そういえば、彼の名前を聞いてなかったな。
何てことに気づいたのは、あれから結構な日数が経過したときのことだった。彼とは、あれから毎日一緒に下校していた。学校にいるわけでもない。家がどこかも知らない。でも、私がどれだけ遅くても、ましてやどれだけ早くても、いつもそこにいて、微笑んでいた。彼と一緒に帰る時間は、私にとってはもう、無くてはならないものになっていた。日頃の愚痴や、最近の悩み、流石にお父さんのことは話してないけど、それ以外のことは大抵彼に話していた。こういうのを依存と呼ぶのだろうか。そのかわり、授業中までお父さんのことを考えなくなり、何ならお父さんのことを考えなくなっていた。そういえば、彼は少しお父さんに似ている気がする。だから安心感を感じるのだろうか。似ているといえば、お母さんと弥生先生は後ろ姿が瓜二つなのだ。そのせいで一年生の時は、弥生先生をお母さんと呼んでしまい、希琴にからかわれていたことがあった。
今日もそんないつものように、彼と帰っていた。
「そういえばさ。私まだ、君の名前聞いてないのだけど。」
ずっと気になっていたことを、やっと言えた。
でも普通、自分から言っとくべきだよね。名前くらい。最初の時はそれだけ焦ってたんだろうな。そう考えると、少し可愛くも思えた。
「あれ?言ってなかったっけ。うーん。でも個人情報だからなぁ、」
「わかった。自分の名前も名乗らない奴がナンパしてきたって、警察に届けるから。」
「ちょ、冗談だよ!?ゴメンって、でも確かに僕の名前言ってなかったな。」
そういって彼は少し悩んでから口を開いた。自分の名前名乗るだけなのに何を悩む必要があるのか私には分からなかった。そう、分からな「かった」。
「ハルトって言うんだ。僕の名前。」
「え?」
「え?どした?何か不味いこと言った?」
「私のお父さんも同じ名前なの。ハルトって言うの。漢字は、陽気な音って書くんだけど、」
「僕もだ。陽気な音でハルト。すごい偶然だなぁ。」
「う、うん。」
まさか、ね。
私は、一瞬よぎったファンタジーチックな考えを消した。この近代社会でそんなことがあるわけがないのだから。
「会ってみたいなぁ。もう一人のハルトに。」
そういうハルトくんの笑顔に、私は申し訳なさを感じずにはいられなかった。
「もう一人のハルトに付いて聞かせてよ。」
「え?お父さんのこと?」
話すべきか、騙すべきか、いや、話さないべきなのだろう。何故かは分からないけど、話すべきではないことは分かった。
「どんな人かとかさ。」
「うーん、子供みたいな人かな。落ち着きがなくて、でも妙に冷静な部分もあって、時々悲しそうな顔するんだ。」
「そっか良いお父さんだと思う?」
「それは、どうだろう。でも、家族思いだったと思う。」
お父さんは確かに家族思いだった。お母さんの事も愛してたし、私のことだって、愛してた。お母さんが、初めての彼女だって、え?あれ?
「ゴメン、ハルトくん先帰るね!」
ゴメン。ハルトくん。私やっぱり、考え出したら止められないみたいだよ。全力で走りながら帰る私に、
「お互い頑張ろう。唯愛。」
そんな声が聞こえるはずもなく。

「ただいまっ!」
家に帰った私は、すぐに自分の部屋に飛び込んだ。そして、棚の奥から一冊のノートを引っ張り出した。「私のお父さんとお母さん」。そう書かれたノート。小学生の時、お父さんとお母さんにインタビューした時のもの。
「これの、どっかに、」
そう呟きながら、ボロボロのノートをめくって、めくって、
「あった!」
止まったページは、「ふたりのなれそぬ」と書かれたページ。「め」が「ぬ」になっていることはおいといて、今必要なのは、この情報。

「おかあさんは、おとうさんがとうじつきあていた、かのじよと、わかれてからつきあたそうです。」

やっぱり。お母さんはお父さんに彼女かいるって言ってた。でも、お父さんはお母さんが初めての彼女だって言ってた。つまり、「あの人」は、お父さんの彼女の可能性が高くて、さらにお父さんがいたことを隠すような、何かあった存在でもあるってこと。だから、高校時代の友達以外は知らなかったんだ。でも、高校時代の友達でお父さんの事話してくれそうな人でしょ。お母さんはダメ。叔父さんもたぶんダメ。後私が知ってるのって、
「あ、」
いた。私が知ってて、お父さんの高校時代の友達で、話してくれそうな人。
「お母さん!私学校行ってくる!」

生徒達は帰って、先生方も帰りだした夜の学校で、まだ作業している人が一人。
「弥生先生。」
そう、江藤弥生先生。
「ん?まだ帰ってなかったんですか~。唯愛ちゃん。あんまり遅くまで一人で出歩いてると、先生みたいな人に教われますよ~。」
「先生、同じ性別でも生徒に手出したら捕まりますよ。」
「大丈夫ですよ~。私は完全犯罪しかしないので~。」
この人なら、やりかねそうで怖かった。
「それで~?私になにか用ですか~?いや、用があるから来たんですよね~。」
「お見通しですね。先生、父の高校時代の友人でしたよね。」
その時、先生の顔つきが変わった。
「その話をするなら、先生も少し気張らなきゃなりませんね。」
「~」がきえた!それだけでこんなに真面目そうに見えるんだ。ちょっと威圧感まである。
「はい。父の過去が知りたいんです。」
「はぁ、私は当事者じゃないですからね。そうですね。最近何かありませんでしたか?友達ができた、でも何でも良いんですが、」
「えっと、男の子と知り合いました。最近よく一緒に帰ってるんですけど、どこにすんでるかとか分かんなくて。」
「なるほど、そうですか。もう18ですもんね、唯愛ちゃんも。そうなると、こりゃ運命としか言いようがないですねぇ。ま、気にしなくてもいいですよ。答えは自ずと明らかになるでしょう。」
ダイジョブですよ、と、そう言って先生は帰り支度を始めた。ここにいても、もうなにも教えてくれなさそうだったので、私も帰ることにした。そとは暗く、先生の言う通り不審者がいてもおかしくない状況だった。急に家を飛び出して、帰ってきたのが9時前なのだから流石にお母さんも心配しており、猛謝罪の末に門限の設定で許してもらう事に成功した。疲れきって自室のベッドに倒れ込んだ私だったが、頭のなかは今日1日の事でいっぱいだった。
「もう18」は分かる。お父さんも18の時に何かあったってことだ。これは前々から分かってた。
でも、「これも運命」って言うのは何の事だろう。先生はそこまで私の話を重く受け止めていないようだった。つまり、この話はそこまで悲劇じゃない。でも、運命って?いや、そんなことよりも一番大事なのは、
ハルトくんの事だ。先生は何であんなことを聞いたのか、何であんな反応をしたのか。
ハルトくん、君は私のなにを知ってるの?