全て、知った。そして、私は更に絶望を知ることになりそうだ。だって、お父さんの状況と、今の状況は、かなり酷似しているのだから。でも、もしかしたら違うかもしれない。私は、そんな淡い希望を抱いて、弥生先生に電話をかけた。
「もしもし、唯愛ちゃん?どうかしましたか~?」
「すいません。ちょっと聞きたいことがあって。」
違う。聞きたいことじゃない。聞いたら駄目なことだ。でも、聞かなくちゃならないから、
「正直に、答えて下さい。」
「はい~。でも、良いんですか~?」
いつになく真剣な私の声に、弥生先生は私が何を聞こうとしてるか察したのか、本当にいいのか、と確認を取る。
「構いません。お父さんのこと。全部知ったので。」
私は、ここで聞くのをやめるわけにはいかない。だって、この質問にイエスと帰ってくる確率が、限りなくゼロに近くても、ゼロじゃないなら聞かなくてはならない。
「分かりました。良いですよ、真剣に、答えましょう。」
弥生先生も私と同様に意を決し、声色を変えた。
「先生は、さ、佐藤さんはっ、」
それでも、やっぱり声は震えて、途中途中嗚咽で喉がつまりながら、私は、
「ハルトくんのことが、見えてましたか?いや、見えてましたよね。そうですよね?」
先生に、問いかけた。分かっている。分かっているのに、どうしても、どうしてもまだ一緒にいれるって想像してしまう。しかし、私のそんな淡い希望を、先生は、
「私には、見えてません。ハルトくんも、アイちゃんも。」
打ち砕いた。
「そ、そうですよね。分かってたんです。聞く前から。でも、あれ?なんで、」
なんで、こんなに泣いてるんだろう。悲しくないのに。前にもあったのに。今度は、私の番なだけなのに。
「ごめんなさい。切りますね。」
喘ぐ声を必死に抑えながら、私は通話を切った。
まだ、ハルトくんと話してないから、まだ、ハルトくんが消えてないから、こんなに泣いてちゃ駄目なのに。
「唯愛。」
気づけば、「そこ」にハルトくんはいた。
「ハルトくん。そっか、私の周りならどこでもいいんだ。」
「そうだね、場所は重要じゃないかな。今重要なのも、場所じゃないだろ?」
「うん。でも、今度は私の番、なのかな。また、お別れみたいだね。」
こんなにも、悲しくて、切ないことを、私は、どれだけ繰り返せばいいのか。離れてはくっついて、離れてはくっついて。
「そう、かもな。それにしても、大変だったんだぞ?本当に好いてくれてるか自身がなくてな。そのくせ分かりやすく自分の身体が消えていくのが分かるんだから、なんだか、切なくってな。」
「私の気持ち、分かった?そういえばさ、ハルトくんは、お父さんなんだよね?」
「確かにそうなるな。なんか面白いな。そう考えると。僕が死ぬまでは完全に二つに分かれてたってことだろ?」
「確かに!なんで気づかなかったんだろう。」
本当に、なんで気づかなかったんだろう。なんで、今になって全部思い出したんだろう。もう、遅い今になって、
「あ、ごめんね。ちょっと、涙でちゃった。」
私は、いつの間にか流れていた涙をぬぐった。ぬぐってもぬぐっても、止まらないけれど。
「あれ?おかしいな、さっきあんなに泣いたのに、」
「泣いて良いさ。それは、僕の涙かもしれないし。」
もう、ごめんねも言える状況じゃなかった。涙は止めどなく流れ、分かっている終わりが来たことに、胸が悲鳴をあげている。私は、どこまでも弱かった。
「ごめんなさい。気づけなくて、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。」
謝ることしかできない私を、ハルトくんはただ、なにも言わず、なだめてくれた。なんで、気づけなかったんだろう。お父さんが、最後に、アイ、って言ったのは、愛してるって言おうとしたんじゃない。私に、アイの姿を重ねて、そういったんだ。自分の名前をハルト、だと名乗った時、私がアイと名乗った時よりも、もっと辛かっただろう。自分のままで消えていくことを、決めたのだから。いまさら思い出しても遅いこと。いまさら考えても遅いことばかりが私の頭に浮かんだ。
「こんなこと、言うつもりじゃなかったけど、やっぱり消えるのは辛いな。もっとアイと、唯愛と一緒にいたかったって思っちゃうよ。親として、恋人として、いや、僕として、だな。」
私の視界はグシャグシャで、ハルトくんの顔も見れなかった。いや、見えないんだ。私は、ハルトくんの顔も、声も、思い出せない。思い出すのは、言ってくれた言葉と、その優しさだけだった。だって私が、陽音くんの影を見いだしていた偶像にしか過ぎないのだから。しかし、それも、それですら、今消えようとしていた。
「唯愛。一つだけ、約束してくれないか。」
そんな今まさに消えようとしているハルトくんは、最後に、と口を開いた。
「約束?」
ハルトくんの言うことなら、自分が望むことならば、私はなんだって出来る。だから、
「ああ。もう、二度と僕たちが、裏と表が、離ればなれにならないように、約束してほしい。僕のために、自分のために生きようなんて思わないでくれ。」
だから、私は硬直した。何を言っているのか分からなくて。
「どういう、こと?」
「まぁ、分からないのも無理はないか。簡単な話し、僕が、百々目木陽音が、自分を愛せた時点で、もうアイと会うことはないはずだったんだ。でも、僕は、自分のため、アイのために生きた。
そのせいで、また離ればなれになるとも知らずに。だから、これからは誰かのために生きてほしい。ほら、よく言うだろ?自分を愛せない人間に、他人を愛することなんてできないって。僕らはいやと言うほど、自己愛の尊さと、自己愛だけではこんな結果になるって分かったろ?「私」
を愛せたら、「あなた」も簡単さ。好きな人を見つけて、その人のために生きてほしい。」
ハルトくんの言うことはもっともだ。自分を愛せれば、他人を愛することもまた、簡単だろう。でも、それは、
「それって、私たちがもう二度と会えないってことじゃない!それが、どれだけ辛いかなんて、分かるでしょ!?」
それは、あまりにも残酷だった。私は、別れが来るのを知ってても、それがどれだけ辛い道でも、あなたと会えるなら、私と巡り会えるなら、それでよかったのに。
「違うよ。僕らはずっと一人だ。ずっと一緒だ。生きてても、死んでても。だから、お願いだ。僕らがずっと、ずーっと、寂しくないように、ずーっと、「一人」でいれるように、「皆」で、生きてくれ。」
それは、陽音くんの願いだった。つまり、私の本心でもあるのだ。受け入れるしかない訳じゃない。受け入れてるんだ。ずっと前に。
「うん。分かった。バイバイ、陽音くん。」
その言葉を聞いて、吹っ切れたように陽音くんは消えた。まるで、最初からいなかったみたいに。でも私にははっきりと分かった。私の中の、足りない何かが、埋まっていくのを。
「お帰り。ハルトくん。」
こうして私は、世界一寂しいお帰りを、その心に噛み締めた。ハルトくんの分も、私の分も、全ての涙を流しながら。