気持ち悪かった。高校三年生で受験生だからそのプレッシャーで、何て理由じゃない。ただ、僕は、高校に入ってから、いや中学生の時から、自分には居場所がないように思えて。だから、そんな心の隙間を埋めたくて、クラスメートと面白くもない話をして、笑って。いじめも見て見ぬふりして、頼まれればそれにも参加することすら厭わずに。それでも、いや、そんなだから、僕は、まだ気持ち悪かった。そんな生活が、1年間続いて中学二年生になった。その頃には慣れたと言うべきか、それとも、麻痺したと言うべきか分からないけど、苦しくなかった。でも、気持ち悪さは残るどころか悪化した。人に合わせるのが苦で無くなった自分に怒ることもできない自分がとにかく気持ち悪かった。高校生になったら多少変わるかと思ったが、特に変わりはなく、この三年間ずっと、家では良い子で、学校では面白い奴で、合わせて、合わせて、あわせて……、
「陽音くん、オーイ、百々目木陽音くん!」
現実に引き戻された僕は、目の前のおちゃらけた横目の、エセ関西弁クラスメイトに、名前を呼ばれてとっさに、
「はい!元気です!」
健康観察の返事をしてしまった。もう昼休憩の教室で、健康観察をする僕にクラスの視線が集まる。
「はい。それやったら、ハテナは持ってますか?」
「懐かしいなぁ!ハンカチ、ティッシュ、名札の事じゃねぇか!」
完璧な切り返しのおかげで何とか、ヤバい奴にならずにはすんだ。クラスの笑いに包まれながら、僕は、このおちゃらけた、エセ関西弁野郎こと、「神真」の方を見た。誠に難しく、珍しい名前だが、読み方は、神が、「かなえ」で名字。真で、「まこと」が名前という、格好の良さと引き換えに、人と会うたび「これなんて読むの?」と、聞かれる代償を得た、至極残念な、名前である。と、まぁ、真の紹介はここら辺にしておこう。僕は席を立ち、笑いに包まれる、教室を後にした。廊下を歩いていると、真が後ろから追いかけてきた。
「いや、にしても陽音くんの名前、ごっつ読みずらいなぁ。百2つに目と木が、1つずつで、とどめき、って読むんやろ?」
真は純粋な顔でそう問いかけてくるが、お前の方がよっぽど難しい。口に出すのは野暮なので、黙っておいたのだが。そんな僕の気遣いも知らず、真は、それはそうとやな、と、話を変えてきた。
「うちのな、妹がごっつ可愛いねん。中学三年生何やけど、純粋っちゅうか、天然っちゅうか…」
「おまえのシスコン具合は分かった。でも、そういうのは、学校で言うもんじゃないだろ?」
「なんでや?」
「そりゃお前、真はシスコンらしいぞ、みたいな噂が流れたら困るだろ?」
と、僕は口を濁したが、
「なるほど。全くわからん。」
どうやら、失敗だったらしい。伝わらないものである。というか、天然の部分は、多分遺伝だろう。そんな話をするうちに昼休みは終わって、放課後に、真と帰っているときの事だった。
「そやから、家の妹は、ごっつ可愛いねん。」
と、13行ぐらい前に話した気がする内容を話ながら、ある十字路に差し掛かったとき、そこに、彼女はいた。まだ5月で、少々肌寒いというのに、真っ白なワンピースを着て、そこに、立っていた。僕はその子に吸い寄せられるように、というか、真に言わせれば「ごっつ可愛いねん」だったから、とても気になった。学校とか学校とか学校とかが、とても気になった。今思うと、一目惚れ、と言うものに近かったのかもしれない。
「おい、真。あれ、」
「んでな、その時妹がな、」
「話のレパートリーすくねぇな!じゃなくて、あそこに立ってる女子、誰だ?うちの生徒じゃないよな。」
可愛くないか?なんて言える度胸はなかったので、適当な話題で真に聞いてみたのだが、
「ん?どこに居るんや?」
真はまるで見えていないように言った。
「どこって、十字路の真ん中につったってる白いワンピきた女子だよ。」
僕が特徴まで言って説明しても、真は、怪訝な顔をして、
「え?どこや?」
と、聞いて来る始末。
「ボケてんじゃねえよ、ったく。ちょっと、ここで待っててくれ。」
そこで僕は、からかってるのだろうと思い込み、サブバッグを押し付けて一人で話しかけることにしたのだが、今思えばあれは、真の本気の困惑だったのだろう。
「え?お、おう。」
戸惑う真を他所に、僕はズンズン進んでいって、
「あの、すいません。」
僕が、話しかけると、彼女は振り向いて様々な感情が入り雑じった顔をした。ナンパされた女の子というのは、ああいう顔をするのだと、僕は初めて知った。
「私、ですか、あの、えっと、私に聞いてるんですか?」
「は、はい。その、とても綺麗だったので、」
その時僕は、はじめて自分のしていることの、危なっかしさを悟ったのだけれど、(生徒に見られたりしていたら終わりだった)恥じらいを捨て、玉砕覚悟で、さらに質問した。
「その、お名前だけでも聞かせてくれませんか!?」
さらに困惑する彼女。その時、僕は見てしまった。バッグからはみ出る、生徒手帳を。
やってしまった。あー、終わった。よくよく考えればここら辺にいるのだから、うちの生徒に決まってるじゃないか。そういや、今日は2-1が、例のウイルスで学級閉鎖だったと聞いたきがする。というか、聞いた。部活に所属していない可能性だってあるのに、僕のバカ、バカバカバカバカバカ!なにが、玉砕覚悟だ。大馬鹿野郎め。ダメだ。終わった。後ろの方で真が思いっきり引いてる。そんなめでみるな!後ずさりするな!
勝手に聞いてきて、勝手に粉砕された僕は、フラフラした頭を抱えて、
「すいません。何でもないです。忘れてください。」
その場を立ち去ろうとした。が、
「アイ。アイって言います。」
「へ?なにが?」
「私の、名前です。」
そういって、彼女はうつむいた。
よっしゃー!!!セーフだろ!セーフ!それどかろか、脈アリなんじゃないか?!どうだ!見たか真め。これが漢ってもんよ。
そう、勝利を確信し、振り向くと、そこには友の姿はなく、裏切り者の痕跡だけがあった。そう、つまりは、投げ出された僕のサブバッグの事である。
「野郎、帰りやがった!」
これが、彼女との、アイとのはじめての出会いだった。付け加えて言うならば、真のことを信じれなくなった日でもあった。