●五月三日(金曜)
「赫眼になっている場面を撮るんですか?」
GW初日の昼下がり。デスク後ろの乱雑な棚を見かねた柊が「連休中に全部綺麗にする」と片付け始め、忍はその間立ちながらインスタントコーヒーを飲んでいた。
ちなみに都倉に破壊された窓は既に修理会社に直してもらっている。
そんな時に素行調査の話を聞いて、もう依頼は終わったものだと思っていたのか柊は驚いていた。
「あえて赫眼にさせようと思っても、ちょっとやそっとのことじゃ難しいんですよね。特に慎重な方みたいですし」
まあね、と忍は気のない返事をする。そもそも簡単にできるものなら健総センターに通ってるかどうかなど地道に調べずに済むのだから。
「今回は裏が取れましたけど、もしめぼしい結果が得られなかった場合はどうするんですか? 最終的に」
「そりゃまあ、無難に夜道で一人歩いてるところを不意打ちでビックリさせるとか……」
「それはただの通り魔じゃないですか……」
「それと、ハニートラップよ」
突然事務所の奥から思わぬ女性がスッと現れ、意図せぬタイミングでの登場と不穏なワードに柊は持っていた本を床にブチまけてしまった。
「蒼樹、いつから聞いてた? てかどうやって入った?」
「素行調査云々のあたりから。裏口の鍵開いてたわよ。不用心ね」
「あのバカうるさい車はどうした」
「近くのコンビニ。お金下ろす用があったから」
「蒼樹さん! なんなんですかハニートラップって…………まさか」
「そのまさかよ。蒼樹ちゃん直伝赫碧症判定ハニートラップ。相手が女ならこれが一番確実よね」
「所長。とりあえず『直伝』と『ハニートラップ』の説明を順にしてもらいましょうか」
「説明も何も……いいじゃないか結婚前の話なんだから」
「良くないです! この方、元カノとかじゃないとか言ってましたけどもしかしてその、やっぱりアレですか! セフレなんですか! しかも女性相手に調査する度にハニトラするんですか!」
「張り込みなんてまどろっこしいことしなくてもこれで一発だったのに。今回相手女?」
「いや男なんだが」
「案外効いたかもしんないよ」
「男相手は経験ないなあ……うまくイクかどうか」
「私は女相手にイケたことあるわよ」
「えっほんと。気になるからあとで詳しく教えて」
「スルーしないでくださーーい! 新しい経験を積もうとしないでくださーーい‼ ついでにカタカナで変換するのもやめてくださーーーーい‼︎‼」
◇
その日蒼樹が来たのは今夜荒川と三人で飲みに誘うためであった。
柊は蒼樹と一緒に行くことをもの凄く非難してきたが、荒川がいるから変なことにはならないよとなんとか宥めて事務所を出て、飲み屋街にある焼き鳥屋に現地集合した。
「また海外行くの?」
「いや、しばらくはここにいるよ」
ふーんと荒川はジョッキに注がれたビールをあおる。
「そういや事務所一度ガラス割られたって? 一人であの娘留守番させて大丈夫なの?」
「大丈夫だと思うよ」
忍もまた冷えたビールを飲みながら、都倉のことを思い出していた。
柊が事務所にいる間だけではあるが、忍が留守にしていても無料セキュリティサービスを享受できると思えば悪くはない。事情を知っている荒川もこの話題には口を挟まなかった。
彼はこの中では年長なのだが、本人は特に気にせず呼び捨てやくん呼び、タメ口を受け入れている。
荒川も案の定というか、初対面で忍が実年齢を明かした際は「年上かと思った」と言われる始末であった。
そして当然のように荒川は捜査で得た情報を密かに蒼樹に流している。
蒼樹は色んな事件の取材をしているが、薬物犯罪に絡む内容は特に熱心だった。蒼樹が荒川と接触したのも彼が薬銃のためだ。
初めて荒川と知り合った時に「蒼樹の色香に負けたのか」と言うと、「車の話で意気投合した」と面白みのない返事が返って来て、忍ははじめ隠語か何かだと思ったという逸話がある。
初めて三人で飲みに行った日にその意味を理解した。二人とも実際に相当な車好きで、車など移動手段と張り込みに使うくらいの思い入れしかない忍には縁がない話題だった。三人で飲みに行くとたまに忍を置いてけぼりにして車トークに花を咲かせるので、大抵そんな場面は忍はヘソを曲げて一人酒をあおっている。
そして今夜はまた別の理由でヘソを曲げていた。
「もう手は出した?」「寝た?」「関係持った?」「営みは済ませた?」
「全部言い方変えただけで内容同じじゃねーか!」
この悪徳警官とふしだら記者は絡み酒の傾向はあったものの、ここまで激しく追及されると忍は思ってもいなかった。
「だってやっぱり気になるじゃないか。女子高生と結婚して一つ屋根の下だなんて」
「チキンなの? ヘタレなの? 不能なの? どれ?」
「全部違う‼」
「彼女十八ったって全然幼く見えるし」
「伊泉寺くん老け顔だから余計犯罪臭凄いし」
「老けてない」
「未成年じゃないからパクれないのが残念でならない。出所祝いしたかった」
「実名つきで報道したかった」
「結託して惜しむのやめんかーーーーい‼」
忍も相当酔っ払っていたのか、思わず柊の口癖が微妙に伝染していた。
二人からのしつこい追及が終わったあとは恒例の車トークが始まった。ガソリン車至上主義の荒川と電気自動車もアリだと主張する蒼樹のつかみ合い試合が始まり、忍も見てて面白くなったので野次を飛ばすなどして二人のボルテージを上げるのに貢献したが、現職警察官がいるのに警察を呼ばれる寸前になったのでそこでお開きになった。
飲み会が終わってすぐ事務所へ直行し、忍はいつものようにソファで横になり即寝落ちした。
しかし腰の辺りに重たいものがズシリとのしかかる感触で目が覚めてしまう。
「伊泉寺くん」
「うん? 蒼樹か?」
「正解」
事務所内は暗くて何も見えなかったが、声だけは聞きとれる。
「あのバカうるさい車はどうした」
「あのね。飲酒してんのにンなもん乗れるわけないでしょ」
「どうやって入った?」
「裏口の鍵開いてたわよ。懲りないわね」
そのまま彼女は忍の体に体を重ねてきた。
「なんか髪、晦さんと同じ香りするんだけど」
「勝手にシャワー借りるついでに、シャンプーも借りたから」
忍は両手で彼女の背中を弄る。くすぐったかったのか彼女の体が一瞬だけピクッと反応する。
「えらい薄着だな……下着、付けてなくない?」
「伊泉寺くんのワイシャツも借りさせてもらった。脱がしやすい方がいいと思って。あと気分の問題」
「気が利くね」
彼女は裸の上にワイシャツだけで、おまけに前を留めていなかった。
彼女は忍の太ももの上に跨るように腰を後ろにずらし、ズボンに手を伸ばすが、彼が力強くその手首を掴んだ。
「なんなの?」
「いや、事務所でするのはダメだって言っただろ」
「ここ以外のどこでするって言うの」
「なに言ってんの。いつも寝室に行くんだよな」
「え、でも寝室は……ここの方がいいんじゃない?」
「いや、でもいつも寝室だから。事務所でするのはダメだって言ってるだろ。じゃ、寝室に行くんだよな」
忍はだいぶ酩酊しているらしかった。忍は彼女を押しのけて立ち上がる。そのまま彼に抱き抱えられてしまったので、彼女も寝室に向かわざるを得ない。
忍は誰もいない真っ暗な寝室に向かい、ベッドに彼女を寝かせて一度部屋を出る。その後、物置部屋から物をひっくり返す音が聞こえてきた。
しばらくすると太いベルトのようなものを手にして部屋へ戻ってくる。
「ほら、起きて」
彼女がベッドに座る態勢になると、忍はその隣にドカッと座った。
「じゃあこれつけるよ」
「つける? どこに?」
はあ?と忍が呆れたような声を漏らす。
「目ェ以外のどこにつけるってんだよ」
「………………目?」
「そうだよ、ほら、目隠しするから頭あっち向けて。……なんなの。早くしろよ。目隠しプレイじゃないと嫌だっていつも言ってるだろ」
そうせがまれても、彼女は後頭部を彼に向けようとしなかった。
「今更だけど、聞いてもいい? なんで……いつも目隠しするの?
何か……見られたくないものでも、あるんですか」
忍は興味を失ったように
「あーあ、気持ち萎んじゃった。その気がないならおやすみ」
とこぼし、目的が果たせないと分かるや否やあっさりと寝室から扉を開けて出て行ってしまった。
彼女は一人寝室に残される。しばらくベッドに座ったまま動けなかった。
そして忍へは一階へ降りると、しっかりとした足取りで事務所のソファへ戻った。
「赫眼になっている場面を撮るんですか?」
GW初日の昼下がり。デスク後ろの乱雑な棚を見かねた柊が「連休中に全部綺麗にする」と片付け始め、忍はその間立ちながらインスタントコーヒーを飲んでいた。
ちなみに都倉に破壊された窓は既に修理会社に直してもらっている。
そんな時に素行調査の話を聞いて、もう依頼は終わったものだと思っていたのか柊は驚いていた。
「あえて赫眼にさせようと思っても、ちょっとやそっとのことじゃ難しいんですよね。特に慎重な方みたいですし」
まあね、と忍は気のない返事をする。そもそも簡単にできるものなら健総センターに通ってるかどうかなど地道に調べずに済むのだから。
「今回は裏が取れましたけど、もしめぼしい結果が得られなかった場合はどうするんですか? 最終的に」
「そりゃまあ、無難に夜道で一人歩いてるところを不意打ちでビックリさせるとか……」
「それはただの通り魔じゃないですか……」
「それと、ハニートラップよ」
突然事務所の奥から思わぬ女性がスッと現れ、意図せぬタイミングでの登場と不穏なワードに柊は持っていた本を床にブチまけてしまった。
「蒼樹、いつから聞いてた? てかどうやって入った?」
「素行調査云々のあたりから。裏口の鍵開いてたわよ。不用心ね」
「あのバカうるさい車はどうした」
「近くのコンビニ。お金下ろす用があったから」
「蒼樹さん! なんなんですかハニートラップって…………まさか」
「そのまさかよ。蒼樹ちゃん直伝赫碧症判定ハニートラップ。相手が女ならこれが一番確実よね」
「所長。とりあえず『直伝』と『ハニートラップ』の説明を順にしてもらいましょうか」
「説明も何も……いいじゃないか結婚前の話なんだから」
「良くないです! この方、元カノとかじゃないとか言ってましたけどもしかしてその、やっぱりアレですか! セフレなんですか! しかも女性相手に調査する度にハニトラするんですか!」
「張り込みなんてまどろっこしいことしなくてもこれで一発だったのに。今回相手女?」
「いや男なんだが」
「案外効いたかもしんないよ」
「男相手は経験ないなあ……うまくイクかどうか」
「私は女相手にイケたことあるわよ」
「えっほんと。気になるからあとで詳しく教えて」
「スルーしないでくださーーい! 新しい経験を積もうとしないでくださーーい‼ ついでにカタカナで変換するのもやめてくださーーーーい‼︎‼」
◇
その日蒼樹が来たのは今夜荒川と三人で飲みに誘うためであった。
柊は蒼樹と一緒に行くことをもの凄く非難してきたが、荒川がいるから変なことにはならないよとなんとか宥めて事務所を出て、飲み屋街にある焼き鳥屋に現地集合した。
「また海外行くの?」
「いや、しばらくはここにいるよ」
ふーんと荒川はジョッキに注がれたビールをあおる。
「そういや事務所一度ガラス割られたって? 一人であの娘留守番させて大丈夫なの?」
「大丈夫だと思うよ」
忍もまた冷えたビールを飲みながら、都倉のことを思い出していた。
柊が事務所にいる間だけではあるが、忍が留守にしていても無料セキュリティサービスを享受できると思えば悪くはない。事情を知っている荒川もこの話題には口を挟まなかった。
彼はこの中では年長なのだが、本人は特に気にせず呼び捨てやくん呼び、タメ口を受け入れている。
荒川も案の定というか、初対面で忍が実年齢を明かした際は「年上かと思った」と言われる始末であった。
そして当然のように荒川は捜査で得た情報を密かに蒼樹に流している。
蒼樹は色んな事件の取材をしているが、薬物犯罪に絡む内容は特に熱心だった。蒼樹が荒川と接触したのも彼が薬銃のためだ。
初めて荒川と知り合った時に「蒼樹の色香に負けたのか」と言うと、「車の話で意気投合した」と面白みのない返事が返って来て、忍ははじめ隠語か何かだと思ったという逸話がある。
初めて三人で飲みに行った日にその意味を理解した。二人とも実際に相当な車好きで、車など移動手段と張り込みに使うくらいの思い入れしかない忍には縁がない話題だった。三人で飲みに行くとたまに忍を置いてけぼりにして車トークに花を咲かせるので、大抵そんな場面は忍はヘソを曲げて一人酒をあおっている。
そして今夜はまた別の理由でヘソを曲げていた。
「もう手は出した?」「寝た?」「関係持った?」「営みは済ませた?」
「全部言い方変えただけで内容同じじゃねーか!」
この悪徳警官とふしだら記者は絡み酒の傾向はあったものの、ここまで激しく追及されると忍は思ってもいなかった。
「だってやっぱり気になるじゃないか。女子高生と結婚して一つ屋根の下だなんて」
「チキンなの? ヘタレなの? 不能なの? どれ?」
「全部違う‼」
「彼女十八ったって全然幼く見えるし」
「伊泉寺くん老け顔だから余計犯罪臭凄いし」
「老けてない」
「未成年じゃないからパクれないのが残念でならない。出所祝いしたかった」
「実名つきで報道したかった」
「結託して惜しむのやめんかーーーーい‼」
忍も相当酔っ払っていたのか、思わず柊の口癖が微妙に伝染していた。
二人からのしつこい追及が終わったあとは恒例の車トークが始まった。ガソリン車至上主義の荒川と電気自動車もアリだと主張する蒼樹のつかみ合い試合が始まり、忍も見てて面白くなったので野次を飛ばすなどして二人のボルテージを上げるのに貢献したが、現職警察官がいるのに警察を呼ばれる寸前になったのでそこでお開きになった。
飲み会が終わってすぐ事務所へ直行し、忍はいつものようにソファで横になり即寝落ちした。
しかし腰の辺りに重たいものがズシリとのしかかる感触で目が覚めてしまう。
「伊泉寺くん」
「うん? 蒼樹か?」
「正解」
事務所内は暗くて何も見えなかったが、声だけは聞きとれる。
「あのバカうるさい車はどうした」
「あのね。飲酒してんのにンなもん乗れるわけないでしょ」
「どうやって入った?」
「裏口の鍵開いてたわよ。懲りないわね」
そのまま彼女は忍の体に体を重ねてきた。
「なんか髪、晦さんと同じ香りするんだけど」
「勝手にシャワー借りるついでに、シャンプーも借りたから」
忍は両手で彼女の背中を弄る。くすぐったかったのか彼女の体が一瞬だけピクッと反応する。
「えらい薄着だな……下着、付けてなくない?」
「伊泉寺くんのワイシャツも借りさせてもらった。脱がしやすい方がいいと思って。あと気分の問題」
「気が利くね」
彼女は裸の上にワイシャツだけで、おまけに前を留めていなかった。
彼女は忍の太ももの上に跨るように腰を後ろにずらし、ズボンに手を伸ばすが、彼が力強くその手首を掴んだ。
「なんなの?」
「いや、事務所でするのはダメだって言っただろ」
「ここ以外のどこでするって言うの」
「なに言ってんの。いつも寝室に行くんだよな」
「え、でも寝室は……ここの方がいいんじゃない?」
「いや、でもいつも寝室だから。事務所でするのはダメだって言ってるだろ。じゃ、寝室に行くんだよな」
忍はだいぶ酩酊しているらしかった。忍は彼女を押しのけて立ち上がる。そのまま彼に抱き抱えられてしまったので、彼女も寝室に向かわざるを得ない。
忍は誰もいない真っ暗な寝室に向かい、ベッドに彼女を寝かせて一度部屋を出る。その後、物置部屋から物をひっくり返す音が聞こえてきた。
しばらくすると太いベルトのようなものを手にして部屋へ戻ってくる。
「ほら、起きて」
彼女がベッドに座る態勢になると、忍はその隣にドカッと座った。
「じゃあこれつけるよ」
「つける? どこに?」
はあ?と忍が呆れたような声を漏らす。
「目ェ以外のどこにつけるってんだよ」
「………………目?」
「そうだよ、ほら、目隠しするから頭あっち向けて。……なんなの。早くしろよ。目隠しプレイじゃないと嫌だっていつも言ってるだろ」
そうせがまれても、彼女は後頭部を彼に向けようとしなかった。
「今更だけど、聞いてもいい? なんで……いつも目隠しするの?
何か……見られたくないものでも、あるんですか」
忍は興味を失ったように
「あーあ、気持ち萎んじゃった。その気がないならおやすみ」
とこぼし、目的が果たせないと分かるや否やあっさりと寝室から扉を開けて出て行ってしまった。
彼女は一人寝室に残される。しばらくベッドに座ったまま動けなかった。
そして忍へは一階へ降りると、しっかりとした足取りで事務所のソファへ戻った。