――――宴会場では、入場し、席に付いた私たちの元に、鬼たちがこぞって挨拶に来てくれる。主な挨拶は紅緋が済ませてくれる。時折私への言葉もあったが、会釈をすれば済む程度のものだ。お義母さんたちが、鬼たちに事前に話してくれていたのだろうか……?
そう思い隣の紅緋を見れば、肯定するように笑みがこぼれていた。
本当にここは、温かくて優しい場所だ。だから私も……紅緋と一緒に、紅緋の隣であなたの覚悟を見守りたいと思うのだ。
そして続いて来たひとかげに、顔の上半分は仮面で覆われているから見えないが、紅緋の眉間に皺が寄ったような気がしたのだ。
「とてもお会いしとうございました!紅緋さま!わたくし、本日皇宮より招かれました三ノ姫でございます」
紅緋が苦手な……人間の少女。三ノ姫……東宮以外は残念ながらあまりよく知らないが、しかしどうしてかこの感じ、覚えがある。
「聞いていないが」
紅緋の呟きに、隣の席のお義父さんもこくんと頷き……。
「此度の宴には皇宮からも客を招いたが……我々が呼んだのは三ノ姫ではない」
そう、お義父さんが告げれば。
「しかし、皇族として鬼の次期頭領さまの結婚のお披露目を祝うのは当然のことですわ」
「どうやら、皇族の権力をたてに押し切って入ってきたようです」
そっと黒ずくめの鬼が紅緋の後ろに馳せ参じ、告げる。紅緋の隣のお義父さんにもちゃんと聞こえたらしく、眉をしかめる。
「東宮の代理だと」
「そう言うことか……」
紅緋が困ったように漏らす。
東宮の……代理……?
「あの、紅緋さま!わたくし、紅緋さまのお顔を見て確信しましたの……!あの美しいお顔だち、まさにわたくしの理想でしてよ?だからそこの顔も見せられない花嫁ではなく、今からでもわたくしを選んでくださいませ!」
何か覚えがあると思えば……思考回路がまるで菖蒲と同じなのだ。どうしてここまで……いや、元々鬼はひとを惑わす。この少女もまた、惑わされたひとりだ。
だからと言ってここまで連続して釣らなくてもいい気はするのだが。
「前回の会合にもいらしていたので……恐らく薔薇さまの素顔を見たのかと」
黒衣の鬼の追加情報に紅緋ははぁ……とため息を漏らす。
「薔薇の仮面が外れた余波がここにも……しかし、もとはと言えば俺の弱さのせいだ」
「紅緋……」
「けど……もう恐れない」
紅緋が仮面に手を伸ばす。少し震えを纏った指は、しっかりと仮面を掴んでいる。
そして自身に言い聞かせるように、紅緋は言葉を紡ぐ。
「大丈夫。これは本来は……守るための力だ。それが、杏子に嫌われるのではないかと……恐れてきただけ」
「私は紅緋を嫌ったりなんてしないよ……?」
「ありがとう、杏子」
仮面の下で微笑む口元は、完全に仮面が取り払われると、決意を決めたようにきつく結ばれる。
仮面を取り払ったそこには、今、本物の紅緋がいる。
その姿に息を呑むのは、きっと鬼の本質を忘れていない、鬼たち。
そして紅緋がギリ……と睨んだ先にいた三ノ姫は『ひっ』と息を呑む。さすがに彼女は菖蒲のようにみっともなく紅緋に向かって鬼の矜持を傷付けるような発言はしないのか……それとも、しゃべれないのか。
「これが俺の本来の姿だ。お前が見たのは俺ではない。あれは俺のふりをした従兄だが……既婚者なものでな。諦めてくれ」
「そん……な」
三ノ姫が辛うじて喉から声を絞り出す。
「だ……だけど……それならあなたではなくあなたの従兄弟がわたくしの夫になれば……っ」
何を……言っているのだろう……?
そもそも私と紅緋も結婚していると言うのに、皇族の権力で紅緋を我が物にしようとした。さらに紅緋の真実の顔を見ると脅えて、自分が見たのがお義兄さんだと気が付けばお義兄さんの妻の座をお義姉さんから奪おうとする。
「そんなわけがあるか」
奥から姿を現したのはお義兄さんだ。お義姉さんも一緒である。
「あ、あの時の……紅緋さまの……従兄弟なのですよね……っ!?わたくしは、あなたさまの妻になりますわ!」
「いや、断る」
即答である。
「顔はいいからな、モテるんだ。薔薇は。むしろ仮面を被っていたのはある意味良かったのかもな……?」
こんなにも人間の少女たちを惑わせなくて済んだと言うことか。
しかしお義兄さんの言葉に納得出来ないのが三ノ姫だ。
「どうして!?わたくしは三ノ……皇女なのに……!」
「意味が分からん!私には既に妻がいる!」
「そうよねぇ?」
お義姉さんも困ったように嗤う。
「わたくしは皇家の家柄。皇家は巫女の血も入れてきましたから、こんな鬼の女よりもあなたさまに相応しく……っ」
巫女の血を引きつつも、全てが全て、鬼に対抗する崇高な霊力を持つわけではないから。巫女の血を引いていても惑わされるものはいるのだ。菖蒲や両親がそうであったように。
「女鬼は少ない」
その時、三ノ姫の言葉を遮るように低い声が響く。お義父さん……?
「だからこそ、大切にされる。そしてそれ以上に……お前がこんな女の鬼と言ったのは、頭領である私の最愛の娘だ。貴様……頭領の前で良い度胸だ」
その顔は、まったくと言っていいほどに笑っていない。
そして隣のお義母さんも。
清霞は女鬼でありながらも、やり過ぎたから追放された。しかしお義姉さんは人間も鬼も関係なく憧れるようた魅力的な女鬼だ。
お義父さんだけではない。この場にいるお義姉さんを知る鬼たちがみな怒っているのが伝わってくる。
――――しかし、その場の空気が固まっていた時、突然バンッと襖が開いた。
「おや、随分と盛り下がっているかと思えば……君には見覚えがある。さて、誰であったか」
それは薄茶色の髪に藤色の瞳を持つ青年である。年齢は紅緋と同じくらい。しかし、その身から湧き立つ高貴な雰囲気は、ただ者ではないことをその場に知らしめる。
「二ノ側妃さまのご息女、三ノ姫でありましょう、殿下」
その時、いつの間にか殿下と呼ばれた青年の後ろに控える武人がいた。
「おっと、そうだった、そうだった。興味がないから忘れていた。しかしこれは本日の宴に参加予定だったか……?」
「いえ……皇族としては殿下のみ参加の予定です」
「そうかそうか、では出ていってくれ」
「そ……そんな……っ、わたくしは……っ」
「出ていけと言っている。皇族の面汚しが。鬼の頭領を怒らせた以上、貴様のその地位が磐石なものとは思うなよ……?それから勝手に俺の名を使ったんだ。帝から翻意の疑いをかけられるだろうから、せいぜい言い訳を考えておくがいい」
「……っ」
三ノ姫はようやっと自分のしたことの重大さを認識したらしい。ガクガクと震えている。
そして三ノ姫は【殿下】の指示により、武人たちに宴会場を連れ出されていく。……うむ……殿下の名を勝手に使ったと言うことは……あの方が、東宮と言うことになる。
「さて、仕切り直しだな……!紅緋!本物のお前に会いたかったぞ!」
知り合い……いや、皇族となら、知り合いでも当たり前か。しかし妙に親しげで……本物の紅緋に会いたかった……?
「さて、鬼の頭領よ。皇宮からは親友の結婚祝いに取って置きの酒を持ってきた。この俺の顔に免じて機嫌を直してはくれまいか?」
「……」
にへらっと笑う東宮。それに対し、お義父さんはまだしかめっ面である。
しかし……。
「お友だちなのですか?」
東宮と……?鬼の頭領の跡継ぎとは言え、なかなかにすごい関係である。
「腐れ縁だ」
しかし紅緋はそう吐き捨て、東宮は『酷いなぁ』と笑う。
「助け舟くれません?叔母上」
今、東宮は何と呼んだだろう……?目の前にいる……お義母さんに。
「うーん……でもあなたが出遅れたからでしょう?」
それもそうだ。お義母さんが容赦ないのだけれど、お義母さんって……東宮のどちらの叔母君なのだろうか……?しかし東宮は両親共々皇族の血を引いていると聞いたことがある。どちらにせよ、お義母さんは皇族の出と言えるのだ。確かに……皇族ならば巫女の血を受け継いでいるだろうけど……。
「ニノ側妃のせいで野暮用の処理に……あぁ、つるんでいたのか……?なるほど。恐らく母娘そろって帝に激怒されるが俺の知ったことではない。今後、俺が直接知らせず俺の名を騙るものがいれば、問答無用で皇宮に差し出すといい。それでどうだろうか?」
「なら、手を打とうかなぁ……?」
お義母さんはクスリと笑うと、『ほら』とお義父さんを急かし……。
「仕方がない。仕切り直すが……」
お義母さんに言われ渋々しかめっ面を崩したお義父さんが、集まった出席者に仕切り直しを伝える。
そしてその後は、東宮は宣言通り、皇宮からの酒を振る舞っていた。
「さて、杏子。俺たちはそろそろ」
「主役なのに、いいの?」
「父さんと東宮で盛り上がっているからそれでいい。もともとそうなれば俺たちは早めにあがっていい予定だった」
「そうそう、後は私たちも加わるから。紅緋も久々の復帰だからな。無理はさせられまい」
「杏子ちゃんも頬を休めていらっしゃい」
そう、お義兄さんとお義姉さんにも勧められ……。
「行こうか」
そう言った紅緋に身体をサッと抱え上げられたのだが……。
「その……重いんじゃ……」
「そんなことはない」
妙に上機嫌な紅緋に、無理に下ろしてと言う気もなくなってしまった。
「そうだ……頬が完治したら」
「うん……?」
「杏子からご褒美をくれ」
私から……ご褒美……?
「口に」
口に……と言うと、何のご褒美なのか、気が付いてしまった。
「か、考えて、おくから」
「あぁ、待っている」
紅緋か幸せそうに笑んだ。
――――翌日腫れも無事に引いた私は……にこにこと先に布団の上で待っていた紅緋の側にそっと腰を下ろす。すると、初めての時のように、抱き寄せられるようにして紅緋が私ごと背中から布団に身を預け、『ちょうだい』と甘い声で囁いてくる。
「じゃぁ……その、目を……閉じて」
「あぁ」
そっと瞼を閉じた紅緋の唇に、そっとご褒美を贈った。