そして赤い瞳。
「紅緋さまぁっ!」
え……彼が紅緋さま……。私の旦那さま……?
「うふふっ。いいでしょう?紅緋さまは私のために美しくなってくれたの」
はぁ……?何か気になる言い方だけども。
「紅緋さまは美しい私にこそふさわしいの。アンタみたいなブスにはふさわしくないわ……?」
「何を勝手なことを言っている!」
勝ち誇ったようにクスクスと嗤う菖蒲に対し、紅緋さまはどこか焦ったような形相である。
「君をここに立ち入らせる許可は出ていない!早く出ていけ!」
許可……?菖蒲を入れないと言うのはどういう意味だろうか?
「そんなひどいこと言わないで?紅緋さまだって、こんなブスよりも私の方がいいでしょう?」
菖蒲が美しい笑みを浮かべながら身体を妖艶にくねらせる。
「いいから、帰ってくれ!」
「そんなっ、私のためにせっかくきれいな顔立ちになられたのに……!」
だからそれ……何?きれいな顔立ちになったって……どういう……?
昔菖蒲が紅緋さまを嫌がったことと関係しているのだろうか……?
「我が一族をバカにしているのか!」
そして紅緋さまが再び怒気をあらわにする。
「あ……あの……」
「ブスは黙りなさいよ!私の前で勝手に口を利くだなんて!」
菖蒲は自分に都合が悪くなるとすぐにそれだ。
「黙るのは君だ!君は誰に向かって……!」
「伝統ある巫女の一族の姫、菖蒲でしてよ?」
「誰が君の話をしている……!」
「すみません、私はおいとましてもいいでしょうか?」
「いや、何故だ!」
紅緋さまが叫ぶ。何故……と、言われても。
「その……離婚してください……!それと、どうかお幸せに!」
後は菖蒲と2人勝手にやってくれ!
2人の前をさっさと後にしようと思ったのだが。
「待て!」
紅緋さまが手を伸ばそうとして、菖蒲が慌てて抱きつく。
「いやん、紅緋さまぁっ!ダメよ、あんなブスに触れたらせっかくの美しい顔立ちが穢れるわ!」
「ふざけるな!放せ……!」
「そう言うのはおふたりでどうぞ」
菖蒲が望んだ通り、晴れて夫婦になるのだから。
2人を無視して立ち去ろうとしたのだが。
「待ってくれ、杏子……!」
そう呼んだのは、意外にも……。
「赤丹……?」
「離婚ってどういうことだ!」
その瞬間、赤丹の面がカランッと地面に落下した。赤丹の……素顔……?
その時、菖蒲の悲鳴が上がった。
「キャァァァァ――――――ッ!あの時の化け物おおぉぉ――――――っ!!!」
は……?