まるで一つの物語が終わったような感覚になる。
とても温かく幸せで、そして儚く散った悲しい記憶。
全てを見終わった日和の目からは涙が溢れ出ていた。
「椿、貴方はずっとわたしを待っていてくれたんだね」
全てを取り戻した今なら分かる。
目の前にいる彼こそが正真正銘、椿なのだ。
百年という長い年月の間、日女が生まれ変わるのを信じてくれていた。
そしてその生まれ変わりが未雲日和。
頬を濡らしながら奇跡を噛みしめる彼女を椿は抱きしめた。
「約束していたからな。ずっと他の誰でもなくお前だけを想っていた」
久しぶりに感じる温もりが心地良く、彼の背中に腕を回す。
大きくて頼もしい背中が不安だった日和に安心感を与える。
まさか離婚を申し出た相手が椿だったとは、つゆ知らず。
生まれ変わる拍子に記憶を失ってしまったのだろう。
それでも仕方ないでは済まされない。
彼に失礼な態度をとり、傷つけたのだから。
寂しげな表情が呼び起こされる。
腕の中からその端正な顔を見上げた。
「ごめんね、椿。『離婚してください』だなんて言って」
「記憶が無かったんだ。致し方ないだろう」
「それでも待っていた相手にそう言われたら誰でも悲しくなるよ」
「気にする必要はない。これから先、お前が俺の隣にいてくれればそれだけで十分だ。それにもう離婚という言葉を口にしないだろう?」
日女は心から椿を愛していた。
それは日和の姿になったとしても受け継がれていると確信しているようだ。
笑みを浮かべ自信に満ちた表情にしっかりと頷く。
「うん、絶対に言わないよ。椿の傍にいたいから。だけど──」
そこで思い起こされるのは家族のこと。
人間のあやかしに対する偏見が変わらなければ状況もこのままだ。
椿との幸せ、家族の幸せ。
どちらかを諦めるのは出来ない。
「何かあったのか?」
俯いて困り果てる日和に椿は心配そうに訊ねた。
(ひとりで抱えていても解決しないよね)
この問題が良い方向へ進めさせるような力は持ち合わせていないと自覚している。
椿なら、状況を変えさせるようなきっかけを提案してくれるかもしれない。
「実は──」
日和は悩みを全て打ち明けようと口を開いたのだった。
「そうだったのか。つらい思いをさせてすまなかった」
椿は日和が話している間、静かに耳を傾けてくれていた。
先ほどよりも出来るだけ詳細に伝えた。
母が孤立していること、父が実家と絶縁状態に陥っていること、弟の透真が学校で虐められていること。
全てを包み隠さず伝えた。
椿に話すのは心苦しかったのだが、この選択肢しか思いつかなかった。
「椿は何も悪くないよ」
「だが伝承の縛りで日和も家族もまともに普通の生活を送れなかったのだろう?また妻を失うのを恐れていたとはいえ、何か別の方法があったかもしれないのに」
後悔の念に苛まれるように椿は顔を歪めた。
確かにそうかもしれないが、あの時はそんな余裕はなかった。
愛する妻が無惨に殺されれば当然だ。
しかし、あの伝承がなければまたあの悲劇は繰り返される可能性もあった。
「自分を責めないで。つらいことだけじゃない、楽しかった思い出もあるよ。それに十八になるまで不幸なことに巻き込まれなかった。伝承が、椿がわたしを守ってくれたんだよ」
「日和……」
「だから一緒に考えていこう?未来のこと」
こうして無事に椿と再開できたのも両親が大切に育ててくれたから。
周囲から距離を置かれ孤独だった寂しさも今日を迎えるために必要だったとしたら、何ともない。
「強いな、お前は。この光に俺はいつも救われる」
「椿と同じ未来を見たいから。そのためだったら頑張れるんだ」
「……そうだな。弱気になっている暇はない。今度こそお前を失いたくはないから」
伝承を言い渡したことに負い目を感じていたようだったが、日和の言葉を聞いて前へ進む意欲を見せた。
(お互いの気持ちを伝え合って支える。きっとそれが夫婦なんだ)
百年前に椿と夫婦になってすぐに死んだため、何も妻としての経験はないけれど、何故かこれだけは断言できた。
「わたし、どうしたら皆の誤解が解けるのか色々考えてみたんだけど思いつかなくて。椿は何か良い案はある?」
日和にそう問われて僅かに考えを巡らせた後、口を開いた。
「人間達の偏見を取り除くには、あやかしが敵ではないと示す必要がある。契りを交わすのはどうだ?」
「契り?」
「ああ。あやかし側は今後も一切人間に害を及ばさないこと、もしそれが破られることがあれば俺達はいかなる罰も受けるという約束だ」
「確かにそれなら襲うつもりはないって伝わるかも」
人間の日和には思いつかない、あやかしだからこそ浮かんだ案。
自分達で罰を課せれば、それほど彼らは本気なのだと考えを改めてもらえるはず。
一筋の希望が差し込んだ気がして日和はパッと顔を明るくさせた。
「では後ほど詳細をまとめて国へ通達しよう」
「わたしも手伝うよ」
「助かる。俺はあまり妖域を出ないから人間達の現状も教えてほしい」
「うん。役に立てるなら何でもする」
これが上手くいくことをただ祈るしかない。
大きく歴史が変わる可能性が高い、良い機会なのだ。
(これでひとまずは安心かな。お父さんもお母さんも透真も、心から笑えるようになりますように)
頻繁には会えない家族の顔を思い浮かべて、そっと心の中で願った。
ふと日和はあることに気がつく。
「そういえば小妖達は?姿が見当たらないけど……」
辺りを見渡すが記憶で見た小妖達がいない。
茂みにも隠れていないし、声すらも聞こえない。
前世で過ごした時間はそこまで長くはなかったけれど確かな絆で結ばれていた。
そんな彼らがそうそう忘れるはずがない。
だが、あの笑顔が見られないと不安になってしまう。
そんな日和に気づいたのか椿は彼女の肩に片手を置いた。
「大丈夫だ。あいつらは、朝からかくりよへ赴いている。そろそろ戻る時間だと思うが」
椿が屋敷へと視線を向けると玄関が勢い良く開く。
『日女だ!』
『日女ー!』
こちらに気がつくと輝くような笑顔で小妖達が駆け寄ってくる。
ちょうど今、かくりよから帰ってきたようだ。
日女と日和の顔は瓜二つ。
しかも振り袖姿なので百年越しでもすぐに分かったのだろう。
「皆、久しぶり!」
忘れずに覚えてくれていたこと、彼らが変わらず元気であることに喜びが込み上げる。
『ずっと待ってたよ!』
『これからは毎日一緒にいられるんでしょう?』
「うん。今日からここで暮らすの。よろしくね」
『わーい!』
飛び跳ねたり両手を叩いたりして嬉しそうにしている姿は何とも可愛らしい。
「色々心配かけてごめんね」
『日女は何も悪くないよ!これから先、日女に何かあっても守れるように僕達、特訓を頑張っているんだ』
「特訓?」
『うん!定期的にかくりよに行って霊力を高めているの』
『あ、でも人間を傷つけたりしないよ。この力は日女を守るためだけに使うから安心して』
(そこまで考えてくれていたなんて)
この場所には心強い味方しかいない。
ずっと誰にも甘えずにひとりで頑張っていたけれど、この先は助けを求めても良いのだ。
目尻に溜まった涙を指先で拭うと微笑んだ。
「ありがとう、皆」
『日女が泣いてる……!』
『どこか痛いの?』
彼女が泣いてる姿を初めて見た小妖達はぎょっとしたように目を見開き、顔を見合わせている。
「違うよ。嬉しいから泣いてるの」
それを聞いて安心したのか、笑顔が戻る。
隣でやり取りを見ていた椿は慰めるように日和の頭を撫でながら口を開く。
「お前達、日女は生まれ変わって今は日和という名前で生きているんだ。そう呼んでやりなさい」
『日和……。素敵な名前だね!』
『改めてよろしくね、日和!』
「うん。こちらこそ」
笑顔を交わすこの時間が何だか懐かしい。
あの時の日常を思い出してきたところで日和の脳裏に先ほどの記憶の一部が過る。
「ねえ、椿。日女のお墓って妖域にあるの?」
見た記憶では椿が亡くなった日女を抱き上げて妖域へ帰っていたはずだ。
「ああ。屋敷のすぐ近くにある。行ってみるか?」
「うん」
差し出された手を取ると前世の自分が眠る場所へと歩き始めた。
(ここが前世のわたしのお墓……)
案内された場所に到着すると墓石は百年が経過したとは思えないほど綺麗にされており、その前には花が手向けられていた。
その中には青紫色の桔梗の花もある。
「皆が掃除をしたり花を供えたりしていてくれたの?」
「ああ。毎日欠かさずにな」
殺されてからの記憶はないけれど、きっと黄泉にいる日女にその優しさは届いていただろう。
もしかしたら、その想いに導かれて再びこの世に生を受けたのかもしれない。
「そうだったんだね、ありがとう。手を合わせてもいい?」
「勿論」
日和は膝を折り地面につけると両手を合わせて瞳を閉じた。
非業の死の事実が切なさを感じさせ、胸を締めつけるが、それと同時に決意も生まれる。
(日女の努力を無駄にはしない。いつか人間とあやかしが笑い合える日が来るように、わたしにもできることをしよう)
きっと進み続ければ奇跡は起きる。
こうして百年の時を経て物語は再び始まったのだから。
そっと目を開き、立ち上がると両手を小妖達が引っ張る。
『私、日和に話したいことがたくさんあるの!』
『僕も!』
よほど一緒に過ごすことを心待ちにしていたのだろう。
待ちきれないというように次々と声が上がる。
勿論、断るつもりなどなかったのだが──。
『貴方達』
鈴のような声が聞こえたかと思うと端で様子を見ていた妖狐が一歩前へ出る。
あの時に日和と椿に花を贈ってくれた妖狐だ。
『おふたりはやっと再会できたのですよ。しばらく夫婦水入らずにしてさし上げなさい』
『えー!日和と遊びたい!』
不服の声にも妖狐は動じず、冷静に続ける。
『己の欲を抑え、気遣いが出来てこそあやかしとして成長するのです。おふたりを大切に想うならばなおのこと』
厳しさの中にも思いやりを感じさせる言葉。
話を聞いた小妖達は握っていた日和の手をそっと離す。
『……分かった。今は我慢する』
『日和、椿さまとお話が終わったら遊んで?』
「うん、約束するよ」
そう答えると彼らは妖狐を先頭に屋敷の中へと入って行った。
見送り終わると辺りは一気に静かになる。
「妖狐は小妖達のリーダーなんだね」
「この百年でさらに強い霊力も得たからな。頼もしい限りだ。……日和、縁側にでも座って話さないか」
「うん」
頷くと手を引かれ、縁側へと案内される。
並んで座ると、昔と変わらない懐かしい風景が視界に映る。
「ここ、椿から求婚された場所だね。何だか感慨深いな」
「俺は毎日のように縁側に座ってお前へ想いを馳せていた」
「……っ」
突然の熱烈な言葉に日和の頬は急激に赤みを帯びる。
黙り込んでしまった彼女を椿は不思議そうに見つめた。
「どうした」
「……椿、逢わない間に変わったね」
「そうか?でもまあ、日に日にお前への想いは膨れ上がるばかりだったからな。ようやく再会が出来てそれが溢れたのだろう」
微笑みは降り注ぐ温かな日差しに照らされて、さらに優美さを増していた。
自然と見つめ合う形になってしまって恥ずかしさを隠すように次の話題を探った。
「つ、椿はわたしがこの世に生を受けたことを知っていたの?」
「ああ。黄泉から日女の魂が出て行ったと報告を受けたからな」
「じゃあ、どうして十八年も待ってくれたの?」
本当ならば逢いたくて堪らなかったはず。
何故、伝承にも妖域で暮らし始めるのが十八歳と定めたのか不明のままだった。
「前世のお前は両親や兄妹がいなかっただろう?せめて死んでしまった十八の年齢になるまでは血の繋がった家族と共に過ごしてほしかったんだ」
(そうだったんだ……)
椿の優しさが心に染み渡っていく。
日和が誕生してからすぐに家族と引き離そうとせず、前世では分からなかった幸せを知ってもらおうと考えていてくれていたのだ。
「お前の家族はどのような人達だった?嫌な思いはしなかったか」
「時々ぶつかることはあったけど、わたしのことを大切にしてくれていた。今もこれからも大好きっていう思いは変わらないよ」
「そうか。それを聞いて安心した」
頬に男らしくも繊細な手が添えられてとくんと胸が高鳴る。
真剣な眼差しに日和は釘付けになった。
「二度とあの悲劇は起こさない。俺は今世こそ日和を守り抜く」
椿の揺るがぬ決意に答えるように日和も自分の手を重ねた。
「わたしも、もうどこにも行かないよ。ずっと椿の傍にいる」
嬉しそうに目を細めると日和の顔に影が落ち、彼の顔がこちらへと近づいてくる。
「愛している。昔も今も、そして未来も日和だけを」
運命が一回りしてこうして再び、想いを伝え合える幸せを感じながらそっと目を閉じる。
ふたりは陽だまりに包まれながら口づけを交わし合ったのだった。
とても温かく幸せで、そして儚く散った悲しい記憶。
全てを見終わった日和の目からは涙が溢れ出ていた。
「椿、貴方はずっとわたしを待っていてくれたんだね」
全てを取り戻した今なら分かる。
目の前にいる彼こそが正真正銘、椿なのだ。
百年という長い年月の間、日女が生まれ変わるのを信じてくれていた。
そしてその生まれ変わりが未雲日和。
頬を濡らしながら奇跡を噛みしめる彼女を椿は抱きしめた。
「約束していたからな。ずっと他の誰でもなくお前だけを想っていた」
久しぶりに感じる温もりが心地良く、彼の背中に腕を回す。
大きくて頼もしい背中が不安だった日和に安心感を与える。
まさか離婚を申し出た相手が椿だったとは、つゆ知らず。
生まれ変わる拍子に記憶を失ってしまったのだろう。
それでも仕方ないでは済まされない。
彼に失礼な態度をとり、傷つけたのだから。
寂しげな表情が呼び起こされる。
腕の中からその端正な顔を見上げた。
「ごめんね、椿。『離婚してください』だなんて言って」
「記憶が無かったんだ。致し方ないだろう」
「それでも待っていた相手にそう言われたら誰でも悲しくなるよ」
「気にする必要はない。これから先、お前が俺の隣にいてくれればそれだけで十分だ。それにもう離婚という言葉を口にしないだろう?」
日女は心から椿を愛していた。
それは日和の姿になったとしても受け継がれていると確信しているようだ。
笑みを浮かべ自信に満ちた表情にしっかりと頷く。
「うん、絶対に言わないよ。椿の傍にいたいから。だけど──」
そこで思い起こされるのは家族のこと。
人間のあやかしに対する偏見が変わらなければ状況もこのままだ。
椿との幸せ、家族の幸せ。
どちらかを諦めるのは出来ない。
「何かあったのか?」
俯いて困り果てる日和に椿は心配そうに訊ねた。
(ひとりで抱えていても解決しないよね)
この問題が良い方向へ進めさせるような力は持ち合わせていないと自覚している。
椿なら、状況を変えさせるようなきっかけを提案してくれるかもしれない。
「実は──」
日和は悩みを全て打ち明けようと口を開いたのだった。
「そうだったのか。つらい思いをさせてすまなかった」
椿は日和が話している間、静かに耳を傾けてくれていた。
先ほどよりも出来るだけ詳細に伝えた。
母が孤立していること、父が実家と絶縁状態に陥っていること、弟の透真が学校で虐められていること。
全てを包み隠さず伝えた。
椿に話すのは心苦しかったのだが、この選択肢しか思いつかなかった。
「椿は何も悪くないよ」
「だが伝承の縛りで日和も家族もまともに普通の生活を送れなかったのだろう?また妻を失うのを恐れていたとはいえ、何か別の方法があったかもしれないのに」
後悔の念に苛まれるように椿は顔を歪めた。
確かにそうかもしれないが、あの時はそんな余裕はなかった。
愛する妻が無惨に殺されれば当然だ。
しかし、あの伝承がなければまたあの悲劇は繰り返される可能性もあった。
「自分を責めないで。つらいことだけじゃない、楽しかった思い出もあるよ。それに十八になるまで不幸なことに巻き込まれなかった。伝承が、椿がわたしを守ってくれたんだよ」
「日和……」
「だから一緒に考えていこう?未来のこと」
こうして無事に椿と再開できたのも両親が大切に育ててくれたから。
周囲から距離を置かれ孤独だった寂しさも今日を迎えるために必要だったとしたら、何ともない。
「強いな、お前は。この光に俺はいつも救われる」
「椿と同じ未来を見たいから。そのためだったら頑張れるんだ」
「……そうだな。弱気になっている暇はない。今度こそお前を失いたくはないから」
伝承を言い渡したことに負い目を感じていたようだったが、日和の言葉を聞いて前へ進む意欲を見せた。
(お互いの気持ちを伝え合って支える。きっとそれが夫婦なんだ)
百年前に椿と夫婦になってすぐに死んだため、何も妻としての経験はないけれど、何故かこれだけは断言できた。
「わたし、どうしたら皆の誤解が解けるのか色々考えてみたんだけど思いつかなくて。椿は何か良い案はある?」
日和にそう問われて僅かに考えを巡らせた後、口を開いた。
「人間達の偏見を取り除くには、あやかしが敵ではないと示す必要がある。契りを交わすのはどうだ?」
「契り?」
「ああ。あやかし側は今後も一切人間に害を及ばさないこと、もしそれが破られることがあれば俺達はいかなる罰も受けるという約束だ」
「確かにそれなら襲うつもりはないって伝わるかも」
人間の日和には思いつかない、あやかしだからこそ浮かんだ案。
自分達で罰を課せれば、それほど彼らは本気なのだと考えを改めてもらえるはず。
一筋の希望が差し込んだ気がして日和はパッと顔を明るくさせた。
「では後ほど詳細をまとめて国へ通達しよう」
「わたしも手伝うよ」
「助かる。俺はあまり妖域を出ないから人間達の現状も教えてほしい」
「うん。役に立てるなら何でもする」
これが上手くいくことをただ祈るしかない。
大きく歴史が変わる可能性が高い、良い機会なのだ。
(これでひとまずは安心かな。お父さんもお母さんも透真も、心から笑えるようになりますように)
頻繁には会えない家族の顔を思い浮かべて、そっと心の中で願った。
ふと日和はあることに気がつく。
「そういえば小妖達は?姿が見当たらないけど……」
辺りを見渡すが記憶で見た小妖達がいない。
茂みにも隠れていないし、声すらも聞こえない。
前世で過ごした時間はそこまで長くはなかったけれど確かな絆で結ばれていた。
そんな彼らがそうそう忘れるはずがない。
だが、あの笑顔が見られないと不安になってしまう。
そんな日和に気づいたのか椿は彼女の肩に片手を置いた。
「大丈夫だ。あいつらは、朝からかくりよへ赴いている。そろそろ戻る時間だと思うが」
椿が屋敷へと視線を向けると玄関が勢い良く開く。
『日女だ!』
『日女ー!』
こちらに気がつくと輝くような笑顔で小妖達が駆け寄ってくる。
ちょうど今、かくりよから帰ってきたようだ。
日女と日和の顔は瓜二つ。
しかも振り袖姿なので百年越しでもすぐに分かったのだろう。
「皆、久しぶり!」
忘れずに覚えてくれていたこと、彼らが変わらず元気であることに喜びが込み上げる。
『ずっと待ってたよ!』
『これからは毎日一緒にいられるんでしょう?』
「うん。今日からここで暮らすの。よろしくね」
『わーい!』
飛び跳ねたり両手を叩いたりして嬉しそうにしている姿は何とも可愛らしい。
「色々心配かけてごめんね」
『日女は何も悪くないよ!これから先、日女に何かあっても守れるように僕達、特訓を頑張っているんだ』
「特訓?」
『うん!定期的にかくりよに行って霊力を高めているの』
『あ、でも人間を傷つけたりしないよ。この力は日女を守るためだけに使うから安心して』
(そこまで考えてくれていたなんて)
この場所には心強い味方しかいない。
ずっと誰にも甘えずにひとりで頑張っていたけれど、この先は助けを求めても良いのだ。
目尻に溜まった涙を指先で拭うと微笑んだ。
「ありがとう、皆」
『日女が泣いてる……!』
『どこか痛いの?』
彼女が泣いてる姿を初めて見た小妖達はぎょっとしたように目を見開き、顔を見合わせている。
「違うよ。嬉しいから泣いてるの」
それを聞いて安心したのか、笑顔が戻る。
隣でやり取りを見ていた椿は慰めるように日和の頭を撫でながら口を開く。
「お前達、日女は生まれ変わって今は日和という名前で生きているんだ。そう呼んでやりなさい」
『日和……。素敵な名前だね!』
『改めてよろしくね、日和!』
「うん。こちらこそ」
笑顔を交わすこの時間が何だか懐かしい。
あの時の日常を思い出してきたところで日和の脳裏に先ほどの記憶の一部が過る。
「ねえ、椿。日女のお墓って妖域にあるの?」
見た記憶では椿が亡くなった日女を抱き上げて妖域へ帰っていたはずだ。
「ああ。屋敷のすぐ近くにある。行ってみるか?」
「うん」
差し出された手を取ると前世の自分が眠る場所へと歩き始めた。
(ここが前世のわたしのお墓……)
案内された場所に到着すると墓石は百年が経過したとは思えないほど綺麗にされており、その前には花が手向けられていた。
その中には青紫色の桔梗の花もある。
「皆が掃除をしたり花を供えたりしていてくれたの?」
「ああ。毎日欠かさずにな」
殺されてからの記憶はないけれど、きっと黄泉にいる日女にその優しさは届いていただろう。
もしかしたら、その想いに導かれて再びこの世に生を受けたのかもしれない。
「そうだったんだね、ありがとう。手を合わせてもいい?」
「勿論」
日和は膝を折り地面につけると両手を合わせて瞳を閉じた。
非業の死の事実が切なさを感じさせ、胸を締めつけるが、それと同時に決意も生まれる。
(日女の努力を無駄にはしない。いつか人間とあやかしが笑い合える日が来るように、わたしにもできることをしよう)
きっと進み続ければ奇跡は起きる。
こうして百年の時を経て物語は再び始まったのだから。
そっと目を開き、立ち上がると両手を小妖達が引っ張る。
『私、日和に話したいことがたくさんあるの!』
『僕も!』
よほど一緒に過ごすことを心待ちにしていたのだろう。
待ちきれないというように次々と声が上がる。
勿論、断るつもりなどなかったのだが──。
『貴方達』
鈴のような声が聞こえたかと思うと端で様子を見ていた妖狐が一歩前へ出る。
あの時に日和と椿に花を贈ってくれた妖狐だ。
『おふたりはやっと再会できたのですよ。しばらく夫婦水入らずにしてさし上げなさい』
『えー!日和と遊びたい!』
不服の声にも妖狐は動じず、冷静に続ける。
『己の欲を抑え、気遣いが出来てこそあやかしとして成長するのです。おふたりを大切に想うならばなおのこと』
厳しさの中にも思いやりを感じさせる言葉。
話を聞いた小妖達は握っていた日和の手をそっと離す。
『……分かった。今は我慢する』
『日和、椿さまとお話が終わったら遊んで?』
「うん、約束するよ」
そう答えると彼らは妖狐を先頭に屋敷の中へと入って行った。
見送り終わると辺りは一気に静かになる。
「妖狐は小妖達のリーダーなんだね」
「この百年でさらに強い霊力も得たからな。頼もしい限りだ。……日和、縁側にでも座って話さないか」
「うん」
頷くと手を引かれ、縁側へと案内される。
並んで座ると、昔と変わらない懐かしい風景が視界に映る。
「ここ、椿から求婚された場所だね。何だか感慨深いな」
「俺は毎日のように縁側に座ってお前へ想いを馳せていた」
「……っ」
突然の熱烈な言葉に日和の頬は急激に赤みを帯びる。
黙り込んでしまった彼女を椿は不思議そうに見つめた。
「どうした」
「……椿、逢わない間に変わったね」
「そうか?でもまあ、日に日にお前への想いは膨れ上がるばかりだったからな。ようやく再会が出来てそれが溢れたのだろう」
微笑みは降り注ぐ温かな日差しに照らされて、さらに優美さを増していた。
自然と見つめ合う形になってしまって恥ずかしさを隠すように次の話題を探った。
「つ、椿はわたしがこの世に生を受けたことを知っていたの?」
「ああ。黄泉から日女の魂が出て行ったと報告を受けたからな」
「じゃあ、どうして十八年も待ってくれたの?」
本当ならば逢いたくて堪らなかったはず。
何故、伝承にも妖域で暮らし始めるのが十八歳と定めたのか不明のままだった。
「前世のお前は両親や兄妹がいなかっただろう?せめて死んでしまった十八の年齢になるまでは血の繋がった家族と共に過ごしてほしかったんだ」
(そうだったんだ……)
椿の優しさが心に染み渡っていく。
日和が誕生してからすぐに家族と引き離そうとせず、前世では分からなかった幸せを知ってもらおうと考えていてくれていたのだ。
「お前の家族はどのような人達だった?嫌な思いはしなかったか」
「時々ぶつかることはあったけど、わたしのことを大切にしてくれていた。今もこれからも大好きっていう思いは変わらないよ」
「そうか。それを聞いて安心した」
頬に男らしくも繊細な手が添えられてとくんと胸が高鳴る。
真剣な眼差しに日和は釘付けになった。
「二度とあの悲劇は起こさない。俺は今世こそ日和を守り抜く」
椿の揺るがぬ決意に答えるように日和も自分の手を重ねた。
「わたしも、もうどこにも行かないよ。ずっと椿の傍にいる」
嬉しそうに目を細めると日和の顔に影が落ち、彼の顔がこちらへと近づいてくる。
「愛している。昔も今も、そして未来も日和だけを」
運命が一回りしてこうして再び、想いを伝え合える幸せを感じながらそっと目を閉じる。
ふたりは陽だまりに包まれながら口づけを交わし合ったのだった。